秋の章
一、鎮守の森の使い
この地は、領土の半分を覆う"鎮守の森"を崇め、信仰している。
森が齎す恩恵は、この地に住む者の守護である。しかしながら、豊かな森には珍しい生き物も多く、不法行為に及ぶ者も少なくない。
領土外の人間が勝手に入り、精霊の使いとされている動物たちを殺す行為は、この領土に生まれた者たちにとっては、神を殺すようなものである。
そんな侵犯者たちを森に近付けないために、領主自ら従者を引き連れて見回りをしている。
「今日はなんだか森が騒がしいな。なにかあったのか?」
鴉たちが喚くように鳴いている。それはいつもと様子が違っていて、緊迫感さえあった。今の領主に変わってから、春夏秋冬、毎日欠かさずに
そんな毎日の見回りをしているからこそ、その異変に気付く。まさか、侵犯者が近くにいるんじゃ、と気を引き締めて、秋色の染まり始めた森の奥へと進む。枯れ葉が舞う中、従者のひとりに名を呼ばれる。
「
「え?何も聞こえないけど、」
この地の若き領主の名を、
兄弟はおらず、母も幼い頃に他界していた。故に、元老や臣下たちは、まだ若い領主を自分たちで操り、自分たちの思いのままに政を手にしようとしていた。
が、幼い頃から父の許で、領主とはなにかを学んでいた
皆が皆、敵というわけでもなく、志を同じくする者もいる。今、一緒に行動している者たちは、
「
「····あれは、」
赤や黄色に染まりつつある、森の中。楓の葉がひらりと視界を遮り、再びその先に見えた白い物体に目を瞠った。
色とりどりの葉が舞う中、その先に見えたのは、獣用の罠にかかった白い毛の狐だった。右脚が鋭い刃に挟まれ、弱っているのか、地面でぐったりとしている。
それを確認するや否や、
「····これは、酷いですね、」
「
「そんなことより、早く解放してあげましょう」
従者のひとり、三つ年上の
「虎挟みだ····こんなものが食い込んだら、人だって大怪我をするぞ」
獣の鋭い歯のように並ぶその虎挟みの刃は、周りに散らばる不自然な枯れ葉の山で隠されていたのだろう。それを知らずにこの白い狐は踏んでしまい、身動きが取れない状態になったのだ。
「
力に自信のある彼は一番体格がよく、背も一番高く腕も太い。三十歳の彼の名は、
狐はぐったりとしており、人間が近づいても抵抗する力も残っていないようだった。ふたりがかりでなんとか罠を解き、
「こんな状態で、よく耐えたな。すまない、もう少し早く見つけてあげていたなら、ここまで弱ることはなかっただろうに」
「悪いのは仕掛けた人間ですよ。ここがどんな森か、解っていないんです。当分、見回りの兵を増やしますね」
ここの地の者ならば、森の獣たちを狩ろうなどと言う考え自体、あり得ないからだ。この鎮守の森は、森全体が信仰の象徴なのだから。
「人が森を侵すなんて、ましてや森の民を傷付けること自体、間違ってます。白の神がどれだけ人間のために尽くしてくれているか、外の奴らは知らないんですよ」
「天罰でも与えられるような、厳しい荒神ならまだしも、白の神は癒しの神。守るために存在する守人であるが故に、守護は得意でも攻撃はしない」
ですね、と
正直、
遠い昔から、たくさんの言い伝えがある。そのどれも、優しい話ばかり。
「これで、少しはマシになると思うが。森の民を連れ帰るわけにもいかないし。なんとか白の神に、この子が会えたらいいんだけど、」
どんな傷でも癒すという白の神。その力が本当ならば、きっと、怪我をしたこの狐のことも助けてくれるはずだ。
それに、これ以上は自分たちは干渉することはできない。
「では行こう、」
残された白い狐は、遠くなっていくいくつかの足音を確認しながら、安心するようにゆっくりと瞼を閉じた。
******
――――数年後。森の葉が、夏の色から秋の色に変わる頃。
領主の邸の門の前。門番ふたりに、ひとりの青年が身分を問われていた。
青年は抑揚なく何度も同じ説明するのだが、その内容が突拍子もなさすぎるため、自分たちの判断ではどうにもならない、という結論に至る。
目の前に立つ青年は、白い衣裳にに赤い帯、長い黒髪を頭の右側で結っている美しい青年で、その瞳はこの辺りでは見たことのない、碧色をしていた。
髪の毛を飾る赤い房の付いた紐飾りが特徴的で、その表情はどこか儚げ。神秘的という言葉が似合うだろう。
どう見てもこの地の者でないことは確かなのだが、本人曰く、「鎮守の森の白の神の使い」らしい。それが本当なら門を開けなくてはならないし、嘘なら嘘で、本当の身分を明かしてもらう必要があった。
門番のひとりは、この怪しくも美しい青年の態度に対して悪い気はせず、だからこそ真偽を確認する必要があると踏んだ。
「では、少し待っていてくれないか?上の者に確認を取る」
確認を取ると言っても、そもそも元老や領主自身の耳に入っていれば、事前に門番たちに命じているはずだった。
それがないという時点で、青年が突発的にここを訪れていることになるわけだが、彼を入れる入れないの判断を下すのは、自分たち下っ端の兵には難しかった。
そんな中、門の扉が勝手に開く。そこに立っていた人物に対して、門番たちは慌ててその場にふたり並んで跪き、深く頭を下げた。
長い茶色い髪の毛を、低い位置で結んでいる二十代前半の青年が、様子を窺うようにして、門の内側からその外側を眺めていた。
瞳は、琥珀色。黒い衣裳の上に左半分の赤い衣裳を纏い、右肩に白い紐飾りのついた金色の布を垂らしているその青年は、その状況を見て不思議そうに訊ねてきた。
「どうした?その者は、俺に用事があるんじゃないのか?いつも言っているだろう。民の声はこの地の声。身分など気にせず、通して構わないと」
「け、
「は、はい。少なくとも、この地の民ではなさそうでしたので、」
そうなのか?とこの地の領主である
「自分の事を"白の神の使い"と言うので、正直、どう対処したらいいのかと迷い、上の方々に確認をしようとしていたところでして、」
そうしている内に、一番偉い領主が出てきてしまったのだ。それに対しては、門番たちが一番驚いている。
「俺は
青年は最初はぼんやりとしていたが、やがてそれに応えるように、その美しい顔に小さな笑みを浮かべた。
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