ポインセチア

碧川亜理沙

ポインセチア


 今日も小さな天使たちが、みんなに幸せを運んでいきます。


 * * * * *


 人間たちが暮らす地上よりはるか上空、何ものも立ち入ることができないその場所に、神さまと天使たちが住まう天界がありました。


 神さまは、天界の中でいちばんえらい方で、地上に暮らす生き物たちの「生」を管理しています。

 そして、天使たちは神さまを手助けしたり、地上に住む人間たちに良いことをもたらすため、毎日はたらいています。


 ソーナも、人間たちに良いことをもたらすためにはたらくいち天使です。まだ天使として日が浅く、見習いという立場で日々がんばっています。


 しかし、ソーナはまわりの天使とはちょっと変わっていました。


 ソーナが花に水をあげると、たちまち元気を失ってしまいます。

 ソーナが祝福の歌を歌うと、だんだんと哀しい気持ちなってしまいます。

 ソーナが幸せの祈りをささげると、相手はなぜか不運になってしまいます。


 そのせいで、ソーナはまわりの天使たちから「不運の子」と呼ばれ、落ちこぼれの烙印を押されていました。





 幼い天使たちは、立派な天使になれるよう、天使の学校に通います。ソーナもそこに通っています。


 ある日、先生から課題を出されました。


「人間界へ降り、人間を幸せにしましょう」


 まわりの天使たちは元気に返事をしますが、ソーナは力なく返事をするしかありません。

 だって、この課題は、ソーナにとって厳しいものになると分かっていたからです。


 課題を出されると、みんな元気に人間界へと降り立っていきます。ソーナは最後尾で、力なく、人間界へと降り立っていきました。





 人間界へ着いたソーナは、ふらふらと幸せにする人間を探します。


 幸せを願っている人というのは、存外見分けやすく、何人か目星をつけられはしたものの、果たしてその人を幸せにすることができるだろうか……。ソーナの不運で、相手も不運にしてしまう未来しか想像できず、ソーナは全然課題を進めることができません。


 飛び回り、あたりもだんだん暗くなってきました。

 疲れてきたソーナは、ちょうど目に付いた建物の上で休もうと思いました。


 そして、その建物に近づくと、先客がいることに気づきます。

 しかしその人は、屋上のフェンスの外側にいて、その狭いスペースに座っているようです。

 ソーナは思わず、その人が今にもそこから落ちてしまうのではないかと慌ててしまいました。


 ソーナは今まででいちばん速いかもしれない速度でその人の元まで飛んでいき、

「落ちちゃだめだよっ!」

 思わず大声で叫んでいました。

 叫んだところで、人間相手に自分たち天使の姿が見えるわけではないためこの声も届くはずがないのですが、それでもソーナはそう叫んでいました。


 するとその人は、驚いた表情であたりをくるくると見まわしています。

「……だれかいるの?」

 思いもよらない返答に、ソーナのほうも驚いてしまいました。ソーナの声が届いているはずがないと思ったからです。

「ねぇ、だれかいるんでしょ?」

 その人はさっきよりも声を大きくして尋ねます。どうやらソーナの姿自体は見えていないようです。


「……ぼくの声、聞こえるの?」

 ソーナは恐る恐る相手に声を掛けました。

「うん、聞こえるよ。どこにいるかはわからないけど」

 その人はいまだあたりを見回しながら返答しました。

「ねぇ、一緒にお話でもしてくれない?」

 どうやら今日は、ソーナにとって予想外のことが多く起きる日のようでした。





 その人は、ミライと名乗りました。

 今ソーナたちがいる建物は病院で、ミライはここに入院しているのだそうです。

「僕さ、しばらく誰とも話していなかったから、誰かとお話ししたいなって思ってたんだ。だから、君が来てくれてすごくうれしい」


 それからミライは、ソーナが口をはさむまでもなく、どんどん言葉を紡いでいきます。

 よほど話がしたかったのだなと、ソーナは思いました。

 それにソーナとしても、ミライの話はとても面白く、聞いていて飽きることはありませんでした。


 一通り話し終えたのか、ミライは息をつきました。

「ごめんね。なんか僕だけずっと話しちゃったよね」

「ううん、聞いててすごくおもしろかったよ」

「そっか。楽しんでたならよかった」

 そういって、嬉しそうに笑うのでした。


「……僕さ、もうすぐ手術するんだ」

 ぽつり、ミライがつぶやきました。

「手術?」

「うん。今までも何回か手術したけど、今度のはけっこう難しい手術なんだって。お医者さんとか親がそう言ってた」

 遠くを見つめながら、ミライは続けます。

「僕の病気は治すのが難しくて、完全に治ることはないんだって。それでも少しでも長く生きられるように手術をするんだって。

 僕ね、少しだけ、ほんの少しだけど、疲れてるんだよ。今だって、君が声をかけてくれなかったら、もしかしたら僕、このまま落ちちゃってもいいって本当に思ったかもしれないくらい」

 ソーナはミライになんて言葉をかけてあげればいいのか、思いつきませんでした。

 まだ小さな人間なのに、その命が長くないということはとても悲しいことだと思いました。


「……ぼくね、実は、天使なの」

 本当は人間相手に告げてはならないのですが、ソーナは思い切って相手に自分のことを打ち明けます。

「ぼくたち天使はね、学校に通っていて、そこで人間を幸せにするっていう課題があるの。ぼくね、その課題のために人間界に降りてきたんだ」

 ミライは言葉をはさむでもなく、じっとソーナの声を聞いています。

「でもぼくね、まわりから落ちこぼれって言われていて……。天使はまわりの人たちを幸せにしないといけないのに、ぼくはみんなを幸せにすることができていなくて……」

 ソーナは、しどろもどろになりながらも、自分の中である決意が固まっていました。


「あのね、ぼくはうまくみんなを幸せにすることができないんだけど、それでも今、ぼくはきみを幸せにしたいって思ったの。うまくできる自信なんてこれっぽっちもないし、もしかしたら失敗してきみを不幸にしちゃうかもしれないけれど、それでも、ぼくはきみのために、幸せになってほしいって祈ってもいいかな……?」


 ミライの話を聞いて、ソーナは自分がミライを幸せにしてあげたいと思いました。

 不運の子と呼ばれていても、自信がなくても、心の底からそう思ったのです。これは、ソーナにとっても初めての決意でした。


 今まで黙って聞いていたミライは、突然笑い出しました。

 笑う要素なんてどこにもなかったのに、突然のことでソーナは戸惑います。

「なんで笑ってるの?」

「ごめんごめん、君が変だったとかじゃないよ。ふっとこの時間って夢みたいだなって思ったらちょっと笑えちゃっただけ」

「気を悪くしたらごめん」とミライは謝りました。

「でも、君は落ちこぼれなんかじゃないと思うけどな」

 そういうミライに、ソーナは理由を尋ねます。


「だって、僕は今幸せだって思うもん。初めて会ったけどさ、君が一緒にお話ししてくれて、この時間があって。あぁ、僕は今幸せだなって心から思うもん。それは、君が僕のところに来てくれたからだよ。そうじゃなきゃ、幸せだって思わないじゃん」


 ミライの嘘のない言葉に、ソーナはうれしさのあまり泣きそうになってしまいました。でも、泣くところは見せたくなくて、強がって「ありがとう」と言いました。

「あ、そろそろ僕病室に戻るね。お母さんたちが心配でここに来ちゃうかもしれないし」

 気づけば、あたりは薄暗くなり始めていて、きらきらと星も輝き始めてきました。


 ミライは危なげなくちょうど人一人が通れるほどのフェンスの穴から内側へ戻っていった。

 ソーナは屋上の扉までミライを見送ろうとついていきます。

「あ、そうだ」

 ミライはふと立ち止まり、偶然か、ソーナがいるあたりを振り返りました。

「一つだけ、お願いしてもいい?」

「お願い? ぼくにできることなんてほとんどないけど……」

「ソーナは天使なんでしょ? ならさ、今度の手術、うまくいくように祈ってくれないかな。僕、実は怖がりだからさ、君が祈ってくれて大丈夫って言ってくれたら頑張れる気がするんだ」

 その言葉に、ソーナは迷うことなくうなずき返しました。

「うん……きみのために祈るよ。大丈夫、手術、うまくいくよ」

 ありきたりな言葉だったかもしれないと思いながらも、それでもソーナは心の底から大丈夫だと祈りを捧げました。

 ミライはその声をかみしめた後、今度こそ「さようなら」と言って病院の中へと入っていきました。





 夜になり、ソーナは天界へと帰っていきました。

 どうやらソーナは最後のほうだったようで、ほとんどの課題を受けた天使たちは帰ってきていました。

 ソーナは先生のもとへ行き、今回の課題の成果を報告します。

 報告を受けた先生は、はじめてソーナを褒めました。


「ソーナ、自身のことを人間へ話すのは、本来ならあってはならないことだと理解していると思いますが……それでも、今回は大目に見ましょう。そのおかげで、あなたは人間を幸せにできたのだと思いますからね。よく頑張りました」


 こうして無事、ソーナは課題をクリアすることができました。

 ソーナにとって、それは初めてのことでした。


 * * *   * *


 その後もソーナは、時間を見つけては人間界へ降りて、ミライの様子を見ていました。


 けれど、あの日以来、ミライにはソーナの声が聞こえていないようです。

 それでもソーナは、毎日毎日、ミライの幸せを祈りました。


 時が経ち、ミライがあの病院からいなくなってしまっても。

 ソーナが学校を無事卒業し、一人前の天使として頑張り始めても。

 その間に、他のたくさんの人の幸せを祈り続けていても。


 ソーナはずっと、ミライの幸せを祈りました。


 きっとこれからも、ソーナは祈り続けるでしょう。

 人々の幸せのために。

 そして、初めてソーナの祈りが届いた、ミライのために。



 ─[完]─


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ポインセチア 碧川亜理沙 @blackboy2607

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