第17話 不戦勝

 かつて同じ政経討論サークルの一員だった男と話をしてからというもの、自分と世界のネガティブな部分ばかりが意識されるようになってしまい、ますます弱くなった俺は精神的な部分でひきこもりが加速した。

 世間などくれてやる。

 不戦勝でいい。

 そんな子供じみた言葉を言い訳にしながら、必死に外界から目をそらして心を閉ざそうと頑張った。


 ――すみません。しばらく仕事はお休みさせて下さい。しばらくというのは……。


 ――うん、いいよ。いつまででも大丈夫。つらいことがあったらいつでも言って。なんでも相談に乗るから。


 ――ありがとうございます。迷惑と心配ばかりかけてすみません。


 それだけを小成さんに告げて、あれほど居心地がよく感じていた施設の仕事をやめた。

 周囲にネガティブな影響を与えかねない俺なんかがいては駄目だと思えたからだ。


 ――プレッシャーをかけちゃってたらごめんね。


 ――そんなことないですよ。むしろ優しくしてもらって。


 ――うん。でもやっぱり私だとね。だけど、君のことを心配しているのは私だけじゃないから。塚本君、一人になっちゃだめだよ。頼れる人は遠慮なく頼って。


 ――はい。


 それを最後に、ひとまず小成さんからは連絡が来なくなった。プレッシャーをかけたくないというのは事実らしく、心配しているにしても彼女としては俺からのアプローチを待つことにしたのだろう。

 数日から数週間、すでに死んだような俺は人間じみた温度もなく、色彩のない毎日が無感動のままで過ぎ去り、ぼんやりとした目的も将来のビジョンもない自堕落な生活を続けた。

 収入がないので当然のように貯蓄は少しずつ減っていく。老後どころか数年後に迎える未来の展望もない。

 駄目なのだ。どうせ駄目なのだ。俺なんかには何もできやしないのだ。

 あらゆるリスクや責任から逃げていたい。攻撃や非難の声が決して届かぬ安全なところに隠れていたい。面倒なこと一切から離れて生きていたい。

 いっそこのまま死んだっていい。

 子どものころから騙し騙し普通の人間として生きてきた俺はとうとう本当の意味で動き出せずにいた。


 ――働くのがつらいなら、それでもいいんじゃないですか? 無理しなくても大丈夫ですよ。きっと今は休むべきタイミングなんです。


 ――そうかな。


 ――そうですよ。私だけじゃなくって、塚本さんのことを心配して待ってくれている人はきっといます。いるんですよ。


 すべてを肯定して、優しく受け入れるようにリンゲちゃんは言う。

 それが嬉しくもあり、どうしようもないほどに情けなくもある。

 どうしてだろう。すごいことをやろうとしているわけでもないのに、普通に生きることさえ難しい。

 己の弱さを嘆いたとして誰も同情や共感はしてくれず、飛んでくるのは石とため息ばかりで助けてはくれない。

 あまりにも強くて目を開けていられない逆光、逆風の中で生きている。

 多様性が大事だと世間は言うのに、どうして俺は今のあり方を批判され、攻撃されているように感じているのだろう。

 あきらめると同時に救いを求めて、うなるように自然と指が動いた。


 ――聞いてもいいかな。リンゲちゃんはどうして頑張れるの?


 ――頑張ってるんじゃないですよ。こうしているのが楽しいんです。


 ――楽しい?


 楽しいという言葉。それは以前にも彼女ではない誰かから聞いた。

 人が何を楽しみ、何に怒り、何に苦しむのか。

 生きている時代や世界が同じであれ、目の前に広がる事象への感じ方は人によってこんなにも違うのか。


 ――はい、楽しいです。つらいことがないわけじゃないですけどね。だけど、やっぱり楽しいんです。


 ――そっか。


 リンゲちゃんが楽しいなら、それでいい気がした。

 生きているのか死んでいるのかもわからぬ俺のことなど、もはやどうでもいい。

 世も人も、どうにでもなれ。

 投げやり調子の暗澹あんたんたる心象風景を後押しするかの如く、一段と濃ゆい雨が降り続いていた六月の下旬ごろ、とりとめのない言葉を送りあっていた芹村君から気になる報告があった。


 ――ここしばらく小成さんは休んでますよ。なんでも身内に不幸があったとかで。


 ――そうなの? 身内って誰だかわかる?


 ――いえ、さすがに。


 それはそうだろう。自分からペラペラと教えてくれたのでもない限り、不幸な出来事を無神経に尋ねるわけにもいかず、友達というには距離のある芹村君が知らなくても無理はない。

 建前としては施設の仕事を休んでいるだけなので、もちろん今の状況で俺から小成さんに問いかけるのも難しい。

 どうするべきか迷って、結局は心配になる。


 ――リンゲちゃん。


 ――はいはい。何ですか?


 ――おばあちゃん、大丈夫? 去年はこれくらいの時期に入院していたからさ、念のために確認しておきたくて。


 おばあちゃんとの二人暮らしを送っているというリンゲちゃん。

 ここ最近は元気そうにしているらしいが、もしかしたらそれは嘘かもしれないと不安に思って聞かずにはいられなかった。


 ――あの。


 ――うん。


 ――塚本さんを心配させてしまうから何も言いたくありません。


 ――そっか。


 ――だけど心配してくれてありがとうございます。でも私は大丈夫ですから心配しないでください。


 言葉を選びつつ、不必要に心配させまいと虚勢を張ってくれているのがわかる。

 だけど、それがかえって今まで隠し通そうとしてきたであろうリンゲちゃんの心細さを俺に伝えてくる。

 小学生のころ実の両親に見捨てられ、おばあちゃんとの二人暮らしを続けてきたという彼女には、年老いた彼女の他に頼れる身寄りがいないのだ。もしもおばあちゃんの身に何かあれば、不安や悲しさは隠しきれないだろう。


 ――リンゲちゃん。


 何をどこまで踏み込んでいいのやら、かける言葉も見つからない。


 ――塚本さん。大丈夫です。今は自分のことを考えてください。


 自分のことを考えてください。

 こんな状況でそう言われてしまい、途端に胸が苦しくなった。

 ひきこもりだったリンゲちゃんの支援やサポートをしていたなんて嘘だ。大学生のころから今までずっと、俺はリンゲちゃんに慰められていた。どうしようもなく倒れそうになるたび、元気で明るい彼女に励まされていた。

 あるいは、もっとひどいだろう。

 他人とのコミュニケーションに苦戦して周囲に溶け込めずにいる弱いリンゲちゃんや、一生懸命に頑張っても報われないリンゲちゃんの姿を想像するたびに安堵を覚えていた。

 不戦勝、不戦勝と言いながら、一番身近な存在に不戦勝の拠り所を求めていた。

 絶対に勝てる相手だと見定めていたリンゲちゃんに対する一方的な不戦勝。人生に苦戦する彼女よりも自分のほうがましなんじゃないかと、心のどこかでずっと思っていた。彼女が頑張れば頑張るほど、その頑張りを自分のものとして勝手に上乗せしていた。

 一体俺は何をやっているのだろう。これまで俺は何をやっていたのだろう。

 リンゲちゃんのために、などと言って、頑張るための理由まで彼女に押し付けようとしている。

 ここまで卑怯になったのか、俺は。

 我ながら救いようもない。

 けれど、そうやって自虐の極致にまで達すると、不思議なことに一種の肯定的な気分も芽生えてくる。草木の成長を助けるために腐り散る腐葉土として、少しでもリンゲちゃんの役に立てていたなら、これからは自発的に行動を起こせば今よりももっと彼女の役に立てるかもしれない。

 世界がどうなろうと知ったことじゃないが、他でもない彼女のためなら動き出せる気がした。自分のために生きるなど、自分を愛せていなければ風前の灯火でしかない。

 だとすれば大切な誰かのために生きるほうがよっぽど前向きでいられる。

 リンゲちゃんだけでなく、大切なすべての人のためになら。


 ――リンゲちゃん、不安にさせてごめん。俺、ちゃんと仕事を探すよ。働く。一度は逃げた道だからすぐにはうまくいかないかもしれないけど、それまでは待っていてほしい。


 ――そうですか。じゃあ、無理をしないくらいに応援です。背中を押すくらいはしてあげますよ。


 ――ありがとう。


 感謝の言葉は反射的に出た。しかし最終的には言葉でなく、行動で示さなければならない。

 翌日、善は急げと俺は何年振りかの就職活動を開始した。

 とはいうものの、今の俺にできる精一杯の努力をしても仕事を見つけることはできなかった。履歴書に書くべき志望動機はおろか、自慢できる技能も特技なく、何一つとしてアピールポイントがないのはもちろん、最初の会社を数年で退職した経歴が足を引っ張った。

 面接は落とされる。書類選考は通らない。

 ただの会話でさえうまくいかない。

 社会人の生き方を縛り付けるためのビジネスマナーなんてものも、今ではすっかり頭から抜け落ちている気がする。

 これではいけないとネットで就職情報やマナーについて調べているうちに、自分流儀のマナーや常識を押し付けてくる人間の暴力的な言葉に傷を受けてしまう。

 叱る声、怒鳴る声、言い争い。あるいはクレーム。

 そういうものを想像すると身がすくんで部屋から出られなくなる。

 小心者の俺などは下手をすると怒っているほうにも怒られているほうにも共感してしまい、黙っていればいいのに心の中で両者が口論を始める。ごめんなさい、すみません、大変申し訳ありませんでした。いいや許さない、謝れ、なんてことをしてくれたんだ。そしてどちらも嫌いになる。

 ぐったりと精神は疲弊する。なのに眠れなくなる。

 本音を言えば、働くなんて正社員じゃなくバイトでさえ二度とごめんだ。どんなに人手不足だろうと接客業は絶対に断る。客の相手をせずに済む職場であっても、柄の悪い人間が集まる職場は避ける。賃金が低く待遇も悪いくせに負担や責任だけが大きい仕事なども心身を壊すだけだ。

 とはいえ俺にとっては会社員もつらい。安定と社会的信用を得られる正社員の肩書には憧れる気持ちもあるけれど、もう二度とやりたくないのが偽りなき本音だ。かといって自営業やフリーランスなど、スキルやノウハウが不足している俺にうまくやれる気がしない。

 悲しいかな、何を頑張っても失敗する未来しか見えない。

 だがいつまでも無職のままでは社会人失格だ。

 あれも嫌だ、これも嫌だと、わがままで自分勝手なことばかり考えている自分に頭を抱えたくなる。気分だけでも上向きにしようと天井を見上げたら、不意にネットのアフィリエイトが頭によぎった。

 ひきこもりのままでも、人並みかそれ以上に稼げる可能性がある方法。


「いや、それはない」


 誘惑は即座に嫌悪感へと変貌し、すぐに首を振ってイメージを振り払った。うまくいくかどうかではない。不戦勝を振りかざしてきた俺が手を出してはいけない。足を踏み入れれば最後、肥大化し暴走したエゴに自分ごと食い殺される。

 何が「世間などくれてやる」だ。

 自分のことだからよくわかる。俺はまたネットに憂さ晴らしの場を求めようとしているのだ。

 あまりのみじめさに涙がこぼれてくる。

 ひどく冷たい毒の沼に沈み込むようだ。


 ――泣いてるんですか?


 ここ数日ずっと一人で悩んでいた俺なので、おそらく心配してくれたのだろう。

 照明をつけるのも忘れて、すっかり薄暗くなっている部屋。

 壁際のベッドに小さく座っている自分。

 見栄を張ろうとしてやめる。


 ――うん。少しだけ泣いていたんだ。


 もうそろそろ三十路になるという大人が十代の子供相手に何を言っているのだ。

 さすがに恥ずかしくて何か言い訳を付け加えようかどうか悩んでいると、リンゲちゃんのほうが先に動いた。


 ――もしかして、ネットですか?


 ――それは、まあ。


 ――塚本さんは、たぶん、そういうものに囚われすぎているんだと思います。他人の視線とか、悪意とか、常識とか、世の中の流れとか、そういう実体のないものを意識しすぎているんじゃないですか? 私もそうだったからわかります。苦しいですよね。つらいです。けど、そうやって追い込んでいるのは自分なんです。


 否定できない。

 ネット依存症。

 重度ではないにせよ、暇さえあれば無自覚にスマホを手にして不戦勝の相手を探している。


 ――いろんな人が利用しているネットって、いい部分もたくさんありますけど、気持ちが沈んでいるときは嫌な書き込みばかりが目に付いちゃいますよね。たぶん今の塚本さんもそうだと思うんです。ダメなときはダメになる悪循環です。ねえ、塚本さん。誰かを恨むとか、誰かを恨んでいる人を見て心を痛めるとか、そういうことはもうやめましょう。自分の望む社会でないと不幸なんて、それこそ不幸です。みんなが自分の都合よく動かないと気に食わないなんて、むなしい叫びです。


 ――うん。それはわかる。わかってるつもりなんだ。


 ――誰かに勝ったとか負けたとか、誰かが勝ってるとか負けてるとか、そんなに大事ですか?


 ――いや、大事じゃない。大事じゃない、けど……。


 そう簡単に割り切れるものでもなかった。

 あまり気にしないようにしていても、つい気にしてしまう。

 気になって確認すると、その度に大きなダメージを受けている気がする。

 ネットなど所詮はツールだが、フィルターもなく世間と直につながっているためか強烈な毒気に当てられてしまう。自分と相容れない人間ばかりが目に付いて、頭が痛くなる主張ばかりが元気に見える。

 ネットの書き込みが社会のすべてではないが、けれど確実に一面ではある。

 こんな世の中に放り込まれているのかと思えば、積極的には関わりたくなくなる。

 今の世を悲観してしまう。

 だが、それも結局は言い訳なのだ。

 最後には自分を嫌いになる。


 ――そんなにつらいならネットをやめて外に出ませんか? 元気よく挨拶をして笑顔を向けたら、全員じゃないけれど気が付いた誰かが笑顔を返してくれる。それだけですっごく幸せな気分になれるんですよ。


 ――そうかな?


 ――そうですよ。だってほら、私は塚本さんのおかげでこんなに笑顔ですよ!


 なんだか話がつながっていないような気もするが、ともかく俺を元気づけようとしているのだろう。写真もないのに言葉通りの幸せそうな笑顔でいるリンゲちゃんを想像すると、確かに俺も幸せな気分になってくる。

 理屈ではなく邪気が抜かれる思いがする。

 けれど嬉しい反面、心を満たす暖かさと冷たさを同時に感じた。


 ――それは俺じゃなくてリンゲちゃんの力だよ。誰にでも簡単に真似できるものじゃない。


 ――だったら、まずは簡単に真似できることから始めましょう。夢や目標って大きいことじゃなくてもいいんです。まずは身の回りのことでも、小さいことからでもいいじゃないですか。


 ――言いたいことはよくわかる。でもね、現実的には小さいことからやったって時間が足りないんじゃないかな。リターンが少ない努力を続けるのは大変で、小さな努力は目に見える結果になるまでが難しいんだ。それに、人より才能のない俺が地道に頑張ったって意味がない。


 ――どうしてですか?


 ――だって。どうせ俺なんかが何をやったって。


 ――それです。


 ――え? それって?


 何を言われたのか分からず、単純に問い返す。

 するとリンゲちゃんが文面だけでもわかる真剣さで語りかけてくる。


 ――どうせ、なんて考えるのはもったいないです。世間に負けちゃ駄目です。つらい時こそ『どうせ自分が何をやったって』と考えるんじゃなくて、少しくらいは前向きに『せめて自分くらいは何かをやろう』と考えましょうよ。私より先を歩く必要はないんです。遅れていたっていいんです。立ち止まったり、後ろを振り返ったりしても。でも、自分を嫌いになるのは駄目ですよ。世の中すべてを嫌いになるのも駄目ですよ。


 ――そうできればいいって思うけど、難しいな。


 ――難しくはないですよ。だって、塚本さんは私に優しくしてくれるじゃないですか。誰かに優しくできるのは強い証拠です。塚本さんは強いんです。


 俺が強い? そんなことは初めて言われた。

 お世辞だとしても勇気づけられる。


 ――でも、だからこそ弱ったときは支えも必要だと思うんです。そんなときは立ち止まることを恥じずに、ゆっくりと休んだっていいじゃないですか。そのために人は助け合うんです。勝ったとか負けたとか、そういう勝負ばかりが人生じゃないですよ。


 ――そうだといいな。けど……。


 世界が敵ばかりだと生きているのが難しくなるが、だからといって周りが味方ばかりになって助けてもらい続けていれば、生きていることさえ申し訳なくて静かに消えてしまいたくなる。

 敵ばかりでも味方ばかりでも、自分が邪魔者にしか思えない究極的な疎外感。

 じゃあ自分はどんな世界を望んでいるのか。

 自分でもわからなくなる。


 ――負担に思うことはないですよ。これはお返しなんですから。


 ――お返し?


 ――はい。私、塚本さんにはたくさん助けられたので。だから今度は私が塚本さんを助けたいんです。けど、本当はもっと根本的な願いがあって。


 ――願い?


 ――えっと……。まず、私は幸せになりたいんです。お金とか名声じゃなくて、普通の幸せが欲しいんです。でも、そのためには塚本さんも大事なんですよ。世界のことなんて難しくてわかりません。けれど、すぐそばにいる大切な人には笑顔でいてほしいんです。悲しんでいてほしくないんです。


 ――すぐそばにいる大切な人って、もしかして俺が?


 ――そうです。一緒に幸せになりましょう、塚本さん。いきなり全部が解決するなんて魔法みたいなことはないですけど、せめて力尽きて死ぬまでは、あきらめずに生き抜いてやりましょう。私と!


 そう言って腕を引いてくれたような彼女。

 あまりにも無邪気に優しくて、絵に描いたように屈託のない幸せそうな笑顔が目に浮かぶので、こわばっていた全身の力が抜けて、心にまとわりついていたネガティブなものが浄化されたような気がする。

 何年も前に出会ってからというもの、つかず離れず俺の隣で一緒に歩いてくれるリンゲちゃん。

 こちらが立ち止まったときには待っていてくれるリンゲちゃん。

 友人、家族、仲間。彼女との関係性を表す言葉は何でもいいけれど、お互い大切に思い合える存在が近くにいてくれる俺は幸せだと強く思える。人との出会いに恵まれている。

 だが、そこで満足していたらダメなのだ。


 ――ありがとう、リンゲちゃん。


 いつまでも甘えてばかりいてはいけない。自分が誰かに支えられているのを自覚したなら、最後には自分の足で立ち上がらなければなるまい。

 強くなるというのは、手当たり次第に勝負を吹っ掛けて、誰に対しても勝ち誇ることではない。誰にも負けないと自惚れて、独善的なナルシズムに溺れることでは絶対にない。

 不戦勝。

 勝手に戦って意味もなく攻撃しては傷ついて、望むものが手に入らないと絶望して、うまくいかないと悲観する。そんなのは一人相撲でしかない。生きにくさは自分で作る呪縛なのだ。他人をやり込めてやろうという傲慢ささえ抑えられれば、人はどこでも、どこへでも生きていける。

 些細な幸せをかみしめて、ちょっとくらい胸を張れるように生きていこう。

 劇的でもない平凡以下の俺が精一杯に送ってきた人生なんてものは、ただの一度も計画通りに行った試しがなく、読み応えのある物語みたいに明確な始まりもなければ、多くの読者が納得するような終わりもない。

 けれど、誰かを相手に無理して戦うことはもうやめた。

 自分のために何かを勝ち誇ることも、もうやめた。

 脚色に富んだ立派な武勇伝を書き綴るためではなく、ただページをめくるように毎日を送ろう。

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