第14話 いつか死ぬ。そう遠くない未来に。
三月も終わりに近づき、いよいよ年度も変わろうかというころ、正体不明の失意とともに視野の狭まった俺が見る世間はだらだらと不寛容さを引きずっていた。
みんながみんなを叩き、批判して、攻撃しているような気がしてくる。
すなわちみんなに叩かれ、批判され、攻撃されているような気がしてくる。
俺は弱い。
戦う以前に殺されている気分だ。
「はあ……」
この前のことがあって男女関係のことを調べていたからか、ふと目に入った男性批判の書き込みを読んでしまってため息が漏れた。
実際に被害を受けている人が存在する以上は女性差別を許さぬのは当たり前だが、その常識的な判断や気持ちとは別に、自分が強く批判されている感じがして心が閉じてしまいそうになる。あれもこれもと女性差別の問題が浮き出てくるたびに強烈な言葉の暴力をぶつけられ、同じ男というだけで悪質な加害者扱いされるのを見て、どうしようもなく胸が苦しくなる。
積極的に人と関わらず、自分からは波風を起こさぬよう慎重に生きてきても、ほら社会にはこんな差別があって君も加担してるんだぞと見覚えのない連判状を突きつけられる。自分は無関係みたいな顔をしていても、この問題の諸悪の根源はお前なんだからな、と直接的に言われている気がする。
そもそも大多数の女性とは接点もなければ学校や職場ではむしろ女性に怒られることのほうが多かった俺なので、いや俺は差別なんてしていないぞと言葉では無実を叫びたくても、そう言われるとそんな気がしてくる。
なのに根本のところでは男たちの陣営にも入れていないので、周りを見渡しても仲間は一人もいない。俺以外の男たちはネットやメディアの騒ぎとは別に学校や職場の女性たちと仲良くしていて、そうなれない俺だけが女性からも男性からも馬鹿にされ叩かれ続けているように思えてしまう。
だから情けなく現実逃避したくなる。
言い訳や弁明をして、あまりにも多い批判や攻撃の対象から外してほしくなる。
救いが欲しくなる。
――リンゲちゃんは俺のこと嫌い?
――どうしたんですか? 好きですよ。
――どうして?
――どうしてって……ちゃんと私の相手をしてくれるから、とか。
――ありがとう。
それだけ言ってスマホを伏せる。精神の安定。思考を冷静に保つ。
現実問題として世の中に男女差別が存在するとしても、俺みたいな男は社会において搾取される側の底辺だった。
企業の管理職や政治家などに男性が多いのが事実であっても、当然ながら同じ男性の中にも格差は存在している。
就職しても低収入で残業は多く、休日出勤だの飲み会だのを頑張ったところで昇給も出世も確約されない中、いつリストラされるともわからない不安の中でパワハラまがいの職場で働く。学歴社会に生きている限り大学入試が楽だったわけでもなく、男だからと簡単に内定を得られなかった就活も大変で、異性と付き合っても結婚しても昔のような亭主関白などできるわけがない。
今の世の中は老若男女を問わずみんな苦労しているから、生物学的な性別が男というだけで恩恵を受けていると世間に責められるほどの特権を受けた実感はない。
けれど実際にはネットやテレビで連日のように男女差別が取り上げられ、男は男というだけで批判され、いや俺も生活は苦しいんですがと言えば自己責任で片付けられ、厳しく批判する論調に同調できなければ時代遅れの女性蔑視と強く攻撃される。
もちろん世の中には女性を差別する馬鹿な男がたくさん存在しているから、世の男性をひとまとめにして批判する女性のことを悪く言いたいわけではない。男性の側からもっと協力的に差別をなくすよう働きかける必要があるのも理解している。
ただ、あからさまな差別意識を持っている男たちの巻き添えを食らう形で、あの件でもこの件でもと土下座を強要される空気感が辛い。
子どものころ、学校でも何度も食らった連帯責任。お前らの仲間が悪いことをしたから、お前も一緒に罰を受けろと強制されるあれ。たとえ別居していて本人が無罪でも、凶悪な犯罪者の親類縁者は一緒に牢屋にぶち込まれそうな断罪社会。
ほらまた悪いことをした男が出てきたぞ、お前も男だから一緒に謝れ、どうせ女性を差別するんだろ最低だな、これだから男って奴は。一度も会ったことのない女性たちから、一度も会ったことのない男どもの悪事を突きつけられ、一度も会ったこともないジェンダー問題の有識者が男性優位社会の責任を俺にまで強い口調で押し付けてくる。
言葉で注意されたところで差別意識を持つ馬鹿な男は反省せず、過激なフェミニストの意見だけを取り上げた一部の人間が今の世の中はむしろ男性差別が横行していると騒ぎ出し、いつも議論は明後日の方向に進むばかりだから肝心の女性差別はなかなかなくならず、ますます社会が男性を批判する。
かといって暴走する男たちを擁護するのも変な話だし、つまらぬ弁解や言い訳は聞いてもらえる時代じゃない。
黙るしかない、黙るしか。
せめて目の前にいる人には文句を言われないよう、まともに静かに生きるのだ。
……ああ、せめて地獄の閻魔大王が公正であることを願う。
死後の世界まで連帯責任で人類の悪を背負わされ、あっけなく地獄に落ちるのか。
どうせなら死んだ後くらい静かに眠りたい。
目を閉じていたら涙が出てきた。
怒りや悲しみではない。では何だろう。
――塚本さん、ひょっとして泣いてるんですか?
――え、どうして?
――どうしてって、悩んでる感じだったので。違うならいいですけど。
三月終盤の春休み、一人でいると遊んでしまって集中できないからと、スマホで教えを請いながら勉強をするリンゲちゃんである。夏休みや冬休みと違って学校からの課題は出ていないらしいが、二年生になるのに備えて一年生で学んだ部分を復習しているようだ。
勉強の傍ら、あまりに優しくしてくれるので、大人である俺のほうが泣いているのも情けなくなってくる。
ネットでもメディアでも目立つのは誰かを叩く人間ばかりだから、実際の生活で優しい人に出会うと、もうそれだけでその人のことが好きになる。性別とか年齢とか職業だとかで叩かないでいてくれる普通の人が聖人君子に見えてくる。
相手のステータスやら何やらで偏見をぶちまけず、きちんと目の前の個人を評価する。
こういう人こそ幸せになれと思う。
――俺にはもうリンゲちゃんだけかもしれない。
――本当にどうしました?
――ごめん。なんでもない。今のは削除しておきます。
まともな人間であろうと思いながらも強くはいられず、いつしかリンゲちゃんに対しても余裕と自制心を失いつつある。
仕事を辞めれば重圧から解放されると思っていたが、気が付けば働いていたころよりも極端に弱くなっていた。
意識的に社会と距離を置くようになってから、ちょっとしたことで傷つき倒れそうになるほど精神が惰弱となった。
言い訳や弱音ばかりを口にして、自分は悪者じゃないと主張したくなる。
さっき考えていた女性差別の問題だって、本当は女性たちと一緒になって差別をなくすために戦えばいいのだ。
自分が男の中でも弱い男だからと言って被害者ぶって、実際に差別を受けている女性たちの気持ちに寄り添うこともできず、情けなく泣いて、無気力で、何かできるほど頭もよくなくて、誰かのために動く行動力もない。
叩かれたり、批判されたりするのが嫌なだけ。
みじめな不戦勝。
社会人失格。
もうだめかもしれない。
本当は死にたくないのに死にたくなる。
孤独だ。
交遊関係を広げてまで誰かと会いに行くのは面倒だが、このまま一生、老後まで独り身ではいたくない。
汗水たらして心を痛めつけるような仕事をするのは二度とごめんだが、このまま一生、ずっと何もなさずに生きていくのは地獄にも似た無為でしかない。
だけど愛する誰かとの結婚なんて到底無理で、今さら条件のいい仕事など見つからない。
友達も仲間も、信頼し合える家族さえも手に入らない。
涙が出てくる。とめどなく涙が。
――ちょっと疲れたから横になるよ。リンゲちゃんは勉強してていいからね。
――あ、はい。だったら質問とかせずに静かにやりますね。
間違っても泣いていると知られるわけにはいかない。どうせスマホ越しでは聞こえないだろうが、なるべく音を立てないようにベッドの上に横になる。
目を閉じる気分でもなかったので、何をするでもなく壁を見る。
今の人生の行き詰まり感と同じ。どうしようもないんだと思えば安心する。
あがきようもないから。
――やっぱり泣いてるんですか?
――平気だよ。大丈夫。俺のことは気にしなくてもいいから。
――気にしないわけにもいきませんよ。
気にしなくてもいいと言いながらスマホを手放せずにいる俺をリンゲちゃんが心配してくれている。
その優しさに甘えたくなる。だが、まさか本当に甘えてしまうわけにもいかない。
人生を一生懸命に頑張っている彼女に弱い部分を見せて、無駄に心配させてはいけない。
俺が彼女の足かせになってどうするのだ。
――俺は大丈夫だから。放っておいてくれれば一人で眠れるから。
――何を言ってるんですか。もしも本当に泣いているとすれば、そんな塚本さんを放ってはおけませんよ。
――どうして。
――どうしてって、そういう関係じゃないですか。励ましあって支えあう、そんな関係じゃないですか。
もはや返事もできず、じんわりと涙がにじむ。
こんなにも情けなくなるのは、これが年下の少女だからだ。
もしも彼女があらゆる点において対等な立場にいる大切なパートナーだったら。あるいはもしも、生まれた時から一緒に暮らしてきた家族だったら。お互いに支え合って生きるのもおかしくはない。
けれど彼女は俺の恋人でも家族でもない。友達なのかもはっきりしない。
俺を信頼してくれているらしい彼女。遠慮せず遊んでくれるリンゲちゃん。
ずっと前からわかっていたのだ。いつしか俺は彼女に依存して救いを求めている。
彼女は女子高校生なのだ。
大人として最低限の常識くらいは身に備えているつもりでも、こうして自分より年下のリンゲちゃんを人生のサポーターとして必要としている自分が最低な人間に思えた。
それこそ世の中から批判を受けるべき不誠実な男の一員ではないか。
まだまだ幼い十代の少女に癒され、励まされ、慰められたがっている。
どう生きたって、どう頑張ったって、俺の力では彼女を幸せにすることもできないくせに。
――いいんですよ、塚本さん。私の前でくらい無理しなくても。
いつまでもめそめそと泣き止まない子どもを慰めるみたいに言われ、このまますべてを吐き出したくなる。
弱さも、つらさも、願望さえも、何もかもを彼女に。
けれど、一方的なこちらの気持ちを伝えれば彼女を迷惑がらせるだけだ。幸せにはできない。
嫌われるくらいなら、軽蔑されるくらいなら、このまま安全な距離を保ったまま彼女と生きていたい。
この関係性に浸っていたい。
そう思って、祈るように願って、それがひどく身勝手な要求に思えた。
まだ大人になっていない彼女を未来のない不戦勝の檻に閉じ込める愚行だ。
リンゲちゃんはここにいてはいけない。
この沼の中には。
――もうこれからは俺と連絡を取り合わないほうがいいよ。リンゲちゃん、しゃべるのはこれで最後にしよう。
もっと早くに言うべきだった。
仕事を辞める時ではない。大学を卒業するときに。サークル活動で彼女を支援するという大義を失った瞬間に。
無職となった成人男性と、血縁関係にない女子高生が仲良くする。あくまでもスマホ越しで、写真や動画もなく、具体的に何かの犯罪行為をやっているわけではないとはいえ、やはり今の状況は健全ではない。彼女と連絡を取り合っていることは彼女のおばあちゃん、つまり保護者の理解や同意を得られているとしても、社会から白い目で見られる行為だ。
彼女の善性や優しさに甘えている俺はリンゲちゃんを利用しているに過ぎない。
ひきこもりだった彼女の面倒を見ているとか、遊び相手になっているとか、そんなのは言い訳でしかなく、自分の欲求を隠すための建前にしかならない。所詮はお為ごかしだ。
本当はいつも彼女からの連絡を待っている。いつかスマホではなく現実の俺のそばに来てくれることを望んでいる。
味方が一人もいない孤独な世界に生きている俺にとって、いつのころからか唯一リンゲちゃんだけが希望だった。
そばに彼女がいなければ、すでに魂は力尽きていた。
世界が敵ばかりに思えるから。
自分が無力に思えるから。
死にそうだから。
――私、不安なんです。次は二年生です。三年になったら進路も選ばなくちゃいけません。でも進学も就職も不安なんです。
だから、その不安を嬉しく思ってしまう。そのまま不安でいてくれればと願ってしまう。
いつの日か俺の前から元気よく巣立っていく日が来るのを恐れているのだ。
どうか、このままずっと一緒にいてほしい。
さすがに彼女に伝えはしないが、心がそう叫んでいる。
非常識で、みっともなく、ろくでもない駄目な大人だ。
客観的に見れば最低な人間でしかない。
――スマホを介した文字のやり取りでも、塚本さんと話していると安心するんです。頑張ろうって思えるんです。
その言葉が胸に刺さる。皮肉や誤魔化しもなく純粋に届いてくる分だけ、彼女が期待するほどには自分がそうじゃないことを突きつけられる。
どうしてこんな情けない俺に優しくしてくれるのだ。
――俺は誰かを安心させられる存在じゃない。頑張ろうって思えるのは、リンゲちゃんがすごいからだよ。俺なんかのおかげじゃない。
――そんなことないですよ。だって、塚本さんは……。
そこでいったん文章を切って、悩みながら何かを言おうとするので、それが何であるにしても文字になる前に遮る。
――ごめん、嘘だったんだ。
――嘘?
リンゲちゃんの反応が怖くて、スマホを持つ手が震える。
水の中から息継ぎをするように顔を上げてベッドの横の壁を見つめてから、息を止めている間だけスマホと向き合う。
――仕事を辞めてから、今は全く働いていないんだ。宝くじが当たって、そのお金で生活してる。
――そうなんですか? 当たったんですね、よかったじゃないですか。生活ができているなら、無理に働かなくてもいいと思いますよ。どうしてそんなにつらそうにしているんです? 私だったらもっと嬉しそうにしますよ。
――六千万なんだ。
――六千万?
――当選金額。これで仕事を辞めて逃避生活をしようと思っていたけれど、さすがに自分をだますこともできなくなった。平均的なサラリーマンの生涯収入を調べたら二億数千万だった。その半分以下しかない六千万円程度じゃ老後まで働かずに生きるなんて無理だよ。奨学金も返さなくちゃいけないし、月々の家賃や光熱費、食費や医療費などを考えたらお金はたくさんいる。どれほど切り詰めたって、どこかでは行き詰まる。今の生活は袋小路なんだ。
ずっと高額当選だと自分に言い聞かせてきた。
もう働かなくても死ぬまで平和に生きていけると、心から信じようとした。
だけどやっぱりだめだ。自分のことだからよくわかる。
このままの生活に未来はない。
楽しみも、幸せも、安穏も、平和な日々も、何一つとして手に入らない。
いつか死ぬ。そう遠くない未来に。
――六千万じゃ強がって生きるのは無理だよ。
――あの、確かに一生は難しいかもしれません。けれど、しばらくは大丈夫だと思います。きっと塚本さんが頑張ったから、次の仕事を始めるまで神様が休む時間をくれたんですよ。
ゆっくりと時間をかけて打ち込む俺の泣き言を目にしながら、それでも俺を優しく肯定するリンゲちゃん。どんなときも俺の味方でいようとしてくれて、あきらめようとする俺を全肯定してくれる。
部屋の隅で膝を抱えていたという彼女も今では学校へ行くようになって頑張っているのに、つらいときは逃げることを許してくれる。
それが嬉しいからこそ、ますます自分が情けなくなってくる。
――違うんだ。本当の俺は弱くて、本気を出して頑張ったところで誰にも勝てなくて、そもそも人並みに頑張ろうと思えないくらいに情けないんだ。次の仕事を始めるまでとか、そういう問題じゃない。
こらえられずに涙が出てくる。
まともに声も出せないほど体が震えて、存在感を消したがって小さくなっているのが自分でもわかる。
――もう戦いたくないんだよ……。
世間を相手に強がっていたけれど、もう無理だ。
横になったままベッドから出られず、枕で顔を隠した。
もはや何も見たくない。
再び歩き出すのを恐れている。
さすがに言葉が見つからないのか、しばらくリンゲちゃんは黙っていた。
――なんでだろ。うまくいかないですね。
その文字を見ただけで彼女が泣いているように感じたから、俺は自分が泣くよりも悲しく思えた。
なのに返事さえできない。
こんなに弱くなった俺がリンゲちゃんに何を言えるのだ。
――だって、塚本さんは最初から私に弱いところを見せてくれたじゃないですか。それが安心できたんです。周りがみんな強い人ばっかりだと思っていたから、負けないように自分も強くならなくちゃって思い込んでて、だから嬉しかったんですよ。
そうだったのかもしれない。大学生として見栄を張ったり体裁を張ったりしようとしていた期間があるにしても、ほとんど最初から彼女に対して俺は自分が弱い人間であることを必要以上に隠していなかった。
それが嫌だったのか、いつしか俺は無理して強くあろうとしていた。
社会復帰しようとする彼女の前では、なおさらに強い大人であろうとしていた。
ちゃんと生きようとして、プレッシャーやストレスを勝手に抱え込んでいた。
――だから私は嬉しいです。悩みや不安を打ち明けてくれて。近くに誰かがいるって安心感があります。
――未来のない沼の中に引きずり込もうとしているだけだよ、俺は。安心感じゃない。
――違いますよ。
――違わない。俺は終わりだ。さようなら、リンゲちゃん。今までありがとう。
――塚本さん。死なないでください。なんか死んじゃいそうです。死なないで。
――死なないよ。すでに死んでるようなものだけど。
――じゃあ消えないでください。
これに俺は無視をした。
このまま消えるのもいいな。そう思えた。
会話を放棄して眠るでもなく無感情のまま一時間ほど経過したころ、スマホに文字を送る形でリンゲちゃんが声をかけてくる。
――あの、直接会えない私では力になれないかもしれません。だけど、塚本さんの力になれる人なら知ってます。
スマホを手に取って文面を見るだけは見て、この呼びかけに対して無視するかどうかを考えて、数分ほどのちに短く問いかける。
――誰?
期待したって駄目だ。俺の力になれる人などいるわけがない。
いたとして、どうしてリンゲちゃんが教えてくれるのだ。
疑いつつ待っていると、五分ほど経ってから返信が来る。
――小成さんです。昔、お世話になった方で、たぶん塚本さんも知ってますよね?
――小成さん? 知ってるも何も同じサークルだった人だよ。
なので、それは当然よく知っている。大学生のころに告白して振られたことも、大人になって再会して何事もなかったように優しくしてくれたことも、今度は告白する前に失恋してしまったこともよく覚えている。
むしろ忘れようと努力していた名前がリンゲちゃんの口から出てきて、驚き以上に動揺を覚えたくらいだ。けれど、慌てるでもなく冷静に考れば、サークルの活動でリンゲちゃんの支援をするようにお願いしてきたのが小成さんだったではないか。
面倒見のいい小成さんのことだから、あれから一度もリンゲちゃんに連絡を送っていないとも思えず、どこまでの関係かは知らないが、彼女が頼れる人として名前を口にしてもおかしくはない。
直接会ったことのない俺たちにとって、唯一といってもいい共通の知人。
彼女が唯一出せる名前。
――今はひきこもりの更生施設みたいなのをやっているとかで私にも話が来たんですけど、塚本さんのおかげで高校には行けるようになったので断ったんです。ただ、きっと彼女なら力になってくれます。あ、いや、塚本さんに入所しろって言っているわけじゃないですよ! でも、私じゃなくて小成さんなら塚本さんを助けてくれます。教えてくれたんですよ。施設を手伝ってくれないか塚本さんを誘っていたって。必要とされてるんですよ。
――そうか、小成さんか……。
――私が連絡します。会えるようにします。お願いです。生きてください、塚本さん。
――小成さん、か。
――もしかして嫌いですか? 会いたくないですか?
こちらのことを本当に心配してくれているであろうリンゲちゃんの書き込みを見ながら俺は考える。
そっか。小成さんか。
すぐには答えられず時間をかけて考えて、それをリンゲちゃんはじっと待っていてくれて、だから俺は彼女のことを信じたくなる。
――いや、会ってみることにするよ。リンゲちゃんが紹介してくれるんだからね。
またリンゲちゃんに腕を引かれた思いがする。
またしても小成さんに救いを求めようとするのは俺の弱さだろうか。
ともかく、こうして俺の真なる不戦勝生活はひとまずの終わりを迎えた。
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