第12話 普通の人と普通に会う機会を失ってはならない。

 二月も終わって三月が来て、精神の安定を目指した不戦勝生活にも余裕が失われ始めたころ、久しぶりに小成さんから連絡があった。


 ――昔の知り合いと集まるんだけど、塚本君もどう? 返事があったら嬉しいな。


 はっきり言えば断りたい。失恋した以上は小成さんに会うのもつらく、ひきこもり精神の強い今では外に出ることさえ億劫だ。率先して昔の知り合いに会いたいという気持ちも存在しないので、とにかく腰が重かった。

 なのに、それでも結局は彼女の誘いに乗ってしまったのは、自分でも今の生活に少なくない不安や危機感を覚えているからだろう。

 普通の人と普通に会う機会を失ってはならない。

 ちっぽけな機会であれ、健全な社会とのつながりを断ち切ってはならない。

 だから俺は少しでも心の負担を減らそうと、何も難しいことを考えずに軽い気持ちで参加することにした。


「あ、塚本君、久しぶり! 元気してた?」


 重くはないが軽くもない微妙な足取りで待ち合わせ場所に行ってみれば、誰にでも優しい小成さんが笑顔で手を振って迎えてくれる。最近ほとんど連絡を取っていないことを感じさせない友好的な雰囲気で。

 なので俺も来てよかったと嬉しく思ったのだが、それは次の瞬間には新しい衝撃で打ち消された。


「塚本君、私のこと覚えてる?」


「あ……はい、もちろん」


 声が震えたのを隠せただろうか。危うく心臓が止まるかと思った。

 小成さんの隣にいたのは浅川さんだ。

 一人ぼっちの大学生活を送っていたころ、最初に声をかけてくれた女子大生の浅川さん。誘われるままに入った政経討論サークルでもずっと俺の面倒を見てくれて、最後には口論をして喧嘩別れしたままだった。


「ほー、君が塚本君か」


 びっくりしたあまり呼吸だけでなく思考が停止して動けずにいると、浅川さんの隣にいた男性が俺に声をかけてきた。服装は小奇麗にしているが、顔は特徴のない中年の男。パッと見たところで判断するなら三十代か、ひょっとすると四十代かもしれない。

 どちらにせよ俺よりは年上なので、どこの誰だか知らないが表面上の敬意は払っておく。


「……はい。塚本です。失礼ですが、あなたは?」


 相手への踏み込み方を探るため、まずは素性を尋ねる。

 危害を及ぼしかねない人間であれば、いつでも縁を切れる準備をするために。


「僕かい? 僕は岩野木いわのきだ。君よりも十年くらい前に政経討論サークルに所属していた先輩だよ」


 俺よりも十年くらい前に所属していたとなると、素直に考えれば十歳くらい年上になるから、おおよそ今は四十歳くらいか。同じサークルの出身とはいえ年代が離れすぎている気もするが、どうして彼女たちと一緒にいるのだろう。

 この状況が理解できず疑問に思っていると、浅川さんの隣にいる小成さんが俺たち二人にも届くように明るい声を出した。


「とにかく話は中に入ってからしようか。せっかく久しぶりに会えたんだから、お話し中はスマホ使っちゃ駄目だよ」


「はい、そうですね」


 ひとまず中に入ることにも、スマホを使わないことにも、彼女に対する異論はない。

 正直、ここに来るまでは今日も酒を飲まされるのかと思って覚悟していたものの、先頭を歩く小成さんが入っていったのはアルコールがなさそうなファミレスだ。夕食にちょうどいい時間を少し過ぎているので、ありがたいことに混雑はしていない。

 今日の集まりはこれで全員らしく、四人掛けのテーブル席に案内される。

 おとなしく座っていると、注文した料理が届くまでは静かに待つしかなく暇である。一人ならスマホでも見ているが、さきほど使っちゃ駄目だと言われたばかりだ。所在なく視線を泳がせていると何やら小成さんと浅川さんが会話を始めたので、余った男同士で時間をつぶすことになる。

 中身のない適当な雑談で当たり障りのない返答を繰り返していると、いくつめかの質問で岩野木さんが踏み込んできた。


「ところで君は支持する政党があるかい?」


「は?」


「は? って、その困惑したような反応を見るに、まさか無党派層じゃないだろうね? 自分にかかってきた世論調査の電話を面倒がって切っちゃうような人間なのかい?」


「え? いや、別に……」


 いきなり何の話だ。脈絡なく政治の話か。

 同じサークルに所属していたこと以外には素性の知れない怪しい男。

 危険な人間だろうかと警戒して身を引くと、それが伝わったのか、あからさまに彼は目を細めた。


「それはいけないな。どんな立場であれ興味を持たないのが一番悪い。漫然と毎日を過ごすのではなく、意識を高く持って戦わなければ駄目だよ。まずは世の中の環境を変えなければ。虐げられる弱者に対して自己責任論を押し付けるのは日本人の悪いところだ。政治意識が低すぎるのもね」


 虐げられる、という実体のない言葉は政治闘争の場で何度も聞き飽きた。弱者ぶる精神強者たちによる、彼らと意見を異にする本物の弱者をいたぶるスクラムも。

 そして、自分たちの勢力が強くなれないのは周りの政治意識が低いせいだと信じている。投票率が上がれば、自動的に無条件で自分たちが第一党になれると思い込んでいる。だから政治に関心を持てと要求はするが、その結果自分たちと違う考えを持つと問答無用で敵とみなす。

 あまり関わりたくはない。

 どう見ても強情そうな性格で、情報源が偏っているような思考に柔軟性のない中年男性なので、あえて議論を交わしたいとも思えない。

 苦手だった会社の上司を思い出して露骨に距離を取りたがった不信感が顔に出ていたのか、岩野木さんが腕を組んで不服そうにした。


「おやおや、文句を言いたそうだね。どうせ選挙にも行っていないんだろうから、社会人としての義務と責任を果たしていない君は僕に意見する資格なんてないよ」


「意見なんてしてないですよ」


「まずは投票に行くことだ。……おっと、ただし間違っても独裁政党や泡沫政党に票を入れちゃ駄目だよ。これからの日本に必要な正しい政党と正義のために戦っている政治家のリストを作っているから、君はこの中から選んで票を入れるんだ。いいね?」


「いや、そういうのは本当に……」


 投票に行く行かないは別として、こういうアプローチをかけてくる人間は苦手だ。

 選挙に行かなければ意見する資格はない。

 そりゃ理屈や道義としてはそうかもしれないが、じゃあどうしろと。

 支持する政党と個別の政策への賛否は別問題であるにもかかわらず、実質的に迫られているのは全肯定か全否定かの二者択一。経済、外交、社会福祉と、様々なスタンスが存在する論点が増えるごとに候補者たちとの意見が完全に一致することはなくなっていくから、どこに一票を入れるべきかという問題はどんどん難しくなっていく。

 政権を支持しているけれど特定の法案には反対している人、政権に不満を持っているけれど特定の法案には賛成している人、そういう人たちは一票を持て余す。

 投票しないのは無責任だと言われても、投票しない奴には政治を語る資格がないと言われても、いやそういう簡単な問題じゃない。

 考え方が一番近い政党に入れればいいだろと言われても、一番近いってなんだ?

 政治の話となると政治家もネットもテレビもいろんな意味で過激な人間ばかりになるから、自分の精神に近い人間が見当たらない。政治の話を始めると全員が遠くにいる。部分部分では共感できる人を見つけても、全体でみるとやっぱり違う。

 とりあえずで入れてもいいなら入れるけど、そうじゃない気もする。

 本当のことを言えば、自分の一票は、すべての投票結果が判明した後に投じたい。

 とにかく一番騒ぎそうなところがおとなしくなってくれるように戦力配分したいから。

 ひとたび選挙の結果が出れば過剰なまでの民意を定めたがり、与党の大勝利とか、野党の大躍進とか、そういう話に持っていて、そういう流れにされてしまうから。

 自分たちが勝つと多数派を理由に勝ち誇り、自分たちが負けると少数派の意見も大事にしろと負け惜しむ。

 そんな人間たちによって。

 考えているうちに嫌気がさしてきたのでリストを受け取るまでもなく断ると、あからさまに不機嫌そうな顔をされる。


「これだからネット世代は駄目だな。政経討論サークルの後輩だと聞いたから期待していたのに残念だ。やはりメディアの復権を果たさなければ日本の未来は暗い」


「メディアの復権?」


「そうさ。無知で感情的なネットではなく、プロが情報を精査して発信するテレビや新聞、雑誌や書籍などだ。そういった旧来のジャーナリズムをすべての上に置く。扇動されやすい大衆を正しい方向に導くためには、良識あるジャーナリズムが必要だ」


「ははあ、メディアがですか……」


 直接的な関係者でもあるまいに、今のメディアにそこまでの役割を期待しているとは珍しい。教科書的な理想論であるにしても、結局は人間が運営するジャーナリズムに完璧な良識を求めるのは現実的には難しいだろう。ネットが普及するにしたがって世界的にメディア不信やメディア離れが進んでいるという報道もあるが、こうして熱心にジャーナリズムの正義を信じる人もいるのか。

 ひねくれた見方をすれば、テレビなどの旧世代のメディアとは、巨大な怪物リヴァイアサンの首を絞めつつ激しく鞭で叩く最悪の乗り手である。

 事件に事故やスキャンダルなどを大げさに取り上げては連日報道して、政治や社会や世界経済に対する不信感と不平不満を煽って民衆の弱体化を図りつつ、スポーツやエンタメでは大衆のナショナリズムを駆り立てる。

 そしてマスコミが高めた不満や閉塞感を視聴者はネットで爆発させる。

 すべてではないにしても、ネットの過激化に対する原因の一端は既存のメディアにもあるだろう。


「そうだ。メディアだ。有象無象が無秩序に情報を流すだけでなく、正しいジャーナリズムが世の中を導かなければ」


「なるほど。正しいジャーナリズムですか」


 そんなものがどこにあるのだろう。

 全員が全員そうではないという前提があるにしても、個人的にニュースを調べるときは今の世の中で何が起きているかの情報が欲しいのであって、手前勝手なジャーナリズムを通過した批判ありきや擁護ありきのストーリーが欲しいのではない。

 何が正しくて何が間違っているかを判断するのはメディアだけの特権ではないのだから。

 情報化社会における現代の特権階級とは、政治家や資産家、大企業などといった旧体制アンシャンレジームだけではなく、メディアもまた体制派の一員となっているようにも思える。裏金などスキャンダルの一つで政権が倒れることもある民主主義下の政治とは違って、どれだけ批判されようとメディアは簡単には倒れない。現実的には選挙で勝ち続けなければ政権を維持できない政治家たちと違って、国民の支持とは無関係に国民の代表者面をして、世の中のあらゆるものへの批判的報道を繰り返し、視聴率が低くても自分たちの報道方針を変えずに存続できるのがメディアだ。

 一般大衆にとってのメディアは市民の味方に立ってくれる民主的な機関であるとともに、世論や情報を支配したがる一種の特権階級じみた機関でもある。

 もちろん今の時代にあってもオールドメディアの存在は重要だ。

 ネットの意見が過激になりがちであればこそ、良識あるジャーナリズムに期待するのも当然だと言える。

 理想としてはネットとメディアが互いにポジティブな影響を与え合ってバランスが取れるのが一番いいが、今はどちらもうまくいっていない。

 どちらにも過度な期待はできず、だが、どちらにも消えてほしくはない。

 おそらく彼は天秤を傾かせたがっている。今の世の中を見ていれば、誹謗中傷にデマやフェイクが横行するネットよりも旧来のメディアに頑張ってほしいと願う彼の理屈や感情を理解できないわけでもないが、そう主張する彼が無駄に偉そうなので、なぜか過剰に否定したくなる。


「ニュースはもちろん、スポーツやバラエティ、ドラマにおいてもテレビのコンテンツ力は高い。素人が投稿するネットの動画サイトを見たことはあるが、全部テレビの劣化でしかなかった。つまらない人間が無節操に集まるだけのネットに文化は作れない」


「じゃあどうして昔に比べてテレビの視聴率が下がるんですか?」


「それだけ馬鹿が増えたってことだよ。時間がないと言いながら、ネットに無駄な時間を使う現代人の精神病理だな」


「まあ、ネットのコンテンツがテレビよりも圧倒的に面白いと主張したいわけではないですが……」


 個人的には優劣をつけていない。

 ただ、少なくともネットには選択肢が多いという圧倒的な利点があるだろう。

 あるいは、ネット時代のユーザーはコンテンツそのものではなく、コンテンツを楽しむ場を求めているのかもしれない。

 みんなが見ているものを一緒に楽しみたい。世間の話題についていきたい。

 そういった同時代性を求めている。

 かつてはテレビが担っていた時代の一体感。送り手から受け手に向かって一方通行に映像を流すばかりだったテレビと違って双方向性を持ち、リアルタイムに情報が更新されていくネットの強みはそこにあるだろう。

 それだけに過激化しやすくもあるのだが。

 そんなことを考えて黙っていたら、俺を言い負かしたと思ったのか岩野木さんが勝ち誇った。


「ほうら、つまらんのだろう? ネットはつまらないんだ。動画サイトだけではない。SNSの書き込みも、大手のニュースサイトも、ゲームも小説も、ネット発祥のものは全部あまり面白くない。結局はドラマや映画、音楽にゲームなど、ネットの外で作られたコンテンツを提供することで質が保たれているに過ぎない」


 あまりにも偏見に満ちた感想なので否定しそうになったが否定する気もおきず、とりあえず表面上は頷いて大筋は無視した。

 ネットが支持されているというより、現時点ではテレビが支持を失いつつあるという感じもする。積極的に不支持されているというわけではなく、少しずつ存在感を失っている気がする。

 この前も退屈しのぎにネットの動画サイトを覗いていて、よくわからない素人が飯を食うだけの動画が再生数を稼いでいて失礼ながら誰が見ているんだろうと疑問に思っていたが、テレビの代わりに流すものとしてはちょうどいいという意見を聞いて納得した。

 朝から夕方まで飯時に流れるのは嫌な気分になるニュースばかりだから邪魔臭くてテレビは消したが、一人暮らしだと音がないのは寂しい。だから食事中は当たり障りのない動画を流す。

 だけどテレビはネットの炎上記事を無理やり見せつけられているような騒動ばかり。出演するアナウンサーやコメンテーターは発言が偏っているというか偉そうで、ふむふむと素直に納得するより疑問や反感を覚えてしまう時がある。

 テレビにも芸能人にも興味を失うと自主的にテレビを見ようとも思えず、ニュースについて知りたいならネットでいい。

 よく「ネットだけを見ると情報が偏る」と言うが、仕事が忙しくて自主的にネット断ちしていた数週間、テレビだけを見ていたら情報が偏った。どの局も同じようなニュースを同じような論調で何日も繰り返す。きちんと場所さえ選べば、ネットのほうが多種多様な情報がある。とりわけテレビが報道してくれないマイナーなジャンルなら、もはやネットは必須だと言ってもよい。

 現実的にはテレビの出演者よりもネットユーザーのほうが圧倒的に偏っている考え方の人間だらけなので、便利ではあっても使っていて安心はできないが。全体的なネットユーザーに対する実数としては少ないだろうが、よく目立つ。

 テレビが好きなわけではないが、かといってネットとも距離は取っておきたい。

 もっと言うと、世間とも。

 自分が何を擁護して、何を批判したがっているのかわからなくなってくる。

 たぶん本当は岩野木さんを否定したいだけ。


「まあ、ネットは所詮ツールですからね。使う人次第でしょう」


「そうだ。精神貧者が積極的に使う低品質なツールだよ。かつての社会では公共の電波であるテレビが画一的な日本人像や日本の社会像を広めてくれたおかげで、みんなが自分は中流だと思っていた。つまり争わずに平和だった。ネットが普及して、良くも悪くもみんなが他人と比べるようになり、上も下も極端な人ばかりが自己主張するようになった結果、誰も自分が中流だとは思えなくなった。つまり闘争が始まった」


「そうなんですか?」


 という否定交じりの問いかけは無視された。


「いやあ、上流階級が社交界やサロンを作りたがった理由がよくわかる。バカに過剰な権利を与えると社会は成り立たない。今のままネットの影響力が大きくなっていけば、確実に社会は終わる。日本どころか世界が終わる」


 ノストラダムスも二千年問題もマヤも全部外れた滅亡論。根拠もなく危機感だけを煽る予言は面白みもなくなって大多数の人は相手にしなくなったが、ネットでは社会や何かの崩壊を主張する予言者がいたるところに出没する。

 そういうものを目にするたび、終末論や崩壊をことさらに語りたがる人は現実よりも先に、自分の中に眠っている強い願望を語っているんだなと理解した。


「つまり今の社会が気に食わないんですね」


 結局はそれが本題。

 むしろ衰退して滅びることを願っている。


「そうだね、気に食わないね。なんといっても反知性主義が加速しているから。人生経験の少ない若者はともかく、同年代でも周りが幼稚すぎる」


 大人になり切れない人ほど周りを幼稚だと馬鹿にして自尊心を保つ。

 常に自分が周りよりも上にいると妄信して疑わない。

 自分が議論で勝てないのは、周りの理解力が低いせいだと決めつける。

 同意を得られなければ、相手の意識の低さを攻撃する。


「海外と違って日本人は政治の話をしたがらないじゃないか。言語能力の高い知識人が生きにくい空気を作る幼稚な国民性。だからいつまでたっても世の中がよくならないんだよ」


 じゃあ世界も政治の話をしていないのか。いつまでたっても平和な相互理解には遠いから。

 彼のように欧米を信奉している人たちは「海外の人々は政治への関心が高い」とか言うけれど、今までの歴史や近年のニュースなどを見ていると、政治に関心が高いというよりも「自分の信じる正しさを認めさせたい」という気持ちのほうが強いように感じられてしまう。

 これも偏見に過ぎないだろうが、政治の話をしているようで、相手の話を聞く空気はあまりない。

 みんなが日常的に政治の話をするからか、結局はヘイトスピーチやフェイクニュースを多用しながらも一番声のでかい自国ファーストの考え方を持った人物が大統領に選ばれたりする。

 一方、日本人は「政治に関心が低い」というよりも、政治でも宗教でも、自分の信じる正しさを認めさせたいという人が海外に比べると少ないのかもしれない。

 意見が異なる人々と対立してでも自分が生きやすいように環境を作り変えるよりも、うまく空気を読みながら、今ある環境でどう生きるか。そちらのほうに意識がある。決して意識が低いのではない。社会を変えるため政治に命を懸けている人たちとは意識が違うだけだ。どちらが正しいというのでもなかろう。

 悲しいことにネットで政治に関心を持てと呼び掛ける人たちは無駄に喧嘩腰で、政治熱の低い一般人を見下して馬鹿にしているのが目立つ。

 だから距離を置いていたくなる。

 与野党どちらの支持者であれ、話を聞かずに意見を押し付けてくる人間の仲間にはなりたくない。

 お前らが勝手に頑張るじゃん。俺の頑張りをつぶすくらい。


「日本人の政治的関心が低いと言われがちなのは海外に比べれば平和だったというのもあるでしょうけど、リアルでもネットでも、政治に強く関心を持ってる人は頭が固くて話の通じない面倒な人間ばっかりってのもあるんじゃないでしょうか。政治のこととなると意見を押し付けることに躍起になる人ばかりで、あなたみたいに最初から対話を放棄してる印象が強くて、あまり関わりたくないです」


「言い訳だよね?」


「言い訳です。率直な感想ですけどね」


 政治に興味がないわけではない。理性の乏しい政治闘争に興味がないだけだ。

 たとえば普段から政治に入れ込んでる人と政治に関心が薄い人とを比べたら、政治と距離をとっている人のほうが穏やかでまともに見える。死守しなければならない意見がないからこそ視野が広くて寛容で、俺みたいな弱者にも優しい気がする。

 もちろん、関心が低いことを正当化するわけではない。

 大衆が無関心になることの危険性もよくわかる。

 けれど、どういうわけか政治に手を出すと人間が変わる。多くの場合、過激で悪い方向へ。

 意見や立場が違うというだけで、こちらの存在まで否定されてしまう。


「まったく、日本人は今より意識を高く持つべきだ。何か欲しいものがあるなら、それは自分の力で戦って勝ち取らなければならない。おとなしく待っているだけでは現実は変わらず、都合のいい勝利など与えられはしないのだから」


「まあ、ある意味みんな戦っているじゃないですか。ネットを見ればわかりますよ。ネットがなかった時代には黙るしかなかった人たちが、頼まれもしないのに自分の意見を書き込んでますから」


 そう、日常的にたくさん書き込んでいる。もはや騒がしいくらいに。

 目先にある断片的なデータの一つで、すぐに大きなことを語りたがる。普通に生きている普通の人の存在をいつも無視して、ネットだのマスコミだのが語る極論じみた社会批評ですぐ踊る。そして一緒に踊らないとノリが悪いと不貞腐れる。

 政治でも社会問題でもなんでもそうだが、今のメディアやネットは大音量でうるさい音楽をかけて踊れ踊れと迷惑な祭りをやっているようなものだ。踊り疲れた人間も、結局は違う踊りを始める。いつまでも曲は止まらず、何かを言おうとしても声は通らない。次の曲はどうするかの多数決には参加できるが、騒がしい曲ばかりの候補が並んでいて、どれが選ばれても大騒ぎしそうな連中が待っている。

 しんどい。

 しんどくて、ただただ精神が摩耗する。

 おとなしくしていれば、世論を誘導しようと戦争を仕掛ける連中に負かされる。

 だからといって騒げば同じ穴の狢だ。

 どうすればいい。

 ネットもマスコミも有象無象もあらゆる主義主張も、他人に何かを押し付けてくる奴は全員不幸になれ。どうせ彼らには相互理解に至るゴールはないのだ。誰が勝っても面倒な世の中になる。

 しばらく考え込んでいた岩野木さんがファミレスの中だということも忘れて声を荒げた。


「ネットは極論を書き込みたがる保守層が多くて気持ち悪いじゃないか。なぜみんなテレビを見なくなったのだ。最先端の価値観を共有している本物のニュースを求めるなら、テレビと新聞を頼りにする、こんなのは常識だろうに。デマやフェイクだらけのネットが幅を利かす。どんどん日本人の知性が低下していて嘆かわしいよ」


 保守層だの右翼だの、レッテル張りの言葉をためらいなく使っている時点で彼の人間性がよくわかる。

 ネット上では政権批判をした著名人だけが炎上する、などとポピュリズムを否定したがるメディアが記事を出していたが、実際にネットを見ればそんなわけないとすぐわかる。政権批判の書き込みなんてSNSには大量にあるし、そう過激でもないのにちょっと保守的な発言をした著名人が不名誉なレッテルを貼られて炎上したケースもたくさんある。

 右翼と左翼の対立はどちらも過激で、政治でも経済でもスポーツでも、世の中のあらゆるものがあらゆる立場の人によって心無い暴言を叩き付けられている。

 基本的にネットはあらゆるものへのアンチが存在する総野党状態だから、自分に都合のいい情報のフィルタリングを無意識にやってしまえば、特定の人たちが多いように思えてしまう。保守層が多いと思えばそういう書き込みほど目に付くし、リベラル層が多いと思えばそういう書き込みほど目に付く。

 SNSに限らず、動画やブログや掲示板、ニュースサイトのコメント欄でもそうだ。

 一般的に人間はポジティブな意見よりもネガティブな意見のほうが印象に強く残りやすいという。だから自分の嫌いな勢力の書き込みは印象に強く残りやすく、実際よりもたくさんあるように感じてしまうのかもしれない。

 そもそも著名人がやっている政治的な発言がネットで炎上しがちなのは、彼らが主張する意見の内容そのものではなく、攻撃的になりがちな言動の部分が問題視されているようにも思う。政治的な立場だけが問題ではない。

 たとえば野球で巨人と阪神が戦う時、巨人を応援すると宣言するのは別にいい。だがネットで炎上する人たちは野球ファンなら巨人を応援しましょうとか、この試合で阪神を応援するのは間違っているとか、そういう言い方をしたら阪神ファンが怒るに決まっているような発言をする。そして騒動を聞きかじった外野が「ネットの人たちは巨人ファンというだけで著名人を攻撃した! 阪神ファンは異常だ!」とか騒ぎだす。そしていつものように炎上に便乗して、もともと対立が存在していた巨人ファンと阪神ファンの口論がエスカレートする。最後にマスコミが「野球についてコメントしただけで著名人が炎上するネットはおかしい」といった感じの記事を出す。

 これが一種のサーカス。

 平和な時代に求められるパンじゃないほうの刺激。


「自分がそうだから周りもそう見えるんじゃないですか?」


「違うね。自分を含めた全員が泥だらけなら汚れることも気にしないだろうが、そうじゃない僕は一人だけ精神の高潔さを保っているから、周りの低俗さに耐えられないんだ。ネットは汚れている。学のない大衆が保守化して、集団の暴力で異端を排除する恐怖の時代だ」


「異端を排除しようとしているのはあなたも同じでは?」


 個人的な経験論から言って、同調圧力を否定する人間ほど自分の意見を押し付けてくる。

 どんな場合であれ多様性を認めてほしいなら、まずは自分が多様性を認めなければいけない。自分から他人を煽って否定しておいて、想像以上に反撃を受けたからといって被害者ぶるのは違うだろう。

 あいつらのやっていることはバカだとか間違っているとか偉そうに批判しておいて、自分が認められなければ怒りだす。立場を逆にすれば自分も同じことをやっているという事実に気づかない。自分はいくらでも何かを見下して批判するのに、世間の矛先が自分に向いて批判を受けるとファシズムだの言論統制だの嘆く。

 我が身を顧みる能力が足りていないのか。


「いいかい? ジャーナリズムの本質は批判的な報道にある。大衆や権力に忖度するのはジャーナリズムではない。これを理解していないネットは永久にジャーナリズムを名乗れはしないだろう」


「言いたいことはわかりますけど、批判的な報道と批判ありきの報道は違うのでは?」


「おや? さっきから反抗的だと思えば、やはり君は右翼か。最近の若い低所得者層は簡単に保守化して馬鹿みたいだな」


「いえ、別に保守とかリベラルとかいう話ではなく、なんとなくあなたの主張には反対したいだけで……」


「なんとなくで支持する政党を決めて、なんとなくで投票したりしなかったりする。ネット世代は本当に頭がゆとり教育されているな」


 出た。中高年お得意のゆとり批判。

 厳密にいえばゆとり世代は俺よりも上の世代だが、それを理解しない中高年たちによって子供のころから言われ続けてきたおかげで否定するのも疲れる偏見と思い込み。どうせ自分より立場が下の若者を馬鹿にすることでしか自分たちのプライドを守れない程度の人間が口にするような、これといった実績もない不景気日本の現役中高年の言葉だから、はぁそうですかと聞き流しておくに限る。

 高度経済成長期やバブル経済のころの日本人と違って、バブル崩壊以降に就職した彼らは社会人としての優秀さを世代としてアピールできるポイントがないのだ。

 長引く不景気は自分たちのせいではないと、若者を馬鹿にするか、日本社会そのものを馬鹿にするくらいでしか。


「それともキラキラネームのキラキラ世代か? いや、最近は若い人たちをZ世代とかいうんだったか。もう後がない終わりの世代。かわいそうに」


「岩野木さん、あんまり熱くなるのはダメだって言いましたよね」


 どの時点から話を聞いていたのか、横から止めに入ったのは浅川さんだ。

 喧嘩別れした大学時代のことがあって彼女とは顔を合わせることができないので、反応できずに俺は黙るしかない。


「ああ、そうだったね。つい熱くなってしまう」


「政経討論サークルの会合じゃないんだから、今日は楽しくやりましょうよ」


「わかってる。では塚本君、今日の続きはまた今度の機会に。今は討論を忘れて楽しくやろうじゃないか」


「そうですね」


 一応は肯定的に頷いておいたが、今日の続きなど一生やらなくていい。今後どれほど会合を重ねても、おそらく彼とは表面上の付き合い以上に仲良くなることなどないだろうから。

 さようならと心の中で別れを告げる一方で、俺は気づいてもいた。

 他人と戦うことを避ける不戦勝の精神を捨てて、ここまで必死に彼を否定する理由。

 それは、ネットや大衆を馬鹿にして見下す彼に、自分の醜い部分を見たからだ。

 あまりにも有名なシャドウの法則。

 認めたくない、否定したい自分の弱さ。

 ある部分では自分を愛して、ある部分では自分を嫌って、常に何かを見下しながら不戦勝を誇る。

 こんなもの、実際は負けているに等しい。


 ――事あるごとにあなたの偏見に満ちた政治批判や社会批判を延々と聞かされる身にもなって? 勝ち誇るときは相手を人格ごと含めて馬鹿にして、負けそうになれば捨て台詞を残して議論にならないと相手のせいにする。知ってる? あなたは話を聞かないの。できていないのよ、あなたって。


 かつて言われた浅川さんの言葉が俺の脳内で激しく主張を繰り返す。

 そうだ。俺はできていない。むきになっていただけなのだ。

 彼を否定したいがあまり独断と偏見をぶつけてしまったメディアやネット、政治関係者と有権者、会ったこともない欧米や日本の人々、すべてに謝りたい気持ちになった。

 土下座して謝ったところで、どうせ俺の言葉など誰にも届かないだろうが。

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