第4話 うまくいかなさを彼女と共有していたい。

 いかにも一人っ子らしい自由奔放さに恵まれているリンゲちゃんは兄弟姉妹もなく、彼女と似合わず落ち着きのある祖母との二人暮らしだという。なんでも彼女の両親が会社のお金を持ち逃げして行方をくらましてしまい、子供ながらに一人ぼっちで置き去りにされたリンゲちゃんは唯一の伝手つてを頼って、今年で七十五歳になる祖母に引き取られたとか。

 小学生のころ、まだ十歳になるかならないかくらいのときだそうだ。

 この世で一番頼れるはずの親に捨てられた彼女だから、普通に考えれば不幸中の不幸、人間不信と絶望感に押しつぶされて不登校になったとしても無理はない。サークルにいた大学生のころはそれを教えてくれなかったので、励ますことも相談に乗ることもできなかった。

 けれど、なんでもない雑談を何度となく繰り返している間に、今ではそれを感じさせないくらいに明るく振る舞ってくれるようになった。

 その立ち直りに俺の存在が僅かばかりでも貢献できているとすれば嬉しいけれど、そこまで安直にうぬぼれてもいない。

 他人の目からは立ち直ったように見える多くの人が、その心の内に傷を覆い隠している可能性だってある。

 リンゲちゃんは強い子だ。強いの定義が人によって違うのは承知の上で、そう思う。

 そんな彼女が祖母と一緒に暮らしているのは取り壊し寸前の空き家に見えるという古びた一軒家で、最近では戸の建付けも悪くなり、屋根や床下など何処かの隙間から野良猫が潜り込むことも珍しくないという。

 で、そのまま居着いた猫を飼っていた時期もあるそうだ。

 すでに年老いていたのか、三年とたたずに死んでしまった猫の墓は小さな庭に大きな石を運んできて作ったらしく、今でも花を添えて手を合わせることが日課だというリンゲちゃん。それが原因なのか彼女は相当の猫好きで、道端で見かけた野良猫を追っかけて山の中まで入っていく写真を次々と送ってくれることもあった。

 危ないから無茶をしたら駄目だよ、と送ると、それはそれとして納得したうえで向こうから催促が来た。


 ――塚本さんもなんか動物の写真とかくださいよ。


 ――いや、俺にはちょっと難しいかもね。写真を撮りたくてもさ、カメラを構える前に動物が逃げて行っちゃうから。


 ――あー、野生はそうかもしれません。だったら人間に飼われてるペットはどうですか。


 ――飼い主に逃げられそう。


 ――あー。


 一方では猫に負けず犬も大好きな彼女なので、散歩のときはすれ違うたびに大型犬でも小型犬でも遠慮なく頭をなでたがって、初対面の飼い主さんを困らせると言っていた。ところが犬は尻尾を振って喜ぶものだし、かわいいかわいいとほめちぎるリンゲちゃんだから飼い主も悪い気にならず、子供から老人まで誰であろうと仲良くなれるのだろう。

 だからきっと俺なんかと違って高校でもうまくいっているんだろうな。

 そう思っていたが、なにやら違うらしいと察しが付く。

 おしゃべりな彼女が学校のことは語りたがらない。うまくいっているとか、楽しいとか、そういうことを一度も口にしたことがない。つまり積極的に語りたくなるような出来事がないということだ。

 であれば、お願いされていた体育祭の応援を頑張ろう。

 それで、ほんのちょっぴりであったとしても学校生活を送る彼女の力になれればいい。

 さて、世間一般に体育祭といえば文化祭などと並ぶ大型の学校行事であり、何事も積極的に楽しめる社交的なタイプの人間にとってはお祭りのようなイベントであろう。別に体育祭それ自体を楽しみにしていなくとも、勉強嫌いの生徒にとっては通常の授業がなくなってくれて万々歳といったところか。

 気持ちはわかる。

 しかし俺などの消極的かつ臆病な精神を有する人間にとっては、どうしても苦痛の時間だった記憶が強い。

 まず単純に居場所がない。これは普段からそうだから、体育祭だろうと何だろうと実質的には変わらないじゃないかと思えもするが、実際のところは全然違う。

 国語や数学など普通に授業があるときは、授業中も休み時間もじっと自分の机におとなしく座っていればいい。わざわざ自分の居場所を探さなくとも、それで一日がつぶれてくれる。

 けれど体育祭や文化祭はどうだ。ここにいればいいですよ、という安全地帯があまりない。イベントが目白押しに詰まっているがゆえに、一日の内で何度となく移動せねばならない時間が多いし、何をするにも自分の居場所を確認せねばならない。

 好むと好まざるとにかかわらず、出番だ仕事だと代わる代わるに人と接さなければならない。目立たない場所でじっとしているというわけにもいかないのだ。

 正直な話、徒競走だとかの順位はどうでもいい。勝てれば気分はいいが、負けてもしょうがないと簡単にあきらめがつく。人生の成績に直結する可能性が高い主要科目の定期考査と違って、運動競技の順位が低くとも人生に対する実害は低い。恥ずかしいのは競技をやっている最中だけで、終わるとまあ、誰も俺のことなど覚えていない。悲しいが期待されている役割となると、賑やかしの一員になる程度だ。主役ではない。

 玉入れ、綱引き、組体操とか、ダンスとか、これらはとにかく周りの邪魔にならないようにするので精一杯だった。目立ちたくないというのは、いい意味でも悪い意味でも同様だ。馬鹿にされてクスクスと笑われるのは慣れたものだが、がっかりしてため息をつかれるのは、いくら経験したところで慣れはしない。

 誰かに足を引っ張られるのは我慢できるが、自分が原因で誰かの足を引っ張ってしまうのは罪悪感で消えたくなる。

 一人でいたいのかいたくないのか、大人になった今でも時々わからなくなる。みんなが一緒になって盛り上がっていれば盛り上がっているほど、同じ仲間として彼らと同じようなテンションで楽しみたくなる一方で、なかなか盛り上がれずにいる自分と周囲との温度差が激しすぎて、しばらく遠ざかっていたくもなる。

 遠巻きに眺めているのが好きなくせに、積極的に楽しめない自分を寂しがってもいる。

 人生経験が少ないせいで勝ち負けの基準がわからないから、中高生のころの俺は不戦勝だと強がることもできなかった。仮にも大人になった今では実質的に負け続けてきた経験のおかげか、目の前の現実がどうであろうと、いくらでも自分を納得させることができる。

 分不相応な欲さえ出さなければ、との条件付きではあるものの。

 致命的な失点を回避して、悪目立ちさえしなければ……。

 そうやって無難にすべてをやり過ごすことさえできれば、ひとまずのところ学校生活なんてものは十分なのだ。

 あるいは人生そのものも。

 リンゲちゃんなんかはそういうのが人一倍うまそうなのに、それができていないようで驚かされる。もともとは俺と同じひきこもりだったので、コミュニケーションが苦手で対人関係がうまくできていないからといって驚くのはおかしな話だが。


 ――ちゃんと応援してくださいね!


 そう言ってきたのは彼女が学校に行く直前までで、体育祭が始まってからは一度も通知が来ていない。グラウンドまではスマホを持っていけなかったとか、競技に夢中で俺の存在を忘れているとか事情があるかもしれないが、それにしたっておとなしい。

 借りてきた猫。濡れそぼった犬。

 そんな彼女の姿が想像されてしまう。

 本当は俺も現地に行って応援したほうがいいだろう。体育祭に自信がなさそうだった彼女を励ませるくらいに大声で。だけど閉鎖的なコミュニティでもある学校という空間では、俺みたいな変な大人に声をかけられているリンゲちゃん、というイメージを作ってしまうのはかわいそうに思える。

 お父さんという年齢ではないから、じゃあ誰なんだと疑問に思われては彼女にとって面倒だ。


 ――がんばれ!


 とだけ送って、何を待っているのかもわからぬまま部屋でおとなしくする。


 ――徒競走は一番でした!


 ――やったじゃん。


 ――後ろから数えて、ですけどね。


 ようやく来たリンゲちゃんからの連絡は嬉しい報告かと思えば悲しいものだった。

 ちょっとでも速く走れるようにと、少し前から一人で徒競走の練習をしていたらしいリンゲちゃん。なのに本番では腕を一生懸命に振ってゴールを目指しても、ゴールテープを切った着順は後ろから数えたほうが早かったようだ。

 とびぬけて彼女が遅いわけではなく、組み合わせが悪かったんだろうなと前向きに思うことにして、どうせ聞こえないだろうがパチパチと拍手をして健闘を称える。


 ――実は今、応援席に戻ってこっそりスマホをいじってるんですけど、先生に見つかったら没収です。


 ――じゃあ無理していじらないほうがいいんじゃない?


 ――いや、それじゃ塚本さんの応援が見えないじゃないですか。頑張ったねって励ましてほしいんですよ、これでも。


 ――頑張ったね。


 ――次からは言われる前にください。


 絵文字もスタンプもなく、いつになく元気がなさそうに思える彼女。勝ち負けにこだわっている性格でもないので、コツコツと積み重ねてきた練習の成果が出せず、足の速さで最下位になったことを残念がっているわけではない。

 人前で一生懸命を見せるって苦手です。かつてリンゲちゃんはそう言っていた。

 俺もそうだったのでよくわかる。斜めに構えて「必死になること」を馬鹿にしているわけではなく、自分が必死になる姿を自分でも想像できないのだ。何かに全力で打ち込む熱意や集中力に欠けている。本気を出して必死になっていると思われるのにも抵抗がある。

 本質的なところでは手抜きをして生きている卑怯で怠惰な人間でしかないのに、こちらのことをよくわかっていない人から「頑張れ」などと応援されるのは恥ずかしくて、情けなくて、申し訳なくて苦しくなる。

 一生懸命になるのが苦手だとしても、今の彼女は頑張っているほうだ。何をするにも中途半端だった昔の俺と比べると、頑張りすぎているくらいに。

 なら応援なんているんだろうか。

 彼女よりもずっと格下の俺からの応援なんて。


 ――いやー、午前の種目はあんまり活躍できませんでしたね。けど午後は一年の女子みんなで踊りますから、失敗しないように祈っていてくださいよ。


 ――踊るの? 体育祭で?


 ――はいはい、クラスごとに各パートの振り付けを担当した創作ダンスってやつです。私の案が採用されているわけじゃないですけど、練習はたくさんしましたから。


 ――なるほど、創作ダンスか。俺も高校の授業だったか体育祭だったかでダンスをやらされたけど、いい思い出はないな。


 ――そうなんです?


 ――体育の授業だと思うように体が動かなくて、球技でもリレーでも、いつもみんなに迷惑をかけてた。悲しいけど自分がうまく踊れていた気がしない。たぶん晒し者になってたよ。


 ――あー。なんか塚本さんってラジオ体操でもつまずきそうですもんね。


 ――それは言いすぎじゃないかな。


 もっとも、これについては強く否定できない。

 三十歳の手前で、ぎりぎり二十代。自分ではまだまだ若いつもりでいても、フレッシュさあふれる女子高校生であるリンゲちゃんにしてみれば俺もどんくさいおじさんでしかないんだろう。見栄は張れても運動不足はごまかしようがないので、ある程度のそしりは受け入れるしかない。

 他人からの信頼や期待を得たければ、まずは自分から十全に努力をしなければなるまい。

 正当な評価とは、往々にして自分が望むものよりもずっと低いものだ。


 ――あと、これ。おばあちゃんが撮ってくれた写真です。私もいますよ。


 ――え? いいの? 写真なんて。


 ――女の子はいっぱいいますから。どれが私かはわかんないですよ。


 そう言って送られてきたのは、徒競走らしき種目をやっているグラウンドの写真。一年女子の部なのか、彼女の言うように女の子はたくさんいて後ろ姿も多いので、この中にリンゲちゃんが写っているのかどうかなんて一切わからない。

 画像処理アプリか何かで全員の頭部に雑なモザイクがかけられた写真を眺めながら、頼まれたわけでもないのに目は自然とリンゲちゃんの姿を探してしまう。当たり前だが全員が同じようなデザインの体育服を着ており、一人一人の顔が判別できない状態では見分けることなどできない。

 本当にここにリンゲちゃんがいるのなら、たとえ顔が見えないとしても初めての姿。

 だけど、根拠もなく直感した。


 ――これ、たぶんリンゲちゃんはいないよね。


 ――どうしてですか?


 ――だってこれ、わざわざ観客席に行ってリンゲちゃんが撮ったんでしょ?


 ――ばれたか。お察しの通り、ここにいるのは一年の女子じゃなくて二年生とかです。おばあちゃんは来てません。それに、もしも私が写ってたら一目でわかりますよ。一人だけ離れたところに立ってて、うつむいてて、陰気なオーラに包まれてますから。


 実際の姿を見たことは一度もないのに、そう言われると素直に想像できてしまう。

 そして、そんな彼女の姿を想像してしまうと、これまで見てきた他の誰よりも目を引き付けられてしまう。

 娘を見守る親の気持ち。そう言えたならいいかもしれないが、俺は写真にさえ入りたがらない彼女の姿を通して、自分の姿を見ていたのかもしれない。

 誰にも知られずに空回りし続ける俺を。

 現在の彼女がかつての自分と同じように、失敗すれすれの高校生活を送っていることに安堵を覚えたがっている。そうすることで遠回しにかつての自分を肯定されているような気がしてくるから。うまくいかないのは俺だけじゃないと安心したいから。

 胸が痛くなった。みじめになってきて、それを彼女に悟られる前にスマホの電源を切りたくなった。高校に入って一か月、いまだに友達がいないというリンゲちゃんを見捨ててはおけぬが、大人の立場から応援するどころか、もはや生きていることが恥ずかしくなるような気持ちに脳が耐えられなくなって、自己肯定的に自己否定の言葉を叫びたくなる。

 そうじゃないんだ! そうじゃない!

 そうじゃないけど、実はそうなんだ!

 自分でも何を言っているのかわからなくなる。

 理屈で生きているわけでもなく、感情で生きているわけでもないから。

 隠さずに本音を言えば、誰かに嫌われているわけでもないが学校の誰とも仲良くできていないリンゲちゃんの状況を聞かされるたびに、内心ほっとしている俺である。

 最低だとは自分でも思う。

 嫉妬だとか、独占欲だとか、そういうものだったら逆にわかりやすいけれど、たぶん違う。

 うまくいかなさを彼女と共有していたい。ただそれだけの気分。

 リンゲちゃんの人生に対する責任も取れないくせに。

 このままでいてほしい。世の中の低層で足踏みを続けている自分を見捨てて、一人で先にいかないでほしい。

 年少者を相手に救いを求めようとする自分の浅はかさと厚かましさに顔が熱くなる。

 それを知らぬリンゲちゃんは俺を純粋に慕ってくれている。スマホ越しに相手をしてくれる気のいいおじさんくらいに思っているのかもしれないが、そう思われているのなら彼女の前ではそう演じなければ。

 せめてもの誠意のために。


 ――白状すると、お弁当も一人です。なので、食べるならあんまり人目につかないところがいいですね。空き教室とかで食べてもいいんですけど……あ、体育館の裏とかどう思います? 日陰でじめじめしてるから誰も来ません。


 ――じゃあそこで食べよう。何かあったら逃げるんだよ。


 ひっそりと生きたい俺たちには日陰の世界がちょうどいいから。

 卑屈でも自虐でも何でもなく、花見の席でも満開の下は似合わない。


 ――たまに思うんですけど、私って塚本さんとおばあちゃんの二人しか話し相手がいないから、スマホとかすごく持て余してる気分です。なにせおばあちゃんはスマホ使えませんから、実質相手は一人です。


 ――ごめん。自分で言うのもなんだけど、思春期の中高生の話し相手にしては俺ってすごくつまんないよね。大人ってほどの教訓も与えられないし。


 ――つまんないからダメってことはないんじゃないですか?


 ――そこは否定してほしくもあったけど、駄目じゃないみたいで安心だよ。


 実際、これも強くは否定できないので肩をすくめて苦笑するにとどめておく。本当につまらないと思っているのなら、退屈な大人でしかない俺と理由もなく一緒にいてくれるリンゲちゃんは優しい。あるいはつまらない人間だからこそ隣にいて安心できるという部分もあるだろうから、他者に過度な期待や要求をしないで済む俺とリンゲちゃんの性格の一致を感慨深く思える。

 ここまで無条件に俺を許容してくれる人間など、俺の人生においてリンゲちゃん以外には存在しなかった。

 大学で出会った小成さんも浅川さんも、さすがにスマホで日常的に会話をしていたら俺に愛想を尽かしてしまうだろう。

 けれど、そんなリンゲちゃんにも学校の友達ができて、これからは俺以外の人間と仲良くなっていくに違いない。

 誰かを許容して、受け入れて、必要とするのだ。

 新しくたくさんの友達を手に入れた時、お世辞にも普通の友達とは呼べない俺は彼女にとってどんな存在になるのだろう。

 不必要とされるのか、変わらずに相手をしてくれるのか。

 そして俺自身はどちらを望んでいるのだろう。

 あえて難しく考えるまでもなく、まだ十代の高校生であるリンゲちゃんを未来のない不戦勝の沼の中にとどめておくのはよくない。

 なにしろ俺は彼女の背を押したはずだ。落ち込んでいた彼女が未来に向かって巣立っていくのを応援したのだ。

 ただ、この半身をもがれるような寂しさと痛さは何だろう。

 彼女が離れていく喪失感というものは、こんなにも大きいのか。

 自分よりずっと年下の少女を精神的な支えにしている自分が情けなく思えた。でも彼女の他にはすがれるものも、本当の意味で自分の存在を認めてくれるものもない。世界を美しく見るための瞳なのだ。根本的なところが枯れ果ててしまった俺にとって、あまりに純粋ぶる彼女がことあるごとに楽しそうにする姿を見ているだけで希望になる。

 リンゲちゃんがいるだけで、人生は捨てたものじゃないと思える。

 だからこそ彼女には幸せになってほしい。

 最終的には俺の手など離れて、しっかりと幸せな人生を歩み始めてほしい。

 その痛みを受け入れることこそ、俺にとっての究極的な不戦勝に違いないのだから。





 危うく何人かが熱中症になりかけたという体育祭を終えて、しばらく会社勤めの日常を繰り返していると、何か具体的な問題が発生したというわけでもなく、いよいよ静かに敗北しつつあった俺の精神。

 やる気を見せなければ叱責の対象となる現代社会において、向上心に乏しい俺などは真っ先に足手まといの人員となる。いっそクビを宣告されたほうが楽になれるんじゃないかと思いつつも、失職して楽になれる人生ではないと思い直す。

 不戦勝、不戦勝だ。

 心を強く持って誰にも逆らわず、流されるようにして流されずに生きていく。

 些細なミスが重なって周りに迷惑をかけて、直接的には不満をたたきつけられず、誰かに無視されるわけでもなく、ただ居心地が悪くなる。

 息抜きが欲しい。

 休日でも給料でもなく、一瞬の間でもすべてを忘れられる息抜きが。

 これといった趣味も好物もないけれど。

 そそくさと逃げるのに失敗して会社の飲み会に参加して、酒も飲まずに愛想笑いを浮かべて説教を受けて、あれやこれやと至らなさを指摘され、先月入ったばかりの新人に気を使われるように声を掛けられ、女性陣には当然のように壁を作られ、食事はのどを通らず、ちっとも楽しめなかったのに割り勘で財布を痛め、くたくたになって夜も遅くに帰途に就く。

 狭い部屋のベッドまでの距離がいつになく遠く感じて、ようやく手が届いたら倒れるように横になる。眠いはずなのに眠れはせず、四肢を投げ出して仰向けになったまま、世界が終わったような静かな部屋で意味もなく天井を眺める。

 心に負担を強いた気疲れが遅れて襲ってきたのか、今さらになって頭が痛くなってくる。

 ズキズキする頭痛を抑えるように目元を指でもみながら、無意識にスマホを確認したらメッセージがあった。

 一つはリンゲちゃんで「おやすみなさい」だったので、俺からもそう返す。

 そしてもう一つは加藤だった。

 大学時代、ひきこもり支援サークル「ハネやすめ」の同期として仲良くしていた男子の一人だ。鈴木や佐藤などともたまに連絡を取っているが、今でも頻繁にメッセージを送ってくるのは加藤くらいなものだ。どこかの企業に入って社会人となった彼に遊べる友達が少ないからではなく、誰に対しても分け隔てなく社交的な性格なので、大学を卒業してからも変わらず俺によく声をかけてくる。


 ――飲み会やるから顔出せよ!


 ありきたりなお誘いだ。親切にしてくれる彼のことは嫌いではないが酒の席が面白かったためしがないので、さてなんと理由をつけて断るべきか考えていると、五分もせぬうちに彼から新しくメッセージが飛んできた。


 ――今さっき返信あったけど、小成さんも来るってさ。


 懐かしい名を聞いた。同じサークルのOBとして仲間意識の強い彼らは卒業後も何度か食事会などで顔を合わせているようだったが、大学にもサークルにも帰属意識など持ち合わせていなかった俺は卒業して以来一度も彼女と顔を合わせていない。

 何度か悩んだ末に連絡先を完全に削除したのは、今の会社で働き始めて半年くらい経ったころだったろうか。

 告白して振られた相手と普通に接するなんて俺にはできない。世の中の男女はそういうところをうまくやるんだろうが、できない俺はぎこちなく心を壊すだけだ。

 どんな顔をして彼女の前に立てばいい。愛想笑いも相槌もただでさえ下手なのに、彼女が相手だと救いようがないくらい不自然なものになるだろう。

 まだ彼女に気があると思われるのはつらい。ストーカーみたいで気持ち悪いと警戒されても、都合がいいと手籠めにされてもみじめだ。

 どうせ俺が行ったって雰囲気を悪くするだけに違いない。断るつもりなら返事は早めにせねば迷惑だろうと思ってスマホを片手に小成さんの顔を思い浮かべていたら、失恋の後悔と気まずさに心が痛むくせに返事は断れなかった。

 ここ最近は特に理由もなく会社を辞めたいとばかり考えていたから、どう生きるにせよ、きっかけがなければ俺はこのままダメになる気がした。誰にでも優しくて面倒見のいい彼女なら、ぎこちなくて情けない俺が相手でもそつなく対応してくれるかもしれない。あわよくば、つぶれそうになっている俺を励まして自信をつけてくれるかもしれない。

 たとえ社交辞令であっても、君は大丈夫だよ、平気だよ、頑張ってるじゃん、それらの言葉を彼女の口から聞かせてもらえるだけで、だいぶ救われる気がした。

 実際、そう考えただけで泣けてきた。

 薄暗い部屋で一人寂しく涙している自分を客観視して、なおさら泣きたくなる。だが悲しみも後悔も一周するとどうでもよくなってくる。ため息をついて涙ぐんだ目をぬぐうと、たいして腹も減っていないので目を閉じて眠ることにした。

 ろくに夢を見なくなったのはいつのころからだろう。

 大人になると、友達と遊びに行くといっても店に入って飲み食いするくらいで、映画とか旅行とか、ショッピングとかスポーツとかいうのは、なかなか同年代とは一緒にやらなくなる。仕事が忙しくなるほど休日を求めるくせに、いざ休日となると休日にかける情熱は冷たくなり、だらだら過ごす自堕落な週末が結局は一番充実しているような気になってくる。

 たった四年で卒業する大学自体を就活の一環と感じていたからか、入学した時から面接を受けている気分になっていた大学時代にできた友人はあまり本物の友人という感じがしない。今でも付き合いがあるのは義理や建前であって、せめて一人くらい学生のころからの友達がいるんだと自分を納得させるための存在でしかないのかもしれぬ。

 頼みもしないのに向こうから誘ってくるのはありがたい反面、面倒くさがりながらも都合よく利用している側面があるので、一緒にいる時くらいは楽しそうにするのは最低限の人情だろう。

 卒業して会社で知り合った相手は同僚か先輩か後輩、あるいは仕事先のお得意様などで、どう頑張っても友人のカテゴリーには突っ込めない。たまたま趣味や話が合っても楽しくするのは仕事のためで、休日までを共に過ごす熱意はない。

 週末の仕事終わり、加藤との待ち合わせ場所は以前にも訪れたことのある居酒屋だった。


「最近どうよ? 俺のほうは仕事にもすっかり慣れて、新人の世話も見るようになったけど」


 などと出会い頭に近況報告じみた取り調べが始まってしまうので、それは仕事の延長気分を催すから、やんわりと拒絶する。


「調子は別に悪くないけどさ、仕事の話はやめよう」


「そっかそっか、じゃあ今日は仕事を忘れて楽しもうぜ」


 飲み会の席、これが始まりの儀式だと言わんばかりにイェーイとテンションの高い乾杯を強制される。まあそれくらいならと形だけ真似して、うまくもない冷えたビールを一口だけ流し込む。

 浮ついた気分にはなれず、上滑りした気分でつかず離れずのコミュニケーション。

 酔えたからなんだというのだ。唐揚げはうまい。


「あっ、お前な、勝手にレモンかけるなよ。唐揚げは塩と胡椒だけで十分だって」


「いや、かけるでしょ」


 と、すぐそばで始まったのは飲み会でありがちな話題の一つであり、個人的には実にどうでもいい論争だ。

 もちろん彼らは本気で喧嘩しているのではなく、やいのやいのと言い合って、じゃれているだけだろう。飲み会というだけあって同じ席には俺たちの他に男が二人いて、一人は加藤の同僚らしく名前も知らないが、もう一人は大学で同じサークルだった高橋である。

 この二人は今日が初対面というわけでもないらしく、レモンがどうのこうのとしばらく言い合っていた。

 そんな俺たち四人に加えて、たった一人の女性参加者であるはずの小成さんの姿はない。誰も教えてくれないので事情は知らないが、用事か何かで遅れているらしい。時間通りに全員がそろわず彼らは残念がっていたが、相手が彼女であれば、普通に顔を合わせるだけでも心の準備が必要な俺には時間的な猶予ができて助かっていた。


「あ、まあ、うん」


 こんな感じで仕事の話は適当に聞き流して、曖昧に返事をするにとどめる。

 愚痴や不満や下ネタや、どうでもいいテレビの話、ネットで話題になっていることなど、まあ日本中どこでもやっているような雑談を続けていれば、それなりに楽しかったような思い出を共有できるんだろう。けれど、何かを食べながら話すことが苦手な俺は彼らと違って相槌のタイミングにさえ苦戦する。

 とはいえ、実際のところあまり楽しめていないとしても、周りの人間に楽しんでいないと悟られるのは避けねばならないだろう。

 今後こういう席に呼ばれなくなったところで実害は一つもないけれど、ただでさえ少ない社会とのつながりがますます小さくなってしまう。人は誰しも社会とのかかわりあいの中で己の人格や価値観を適宜アップデートしているところがある気がするので、苦手だからと人を避け続けていれば、いつしか人としての感性を失ってしまいかねない。

 郷に入っては郷に従い、朱に交われば赤くなる。

 それが誰かを傷つけて流れる血である悲劇もなくはないので、人間関係は難しいのだが。

 それから三十分、体感では二時間くらい男四人での酒宴をやっていると、ようやく最後の参加者が顔を出した。


「ごめん、遅れちゃった。待たせちゃったかな」


 ふわりと桜の香りを漂わせ、春色のブラウスを着こんだ小成さんである。

 心臓がとくんと動く。

 ちらりと見ただけで顔を下げたのは目を合わせられない小心者の俺だけで、俺以外の三人は如実に色めきだって反応する。


「いやいや、小成さん。全然待ってないよ。それより今日は来てくれてありがとう」


「こちらこそ誘ってくれてありがとう」


「さあさあ、座って座って」


 同じサークルだった加藤と高橋の二人ではない名前も知らない三人目の男に促され、迷うでもなく小成さんは俺の隣に座った。この場にいる四人の中から自主的に選んでくれたわけではなく、俺の隣だけ空いていたからだ。

 うっかりすれば肘が触れ合うくらい近くにいようとも関係ない。声をかけられない限り横を見なければいいかと思って、無駄に値段の高いノンアルコールのウーロン茶を乾いた口に突っ込む。

 酔いたくない衝動。

 気が許せない他人が一人でもいる前では、理性も記憶も絶対に飛ばしたくない。

 現実が好きなわけではなく、自分が好きなわけでもなく、エゴくらいにしかしがみつくものがないから。

 あまりコメントを求められる立場でないのもあって、しばらくは無言で済んだ。

 会話に対しては耳だけを傾けて、食事に夢中な演技を続けていると、何度目か、目の前のテーブルに並んだ何かをつかもうと箸を伸ばしたところで右手が止まった。


「塚本君、元気してた?」


 トゲを感じさせない優しい声がする。

 他意はなく、純粋に旧交を温めたがっている真っ当なアプローチ。

 これが人間関係をうまくやれる人の生き方なんだろうなと安心や感心を胸いっぱいに吸い込んで、それに乗っかる自分を客観視しつつ、かつての告白をなかったことにしたくて動揺や緊張を抑え込む。


「元気でしたよ」


 素っ気なくはなく、浮かれてもおらず、これぞフラットな同窓生といった感じで答えられた気がする。そう努力している時点で駄目な気がするのは自分でもよくわかるので、これはやはり失恋を引きずっているのかもしれない。

 どんな傷も時間が経てば自動的に風化するものと思っていたけれど、人間の心というものはそう単純な作りでもないらしい。

 心の奥底に沈殿したものは都合よく消えてくれない。

 いいことであれ、悪いことであれ。


「ふふ、変わらないなぁ……」


 笑われて悪い気がしないのは、それが嘲笑ではないとわかるからだろう。むしろ変わらないでいてくれたことを喜ばれているような、こちらにとって都合のいい勘違いまでしてしまう。

 実際のところ自分がどう思っているのかはともかく、並んで座って彼女と話していると、一度は死んだと思っていた恋心がうずきだすのを痛いくらいに感じる。わずかでも恋愛感情の残り香を自覚するたびに、強く否定したくなる。

 どうすれば否定したことになるのかも見当はつかないけれど。


「変わってないのは自覚ありますよ。小成さんはどうなんです?」


 沈黙を避けるためだけに何気なく聞いてみると、酒の入ったグラスを傾けて、小成さんは小柄なりに胸を張ったように見えた。


「私は今でもひきこもりの人たちの支援を続けてるよ。仕事じゃなくてボランティアだけどさ、もっと本格的にできないかなって考えてるんだ。ひきこもりって社会問題だと思うから、大学時代の経験が役立てないかなって」


 大学時代の経験を役立てる、か。

 今の仕事が大学時代どころか中高時代に習ったことの大半を直接的には活用しない職場なので、なんだか未成年のころは家でも学校でも無駄な時間を過ごしてきたんだなと痛感させられる。

 そしてこれからも無駄な時間をいくらでも過ごしていくのだろう。

 無駄が無駄ではないのが人生だから、ある意味ではそれも幸せな生き方かもしれないが。


「そうなんですか。さすが小成さんですね。俺なんかもう自分のことでいっぱいいっぱいで……」


 仕事以外にボランティアとか余計なことをしている余裕なんてないですよ、そう言おうとしたけれど、すかさず小成さんが入り込んでくる。


「そう? 大変?」


 ぴたりと、さりげなく身を寄せてきた彼女の肩がやわらかく触れた気がした。

 ふとした言葉を大げさにとらえられてしまって、心配そうに下から顔を覗き込んでくる小成さん。一手目で王手をかけられるスピード感で心の奥にまで踏み込まれた気がして、慌てて身を引く。


「あ、いや、そういう意味で言ったわけじゃ……」


 逃げの一手を打ったつもりが、さりげなく二の腕をつかまれて詰められる。


「つらかったら何でも相談していいんだよ。私、そういうの好きだから。大丈夫だよ、今度はサークルの時みたいに手伝ってなんて言わない。仕事、大変なんでしょ?」


 いくつもの壁を立てて必死に防御していても、彼女にそう言われただけで、何かを切り崩されるような思いがする。

 たとえそれが張りぼてだとしても、この数年、誰にも相談できず一人で精一杯積み重ねてきた何かが。

 慌てて「待った」をかけたいくらいにすごく悩んで、今の会話を丸ごとなかったことにしようと盤面をひっくり返したいくらいにすごく考えて、結局絞り出した答えは情けなさに全身が打ち震えるほどのものだった。


「……はい」


 認めてしまえば楽なものだ。意地を張るという行為は、強くもなるが弱くもなる諸刃の剣だ。今の世の中は無償で助けてくれる人よりも無関係のくせに試練を与えてくる人のほうが圧倒的に多いので、意地の張りすぎは軟弱者の魂にとって毒である。

 甘えるのではなく、弱さを認めるのではなく、ただ己のありのままを受け入れるだけだ。

 なのにそれが案外難しい。

 ちょっとでも弱さを見せると、そこに付け込まれて、逃げる間もなく一気にとどめを刺されてしまうからであろう。しかもそれは明確な敵だけがやってくるのではない。犬も歩けば棒に当たるということわざ本来の意味をより正確に表現したほうが現実的には正しく、つまり、犬も歩けば誰かに棒で叩かれる。

 気に食わないとか邪魔だとか、たまには巻き添えや勘違いで。

 いや、実際には弱った野良犬を見れば叩くよりも助けようとする心優しい人のほうが多いのはわかるけれど。ネガティブな一面だけを見てすべてを判断するには惜しいくらい、今の世の中が捨てた世界じゃないのも知ってはいるけれど。

 ただし、弱った犬からすれば百人の優しさよりも一人の冷たさのほうが身に響く。

 心の中でネガティブな感情が反響して、簡単には立ち直れなくなる。

 そういう風に弱っている人を見かけるたびに根っからの善意で助けようとするのが小成さんなら、彼女こそ幸せになってほしいと思う。

 そういう人にこそ一番の幸せが与えられる世界であってほしい。

 そんな世界を実現するために協力するどころか、無意識に足を引っ張っている邪魔者でしかない俺みたいな人間が言えるセリフではないが。


「んじゃ、またいつかみんなで飲もうな!」


「おう!」


 と、俺以外の男たちはみんな元気で仲良くやっている。

 子供のころからよくある話だ。俺がいなければ世界はうまく回るんだろうなと自虐したくなる疎外感のある光景。これまでの人生で飽きるくらい何度も見た。会社だって俺じゃなく誰か他の人間が入っていれば、今よりずっと業績が上がっていたんだろうなと思えるくらいの。

 支払いを終えて飲み会が終わって別れ際、たまたま小成さんと二人きりになる瞬間があった。しゃべるのは彼女に任せ、相手をする俺は聞くばかりの雑談をして、つまらない印象を上書きしただけなんだろうなと思えばこれっきり二度と会わないかと思えたが、スマホを取り出した小成さんは俺にもスマホを取り出すように言ってくる。


「いつでも連絡して? 私でよければ相談に乗るから」


「あ、はい」


「今日でもいいよ」


「はい」


 どちらかと言えば押し切られる形で小成さんと連絡先を交換した。こちらからは一切抵抗をしなかったので押し切られるまでもなかったが、つぶれずに生きるためには自分に対する言い訳は大事だ。嬉しいか嬉しくないかの二択で言えば少なからず嬉しいのだろうけど、やはり素直には喜べない抵抗感というのもあった。

 期待したって、どうせ失うだけだ。

 これから何度となく熱心にスマホでやり取りを重ねようと、順調に信頼や愛情を築き上げていける他の人たちとは違って、人間的に不器用な俺が相手では、彼女との間に恋愛感情など燃え上がることはないだろう。

 それがわかっているからこそ、捨ててきたと思っていた未練に追い付かれて虚像でしかない希望にすがろうとする自分が情けなくてたまらない。

 新しく手に入れた連絡先を消せず、いつまでも連絡を待とうとする自分がみじめだ。

 こちらから連絡する度胸もないくせに。

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