第3話 生きるのも、ただ生きているのも。

 会社でも俺は不戦勝した。

 先んじて自分を殺すことで、致命的に死なずに済んでいた。

 何かにつけて不器用で要領の悪い俺はお世辞にも仕事がうまくいっているとは言えなかったが、小さな失敗はしても取り返しのつかない大失敗はなく、怒られても嫌味を言われても心は動かず沈んだまま、プログラムに従って動く自動人形のように生きていた。

 ブラック企業と言えるほど極端に悪い職場環境ではなく、凄惨ないじめもなければ性格が破綻した悪人もいない。けれど俺は職場の誰とも同僚という以上に仲良くはなれなかったし、なろうとも思えなかった。

 何人か同じ年齢くらいの女性もいたけれど、かつてのような若々しい恋愛感情が胸を占めることもなく、街で見かけても声をかけるどころか見つからぬように姿を隠すくらいだった。

 それほど多くないスズメの涙ほどの収入では貯金をしようと思ってもたまらず、昔あれだけ好きだったマンガ、アニメ、ゲームといった趣味のすべてが輝きを失って、何一つ今一つ熱中することができなくなっていた。将来性も希望もない己の現実を前にしては、どれほど魅力的に描かれていようと、フィクションの世界が俺の乾ききった心を上滑りするようになったのだ。

 気が付けば、一週間過ぎるごとに一週間過ぎたな、という実感をむなしく重ねるだけの時間を一年に何度も繰り返した。そうすることで就職して三年くらいが何事もなく経過して、これだから最近の若者は……と苦言を呈される例に漏れず、心の折れかかった俺は仕事を辞めたい気持ちでいっぱいになった。

 それでもなんとか踏みとどまっていられたのは、本当に些細な救いがあったからに過ぎない。


 ――さっきから反応が悪いですけど、もしかして元気ないですか?


 ――ごめんごめん、元気はあるよ。今日は休みだからね。


 どこかで誰かが見ているわけでもないのに、無理をして笑顔を浮かべた俺は久しぶりの休日に精一杯の空元気を駆使して足を動かす。羽目を外す気分で向かう先は水族館だ。

 遊びに行くとは思えない暗い雰囲気のテンションで、とぼとぼと歩く俺の隣には誰もいない。ただ右手に握っているスマホの中には一人の少女がいる。メッセージアプリで朝からずっと文字だけの会話をしながら、こちらを気遣ってくれているリンゲちゃんだ。

 自分より十歳近くも年下な彼女の相手をしていて、いつまでも情けなく落ち込んでいるわけにはいかない。


 ――えへへ。だったら平日になる明日からは、しばらく元気がない日々が続きますね! 次のお休みっていつでしたっけ?


 ――いつであるにしても、今日は今日のことを考えて楽しもう。


 暗に明日からのことは話したくないと伝える。

 当然だ。今日という貴重な休みが終わって、明日から始まる仕事の日々を想像するのは苦痛でしかない。せっかくの休日がストレスで胃が痛くなって台無しにされてしまう。

 次の休日を調べようとしてカレンダーを眺めると、どうしてもその間にある労働日数が強く意識されてしまう。早起きをして着替えて出勤して、居心地の悪い職場で何時間もの労働をして、くたびれて帰ってきて倒れるように眠る一日をイメージしてしまう。

 働いてもいないのに働かされている気分になる。

 常在戦場。端的に言えば心が休まらない。

 だから特別な事情でもない限りスケジュールなんて確認したくない。見なくてもわかる。どうせ俺の人生はつらい日のほうが多いのだ。


 ――あ、クッキー食べますか? 手作りじゃないですけど、おばあちゃんに買ってきてもらったやつなんで半分に割ってあげますよ。ほら。


 と言って、立て続けに送られてきたのは皿に乗っているクッキーの画像だ。美味しそうなのは事実だが、絵に描いた餅と同じで食べることはできない。

 角度や反射に気を付けて机の上の皿を撮っているだけなので、あえて探すまでもなくリンゲちゃんもおばあちゃんも画像の中には写ってはいない。写真や動画を送ってくるときはいつもそうだ。危機意識の高さを表しているようなものでもあるため、逆に安心する。


 ――半分っていうか粉々じゃん……。でもありがとう。気持ちだけ受け取っておくよ。


 ――はいはい、どうもです! お礼がしたいなら帰りにキーホルダーでも買ってくださいね。送るのは画像だけでもいいですから。


 ――はいはい。


 なんだか彼女にたかられているだけの気がする午前十時である。

 若さを武器にした悪い女性に詐欺られているんじゃないかと思えても来るが、実際にアクセサリーなどの品物をプレゼントとして彼女の住所に送るように求められているわけでもなく、最悪買った振りをして画像を送るだけでも満足してくれるので金銭的な負担はほぼない。

 これはそういう遊び。親戚の子供に付き合わされているようなものだ。

 今日は五月に入って最初にある長めの連休の最終日で、心身ともに休みたい盛りの俺はリンゲちゃんにねだられて遊びに付き合うことになっていた。休日は外に出たがらないインドア趣味の彼女に代わって、ちょっと離れた場所にある水族館へと実際に足を運び、スマホ越しに実況リポートをする羽目になったのだ。

 なんだそれ、と我ながら思えてくる不思議な行為。

 だけどネット時代にはこういう遊びもありなのだろう、とも思えてくる。

 今年で知り合って四年目くらいになる彼女とは、ネット上のやり取りだけで親しくなった感じで友達関係が続いている。

 直接会いたがらないのは彼女というより、他人と比べるまでもなく冴えない人生を送っている俺のほうかもしれないと自覚しながら。


 ――水族館といったら私、やっぱりイルカが見たいです。見に行ってください。


 ――そんなに見たいなら自分の足で水族館に行こうよ。イルカが見たいっていっても、画像や動画じゃネットで調べるのと一緒でしょ。


 ――違いますよ。たぶん。


 ――というか、水族館って写真撮影が許可されてるの?


 頼まれるがまま、水族館の事情を何も知らずに来た俺である。

 ネット上にアップするのは禁止とか、フラッシュを切っていれば大丈夫とか、そういうのだろうか。わざわざ職員に聞かずとも、来館者向けに水槽近くの壁のどこかに注意書きくらいあるだろう。

 こんな感じで仕事でも行き当たりばったりな生き方をしているから、何をやってもうまくいってないんだろうな……と、朝から気が重くなる。


 ――撮影するのが駄目だったら写真はいいですよ。楽しんでる報告だけください。


 ――それでリンゲちゃんは楽しいの?


 ――もっちろん楽しいですよ。ほら、今日遊びに行ったところで何があったとか書いて送りあうのって、なんかリアルタイムの文通みたいじゃないですか。絵とかなくたって想像力がいいんですよ、想像力が。今日は現代の文通をしあいましょう。


 ――しあうって言っても、リンゲちゃんは?


 ――部屋です。こっちからの報告はないですね。


 そんなこんなで入館料を払って入った水族館の中を歩いていたら、熱心に探していたわけでもないのにイルカが泳いでいるプールがあった。

 どうやらショーをやっているらしい。せっかくだから見ていくことにする。


 ――おー、すごい。


 ――いやさすがに感想が下手です。情景がさっぱりです。イルカさんが頑張ってるのに。


 ――お得意の想像力で補って。


 頑張ってるイルカさんたちをわき目にスマホをのぞき込んでメッセージを書きつつ、報告書やメールの書き方でダメ出しをされる毎日を思い出して胸が痛くなる。

 昔から文章を書くことが苦手だ。しゃべることだって同じくらい。


 ――見ててください、今からイルカを目の前に呼びます! えいっ、えいっ!


 また馬鹿なことをやっていると思ったら、ほんとに数頭イルカが客席のほうに寄ってきた。たぶんそういう演出とか調教なんだろうが、何事も来る人のところには来る。反対に来ない人には来ない。来ないものを無理して「来い来い!」と欲を出したらいけないのか、それともリンゲちゃんくらい素直に欲を丸出しにするほうが人生はうまくいくのか。

 こちらの反応を無視したテンション高めの説明によれば、スマホを机の上に立てかけたリンゲちゃんは胸の前に伸ばした両手でハートマークを作って、えいえいっとイルカに向けているらしい。元気なことだ。


 ――どうですか? 今度のはイルカさんに効き目ありましたか?


 ――効き目? なんか出してたの?


 ――茶目っ気ですよ。


 あー、それそれ。リンゲちゃんにはたくさんありそう。どんな意図があるのやら、絵文字やスタンプなどで俺にも複数のハートマークを送ってきてくれたので、頭よさそうなイルカさんの真似をしてあんま反応ないです。

 というか、茶目っ気の効き目ってなんだろう。笑顔でも返してあげるのが正解なんだろうか。

 世界の誰より自分が一番笑顔になっているであろうリンゲちゃんが尋ねてくる。


 ――イルカの背中に乗って世界中を旅したいなぁって、子供のころ夢見たことありません?


 根が無邪気な彼女らしい素朴な質問だ。

 どうでもいい質問なので適当に答えてもいいけれど、これが意外にも琴線に響いてくる。


 ――まあ、子供のころはね……。


 昔の俺はそうだった。いくら早くから人生を悲観し始めるタイプの小学生だったとしても、少なくとも今の俺よりはもっと夢にあふれていたはずだ。それがどんなに荒唐無稽で実現する可能性に乏しい夢だったとしても、心のどこかでは絶対に叶うと信じ、あるいは願っていた。

 空に浮かんでいる白い雲に乗ってみたいとか、雨上がりの虹を追っかけていればゲートのようにくぐることができるんじゃないかとか、学校のプールが甘いゼリーやプリンで満たされたらいいのになとか、いかにも子供じみた夢の数々。

 大人になれば夢はおろか、ちょっとした冗談でさえ口にすることがはばかられるようになる。誰に言われたわけでなくとも「まともな人間にならなくては」との強烈な自己暗示が、必要以上の力で馬鹿げた言動を抑え込ませる。

 ありもしない他人の目におびえて、気晴らしさえも自由にできない。

 正体のないストレスと日ごとに増えていく後悔とプレッシャーだけを、いつまでも消化できずにため込んでいく。

 子供のころの自分が「イルカに乗ってみたい!」などと年相応に思ったことがあるのかどうかなんて、今ではもう全く覚えていない。けれど、絵本か何かで浦島太郎の話を聞いてからというもの、何があっても亀にだけは乗りたがらなかったのを思い出した。

 海の底にあるという竜宮城まで息が続かないで、亀の背中に乗ったまま途中で溺れてしまいかねない。肺活量が少なくて声も小さい俺なので、それをよく職場でも注意されている。しかも土産に渡されるのが玉手箱だ。期待して箱を開くや否や、もわもわとした煙に包まれ一瞬で年老いるその話が、人生の大半を自分以外のための時間に奪われる会社勤めの今は、より一層ぞっとして感じられる。

 うまい話には裏があるとの箴言しんげんもあればこそ、どれほど強い欲に飢えていようとも、知らない誰かに渡された箱を自分から開きたくはない。玉手箱のように豪華な贈り物であっても、絶対に。

 あの時いい思いをさせてやったんだから……なんて言われて、大量に利息が積み重なった好意を取り立てられる日がいつか来るとおびえればこそ。

 だからこその不戦勝なのだ。

 びっくり箱でも喜んで開けるタイプのリンゲちゃんなら、負けようが何かを失おうが前進をやめない種類の人間なのかもしれないなと憧れ半分に思っていると、返信がきた。


 ――イルカさんって人前でショーするくらい頭がいいみたいですから、いつか人間も背中に乗っけてくれるかもしれませんね。今は元気に競馬やってくれている馬だって、昔は人間を乗せてくれなかったそうじゃないですか。


 ――乗せてくれなかったというか、乗るのが難しかったというか……。


 ――ん?


 ――いや、ほら、安全に乗馬するための技術や道具ができるまでは馬に直接またがるんじゃなくて、馬にひかせた車みたいなものに乗っていたって話を聞いたことあるよ。とはいえ馬と同じようにイルカの背中に人間が乗れるかどうかは別の話って感じがするね。なにせ陸と海だし。


 ――ふーん。


 せっせと書いた長文をそっけなく聞き流すリンゲちゃん。反応が薄いところを見るに、話題を振っておいて自分のほうでは興味がなかったのか、あるいは何か別の考え事でもしていたのか。

 頑張って損した。

 ローマ帝国時代の戦争では馬にひかせた戦車が用いられていた、などという世界史の豆知識と同じように、義務教育の期間にあれだけ詰め込んだ知識の大半は大人になると使いどころがわからなくなるというか、卒業すると同時に年々ちょっとずつ確実に忘れていってしまう。

 大学での専門的な勉強も、現実的には卒業証書を受け取るためだけの試練だ。学生の内から将来を見据えて仕事の役に立つ知識や技術を蓄えていた志の高い人たちのことを、今さらになって見習いたくなるほどには。

 しばらく返事がなく、黙った彼女。

 何かと思って待っていれば、急に真面目な文面が来る。


 ――知ってますか? これは聞いた話なんですけど、一部ではイルカショーとかに対しても動物虐待なんかで批判の声もあるそうですよ。イルカも楽しそうだし私も楽しいんですけど、やっぱり考え方って人それぞれなんですね。うーん、その理屈だと犬にも芸を覚えさせちゃいけないんでしょうか。


 ――どうなんだろ。警察犬とか盲導犬とかは大活躍しているけど、動物愛護の観点から考えると人間のために動物を働かせているわけだから、少なからず批判の声もあるかもね。もちろん逆にそういう活動を支援する動物愛護団体とかも多いだろうから、あれだよ、動物を大切にするって気持ちを根底では共有していても、それが表に出てくるときの考え方は違うんじゃないかな。


 ――お仕事してる動物が苦しんでないか、ちゃんと楽しそうかどうか、無理をさせていないか、そういうことを考えていくと、ちゃんと動物を大切にできているかどうかってわかるんでしょうね。そうじゃなかったら虐待です。生き物じゃなくて道具扱いです。それってひどいことだと感じます。


 ――ひどいというか、生きている動物を道具扱いするなんて今の時代は許されないことだよ。どんな動物だって大切な命だからね。でも最近の動物園や水族館は本当に動物たちのことを一番に考えていて感心するよ。たとえばね、これはテレビで見た話なんだけど……。


 ――待ってください。


 と、せっかくだから俺が水族館に関するうんちくの一つでも教えてあげようかと思って文章を考えていたら、いきなりリンゲちゃんが話を遮った。

 そして突然にも思える質問が投げかけられてくる。


 ――お仕事どうですか?


 ――え?


 ――楽しめてますか? つらくないですか?


 どんな立場から、どんな温度で、なのかはわからない。

 だけど真正面からこちらの目を覗き込んでくるような質問だ。あくまでも雑談の一つと受け取れるくらいの軽い調子で尋ねてくれているけれど、ふざけているわけではないのかもしれない。

 楽しめているか?

 つらくないか?

 そんなの決まっている。わざわざ改めて真剣に考えるまでもなく、すでに明確な答えは胸にある。だが、さすがに年下の少女に向かって馬鹿正直には答えられないでいると、追い打ちをかけるようにリンゲちゃんが問いかけてくる。

 ごく当然のことを提案するようにして。


 ――辞めちゃダメなんですか?


 何度も何度も考えた。いつもいつも考えている。

 だけど結論は今のところ一つだ。


 ――駄目だよ。


 今、ここで仕事を辞めたら負けだ。不戦勝ではない。

 生活のための収入はなくなるし、知り合いを頼って仕事を斡旋してくれた父に申し訳が立たないし、大学生のころの就活で苦労した俺だから、次の仕事探しだってうまくいくとは限らない。職歴が浅いまま若くして無職となれば、格段に世間の目は冷たく厳しくなる。なにより自分が自分のことを許せなくなるだろう。

 みじめさよりも、焦燥感よりも、社会に対する漠然とした罪悪感や申し訳なさが自分を責めるようになる。

 やがて希望さえも失うに違いない。

 もう立ち直れはしないと、圧倒的なまでの絶望感が心を覆いつぶすに決まっている。

 そして俺は本格的に人生の敗残者となる。

 辞めたいというのは口癖だ。つらいとき「死にたい」と口にするのと同じように、隠し味程度に願望が含まれているにせよ、本気で実行する気はさらさらない。その先に今より明るい未来を想像することができない限り、いつまでも次の世界へ向かうための扉を開く決断などできない。

 あまりにも成功体験が少なすぎるから、今よりも条件のいい幸せな未来を想像するよりも、現状より悪くなる不都合な状況しか思い描けない。

 何をするにも足や腰が重くなるわけだ。


 ――そーですか。だったらせめて今日は精一杯付き合ってくださいね! 今の気分だと、私すごくクラゲとか見たいです! ふわふわ漂ってるクラゲの真似をして、リラックスな生き方を習得するってどうですか!


 ――クラゲの真似してリンゲちゃんがおとなしくなってくれるなら、俺は賛成かな。


 ――おとなしくはなれませんね……。だって久しぶりの休日ですし、喜んじゃってますから。


 ――なら仕方ないか。


 ――はい!


 つい先ほどまでは落ち込みがちの暗い気分だったけど、底抜けに楽しそうにする彼女とスマホ越しに文字だけの会話を続けていたら、なんだか元気になってきた。水族館の魚は正直どうでもいいが、どんな魚が泳いでいるかという話を聞いて、いちいち大発見のようにはしゃぐリンゲちゃんの相手をしていると俺まで幸せな気持ちになってくる。

 どうせ明日には消えてなくなる中身のない多幸感だろうけれど、まだまだ自分にはこんなポジティブな気持ちが残ってくれているんだと知れるだけで救われる。

 ……けれど、だからこそ疑問だ。

 なんでリンゲちゃんはくたびれた社会人に過ぎない俺なんかと話したがるのだろう。

 共通の話題さえない俺と休日を過ごしたところで楽しくはないだろうに。

 ただの暇つぶし扱いでリンゲちゃんに都合よく使われているだけなら、実にわかりやすい関係であるし、相手をしていて気も楽だ。なのに彼女はわがままをたくさん言うくせに俺には優しい。だから泣きたくなる。彼女のことを人間として好きになるとか、恩人として感謝をするとかよりも先に、なんだか弱くなっている自分を痛感させられる。

 痛くて、痛々しくて、とんでもなくすがりたくなってくる。

 だから俺は彼女に会いたくないでいるのだ。

 彼女の顔や姿、声さえも知らずにいたいのだ。

 スマホで元気よく励ましてくれる彼女のそばにいたい――そう願う自分の存在に気が付くたび、その願望を振り払うのに躍起になる。今よりも一歩でも先に彼女へと精神的な部分で近づくのを恐れている。

 いつか必ず大人になった彼女が俺のそばを離れていくとき、おそらく彼女に精神の安定を依存しつつある自分がすべてを失って、今度こそ致命傷を負うだろうから。

 これ以上のダメージを許容できないであろう、今にも消えそうな脆弱ぜいじゃくなる魂しか残っていない自分の前では、あたかも血のつながった妹のように親しく接してくれる彼女は果たして天使か死神か。

 答えは出せない。きっとどちらでもあるから。


 ――お願いしていた件はどうなりそうですか?


 手元でピコンと通知音が鳴って、不意に尋ねられたので呼吸が乱れた。

 つまらぬことを考えていたと思われたくなくて、何事もなかったかのように明るく返事をしたくてもできず、思い出すまでに多少の時間がかかった。


 ――お願いの件というと、あれかな。俺の記憶が確かなら、今度ある体育祭の話だよね?


 ――そーです、それです。忘れずに覚えてくれてますね、嬉しいです。ちゃんと応援してくれます?


 ――まあ、そんなに難しいことじゃないからね。


 お願いというのはずばり、リンゲちゃんの学校で五月末に開催される体育祭の応援をしてほしいという話だ。

 こうしてスマホで友達みたいに雑談する関係とはいえ、保護者でもない俺が女子高生の応援をするため体育祭に出かけるのは難しい。一応は仕事をしていて身元がはっきりしている社会人とはいえ、日々の生活で疲れ切って覇気がなく、高校生の親というには若い見た目の冴えない成人男性が一人きりで校内に入っていくと、さすがに不審者扱いされるだろう。

 なので、実際に学校まで足を運んで応援するという話ではない。

 体育祭がある日にスマホを使って、今日のようにオンラインで彼女の応援をしてほしいという話なのである。

 観客席や保護者席からではなく、彼女にだけ届くように彼女のスマホへ応援を、とのことだ。

 保護者の代わりとして何かの競技に参加させられるわけでもなく、顔を見せに高校へと足を運ぶ必要もなく、ただ家にいてスマホから応援するメッセージを送るだけ。

 簡単というか、それだけでいいんだろうかと思えるくらいだ。


 ――本当は学校まで来てほしいんですけどね。私と塚本さんとの間柄ですから。


 ――うん、まあ、本当はね。


 数年分の付き合いに裏打ちされた信頼感を乗せて言われては、行きたいとも行きたくないとも言えず、返事を選ぶのも難しい。

 何でもないように彼女の語る、俺と彼女の間柄。

 たぶん、単純な友達といった仲ではないだろう。

 俺が彼女、古橋凛華ふるはしりんげという十歳近くも年下の女の子に出会ったのは、なんとか留年をせずに無事に大学四年生となったばかりの四月ごろだった。当時所属していた小成さん主宰のひきこもり支援サークルで、年度が替わって新しく俺が担当することになったのが彼女である。


「ただ、すごく手ごわい子なんだ。私も会いに行ったんだけど、なかなか口を開いてはくれなくてさ。相手の顔が見えないスマホならいいけど、直接は誰とも会いたくないみたい。ということで、塚本君にはスマホのメッセージアプリを使って彼女の話し相手になってあげてほしいんだ」


「もちろんいいですよ。画面越しの文字のやり取りなら平気でも、顔を合わせてしゃべるのは苦手って子もいるでしょうし」


「うん。もしかしたらさ、ちゃんと生きてるように感じる普通の人にプレッシャーを感じちゃうのかも。だから、どこかの部分で弱さを共有してくれてる人のほうが信頼できるんだよ」


 それなら、たぶんこのサークルの誰よりも俺が一番ふさわしいだろう。

 苦労しつつもリンゲちゃんと会うことができた小成さんによれば、そのころ小学六年生だったリンゲちゃんは学校へ行かず不登校になって三年の月日が経過しており、得体の知れない不安に押しつぶされつつあった本人もあきらめていたのか、きつくカーテンを閉め切った暗い部屋から一歩たりとも出られず、学校に復帰するのは難しそうな様子だったという。

 あまつさえ支援を担当することになった俺のほうでも熱心に彼女を一般社会に復帰させることを主眼には置いていなかった。なにしろ当時の俺はすでに不戦勝気質で、大学に進んで就職した先にどんな幸せが待っているのか信じられずにいたからだ。

 そんな俺が会話の相手となってしまったからか、最初は「はい」とか「いいえ」とか最低限の返事ばかり書いていた彼女。日数が経過して少しずつ言葉数が増えてきても、やはり遠慮気味な態度は変わらなかった。

 誰かを恨みにも思わず、唯一はっきりとしているのは、この世界から「消えたい」という願いだけ。

 思い返せば、俺なんかは単純に「周りとなじめなかったから」程度の理由で自分に絶望して登校拒否に陥っていたものだが、それをそのまま悩める彼女に押し付けるのは違うような気がした。人それぞれにパーソナリティも環境も違えば、どこの誰にでも当てはまる公式じみた一般論は机上の空論でしかありえず、それを強引に受け入れてしまえるのがエゴの弱り切った者の悲劇なのだ。

 普通の側に片足でも入っているこちらからの「こうなんでしょ?」を、いや違うとは言えなくなる。

 そうしてメディアでも世間でも、一般的な「ひきこもり像」が作られていく。

 一度レッテルが完成してしまえば、それを剥がすのは難しい。

 たとえば俺と彼女とは、ひきこもり経験者という意味では同じだろうけれど、だからといって同じひきこもりと呼べるのだろうか。

 自分が特別だとは思えないけれど、かといって一般論のそれと一致するとも思えない。多数派でもなく少数派でもなく、オーソドックスでもスペシャルでもない。

 俺と彼女に共通項はあるのだろうか。

 もっといえば、俺と世間の間に。

 大学四年時の俺は三年の終わりごろから取り組み始めたエントリーシートの自己PR欄をちっとも書けずに、同学年の誰よりも就職活動が停滞していた。今までの人生で努力したこと、大学生活で学んだこと、これからの自分がやれること、詳細な志望動機や目的意識など、悲しいくらいに空虚で冷え切っていた。

 それでも単位欲しさに取り繕ってきた論文を書くような気分で自分を着飾りながら長文を書くたび、あまりの白々しさに我ながら乾いた笑いが止まらなかった。

 己の口下手さやコミュニケーション能力のなさによって、まさか社会人生活の入口にさえ立てずにつまずくとは、他者と関わらずともそれなりに生きていけた子供のころは想像もしなかった。

 俺はうまくないのだ。生きるのも、ただ生きているのも。

 他の人はどうなのだろう。

 みんな、うまく人生をやっているのだろうか。

 思えば、それまでの俺はひきこもり支援サークルの名目で人生がうまくいっていない子供たちを相手に何度も無難なく交流することができていたが、最後に担当することになったリンゲちゃんは違った。初めてのあいさつはもちろん、真面目な相談や雑談などを繰り返し、何週間もやり取りを重ねても思うように会話がはかどらず、いつしか彼女が就職活動で俺を試したがる面接官の姿に重なって見えてきて気が滅入った。

 これまで関わったことのある女子小学生は自分が小学生だったころの同級生くらいで、同性とさえろくに言葉を交わさなかった俺の場合、ほとんど例外なく友達としては受け入れてもらえなかった。

 そんな俺が普通の人間でさえ対処に困るであろう不登校の女の子を励ませるわけがなかった。


 ――どうせ……。


 人生投げやり状態の捨て鉢マインドに毒されていた俺はそのとき、スマホの向こう側で部屋の片隅に座っているであろう小さな女の子に向かって泣き言を吐き捨てた。


 ――どうせ俺が何をしたって、他の誰かがもっとうまくやるんだ。大学まで出たって駄目な奴は駄目なんだよ。なんで生きてるんだろうな。どうして死にたくないんだろ。ぎりぎりのところで傷ついて、何を得るでもなく心がやせ細っていくだけなのに。


 何かに期待しているわけでもなければ、誰かに期待されているわけでもない。

 スマホでさえ口数が少なく、いつも部屋にこもって膝を抱えて、誰に対しても心を閉ざしているというリンゲちゃん。そんな彼女だから、いつまでたってもどうせ俺には心を開いてくれないだろうと諦めていた。文章能力のない俺が必死に考えて送ったメッセージなど、心に響かないだろうと勝手に決めつけていた。

 一般論が通じない子供の扱いは難しいと思いながらも、所詮は物事の道理や理屈のわからぬ子供が相手なのだと、持て余す一方で軽んじていた。

 ゆえに俺は人に言えない弱さや卑怯さを彼女に対して隠す必要性を感じなかったのだ。一人でキャッチボールをするための物言わぬ壁とみなして、彼女の反応を求めることなく言葉を放り投げたに過ぎなかった。

 だけど彼女はその時、初めて俺のそばに寄り添ってくれた気がした。


 ――私もそんな感じです。


 なら、そうか。

 コミュニケーションが不全で表面上のやり取りがうまくいかなくても、根本のところで同じなら、それでいい気がした。その場その場の盛り上がりや円滑な会話のために無理をしなくなった俺は、ようやく彼女の友達になれた気がした。

 もう未来がないと思いつつも「死にたい」じゃなくて「消えたい」と願ったのは、誰にも迷惑をかけず、世間への影響を限りなくゼロにして自分を終わらせたかったから。

 だから、それが何であれ、俺との間に少なくない絆が生まれたからには、彼女はもう消えたいと願わなくなった。

 日常生活の合間にスマホを触って、たまにとりとめのない言葉を交わすだけ。

 何が支援か。

 出来損ないの大学生とは、当時の俺のことを言う。

 なのに彼女は俺が何か言葉を送るたびに、ただそれだけで嬉しそうにした。

 小学生の間どころか、中学校での三年間も結局一度として学校に行かなかったリンゲちゃん。けれど、大学を卒業してからも彼女との関係を断ち切れずにいた俺を友達や家庭教師のようにして勉強に力を入れて、軽い運動のため外にも出るようになってひきこもり生活を少しずつ改善すると、ついに高校への進学を契機にして人生をリスタートしてみせた。

 今では毎日登校するようになって、入学してから早くも一か月が過ぎていた。五月病という言葉があるように、そろそろ精神的な負担を抱え始める頃合いかもしれない。

 何か一つでも彼女のために支援できることがあるのなら、できる限りで積極的に協力してあげたい。

 俺なんかの人生よりも、ずっと貴重な彼女の未来のために。


 ――そんなことはないだろうけどさ、もし本当に行くってなったら普通はジャージを着て行くものなの? 保護者とかの服装って規定はある?


 ――やる気は認めますが、生徒じゃないのにジャージはさすがにダサいですよ。うーん、びしっと決めたスーツはかっこいいですけど体育祭には似合いませんね。


 ――そっか。


 ――あ、そうだ! 優しい私が素敵な服をコーディネートしてあげますよ。写真で送ってください。リアル等身の着せ替え人形です。


 ――遊ばれている感じもするけど、悪い気もしないね。もし今後どこかに出かけるなら、着ていく服はリンゲちゃんに選んでもらえるのが一番安心かな。


 たとえ休日でも外出するときは無理をして学校の制服を着ていた中高生のころならともかく、大人になってからの私服は何を着ていればいいのかわからない。

 若作りをしても、年寄り臭くても、全部自分には似合わない気がして。


 ――あー、でも私って自分で言うのも恥ずかしいくらい長らくひきこもり生活でカビの生えたインドア女子ですからね。ファッションセンスがたぶんダメですよ。


 そう言われてみれば確かに否定はできないだろう。前に画像で服だけ見せてくれた休日ファッションはパジャマみたいな普段着だったので、センスのない俺の目から見てもあんまりおしゃれとは褒められそうにない。

 だけど彼女くらいの地味で落ち着いた感じが俺にはちょうどよくて、生き方を含めて、無理な背伸びは望ましくないと思えてくる。

 普通の女子高生が服にどれくらい興味を持つものなのかさえわからないけれど、リンゲちゃんのファッションを馬鹿にする人がいたら世間のほうが間違っている。

 そういうことにしておこう。


 ――いやいや、そんなことないよって励ますとこですよ、これ。


 ――あっ、そんなことないよ。


 ――今言うとそれなんか違います。そんなことないよがそんなことないよで打ち消されちゃいます。


 そういうとこなんだと思って慌てて送ったら不満が届いた。

 なんだかよくわからないな。良くも悪くも青春を取り戻そうと全力で女子高生をやっているリンゲちゃんはスマホだとテンションが高くなりがちというのもあるけれど、彼女が相手でなくとも同じように困難であり、他人との会話で言葉の裏にある機微を読み取るのは苦手だ。

 オブラートに包まれた薬が実は毒物であったとして、味も匂いもわからぬ俺はそれを喜んで飲むだろう。時にはうっかり感謝さえしながら。

 真綿で首を締めるような、というのはいいことと悪いことのどちらに使われる言葉だったろうか、と益体もなく考えていると、次第に腹も減ってくる。水族館も満喫したのでそろそろ帰りたい。


 ――まー、とにかく。今日はありがとうございました。今度の休日もまた……いや、今日は今日の話だけをするんでしたっけ。


 ――そこまで気を遣ってくれなくても大丈夫だよ。


 ――いえいえ。気を遣いたくなるんですよ。元気でいてほしいですから。


 そういうものかもしれない。

 だったら、だからこそ俺も彼女を応援しよう。

 リンゲちゃんが元気でいてくれて、いつもの努力を彼女がちゃんと発揮できるように。

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