第17話 海の匂い


 滝の下でサヤと話した日はうららかな春の日だった。


 山桜が咲き、野の花も乱れるように咲くようになった。


 動物たちも動き出し、躍動感に溢れていた。


 ミケヌは仕事が終わってからサヤと話をした。


 ふたりきりで話すのは初めてだった。


 サヤがミケヌのことをどう思っているのか、皆目わからない。


 滝の水が勢いよく流れる。


 ちょっと熱いくらいだった。


 水浴びにはちょうどいい。


 サヤはミケヌに呼ばれてきょとんとしていた。


 ミケヌは息を詰まらせてやっとの思いで話した。



「サヤはどこに行ってみたい?」


 サヤは短い前髪を揺らしながら微笑んだ。


「遠くの海かな。久米兄さんたちが行っている南の島とか」


 ああ、やっぱりそうなんだ。同じように思っているんだ。


「僕もそう思う。南の島に行ってみたいよね」


 瞼の裏には南の島の風景が映し出される。


 海の匂いを感じてみる。


 波というものがどんなものなのか、感じてみる。


 いつか、サヤと行ってみたらいいな、と思う。


 ここで暮らすのもいいけれどもどこか遠いところへ行ってみたいな、と思う。



「海の匂いってどうなんだろうね」


「きっと辛いのよ。すごく」


 サヤがそういうものだからミケヌはプッと吹き出した。


 サヤが何がそんなにおかしいの、と言いたげな顔をしている。


「どうして、そんなにおかしいの?」


 ミケヌはやっとの思いで言えた。



「同じようなことを考えていたから。それが何かおかしくて」


 サヤも同じように笑い出した。


 しばらくの間、ふたりの笑い声が響いた。


 仕事を休んでこうして話すのもいい。


 キハチが知ったら怒るかな。


 滝の水がサヤの髪の毛に当たった。


 ミケヌの頭にも濡れた。


 こんなところで話したら濡れてしまうに決まっている。


 ちょっと場所を変えたら良かったのかもしれない。


 サヤとずっと話せたらいいな、と思う。


 このまま話続けられたらどんな願い事も放棄してもいい。


 さすがにそれは言い過ぎか。


 サヤは含み笑いをした。



「ミケヌはきっとすごい人になれるよ。塩筒の爺がそう言っていたもの。『あの子はきっと今にも大物にもなれる』って」


 またその話だ。


 どうして、みんなそういうのだろう。


 ミケヌは不思議な心持になった。


 この村でひっそりと暮らせたらいいんだ、と思うのにみんな期待しているんだろうか。


 滝の水で体中が濡れてしまうとふたりは立ち上がって村へ戻った。


 村に戻るとキハチが怪訝な顔をして立っていた。



「サヤ、ミケヌ、どうしていたんだ?」


 ミケヌは何も言えなかった。


 ふたりで話していたなんてキハチに言ったら大ごとになると思ったからだ。


 とはいえ、すぐにばれた。


 キハチは案の定、怒りだした。


「あの滝は深くなっているから危ないんだぞ。いいか、わかったか」


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