元々の私は超がつくほどマイナス思考だった
呂兎来 弥欷助(呂彪 弥欷助)
長年悩んだ私の結果
『私は、何者なのか?何の為に生まれてきたのだろう?』
誰もが一度は考えたことがあるんじゃないだろうか、と私は思う。
結論から話すと、『何の為に生まれてきたのだろう?』は、【人は皆、幸せになる為に生まれてくる】と思っている。
そして、今の私は自作の長編を完結させる為に生きている。100万文字が見えてきた。嫌だ、嘘だと言ってくれ。
とりあえず、今の私は結構、楽観的に生きている。
生きててナンボ、生きているって奇跡だな~と思っている。
けれど、元々の私は超がつくほどマイナス思考だった。
『人間変わらない』なんてよく耳にするけれど、私は自分自身を180度変わったと思っている。
もっと言えば、『人間変わらない』なんて【変われないヤツの言い訳だろ】くらいに思っている。
なぜ、人は変われないのか。
答えはかんたん。
皆、『変われない』という暗示にかかっているだけだ。
さて、私が冒頭の悩みを抱えていたころの話をしようと思う。
結構暗~い話ばかりが出てくる。
読みたくない人はバックブラウザ推奨。
私が一番初めにその考えを抱いたのは、恐らく十歳になる前。
理由はかんたんに言えばいじめにあった。
まぁ、私のエッセイを色々読んで下さった方や、私と付き合いの長い方は色々と知っていると思うので、この話は割愛する。
で、そこから多分、二十八歳くらいまでは何度もその思いで躓いている。
実際、実家を出た二十歳のときには『いつ命尽きてもいいように、迷惑を最小限で済ませられるように』と【生きる】とは逆方向にベクトルを張って生きていた。
実家にいるころは『幸せ』とは程遠く、それはそれは殺伐とした雰囲気の家庭環境にいた。
よく生きていたと思うし、よく犯罪者にならず自制心を保っていたとも思う。それは、一重に創作に勤しんでいたからだな~とも思う。
母親は七歳前で家にはいなかった。
両親の離婚だ。父に言われずとも、何となく子どもは察するもので『いない理由』は何となくわかっていた。
まぁ、母の話も色々とあるので割愛しよう。とりあえず、私の宗教アレルギーは母親のお陰とも言っておく。
一先ず、母親に親権だか何だかがあると知った未成年のときは、本当に恐怖だった。
私が二十歳になって一番うれしかったのは、そこだ。【これで、母親のもとへ引き取られないで済む】その安心感だけだった。
ああ、実家の話はこのくらいにしておこう。うん、色々と割愛する。文字数がないのと、実家を出る前の話は私の記憶の時系列がぐちゃぐちゃすぎて収集つかなくなるのだ。申し訳ない。
十八歳になる年、バセドウ病が発覚。
自立したくて高卒で就職したけれど、通院を理解してくれない先輩たちが多くてそれはそれは大変だった。
高校時代のアルバイトが楽しかったけれど、働く楽しさもわからなくなってしまって、会社を辞めた。
会社は辞めたけど、正社員だったので運よく貯金はあったから実家を出れた。
少し経ち、私には恋人ができるのだが……結論を言えばその人と別れ少し経つまで私の精神はズタボロになった。
創作しかできないくらいの私がペンを握ると涙が止まらなくなって、創作活動できなくなったくらいにおかしくなった。実際、私はその後、十年以上創作活動から一切離れている。
実際、別れてから三日間、私は飲まず食わず、眠れず……という、ルームシェアの住人が心配しまくるほどの状態だった。
貯金もスッカラカンである。あははは……本当、自分の見る目のなさに情けないったら。
さぁ、まだまだ書いていない、もっと重い、そして書けない内容の重い話も多々あるけれど、とりあえず、私の転機は……恐らく、上記の恋人と別れたことである。
本当、別れてよかったよ、私! と全力で叫びたい。
そうして、今の配偶者と出会う。……はい、めでたく結婚しましてね。干支が一周しましたかね。うん、色々とありましたけどね、今はこうして深夜に執筆できるくらいには平和環境です。バンザイ。
結婚する前後に、ちょっとしたキッカケがありまして霊柩車を運転している方のブログを拝読したんです。
そこから、ちょっとした宗教っぽいお話もありまして……宗教アレルギーな私ですが、その教えを色々と読むようになったんです。
●●教や宗派など色々とありますけど、色々と読むと、結局は行きつくところは同じなんですよ。
【人はいつか必ず死ぬ】
それだけです。
どんな嫌な人生であれ、【いつかは必ず終わる】んです。
ええ、だから、自ら進んで終わらせる必要もないんだと気づいたわけです。
どんな嫌な人であれ、【いつかは必ずこの世からいなくなる】んです。
はやいか、遅いか、だけです。
……そう思ったら、どんなに嫌な上司でも先輩でも、順番から考えたら私より【先にいなくなる可能性】がちょっと高いんですよ。
いや、人間、いつ終わりがくるかなんてわからないですけど、年齢だけで考えたとしたら、そういう可能性がちょっと高いわけです。
そう考えるとね、【いつかは会えなくなる】この人のこと、ちょっとはやさしくしようかな……なんて思えてくるわけですよ。不思議と。
だって、どっちが先であれ、【いつかは会えなくなる】んですから、必ず。
宗教系の本を読んで、私はどこかの教えを推すことはまったくなく。
こんな感じで自分なりに解釈と消化をしていって……気づけば180度人間が変わった気がします。
言うなれば【自分教】ですね。
ぶっちゃけ人は信用していないけど、自分のことだけは信じています。軸を自分に持つのは、揺らがなくていいですよ。自分本位はオススメできませんが、信じる軸は自分に置くのはオススメです。
これだけで、依存体質の人が寄って来ても離せます。
ああ、基本的に人を信じるときは【裏切られてもいい】と思うときだけです。
よく笑えるようになったし、『幸せそうだよね』と皮肉を言われても、
「ありがとうございます~!」
と、返せるようになったし、不幸と見られるより全然いいじゃん! と思えるようにもなったんですよね。
他に大きな変化は、ちいさいことで満足できるようになったことだと思います。
【もっとこうだったら】と思わず、たとえばご飯がおいしかったとか、お腹がいっぱいだとか、そういう『普通』のことがありがたく、うれしく、感謝して過ごせるようになりました。
次に、人のせいや人を変えようと思わなくなりました。
自分の行いを変える方が楽だし、可能なんですよ。
などなど、上げればキリがないです。
そんな私ですが。
バセドウ病が安定し、一生服用かなと言われていた服用を止め、寛解してから干支が一周くらいしました。
ただ、とある病気の疑惑が浮上してから今年で五年目。
細胞の検査を半年~一年の感覚で受けていますが……疑惑が晴れません。ううう、めっちゃ痛いときがあるから、この検査嫌なんですけど、仕方ないです。
疑惑が浮上したとき手術の可能性がと言われ覚悟し、なんなら『生きてもあと三年くらいかな』なんて余命まで覚悟しました。
今はボーナストラックです! と思っています。
普通に働いて、普通に食べて、こんな夜中に執筆できるほどの普通の生活をしている奇跡が継続しています。
どんなことがあっても、とりあえず、生きているだけで◎!
折角生きているんだから、幸せになろう!
これが長年悩んだ私の結果です。
読んで下さり感謝。
色々と思うところがあると思いますが、よければ長編応援してくださると大変喜びます!
元々の私は超がつくほどマイナス思考だった 呂兎来 弥欷助(呂彪 弥欷助) @mikiske-n
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
そうだ、音楽の話をしよう/呂兎来 弥欷助(呂彪 弥欷助)
★5 エッセイ・ノンフィクション 連載中 14話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます