顔も知らない

硝水

第1話

「お隣さん、いったみたい」

 天井から吊るされたディスプレイに目を走らせる。彼からのメッセージだ。

「いよいよ他人事じゃなくなってきたね」

 視線を動かして返事を打ち込み、送信する。看護師達が陰で最終処分場と呼んでいる(まだぼくの耳が聞こえた頃の話だが)、この狭い六人部屋で、ぼく達はふたりきりになってしまったようだ。心配しなくとも来週には新しく延命措置を望む患者が入ってくるだろうけど。

「縁起でもないこと言うなって」

「ただの事実だよ」

 唯一の話し相手である彼は夢なんか見せてくれないし、ぼくだってそうだ。彼に夢なんか見せてあげられない。ぼくらに見えるのは息の詰まる病室と、互いの言葉だけ。

「僕だって君だっていずれ死ぬんだ」

「身も蓋もないことを」

 そこまで思っていて、なぜ彼は生き続けることを選んでいるのだろう。

「さて」

「さて?」

「いいニュースと悪いニュースがある」

「両方聞かなきゃダメかな」

「僕が両方話したい」

「じゃあ悪いニュースから」

「僕はもう治療費が払えない」

「べべぼ」

「大丈夫?」

 想像していたよりというかこの世でいちばん悪いニュースだった。彼が死ぬ、じゃあ、ぼくは。

「こんなに秒速の伏線回収は初めてだったもので」

「いいニュースを聞いて落ち着きなよ」

 彼の治療費を払える親族が見つかった、とかだったらいいのにな、と思う。でも彼はそういう話し方をするような人ではないと、もう知っていた。

「聞こうか」

「君は少し長く生きられるよ」

 は? 何度読み返しても意味がわからなくて黙っていると全く同じ内容のメッセージがもう一度届く。送信エラーじゃないって。

「は?」

 なんだそれ。なんだよ、それ。

「だから、僕の治療費に満たない分の寿命を売って、君の治療費に充てたんだ。ほんの少しだけどね」

 ぼくが精一杯怒りを込めて打ち込んだ二文字だって無機質な〇と一に変換されてしまう、今ここで、どうして。声を荒げられたら、胸ぐらを掴んで肩を揺すって、右の頬を殴れたら、ちゃんと伝わったのか? 眼球しか動かせない、こんなぼくじゃ?

「なんでそんなこと」

「そんなことしかできなかったから」

 そんなことならしてくれなくていい。それなら、それだったら、ぼくは。

「じゃあぼくは、残りの寿命を全部売ってきみを買う」

「どうして」

「文句を言うなら自分の行動を省みなよ」

「そんなことに何の意味があるの」

「そっくりそのまま返すけど」

 このまま生きたって、ベッドを仕切るカーテンを開けて彼の顔を見ることもできないんだ。それを選んだのはぼくだし、それは認めるけど。でももう。

「僕は君に死んでほしくなかった」

「ぼくだってきみに死んでほしくなかった」

 ナースコールを押す。寿命売却と送金手続を言付けて、メッセージタブをもう一度開く。

「おやすみ」

 彼からもすぐに返事が来た。

「おやすみ」

 何千回目かの、そして。ぼく達は(たぶん)揃って目を閉じた。

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顔も知らない 硝水 @yata3desu

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