第112話 陽キャ美少女とのデート④
「いい時間だし、そろそろお昼食べたいねー」
小動物エリアを出て、芹沢さんが腕時計を見ながらそう呟く。
つられるようにして、俺もスマホを確認してみると、時刻は12時前くらい。
なるほど。通りでお腹が空くわけだ。
「そうだね。どうする? このままフードエリアに向かってもいいけど、もう少し我慢して動物園全部回ってから外でどこか店に入る?」
「うーん……フードエリアでいいんじゃない? 個人的に行ってみたいお店とか結構あるけど、こういう場所で食べる機会っていうのも殆どないわけだしさ」
「それもそっか」
話がまとまったところで、俺たちはフードエリアのある方に向かって歩みを再開し始める。
「それにしても楽しいと時間ってあっという間に過ぎるよねー。もう1時間くらい回ってるのに、体感20分くらいって感じ」
「あはは、分かる。俺も楽しくて、今まで時間とか空腹とか全く気にしてなかったもん」
俺が笑顔を向けながらそう言うと、芹沢さんがなぜか「うぐっ」と胸の辺りを抑えた。
「ど、どうしたの? もしかして体調でも悪い?」
「い、いや! 大丈夫! そういうのじゃ断じてないから! ちょっと心臓にダメージがね」
「俺の笑顔ってそんなに心臓にダメージを負うレベルのものなの!?」
そこまで気持ち悪いものだったのか……。最近は多少はマシになったと思ってたんだけどなぁ……。
ガクリと肩を落としてショックを受けていると、芹沢さんが慌てたように両手を胸の前で振る。
「ち、違うって! そういうマイナスなあれじゃなくてさ! 急なファンサにときめきが……」
「ファンサ? ときめき?」
「あああああ! じゃなくて! あれがあれしてああなって不整脈的なあれが出ただけだから! ほんと気にしないで! 大丈夫だから!」
「う、うん……分かったよ……?」
急な不整脈って全然大丈夫じゃないような気がするんだけど。まあ、ここまで大きな声で話せるなら本人が言ってる通り大丈夫なのかな?
首を傾げていると、胸に手を当てて深呼吸して落ち着いていた芹沢さんが恨めしげな目で俺を見上げてきて、ぶつぶつと呟いてくる。
「まったく……ああいうことを平然とやってくるんだから、ほんとずるいんだよ」
「ええっと、ずるいって言われても、なにが?」
「ないしょ! でもムカつくから罰として可愛いって言ってもらうから」
「なんで!?」
理由を教えてもらえない上に罰ゲームを受けるって理不尽にも程がない!?
そんなこんなありながら、俺たちはフードエリアへと足を踏み入れた。
「やっぱ混んでるねー。ちょっと時間ずらせばよかったかな?」
「そうかもね。あ、でもほらちょこちょこと空いてる席もあるよ」
皆昼食時の混雑を避けるって考えは同じなのかもしれない。
とりあえず俺たちは空いてる席に向かい、財布やスマホなどは手に持って、他の荷物を席に置いて確保した。
「フードエリアって結構いろんな種類あるんだね。私もっと少ないと思ってたよ」
「俺も。これだけ種類あると迷うよね」
「わ、見て! ラーメンまであるよ!」
まるでファミレスみたいだ。
もしかしたらだけど、いろんな客層が来るからニーズに応えられるようになっているのかもしれない。
ここの動物園だけかもだけど。
2人でひとしきり悩んでから、俺はカレー、芹沢さんはミックスプレートのランチセットを頼み受け取ってから席に戻ってきた。
それから、俺は鞄の中からウェットティッシュを取り出す。
「はい、これ」
「ありがとー」
動物を触ったりする機会もあるだろうしと用意しておいて正解だった。
手を拭いてから、俺はカレーを口に含んだ。
うん、美味しい。ここのが特別美味しいとかじゃないけど、やっぱりカレーの美味しさはどこでも安定してるよね。
「それ、美味しい?」
適度に会話を挟みつつ、食事を進めていると、芹沢さんが尋ねてくる。
「うん? まあ、普通に美味しいよ?」
「ふーん、そっかー」
芹沢さんが自分の手元にある料理に視線を落とし、俺のカレーと見比べるようにしてから、にひっと笑みを浮かべた。
「ね、一口ちょーだい。私のと少し交換しようよ」
甘えてみせるような口調。あざとい。
そう思いつつも、特に断る理由もないので俺は皿を芹沢さんの方に軽く寄せる。
「いいよー。じゃあ、俺はこれを貰おうかな」
一通り吟味してから、俺はハンバーグにスプーンを近づけていく。
すると、「こらっ」と手が軽く叩かれる。
「え、なに? もしかしてハンバーグはダメだった?」
「違うって。そうじゃなくてさ」
俺が首を傾げていると、芹沢さんが箸でハンバーグを小さく切って、それを摘み、俺の方に近づけてきた。
「はい、あーん」
「………………あぁん!?」
いやこの人なにしようとしてんの!?
びっくりし過ぎて恫喝してる感じになっちゃったよ!
「いやいやいや!? なんでそうなるの!?」
「んー? 今日付き合ってくれてることへのお礼?」
「お礼って……そもそもこれって俺がやりたくてやってることだよ? それでお礼って言われてもさ」
「いいからいいから。これも私がやりたくてやってるんだよ。減るもんじゃないんだし、ここは受け取っておいてよ。美少女からのあーんなんてオタク的に超ご褒美でしょ?」
確かにそれは否定が出来ないけれども。
というか俺は別にただあーんされることに臆しているわけじゃない。
「で、でもそれって、か、間接キスになるし……」
「乙女みたいなこと言わないの。私、優陽くんなら全然いいよ?」
「うぇぇぇぇぇぇええええ!?」
まさかの間接キスを許容され、俺の喉から変な声が漏れ出てしまう。
それは俺のことを異性として好きというよりはただ信頼されているということなのだろうけど、うっかり勘違いしそうになるからあまりそういうことを平然と口にしないでほしい。
陽キャ、すぐに陰キャを勘違いさせるようなことを言う。
「い、いや……でもやっぱり……」
「早くー。腕疲れてきちゃった」
「あ、う、うん。ご、ごめん」
咄嗟に謝ってしまった。
なんだか周囲の彼氏早く食ってやれみたいな雰囲気と相まって、もういくしかない空気に。
……腹を括るしかないか。
俺は自分の中のスイッチを入れ、目の前に差し出されたハンバーグと対峙する。
ごくり、と喉を鳴らしてから、覚悟が揺らがない内になるべく箸を口に入れないようにして、ハンバーグを口に入れた。
「どう? 美少女のあーん付きハンバーグは? 付加価値もあって美味しいでしょ?」
「……正直味分かんねっす」
なにも考えないようにして急いで飲み込んだせいで味なんて感じている余裕がなかった。
ともあれ、これで山場は超えた。
そう思っていると、
「じゃあ、今度はそっちが食べさせてくれる番ね」
「ゑ?」
「あーん」
「………………あぁん!?」
また恫喝みたいになる俺をよそに芹沢さんが目を閉じて口を大きく開ける。
「いやいやいや!? さすがにそれはまずいって!」
「あーんされるよりする方がハードル低いと思うんだけど」
「箸であーんするのとスプーンじゃ間接キスのレベルが違うでしょ!?」
箸なら摘んだものを少し口に入れればいいけど、スプーンはもうガッツリと口の中に入れないといけない。
この差は些細なことに見えて、かなり大きな違いだ。
「私は気にしないよ?」
「俺が気にするんだよ! やるなら別のスプーン貰ってくる!」
「優陽くん。家事をするものとして、イタズラに洗い物を増やすのはいかがなものでしょうか」
「確かにそうかもしれないけど今その説教されるのはもの凄く釈然としない!」
男として人として正しい判断をしているはずなのに!
ただ、強情な一面もある芹沢さんのことだ。ここは絶対引いてくれないだろうし、やっぱり覚悟を決めるしかないのか……いや、待てよ?
「……分かったよ。じゃあ口を開けて」
「お。思ったより粘らなかったね。相変わらず覚悟決めてからの行動は早いね。感心感心」
「それからちょっと顔を上に向けて」
「へ? 上?」
面食らったように瞬きをする芹沢さんをよそに、俺はスプーンを片手に立ち上がる。
「よし、いくよー。はい、あーん」
「ちょっと待って!? もしかして上から流し込もうとしてない!?」
「その通りだけど?」
「いやそんななにか問題が、みたいな顔しないでよ! それは断じてあーんじゃない!」
「食べさせるという点に置いては変わりはない!」
「開き直った!? そんなの絶対に認めないからね!」
芹沢さんが頬を膨らませて徹底抗戦の姿勢を取ってきた。
「クッ、俺は間違えてないはずなのに……!」
「間違えだらけだよ! まったく、君って人はほんとに予想の斜め上に行くんだから」
だって自分が口に入れたスプーンを美少女が口に入れるんだよ?
大げさだって言われるかもしれないけど、陰キャ童貞にとってはそれくらい騒ぐことでしょ。
ここで堂々としてたらそれこそ乃愛からファッション陰キャ呼ばわりされちゃうよ。
とはいえ、これで完全に退路は絶たれてしまったわけだ。
もう本気で腹を括るしかない、か。
俺は緊張の面持ちでスプーンにカレーを乗せ、芹沢さんの口元へと差し出した。
「あ、あーん」
「ん。……うん、美味しい!」
「それはよかったよ……」
俺はげんなりとしながら、背もたれに深く腰を預けた。
なんだろう。歩き回るよりもドッと疲れた気がする。
「半年分くらいのMP使った気分だよ……」
「もー大げさだなー。でも、頑張ってくれてありがとね。えらいえらい」
そう言いながら芹沢さんが立ち上がり、微笑みながら、まるで愛おしいものを見るような目をして、俺の頭をよしよしと撫でてくる。
その笑顔を見てるだけでなんだかまあいいか、とか頑張ってよかったと思ってしまうのだから、悔しいことに俺は単純なんだろう。
……まあ、それはそれとして、さすがに替えのスプーンは貰ってこないとね。
芹沢さんが口に入れたスプーンを使う勇気は、とてもじゃないけど湧いてこなかった。
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