第93話 喪失

 皆で遊びに行ってから、早いことにもう1週間が経過し、色々あり過ぎた5月は過ぎ去り、6月に入った。

 

 普通に過ごしているだけなのに、汗ばむことが増え、どこか夏を感じさせる空気の中、今日も昼休みがやってきて、クラスが喧騒に包まれ始めた。

 

「おーい、優陽ー! 学食行こーぜ!」


 そんな中、喧騒をかき分けるように、石浜君が人懐っこい笑みを浮かべて、俺の元までやってくる。

 この1週間の間に、彼はこうして俺を食事に誘ったりしてくれるようになっていた。


「拓人も学食ー! 早く!」

「うるっせえな、そんなデカい声で呼ばなくても分かってるっての。あと慌て過ぎ」

「しょーがねえだろ! 学食の席取りは戦争なんだからよ! なあ、優陽!」

「あはは、そうだね」


 確かに昼食時の学食は座れるかどうかも怪しい。

 俺たちの教室は学食に近いから、その分アドバンテージはあると思うけど、早く行くに越したことはないだろう。


 そんなわけで俺たちは早速学食に訪れた。

 学食内は既にそこそこ賑わっているものの、ちらほらと空席も目立つくらいなので、この分なら無事に席は取れそうだ。


「お、優陽のハンバーグ美味そー。なあなあ、俺のラーメンのチャーシューと交換しようぜ」

「う、うん……」

「しれっと釣り合ってない取引持ちかけんな。あと優陽も断れ」

「冗談だって!」


 藤城君がツッコむと石浜君が大きな声で笑う。

 こんな空間の中に自分が混ざってるなんて、未だに信じがたいことだ。


 感慨に耽りながら適当に席に着くと、石浜君がコップに注いであった水を一息に飲み干し、「おかわり行ってくるわー」と席に座ることなく去っていった。

 忙しない。


「ったく、落ち着きのねえ奴だなぁ。声だけじゃなくて動きもうるせえ」

「あはは。けど、石浜君を見てると元気が貰えるよ」

「そりゃそうだけど供給過多過ぎるっての」


 藤城君がまるで胸焼けするとでも言いたげに胸をさする。

 それを見て笑っていると、視界の端に白いものが映った。


 反射的にそっちを見れば、乃愛が学食に入ってくるところだった。

 隣には芹沢さんと和泉さんもいる。


 すると、自然と学食内の生徒の視線が3人に向かうのが雰囲気と目に見えて分かった。

 まあ、学年どころか、もはや学校を代表すると言っても過言じゃない美少女が3人揃っていれば必然的にそうなるか。


 それとなく様子を見守り続けていると、乃愛たちは食券を買う為に券売機の列に並んだ。

 すると、近くにいた男女の混合グループ(確か同学年の他クラス)の人たちと芹沢さんと和泉さんが会話をし始めた。


 交友関係の広い彼女たちらしい。

 乃愛も乃愛で、頑張って会話に混ざっているみたいだ。

 この1週間で、乃愛はより一層意欲的に人と話すようになっていた。

 

(苦手なことでも、自分の好きなこと……ゲームのレベル上げだと思えば頑張れる、か)


 ゲーマーとして、よほどその考え方が性に合ったらしい。


 時々、距離感のラインが上手くいかずに近過ぎることはあるものの、今のところ、乃愛は上手く周囲に馴染めていると思う。

 

 やっぱり、周囲にダメなことはダメと教えてくれる人間がいるかいないかの違いが大きいのかもしれない。


「頑張ってるみたいだな、白崎」

「……うん」


 Vtuber関連以外の事情を知ってる藤城君も、乃愛の頑張りを見て口角を上げていた。

 この分だと、案外すぐに苦手克服出来そうな気がするなぁ。


 嬉しいのに、どこか寂しい気分になっていると、戻ってきた石浜君の声に、俺の意識はそっちに吸い寄せられた。






 

 放課後。

 俺が帰る準備をしていると、


「優陽くん」


 先に帰る準備を終えた乃愛が近づいてきて、声をかけてきた。


「あ、ごめん。すぐに準備するからちょっと待っててくれる」

「……今日は一緒に帰れないから、急がなくてもいい」

「え、そうなの? なにかあるの?」

「実は、皆で遊びに行こうって誘われたから、行ってこようと思う」


 思わず「え」という声が漏れてしまう。

 そういう誘いは今まで全部断ってきていたのに……。

 その乃愛が、このタイミングで誘いを了承したってことは、だ。

 

「……レベリングの一環でってことだよね」


 問いかけると、乃愛が無言でこくんと頷く。


「そっか。ちなみにそれって誰と行くの?」

「このクラスの数人と、別のクラスの数人。誘われたのは男子から。女子も数人集めて遊びに行かないかって」

「そうなんだ。ってことは、芹沢さんたちも一緒ってことだよね」

「……違う」

「え?」

「私1人で、行ってくる」

「………………ええ!?」


 1人で!? 

 俺の大声に、周りからの視線が集まったけどそれどころじゃない。

 そのままの勢いで声を出そうとし、咄嗟に音量のボリュームを下げながら、乃愛に囁く。

 

「だ、大丈夫なの!? せめて1人くらい誰かサポートでいた方がいいんじゃ!?」

「……いつまでも頼ってるわけにはいかないから。私1人でも、頑張れるようになりたいと思った」


 真っ直ぐな目だった。

 だからこそ、止めても止まってはくれないんだろうということが容易に伝わってきて、俺は言いかけていた制止の言葉を飲み込んで、そっとため息を零した。


「……なにかあったらすぐに連絡すること。あと、自分で少しでもおかしいかな、と思うことがあったらやらないこと。いい?」

「ん」


 完全に保護者のセリフだけど、それくらい心配だった。

 不安だけど、ここは乃愛の意思を尊重することにしよう。

 

 そうこうしている内に、クラスメイトの女子が数人「ごめんねー。ちょっと白崎さん借りるねー」とやってきた。

 連れて行かれる乃愛をぼんやりと見守っていると、乃愛が鞄に付けられた白猫を静かにぎゅっと握った。


 そのまま乃愛は、クラスメイトたちと一緒に教室から去っていく。

 教室から出る直前に、解放された白猫のキーホルダーがぷらぷらと揺れ、乃愛の代わりに俺に手を振っていた。


 それから、部屋に帰ってきて、どうにも落ち着かないまま数時間が経過した。

 外はすっかりと暗くなり、時刻は20時になろうとしている。


(……いくらなんでも、ちょっと遅過ぎじゃ……?)


 乃愛の性格上、帰ってきたら俺にメッセージを飛ばしてくるはず。

 なのに、それがないということは、まだ帰ってきていないということだ。


「……俺の心配し過ぎかな」


 もしかしたら、普通に楽しんでいて、夕飯も一緒に食べることになったりして、帰るのが遅くなってる可能性もあるしね。

 

 ……なんて考えてみたけど、乃愛がそこまで付き合うとも思えないわけで。

 結果として、俺はゲームに集中しようとしても集中出来ず、そわそわと落ち着かない時間を過ごすことになっていた。


 座ったままなにをするでもなく、落ち着かない気持ちで付けっぱなしのゲーム画面を眺め続けていると、テーブルに置いていたスマホが音を鳴らして振動し始めた。


「っ!?」


その音に肩を跳ねさせてから、慌てて画面もロクに確認せずに、通話に出る。


「も、もしもしっ!?」

『うおっ!? 声デカッ!? どうしたんだよ、そんなに慌てて』


 電話の相手は藤城君だった。


「あ、ご、ごめん。乃愛かと思って……どうしたの?」

『ちょうどその白崎のことで、ちょっとな。友達から気になる話が回ってきたから、一応連絡しとこうと思って』

「気になる話?」

『ああ。なんか、白髪の女の子がスマホのライト片手に川に入って、なにかを必死に探してるのを見たらしくてさ』

「川……?」


 白髪の女の子なんて、この辺でそう見るものじゃない。

 だとすれば、その友達が見たのは間違いなく乃愛だ。

 問題は、どうして川に入っているのかということだろう。


「……それ、どこの川か聞いた?」

『学校の近くのカラオケ店がある所だって言ってたぞ。お前らが住んでる方面とは真反対の方』

「分かった、ありがとう。ちょっと行ってみるよ」

『……オレも行くか?』

「……いや、大丈夫だよ。ありがとう」


 俺は電話を切って、必要最低限のものをポケットにねじ込んでから、部屋を出た。

 

 そこそこ距離のある道のりを信号以外ではほぼ止まらずに、少し早いジョギングくらいのスピード駆け抜ける。

 

 そのかいもあって、目的の場所である川にすぐに辿り着くことが出来た。

 

(……いた)


 周囲に目を凝らし、探すまでもなく、川の中心くらいに浮かんだスマホのライトがその存在を教えてくれる。


 この場で思い付く感想としてはそぐわないだろうけど、水の中に立ち、スマホのライトを動かしている乃愛はどこか幻想的で、乃愛の現実離れした容姿と相まって、まるで妖精が水場で遊んでいるようにも見えた。


 ……でも、現実はそうじゃない。


 ライトは常に下に向けられていて、ぼんやりと浮かんでいるのは、水遊びをして楽しそうな横顔なんかじゃなく、焦燥に駆られたような表情だった。


「乃愛」


 俺は軽く息を整えながら近くまで行き、声をかける。

 すると、乃愛は緩慢な動作で俺の方を向いた。

 乃愛の青い目が、驚きで見開かれる。


「……優陽、くん。なんで……?」

「藤城くんが友達から乃愛っぽい人が川にいたって話を聞いて、藤城君がそれを俺に知らせてくれてさ。……それで、乃愛の方はなにを探してるの?」

「……」


 答えの代わりに返ってきたのは沈黙と俯く動作。

 こうして近くで見て気付いたけど、乃愛の身体は頭までびしょ濡れで、服も張り付いて透け防止用のキャミソールが透けて見えていた。

 

 何時間こうして、なにを探しているのかは分からないけど、きっと、何度も足を滑らせて転んだのだろう。

 そうじゃなきゃ、膝下くらいのこの深さで、上まで濡れるなんてことはありえない。


「……キーホルダー。落としちゃった」


 消え入りそうなほど弱々しくぽつりと呟いた乃愛の声に、俺は足元にある鞄に視線を向ける。

 そこには、確かに白猫の姿は見当たらなかった。


「……そっか。この辺に落としたの?」

「……ん」

「どこから?」


 乃愛が静かに顔を上げる。

 その視線を追っていくと、橋があった。

 

「……あそこで、告白されて」

「え?」


 一瞬、なんのことか分からなかった。


「皆でカラオケに行って、帰ろうとして、男子が1人送るって言い出して、2人で歩いてたら、橋の上で急に付き合ってほしいって言われて」

「えっと……そ、そうなんだ」


 まあ、乃愛は可愛いし告白されたこと自体にさほど驚きはない。

 けど、この話がどうやってキーホルダーを落としたという話に繋がるんだろう。


「……私、断って、そのまま帰ろうとしたら、呼び止められながら鞄を掴まれて、その時にキーホルダーが引っ張られて、チェーンが千切れて……」

「……」


 そういう、ことか。

 話を理解した俺は、一拍置いて口を開く。


「……その男子は? 探すの手伝おうとはしてくれなかったの?」

「……ん。キーホルダーを千切ったことで我に返って、ごめんって謝って走り去っていった」


 その話を聞いて、俺は自然と拳に力が入っていた。

 確かに、ぱっと見はどこにでもある安物のキーホルダーで、わざわざ川の中を探そうとは思わないのかもしれない。


 けど、乃愛にとってどれだけ大事なものかを知っている俺は、憤りを隠し切れなかった。


(……いや、落ち着け)


 今の俺がやらないといけないことは、その無責任野郎に腹を立てることでも、それが誰かを特定することでもない。

 すぅ、と息を吸い、拳の力を緩める。


「……とりあえず、今日は帰ろう? そのままだと風邪引いちゃうから。明日また、明るくなってから俺も一緒に探すから」

「……」


 乃愛は返事をすることも、頷くこともせず、ただただ足元を見つめている。

 俺がそっと手を取り、引くと、そのまま力なくされるがままに付いてきた。


「ハンカチ、借りるよ」


 乃愛の鞄の中から、ハンカチを取り出して、頭や腕を拭えるだけ拭う。


(パーカー羽織っておいてよかった)


 俺はジッパーを下ろし、羽織っていたパーカーを脱いで乃愛に渡す。


「ほら、着て。冷えないようにしないと」


 俯き気味の乃愛は言われるがまま、緩慢な動作でもそもそとパーカーを羽織る。

 

「ちなみに、歩けそう?」


 尋ねると、乃愛は力なく、ふるふると首を横に振った。

 まあ、だよね。何時間探してたか分からないし、ここから家までは結構距離がある。

 既に乃愛の体力も、気力も限界に近いはずだ。


 俺は乃愛の前で背中を向けて、その場にしゃがみ込む。


「とりあえずおぶるから。乗って」


 促すと、何拍か間があって、背中に重みと温かさが加わる。

 それを確認した俺は、ゆっくりと立ち上がり、歩き出した。


 しばらく無言で歩き続けていると、背中の重みと温かさに、新たに加わったのは震えと、肩の辺りに押し付けられた顔の息遣い。

 寒くて震えてる、ということじゃないだろう。

 

「……大丈夫だよ。きっと見つかるから」


 そう告げると、掴まれた肩にぎゅっと力が入るのが伝わってきた。

 それから、俺は休憩を挟みつつ、マンションへと帰ってきた。


「……大丈夫だと思うけど、一応言っておくよ? 絶対に今から戻って1人で探そうなんて思わないでね」


 俺の言葉に、乃愛は少しだけ首を動かして、頷く。

 そして、とぼとぼとマンションの中に入っていった。


 乃愛の姿が見えなくなるまで見送った俺は、


「さて、と」


 スマホをポケットから取り出す。


「——あ、もしもし? 芹沢さん? ごめんね、急にかけて。実は明日なんだけど……」


 その後、藤城君と和泉さんにも同じように電話をかけた俺は、部屋に戻った。

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