第79話 その後の朝支度

 寝室から出た俺が、食事を作り終えても、乃愛は部屋から出てこなかった。


 まあ、同級生に胸の下部なんてとんでもない部位を見られたわけだし、簡単に出てこれるものでもないとは思うんだけど、そろそろ出てきてもらわないと、起こしに来た意味がなくなってしまう。


 俺はどうにか顔を合わせる気まずさを頭の片隅においやり、寝室へ向かい、扉の前に立った。

 

「……よし」


 決心が鈍らない内に意を決し、ノックをする為に手を挙げたタイミングで、かちゃり、と静かに扉が開いて、制服に着替えた、髪の毛がぼさぼさの乃愛が出てくる。

 

 その顔は完全にフラットのように見えるけど、口元を意識して引き締めているあたり、まだ羞恥の真っ只中だと思う。


 って、他人事のように言ってるけど、俺もそうなんだけども。


「その……えっと……もういいの……?」

「……よくはない。辛うじて、どうにか」

「……そっか。……その、蒸し返すようで悪いんだけど、なんで下着してなかったの?」


 この際だ。気になることは聞いてしまっておこう。


「……ん。締め付けが嫌。寝る時用のは付けてるけど寝てる時に起きたら勝手に脱げてる」

「そ、そうなんだ」


 どういうメカニズム?

 まあ、その感覚は男の俺には分からないけど、そういうものらしい。なんだろう。猫みたいだ。

 

「……とりあえず、見られなかったことにしようと思う」

「いやそれはいくらなんでも無理が……いたっ」


 思わずそう返してしまい、ぽかりと胸のあたりを軽く叩かれた。

 どうやら、こっちも見なかったことにしろということらしい。


 やっぱり無理があると思うけど、このままだと意識したままになってしまいそうなので、その提案を喜んで聞くことにしておこう。


「なにも聞かずに作っちゃったけど、朝はご飯派みたいなのはある?」

「ん、ない」

「ならよかった。ちょっと温め直すから待ってて」


 料理を順番にレンジに入れ、温めていくと、すぐにリビングが料理のいい匂いに包まれる。

 テーブルの上に再び並んだ料理を見て、乃愛の頬がわずかに緩んだ。


「美味しそう。いただきます」


 乃愛が行儀よく手を合わせて、サンドイッチにぱくりとかじり付いた。

 それを見ながら、俺も1口かじる。うん、いつも通りって感じ。


「……美味しい。普段朝なんて食べないから、新鮮な感じがする」

「あー分かるよ。俺も休みの日1人の時は朝食べずに昼くらいまで寝てるもん」

「ん。休みの日に朝起きるなんて、おかしい」


 そこまでは言うつもりはない。

 きっぱりと断言する乃愛に、苦笑を漏らしつつ、料理に舌鼓を打つ。


「そう言えば、今日は体育もあるから、体操服忘れないようにね」

「………………わざと服忘れたい。運動、好きじゃない」


 凄い。あのモノマネしている時に表情筋がまったく動かなかった乃愛がめちゃくちゃ嫌そうな顔をした。

 引きこもりには運動というワードは劇薬だったらしい。


 心なしか、ただでさえ早くない乃愛の食事スピードが落ちた気さえする。

 しかし、そこまで量も多くないので、時間を稼いだところで、すぐに食べ終えてしまう。


 乃愛が「ごちそうさまでした」と手を合わせ、ため息をついた。

 そこまで嫌なのか。


 それから、俺は2人分の皿を洗い終えた。

 でも、まだ登校するには少し早い。


「あ、乃愛。まだ時間あるから、忘れない内に髪整えてきたら?」


 伝え忘れていたけど、乃愛の髪はぼさぼさのままだ。

 乃愛はぺたぺたと自分の髪を触り、少し逡巡する様子を見せて、寝室に向かう。


 と、思ったら手に櫛を持ってすぐにリビングに戻ってきた。

 首を傾げていると、乃愛がなぜか櫛を俺に差し出してくる。


「えっと……? もしかして俺に整えろって言ってる?」

「ん。お願いしたい。長いと大変だから、自分でやるの時間がかかる」

「うーん……俺、やったことないから上手く出来るか分からないよ?」

「大丈夫」


 乃愛がぽすんとソファに腰を下ろした。

 まあ、梳くだけなら、そんなに心配する必要もないか。

 ……女の子の髪に触れるのは緊張するけどね。


 思いつつ、乃愛の後ろに回り、受け取った櫛を髪に通してみれば、さらり、と柔らかな感触がした。


(……なるほど。これがまるで絹のようなってやつか)


 ラノベでよく見る女の子の髪を触る表現が今まではピンとこなかったんだけど、今それが1発で理解が出来た。

 確かに、これはずっと触っていたくなる。


 まあ、さっきあんなことがあったのにこういう風に無防備に接してくるのはちょっと勘弁してほしいところだけど。


「長いのが大変なら、切ったりとかはしないの?」

「ん。それは考えたことがない」

「どうして?」

「尊敬してるお母さんと同じ髪の長さだから。真似してる。髪の手入れもちゃんとしてる」

「へえ、そうなんだ!」


 言われてみれば、こうして髪を触っていると、素人目にも手入れが行き届いていることがよく分かる。乃愛って基本的に興味のないこと以外にはめんどくさがりなのに、だ。

 

「確かに、乃愛の髪って綺麗だもんね」

「……ん、ありがとう。髪のこと褒められるの嬉しい。手入れしてるかいがある」


 そうして俺は、ご機嫌になって、鼻歌を歌い始めた乃愛の髪の毛をそのまましばらく梳き続けた。

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