第80話 噂の2人
それから、俺と乃愛は一緒にマンションを出た。
6月も間近に迫ってきて、徐々に暖かさが増していく空気の中、時折吹き付ける風が涼しくて気持ちがいい。
(そう言えば、こうやって誰かと一緒に登校するのって初めてだな)
芹沢さんとは帰る方向が途中まで一緒だし、そのまま部屋に来ることが多いので、下校はよく一緒にしているけど。
家も近くだし、もしかしたらこれから毎日乃愛と一緒に登校することになるのかもしれない。
……というか、俺が起こしに行く限り、必然的にそうなるんだよね。
そう思うと、今月に入るまで、名前も顔も知らなかった相手とそういうことになっているのが不思議な感じがする。
そんなことを俺が考えているとはつゆも思っていないだろう、隣を小さな歩幅で歩いている乃愛は、すれ違う人の視線を少なからず集めながら、いつも通りぼんやりとした顔をしていた。
人から視線を集めるのも、多分乃愛からしたらいつも通りで、今更なにも思わないのだろう。
(目立つの苦手な俺からしたら羨ましい限りだよ、本当に)
まあ、本人は人から視線を集めていることに気が付いていない可能性もあるけど。
それどころか、FPSとか格ゲーの立ち回りでも考えてそうだ。
思わずくすりと笑えば、乃愛がちらりと俺を見上げてきた。
「どうしたの?」
「いや、これだけ周りから見られてて、こうして俺と一緒に登校するのも初めてなのに、乃愛はいつも通りマイペースにゲームの立ち回りでも考えてそうだなーって思って」
「……凄い。なんで分かったの? エスパー?」
どうやら本当にそうだったらしい。
驚いたように、ぱちりと瞬きと一緒に返ってきた言葉に、俺は更にくすくすと笑ってしまう。
すると、なぜか乃愛がわずかにムッとした。
「……なんか、負けた気分」
「負けって、こういうのに勝ち負けなんてある?」
「ん。思考を読まれるってことはゲーマーとして負けたも同然。修行が足りない」
「修行て。それ以上読みにくくなったら、乃愛にゲームで負け越しちゃうから困るなー」
「ん。それを目指す」
そんな、誰かと一緒に登校するという非日常の中、俺たちはいつも通りの会話をしつつ、学校へと歩いていくのだった。
「——やっぱりあの2人って実は付き合ってる感じじゃないの?」
「——えー? さすがにそれはどうかなー?」
「——いやいやー、だって同じマンションから出てきたんでしょー? 少なくともただの友達じゃないって」
俺と乃愛が教室の前に着くと、中からそんな会話が聞こえてきた。
(……同じマンション?)
その中に1つに、気になる単語が混じっていて、俺は思わずその場で足を止める。
「——んー……まあ、あながちなくはないのかなー。確かに鳴宮君って前は地味にしか見えなくて、顔とかもあまり見てなかったけど、芹沢さんたちと一緒に過ごすようになって、よく顔見るようになって気付いたけど、ああ見えて結構顔立ちいいみたいだし」
「——それねー。そう言われてみれば、テストも毎回上位に名前あったような気がするし、運動神経も結構いいっぽいんだよねー。隠れハイスペックってやつなのかな?」
え、と口から声が漏れる。
だって、聞き間違えじゃなければ、今聞こえてきたのは……俺を褒めるような内容だった。
今まで、クラスの誰からも注目されていなかった俺についての、話だった。
(……って、じゃあ同じマンションから出てきたっていうのは、もしかしなくても)
俺と乃愛のこと? 誰かに見られていたのだろうか。
……とにかく、ここでこうして立ち止まっていても、なにも分からない。教室に入って真偽を確認しないと。
俺と乃愛が教室に入ると、すぐに視線が集まった。
皆からのその視線には、見て分かる好奇が浮かんでいた。
それから、俺たちに気付いたクラスメイトの女子が「——あ、来たよ!」と言い、俺たちに向かって近付いてくる。
「ねえねえ、鳴宮君と白崎さん! 2人が同じマンションから出てきたのを見たって子がいるんだけど、ほんと?」
やっぱり見られていたらしい。
それで、RAINかなにかですぐに拡散されたってことか。インフルエンザ並みに広がるのが早い。
(見られた上に、こうして一緒に教室に入ってきたんだから、誤魔化すのは無理、だよね……)
どうにか言い訳の余地を探したけれど、この場を切り抜けるいい案は見つからなかった。
というか、俺がそんな咄嗟にいい嘘をつけるわけがない。
「う、うん。実は家が近所でさ、乃愛って朝が苦手だから、俺が起こしに……」
「そうなんだ!? じゃあもしかして2人って付き合ってるの!?」
「ええ!?」
どうして家が近所で朝起こしに行って一緒に登校しただけでそんな話に……って、よく考えたらそう思われるのが当たり前じゃんこれ!
「つ、付き合ってないよ! そういうのじゃないから!」
「えー、でも起こしに行ったってことは合鍵とか持ってるってことだよね? ただの友達なのに、それって変じゃない?」
だよね! 俺も言ってから気付いた!
ええっと……どうしよう、これ……付き合ってるって勘違いされたままなのは、乃愛に悪いし……。
(そ、そうだ! 芹沢さんなら状況を察していい感じに場をまとめてくれるかも!)
俺は目だけ動かして、芹沢さんの方を見る。
でも、なぜか芹沢さんは唖然としてこっちを見たまま、固まってしまっていた。
それはまるで、なにかショックを受けるものを見た、みたいな感じだった。
なんでそうなっているのかは分からないけど、この場において、芹沢さんが今あまり頼りにならないということは分かる。
と、なると本格的に詰みだ。
俺が冷や汗をかいていると、乃愛がすっと1歩前に出た。
「……幼馴染」
「「え?」」
乃愛の呟きに、思わず俺と女子の声が重なる。
でも、幸いなことに女子は俺の声には気付かなかったようだ。
じゃなくて、今なんて……?
「私たちは幼馴染。親公認。だから、合鍵を持っていてもなんら不思議じゃない」
乃愛がちらりと俺を見た。
どうやら話を合わせろ、というアイコンタクトらしい。
それを理解した俺は、慌てて口を開いた。
「じ、実はそうなんだよ! あまり人に公に話すことじゃないかなーって思って話さなかったんだよ!」
「へえー! そうだったんだ!」
その女子を筆頭に、納得がいったという反応がどんどんクラス中に伝播していく。
こうして、ピンチを乗り越えた代わりに、俺に幼馴染(偽)が出来てしまったのだった。
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