第51話 陽キャ美少女はかき乱される
乃愛と遊んだ日の翌日。
今日は土曜で、芹沢さんが部屋に遊びに来ることになっている。
なので、俺は朝早くに起きて、林間学校の時に約束したマドレーヌを作っているところだった。
「……よし。仕上がりは大丈夫そうだね」
綺麗に焼き上がったマドレーヌを1口含んでみると、ほろりと舌の上で崩れ、懐かしい味が口の中に広がり、混ぜたレモンの香りがふわりと鼻腔をくすぐる。
(うん、味も大丈夫そうだ)
俺はエプロンを外し、スマホを確認しながらキッチンから出る。
さっき連絡があったし、そろそろ着く頃だと思うんだけど……。
と、考えているとエントランスの方のインターホンが鳴る音が響く。
どうやらちょうど着いたらしいので、俺はオートロックの解錠ボタンを押し、扉を開けた。
それから、すぐに部屋の方のインターホンが鳴らされたので「鍵開いてるよ」とモニターに向かって言う。
すると、玄関の方からかちゃり、と扉が開く音がして、やけにゆったりとした足音がこっちに向かってきて、リビングの扉が開かれた。
「おはよう、芹沢さ……っ!?」
現れた芹沢さんの顔を見て、俺は思わず挨拶を中断してしまう。
いつもの輝かんばかりの大きな瞳はどんよりと濁り、周囲を照らさんばかりの明るい表情は見る影もなく、覇気もない。
ふらふらとしていて、今の芹沢さんはまるでゾンビのようだった。
大きめな緑色のVネックのセーターに白い襟付きのシャツを着て、下はグレーの膝くらいまでのミニスカートとおしゃれで可愛い格好している分、ギャップが凄まじい。
そんな生ける死体……ではなく、芹沢さんはちらりと俺を一瞥し、「……おはよー優陽くん」と顔に違わぬ覇気のなさで声をかけてきた。
「ど、どうしたの!? なんかもう色々とアレだけど大丈夫!?」
「……一睡も、出来なかったんだよ」
「え? もしかしてなにか面白い作品でも見つけたの? だったらぜひ教えてほしい——」
「……優陽くんのせいで」
「俺ぇ!?」
本当に身に覚えがないんだけど!?
「な、なんで芹沢さんが寝付けなかったのが俺のせいになるのさ! 変な責任転嫁しないでよ!」
「そ、それは……」
芹沢さんは口ごもり、そっとため息をついた。
「……うん。ごめん、正直今のは八つ当たりみたいなものだったと自分でも思う」
「それで、どうして寝不足になったの?」
改めて尋ねると、芹沢さんは言いにくそうにしつつ、口を開いて理由を語り出す。
「……ごめん。実は、昨日優陽くんのあと尾けてたんだよ」
「え?」
「出会ったばかりのゲームフレンドと会うって言うから、なんかちょっと気になって……」
ごにょごにょと理由を話す芹沢さんに、俺は何度か瞬きしてしまう。
「だ、だってあまりにもワードが強過ぎるじゃんか! ゴールデンウィーク中に出会ったばかりの人と遊ぶって! そしたらやたらと美少女が来て、その子と一緒にマンションに入っていくんだよ!? 衝撃的過ぎてそりゃ寝不足になるでしょ!?」
「……あー、そう言えば、昨日なんか乃愛を連れてマンションに入る時に芹沢さんの声が聞こえたような気が——」
「ちょっと待って」
「え、なに?」
昨日のことを思い出していると、芹沢さんが俺の声を遮ってくる。
「その、のあ? っていうのは苗字なの? だとしたら変わった——」
「いや乃愛は苗字じゃなくて名前だけど……」
「はあ!? 名前!?」
芹沢さんが俺の言葉に目を見開く。
凄い覇気だ。元気が出たってわけじゃなさそうだけど。
「え? 優陽くんって100人とすれ違ったら100人が振り返って陰キャ認定するほどの陰キャだよね?」
「いや、そもそも俺を見ても100人中誰も振り向かないから陰キャなんだと思うんだけど」
「今論点はそこじゃないんだよ」
「あ、う、うん……ご、ごめん」
あまりの迫力につい謝ってしまった。
おかしい。陰キャ認定の話なら間違っていないはずなのに。
「な、なんで名前呼びなの……? いつからそんな陰キャらしからぬ異性への積極性を獲得したの……?」
「なんでって言われても、呼んでほしいって言われたからだし、いつからと言えば、乃愛と友達になった日だけど……」
「わ、私も名前で呼んでもいいって言ったのに、君断ったよね!?」
「それもそうだけど……その時は本当に俺ぼっちだったし、名前で呼んでもいいって言われてハードル高過ぎて簡単に呼べるわけないじゃん。芹沢さんの時はあくまでも提案だったし」
「そ、それはそうだけど、じゃあなんでその子はそんなにすぐに名前呼びに出来るのさ」
その問いに、俺は「んー」と少し考えてから、その時の自分の気持ちを思い出しながら言語化していく。
「最初に勇気を出して会おうって言い出したのとか、声をかけて来てくれたりとか、友達になりたいって言ってきてくれたのは向こうからだし、俺が勇気を出す番かなって」
「うっ……! 理由が男気溢れ過ぎてて言葉に困る……!」
「というか、俺が乃愛を名前で呼んだところで芹沢さんは一体なにが困るの? 芹沢さんだって色んな人を名前呼びしてるのに」
「そ、それはその……困るというか……ずるいなーとかなんとか思ったりするわけで……」
言葉尻にいくに連れて、声がどんどん小さく尻すぼみになってごにょごにょと聞き取りづらいものになっていったけど、そこは俺。しっかりと聞き逃しはしなかった。
「え? ずるい? なにが?」
「だからなんなのその特殊能力!? 今のなんてどう考えても聞こえてたらおかしいレベルなんだけど!?」
「そう言われても……」
聞こえたものは仕方ないよね。
「で、ずるいってなにが?」
「え、えと……それは……ほ、ほら! 私だって優陽くんの友達なんだし、その子だけ名前で呼ばれてずるいなーなんて!」
「ああ、そういうこと!」
つまり1番最初に出来た友人である自分を差し置いて別の友達を先に名前呼びするなんて何事か、ってことだよね。
(もしかして、名前で呼んだ方がいいのかな……?)
なんとなくそんな気がした。
多分それ自体は、ありったけのMP消費をするつもりで覚悟を決めれば出来なくはない、と思う。
けど、それをするにはどうしても懸念事項が1つ出てきてしまう。
「えっと……つらいことを思い出させるようで悪いんだけどさ。芹沢さんって自分の名前が好きじゃないんだよね? それなら呼ばない方がいいんじゃないかな?」
「だ、大丈夫! 優陽くんが呼んでくれたら好きになる! ような気がするから!」
「どういう理屈で!?」
「いいからほら! 呼んでみてよ! というか呼んでくださいお願いします!」
「なんでそんなに必死!? ……わ、分かったよ。そこまで言うなら……」
俺は意を決して、名前を呼んだ。
「——空」
「……っ!」
すると、芹沢さんはぴくんと肩を跳ねさせ、ふいっと俺から視線を逸らす。
「……ごめん。やっぱなしで。思ったよりも心臓のダメージがやばいから」
「ダメージ!? 心臓の!?」
どういうこと!? なんで俺が名前を呼んだだけで人体の最も大事な部位の1つにダメージが!?
はっ……! もしかして……!
「呼んでみてほしいと言ったものの、思った以上に俺から名前を呼ばれることが気持ち悪かったってこと!?」
「ち、違うよ!? そういうマイナス的なアレじゃなくて……! ああもうとにかく今まで通り芹沢さんでいいってこと!」
「う、うん。分かった」
結局、理由は分からなかったけど、どうやら今まで通りでいいらしい。
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