第44話 からっぽのそら
捻挫している方の手に影響がないように、俺は芹沢さんの手をゆっくりと引きながら、部屋に戻ってきた。
それから、芹沢さんをソファに座らせて、温かい飲み物を作り、差し出した。
「はい、ミルクココア」
「……ありがと」
芹沢さんは、両手でそっとマグカップを受け取って、ちびり、と口を付ける。
それを確認しながら、俺は彼女からやや離れた位置に腰を下ろし、口を開いた。
「よし、じゃあゲーム……は無理だから、アニメでも見ようか」
「……え?」
そう言うと、芹沢さんは目をわずかに見開いて、こっちを見てくる。
「けどこの部屋にあるやつは大体見てるし、サブスクの動画配信サービスのやつで見ようか。なにか見たいのある?」
「あ、じゃ、じゃあ……って、そうじゃなくて! き、聞かないの? 私のこと……」
芹沢さんが問いかけてくる。
それに対して、俺は「うーん」と頬を指でかく。
「そりゃ気になるけどさ……俺、別に話を聞こうと思って部屋に連れてきたわけじゃないんだよね」
「え……?」
「とりあえず1人させない為に咄嗟に連れてきただけで、あとのことはノープランなんだよ、実は」
「……」
「だから、話したくないならそれで全然いいからさ。とりあえず、いつも通りでいようよ」
微笑むと、芹沢さんはきゅっと唇を引き結び、頷いた。
それから、俺たちはコメディ調が強い数年前のラブコメを選び、見始めた。
画面の中では、ひょうきんな主人公が面白おかしい言動を取ったり、魅力的なヒロインがそんな主人公に惹かれていく様子が映し出されている。
やがて、物語が中盤に差し掛かった頃。
「……私の家さ。見ての通り、昔から仲が悪いんだよ」
アニメの音声に混じって、隣から呟きが聞こえてきた。
俺は、ちらりと隣を一瞥し、「うん」と視線をテレビに戻す。
「私だけじゃなくて、お母さんとお父さんも仲がよくなくて、いわゆる政略結婚だったんだって」
「……うん」
「けど、仲が悪いのに、一夜の過ちで私を身籠もったらしくって、2人とも世間体を気にする人だから、産まざるを得なかったんだって」
「……うん」
「だから、望んでもない子供だったから2人には疎まれててさ。親らしいことをしてもらったことなんて1度もないどころか、親と過ごした時間もなくて、お手伝いさんが私の親代わりだったんだ」
静かに語られていく芹沢さんの話に、俺も静かに耳を傾け続ける。
「まあ、ほんと世間体だけは気にする人たちだったし、お金はあったから、必要以上にお金だけは自由にさせてくれてて、今もそう。もう、クレジットカードとかお金を渡されて放置されてる感じで」
「……うん」
「そんなだから、実は私も高校に入ってからマンションをあてがわれてさ、1人暮らしなんだよ」
「……そうだったんだ」
話の流れ的に、それは驚くことでもなかった。
俺はこの目で、芹沢さんと母親が言い争っているのを見てしまって、もしかしたら、とは思っていた。
あんなに仲が悪いのに、一緒に住めるはずもない。
(こんな推測、外れてほしかった)
俺が抱いた推測が、語られた話によって事実へと姿を変えた。
そのことが、どうしようもなく悲しくて、俺は気付かれないように拳を握り込む。
「今は平気だけど、小さい頃は1人でいるのが寂しくてさ。寂しさを紛らわす為に、お手伝いさんがアニメとかゲームとかラノベとか色々と教えてくれて、それで好きになったんだ」
「……うん」
いつの間にか、俺の視線はテレビから芹沢さんの方に向いていた。
芹沢さんの横顔は、好きなものを好きになったという経緯を話しているお陰か、さっきまでの静かな表情とは違って、どこか優しい顔に見える。
しかし、そんな芹沢さんの顔にすぐにまた、影が落とされてしまう。
「……実は私さ。自分の名前が好きじゃないんだよ」
「え?」
「ほら、空ってさ『から』とも読めるでしょ。名前付けなきゃいけないって時に、適当に空を見て付けたんだよ絶対」
「そ、そんなことは……」
そこで、俺は相槌じゃなくて言葉を返そうとしたけど、芹沢さんがこっちを見て、ゆっくりと首を振った。
「だってさ、私のことが嫌いで、産まれてこなければとまで言ってる人が、わざわざ意味ある名付けなんてすると思う?」
俺は、それを否定する言葉が見つけられずに、押し黙る。
「両親から名前の意味も愛情も与えられず、ただただからっぽ。偶然だろうけど、とんでもなく芯を食ったネーミングをしてくれたものだよ、ほんと」
「……芹沢さん」
「だから、私。君と友達になった日、君が私の名前を呼ばないでいてくれて、実はちょっと嬉しかったんだ。……まあ、苗字も両親のものだから、好きではないんだけどね」
「……」
俺は、なにも言えず、黙ったまま、話の続きを待つことしか出来ない。
芹沢さんは「だから……だからね……?」と続ける。
「そんなからっぽで愛されていなかった私だったから、私は誰にも愛されるようになろうと思って、誰よりも可愛くなろうと思ったんだ」
「あ……」
そういうことだったんだ。
芹沢さんの可愛さに対する異常なこだわりは。
「幸い、容姿だけは元から可愛かったからね。あとは、なるべく皆から好かれるように、容姿を磨いたり、可愛い自分に徹底的にこだわって、今の私になったの」
「そう、だったんだ……」
「うん。もう、自分の部屋に帰ったら、鏡に向かって私は可愛いっておまじないをかけるのも癖になってるくらいでさ」
そう言って、芹沢さんは弱弱しく笑う。
「こんな重たいところとか、家のこととか、ほんとは見せたくなかったんだ。……だってそうでしょ? こんなの可愛くないんだから」
俯きがちになった芹沢さんの顔が、くしゃりと歪む。
「可愛くいられない私なんて、誰からも愛されなくて、からっぽの私なんだから」
「……そんなこと、ないよ」
目の前に今にも泣き出してしまいそうな大切な友達がいて、自分が彼女にどんな言葉を届け、なにをしてあげられるのかを考え、気が付けば俺の口は勝手に動き出していた。
「少なくとも、可愛いだけじゃなくて芹沢さんがちょっとめんどくさい人なの、俺は知ってるよ」
「……」
「そんな君を、そういう君こそ、俺は可愛いと思ってるんだよ」
俺は、なおも俯いたままの芹沢さんに「からっぽだって言うならさ」と言葉を紡ぐ。
「これからいろんなもので満たしていけばいいんだよ」
「ぇ……?」
小さく声を漏らした芹沢さんが、ゆっくりと伏せていた顔を上げ、こっちを見上げてくる。
それに対して、俺は、真っ直ぐ見つめ返し、
「こんなことで、俺がやったことが帳消しになるだなんて思わないけどさ……罪滅ぼしとして、君をいろんなもので満たしていく手伝いを、俺にもさせてくれないかな?」
「……ぁ」
顔を上げて、俺の顔を見ていた芹沢さんの瞳から大きな雫が一筋、零れ落ちた。
それを皮切りに、ぽろぽろと涙が溢れ始める。
そんな芹沢さんを見て、俺は微笑んだ。
「ダメかな?」
問いかけると、芹沢さんは両手で涙を拭いながら、ふるふると首を横に振り、そして笑顔を作ってみせた。
「え、へへ……! もう、仕方ないなー優陽くんは……! そこまで言うなら、手伝わせてあげるよ……!」
「うん、ありがとう」
笑顔のまま、ぽろぽろと涙を流し続ける芹沢さんに、俺は頷き返す。
しばらくすると、芹沢さんは泣き止んだ。
その顔はどこか憑き物が落ちたみたいにすっきりとしているように見える。
それから、すんっと鼻を鳴らし、小さく息を吐き出して、恨みがましい目を俺に向けてきた。
「……泣くつもりまではなかったのに、あんなのずるだよ。ひきょーだよ」
「ご、ごめん。俺も泣かせるつもりじゃなくて……ただ、思ったことを伝えたかっただけで……」
悲しみの涙じゃないことは分かっていても、泣かせてしまったのは事実なわけで、それを責められると弱い。
俺がしどろもどろに謝罪の言葉を口にすると、芹沢さんは「……ふーん」とどこか照れが混じったようなニュアンスで呟き、それを誤魔化すようにからかいの笑みを浮かべた。
「まったく、あんな提案をしてくるあたり、優陽くんってほんとに私のことが大好きだよね」
「あはは。今となってはそれ、上手く否定出来ないかも」
笑いながら、素直な気持ちでそう返すと、
「……っ!?」
なぜか、芹沢さんが大きく目を見開いた。
そして、彼女の顔が、じわりじわりと赤く染まっていく。
そんな変化を戸惑うように「え、あれ……!? あれ……!?」と顔をぺたぺたと触った芹沢さんは、両手で頰を抑え、顔を伏せてしまった。
「どうしたの? もしかして、具合でも悪い?」
その様子を怪訝に思った俺が、顔を覗き込もうと近くに寄ると、芹沢さんは慌てたように声を上げた。
「な、なんでもないからっ!」
芹沢さんがバッと顔を上げ、俺を見て、これ以上赤くならないと思っていた顔が、もっと赤く染まる。
「でも、顔赤いよ? 一応熱があるか測っておいた方が……」
「ち、違うから! これはそういうのじゃなくて……そう! 人前で泣いてしまったことが今になって恥ずかしくなっただけだから!」
「あ、なるほど。そういうことか」
納得出来るような、出来ないような理由だったけど、ここで芹沢さんが嘘をつく意味もないよね。
と、俺が納得していると、
「き、今日は色々あって疲れたし、もう帰るね! 話聞いてくれてありがとじゃあね!」
芹沢さんはもの凄い速さで立ち上がり、そのままの勢いで鞄を引っ掴んで、止める間もなく部屋を出て行ってしまった。
(……ケガしてるのにあんなに激しく動いたらダメなんじゃ?)
そう思ったけれど、
「……まあ、元気になったみたいだし、いいか」
ひとまずは、芹沢さんに笑顔が戻ってよかったということにしておこうかな。
***
あとがきです。
あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます