第43話 陰キャは打ち明け、陽キャ美少女は

「——で、俺のせいでケガしたってどういうこと?」


 学校を出て、開口一番。

 やや前を歩いていた芹沢さんが立ち止まることなく、肩越しに振り返り、俺を見ながら言った。


「どれだけ考えても、その意味がよく分からなかったんだよね」

「それは……」


 説明して、ちゃんと謝ろうと思っていたのに口ごもってしまう。

  

「む……優陽くんが言うまで、私は病院に行かないからね?」


 それまで順調に歩いていた芹沢さんの足が止まる。

 どうやら、俺が言いたくないから口ごもったと思われたらしい。

 しかし、その脅し文句は結果として俺の背中を押してくれるものだった。


「……俺、あの男子を止めなかったんだよ」


 1つ、大きな息を吐き出してから、俺は口を開く。


「知らない人に声をかけるのをひよってさ。注意して、変に目立つのも嫌だからってさ。危ないのを分かってて、結局自分の弱さを言い訳にして、止めなかったんだよ」


 自分に対して、はっと自嘲気味の笑みを零す。


「もし止めても、俺の言葉なんかに耳を貸さなかったかもしれないけどさ、一瞬だけ立ち止まらせることぐらいは出来たかもしれない。そうしたら、芹沢さんとぶつかることはなかったよ」


 自分可愛さに逃げていなければ、芹沢さんが痛い思いをすることはなかった。

 逃げた先に、とてつもない自己嫌悪が待っていることもなかった。


「しかもさ。目立つのが嫌って理由で声をかけなかったのに、そのあと、俺は皆の前で君をお姫様抱っこなんて、もっと目立つことをしたんだよ? それが出来るなら、声をかけることだって出来たはずなのに」


 俺は……本当に、卑怯で臆病だ。


(こんなんで、ちょっとは成長出来たのかも、なんて笑わせる)


 こんな俺を気にかけてくれるような、知り合いがたくさん出来た。

 だから、俺は少しだけ……ほんの少しだけだけど、自分でも成長しているのかもしれないって思っていたのだ。

 結果、肝心な部分はやっぱり変わっていなくて、このザマだ。


「だから、君がケガをしたのは俺のせいなんだ。本当にごめん」


 俺は拳を握り締め、頭を下げる。


(これでどう思われても、縁を切られるようなことになっても、仕方がないことなんだ)


 芹沢さんからの反応を、頭を下げたまま待っていると、「優陽くん」と名前を呼ばれた。

 俺は耐えるように、ぎゅっと目を閉じ——。

 

「君、そんなことで悩んでたの!?」

「……へ?」


 なんだか想像してたような怒りでも悲しみでもない声音に、俺はつい間抜けな声を漏らし、目を開けて、顔を上げる。

 そこには、心の底から呆れている表情をしている芹沢さんがいた。


「もーっ! ずっと暗い顔してるからどんな深刻な悩みかと思ったよ!」

「いや、俺は真剣に悩んで……!」

「あのね、優陽くん」


 俺の声は芹沢さんの諭すような声に遮られる。


「私がケガしたの、誰が悪いと思う?」

「え、だ、だからそれは俺がっ……」

「はい不正解。マイナス20空ちゃんポイントね。ついでに、えいっ」


 減点ついでに軽めのデコピンをされた。


「いいですか? どう考えても悪いのはあんな場所で追いかけっこしてた男子です。ちゃんと謝ってくれたから、許しはしたけどね」

「で、でも……」

「でももだっても言いっこなーし。大体、君が止められなかったのが悪いなら、あの場にいた全員が同罪ってことになるじゃん。誰も止めなかったんだし」

「そ、それは……」


 そう言われて確かにその通りだと、思ってしまった。

 でも、それを認めてしまうのは……周りがやらなかったから、俺も悪くないと言ってしまうのと同じことだ。


「別に責任を感じるなって言ってるんじゃないよ? ただ、自分が代表みたいに言って、全部の責任を自分のせいにして背負い込むなって言ってるの」

「……」

「あ、納得いってないって顔だ。まあ、君はそうなると思ってたけど。……じゃあ、質問」


 芹沢さんが人差し指をピンと立てる。


「もし、私たちの立場が逆ならどうしてた? 君がケガして、私が止めなかったことを悔いてたら、優陽くんはどうしてた? きっと私と同じこと言ってたはずだよ。違う?」


 俺は、咄嗟に言葉を返すことが出来なかった。

 なぜなら、考える間もなく、芹沢さんが言ったことが俺の答えになると思ったから。


「どう? これでちょっとは悩みは晴れた?」

「……完全に飲み込むことはきっと出来ないと思うけど、少なくとも、さっきよりは晴れたと言っておくよ」

「ん、ならよしだね! さ、病院に行って早く診てもらお!」


 ケガをしているとは思えないほど、意気揚々と歩き出す芹沢さんの後ろを、俺はさっきよりも胸の中のもやが確かに減っていることを実感しつつ、追いかけるのだった。






 そして、診察の結果。

 どうやら、保険の先生の診察通り、骨に異常はなく、全治2週間の中程度のレベルの決して軽くはない捻挫ということらしい。


「やー、利き腕じゃなかったことだけは不幸中の幸いって感じだね」

「そうだね。しばらくはゲームもお預けかな」

「くっ……! ゲームの腕の差が開いてしまう……!」

「元々そんなに近くもなかったような……?」

「……可愛さなら私の圧勝だし」

「いや、そもそもそこで張り合ったことも覚えもないです」


 ゲームの腕は、俺の数少ない自信が持てる部分だからね。

 簡単にこのアドバンテージを渡したりはしない。

 と、心の中で密かに考えていると、芹沢さんの名前が呼ばれた。


「んじゃ、お会計行ってくるね」

「うん。……ごめん、俺はちょっとトイレ」

「おっけー。じゃあ、支払い終わったら先に外に出て待ってるから」

「了解」


 そうして、俺はトイレに、芹沢さんは受付に向かう。

 用を足して戻ってくると、待合室に芹沢さんの姿はなかった。

 それを確認した俺は、病院の外に出る。


「……あれ?」


 出入口の近くに芹沢さんの姿は見えず、俺は首を傾げた。

 

(まさか、先に帰った? いやいや、待ってるって言ってたし……)


 スマホを確認してみても、なんのメッセージも来ていない。

 帰るなら帰るで、ちゃんと連絡をくれる人だ。だったら、帰ってはいないだろう。


 怪訝に思いながら、辺りを歩いて、芹沢さんを探していると、


「——私の手を煩わせるようなことするなって言ったわよね」

「——……娘がケガしたって学校から連絡があって、わざわざ文句言いにお見舞いに来たの?」


 どこかから、そんなやり取りが聞こえてきて、俺は足を止めた。

 

(今の声って)


 あまりにもいつもと雰囲気が違い過ぎる、刺々しい声だったから一瞬気が付かなかったけど、それは芹沢さんのものだった。


 俺は声のした方へ、ゆっくりと近づいていき、建物の角からそっとその先を覗き込んだ。


 そこには、いつもの明るい表情が嘘のように抜け落ちた、なんの感情も貼り付けていない芹沢さんと姿がいた。


(芹沢さんの、お母さん……?)


 容姿がよく似ていて、若々しい見た目をしているので、一見姉にも見えるけれど、芹沢さんは娘と言っていたし、母親で間違いないだろう。

 

 けど、似ているのは容姿だけだ。

 女性はまるで芹沢さんから感情を抜き取ったような、冷たい表情をしている。


 あの女性が本当に芹沢さんの母親なら、実の娘に対して向けていいような表情には思えない。

 

 そして、それは芹沢さんの方にも言えることで、もし、あの女性が母親なら、どうしてあそこまで普段とはかけ離れた無表情を返しているのだろうか。

 

 2人の関係性や状況を測りかねていると、氷のような表情で芹沢さんを見下ろしていた女性は、苛立たし気にため息をつく。

 

「私だって来るつもりなんてなかったわよ。けどしょうがないじゃない。学校から連絡が来た時点で、運転手の部下に話聞かれてたんだもの。聞かれてる手前、娘に電話をかけて確認しないのも不自然だし」

「電話で確認だけで済ませておけばよかったじゃん。わざわざ来て直接嫌味を言わなくてもさ」

「それも仕方なかったの。電話したら電話したであなたがそう遠くない病院にいて、話の流れ的にお見舞いに寄らないと怪しまれそうだったのよ」

「ああ。会社じゃ部下からの人望が厚くて仕事の出来る敏腕社長って顔だっけ。裏の顔は家族すら大切に出来ない世間体ばっか気にするロクデナシなのにね」

「……ほんっとに可愛げのない」

「そういう風に育てたのはそっちでしょ。ま、ロクに親らしいことしてもらった覚えもないけど」

 

 どっちかが口を開く度、この場の温度がどんどん下がっていく気さえしてしまう。


(これが、親子の会話? なんで、こんな……)


 どうして、血が繋がっているはずの家族が、こんな風にお互いを傷付け合っているのだろう。

 俺がなにかを言ったり、言われたりしているわけじゃないのに、なぜか俺の胸がズグンっと痛んだような気がした。


「ほら、もう用件と気は済んだでしょ。忙しいだろうし帰れば? というか早く帰ってもらわないと困る。こんなとこ友達に見られたくないし」

「あなたに言われなくても帰るわよ」


 不機嫌なことを隠そうともしない芹沢さんの母親は、鼻を鳴らしてから踵を返す。

 そして、振り返ることなく、


「……ほんと、あなたなんて産まれてこなければよかったのに」

「……っ」


 吐き捨てるように言い残された言葉に、芹沢さんが俯きがちになり、ぎゅっと唇を噛んだ。

 俺は、咄嗟に駆け寄ろうとして、理性でブレーキをかける。


(芹沢さんは、友達に見られたくないって言ってた。……なら、ここは見なかったふりをして立ち去るべきなんじゃ……)


 迷って動けずにいると、俯いていた芹沢さんは、やがて顔を上げ、こっちを振り返った。


「……あ」


 俺の姿を認めた芹沢さんが、動きを止める。

 気まずい空気が流れる中、芹沢さんが口を開いた。


「……あ、はは。今の、見てた……よね」

「……ごめん。盗み聞きするつもりはなかったんだけど……」

「いやーまあ、私がいなかったら探しに来るだろうし、こんなところで話してたら見られるのが当たり前だよー。あははー」


 芹沢さんが、わざとらしい笑みを浮かべ、そして、


「……君には見られたくなかったなぁ、こんなの」

「……っ」


 その、今にも泣き出しそうな弱々しい呟きに、俺は息を呑むことしか出来なかった。

 かける言葉が見つからないまま、俺が立ち尽くしていると、


「……ごめん。帰るね」


 芹沢さんが力なく、踵を返す。


「芹沢さんっ!」


 俺は咄嗟に駆け寄り、芹沢さんの手を掴んだ。


「……ごめん。今は1人にさせてほしいかな」

「……ごめん。絶対に嫌だ」


 かける言葉も、芹沢さんの家の事情も、俺にはまったく分からない。

 それでも、これだけは。


「俺の部屋に行こう?」


 今にも泣き出しそうな、目の前の女の子を放っておくのが間違いだってことは、俺にだって分かるから。


 端から抵抗する気も力もなかったのか、やがて、芹沢さんは小さくこくりと頷いた。

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