第13話  陰キャ、陽キャ美少女を抱き締める

「……うわー人多っ、やばっ」


 ショッピングモール内を移動し、映画館のフロアに着くと、芹沢さんがそんな呟きを漏らした。

 どこを見ても人、人、人。

 隙間を縫って歩くとしか形容出来ないほどの人の群衆がそこにあった。


「絶対人多いと思ってたけど、まさかここまでとはね……さっすが大人気ラノベ原作の映画」

「今日は公開日初日だしね」


 この街に住んでいるオタクというオタクがここの映画館に集合していると考えると、凄いことだ。

 まあ、ここにいる全員が『3等分の許嫁』目的じゃないだろうけど。

 それでも、多分7割くらいはそうだと言っても過言ではなさそうなのが人気作品のアニメ映画の凄いところだ。


「ひとまず発券して……そのあとは? グッズでも見る?」

「うーん、どうだろう。ちなみに映画を観る時は予告から観たい人?」

「もちろん! やっぱり映画館に来たらあれがないとね」

「じゃあ、ポップコーンとかは食べる派?」

「絶対食べる派!」

「なら、発券したらすぐにフード売り場に並ぼうか。この混み具合を見ても今から並べばちょうど入場開始くらいになると思うし」

「さんせー!」


 やることは決まったので券売機に向かう。

 実は混むであろうことは予想していたので、席の予約は昨日の内に済ませていたりする。

 手早くチケットを発券した俺たちがすぐにフード売り場に向かおうとしたところで、劇場内の方から多くの人が流れ出てきた。


 前の時間帯の上映が終わり、その客が出てきたらしい。


(……ん? あれって……)


 流れ出てきた団体の中の3人の男子に目がいき、俺は足を止めた。

 その3人の顔をどこかで見たような気がして、記憶の引き出しを探り、引っ掛かりの正体に気付く。


(同じクラスの男子だ、あれ)


 クラスメイトの顔と名前は一通り覚えるようにしているので、あの3人は間違いなくうちのクラスのオタクグループの男子たちだ。

 

(……ってこのままだとすれ違った時に芹沢さんのことに気付くかもしれないよね)


 芹沢さんはオタクということを隠しているわけで、バレるのはきっと避けたいはず。

 幸いにもクラスメイトの3人は観たばかりの映画の話題で盛り上がっているのか、こっちに気付く様子はない。


 しかし、芹沢さんもモニターに流れている映画の予告PVや声優のサインがかかれたキャラクターの等身大パネルの方を見て目を輝かせていて、彼らの存在に気が付いていない。


 俺たちが向かっているフード売り場は劇場への出入り口の横にあるので、このままいけばたった今劇場から出てきた集団と確実にすれ違ってしまうことになる。


 もしかしたら人混みでそのままお互いに気付くことなくすれ違うかもしれないけれど、芹沢さんは目立つので気付かれる可能性だって十分にあるだろう。

 俺は少し逡巡し、


「芹沢さん。ちょっとごめん」

「え、なに——ひゃわぁっ!?」


 芹沢さんの肩をそっと掴み、ぐいっと自分の胸に抱き寄せて、顔を隠すようにした。

 途端にふわりといい匂いがして、体温が伝わってきたけど、努めてそれらを意識の外に追い出す。


「な、なななななになにっ!? もしかして遂に私の可愛さに我慢出来なくなって陥落したの!? だとしてもこんな人前で……!」

「ごめん。あとでちゃんと説明するから、今は静かにしてくれる?」


 胸の中で目を白黒とさせて驚きの声を上げる芹沢さんの耳元で囁くようにすると、「ひ、ひゃいっ……」という声を最後に大人しくなった。

 人混みの中とはいえ、声で気付かれるかもしれないし、分かってくれてなによりだ。


 芹沢さんの顔を肩口に当てた状態のまま人混みの中を進み、フード売り場へ向かっていく。

 クラスメイトたちが一瞬だけ視線をこっちに向けた気がするけど、彼らは特にリアクションを示すことはなく、俺たちとすれ違う。


 そのまま彼らの姿がフロア内から消えていったことを確認して、俺はようやく警戒を解き、芹沢さんを解放した。


「……ふう。これでもう大丈夫」

「なにが大丈夫!? こっちはなにも大丈夫じゃないんだけどっ!」


 安堵の息を吐き出していると、芹沢さんが顔を真っ赤にしたまま睨んでくる。

 

「なにがどうなったら急に抱き締めてくるなんて陰キャぼっちにあるまじき積極性を発揮出来るのさ!」

「いや、クラスメイトがいて、このままだと鉢合わせしちゃいそうだったから」

「なら口でそう言えばいいじゃん!」

「言ったら言ったで芹沢さんそっちに顔向けちゃいそうだったし。もしそのタイミングで向こうがこっち見たら気付かれると思って。ほら、芹沢さんって可愛いからこの人混みの中でも目立つでしょ?」


 そう言うと芹沢さんが口をもにょっとさせてなんだか恨めしげにこっちを見上げてきた。


「……相変わらずそういうことを含みなくストレートに言うんだからさー」

「え? 俺はただ思ってることを言ってるだけだよ?」


 ため息をつかれた。なんで?


「理由は分かったけど、気を付けた方がいいよ。今の君は誰が見てもイケメンの部類なんだから。あんなことされたら私じゃなきゃ勘違いしてるとこだよ」

「言われなくても芹沢さん以外にやる相手はいないからいらない心配だよ」


 イケメンかどうかは置いておいて、容姿については自分自身でも爽やかな好青年だと思ってしまったので、わざわざそこに否定を入れることもないだろうと触れるのは後半だけにしておいた。


「そうだったね」


 芹沢さんがあっさりと頷く。

 自分で言っておいてなんだけど、簡単に理解を示されるとやっぱり複雑なものがある。


「それはそれとして、私みたいな美少女を抱き締めておいて照れもしないなんてどういう了見?」

「え? だって状況が状況だったし。危機を回避する為に抱き締めたんだからそんな邪な気持ち抱くのはおかしいでしょ?」


 ……まあ、実際はなにも思わなかったわけじゃなく、気にしないようにしてたら意外とすぐに気にならなくなっただけだ。

 でも、ここでバカ正直になにも思わなかったわけじゃないと答えられるわけがないので、ここは黙っておこう。


「……」

「痛っ!? ちょっ、なんで叩くの!?」


 突然の衝撃と軽い痛みに驚き、横を見れば、そこにはなぜだか不満そうな顔をしている芹沢さん。


「誠実でいてくれてありがとう。けどなんの反応も示されないのは乙女心的になんかムカつくの意」

「えぇー……」


 難解が過ぎる。

 今の1発にそんな複雑な感情が込められてるなんて誰が分かるんだよ。


「……まったく。自信ないとか言ってるのになんで妙に男らしいことしちゃうかな」


 やっぱり顔を隠す為に突然抱き締めたのはよくなかったらしく、芹沢さんがぶつぶつと唇を尖らせてぼやく。


「えーっと、ごめん」

「うぇっ!? だから当たり前のように独り言を拾わないでよ!」


 また怒られてしまったので、俺がもう1度「ごめん」と言うと、芹沢さんが派手にため息をついた。


「……というか、実は私そこまでオタクなことを隠してるわけじゃないんだよね」

「え? そうなの?」

「うん。自分からバラすことじゃないから言ってないだけで、自然にバレるならいいかなって感じ」

「けど、あのオタクモードのテンションを周りに見られるのは困るんじゃないの?」

「うーん、まあ、困るは困るけど。そっちが露見するのはあまり心配してないかな」

「え? どうして?」

「だってバレても趣味の話を学校とか人の目につくところで話さなきゃいいんだから。そもそも君としかそういう話しないし、私たち学校じゃ話さないじゃん」

「……なるほど。それもそうだね」

「でしょ? まあ、今後オタバレしたとして、学校で優陽くん以外のオタ友が出来る可能性は私の人気的に否定出来ないけどさ」


 そこで芹沢さんがセリフを区切り、にっと人好きしそうな笑みを浮かべた。


「現状、優陽くんがいるから私のオタクライフは充実してるし、今のところそういう友達は君だけでいいかな」

「……そうですか」


 向けられた笑みと言葉があまりにも気恥ずかしくて、つい視線を逸らしてしまう。


「あ、照れてる。仕返し成功ー」


 隣から聞こえてくるなんとも楽しそうなからかいの声は断固として無視させてもらおう。

 けれど、顔が熱く、耳も赤くなってることは芹沢さんから見れば一目瞭然だろうし、結局ささやかな抵抗にしかならないだろうけど。


 と、まあそんなこんなありつつもフード売り場に出来ている列は順調に進み。

 俺たちがポップコーンとドリンクを手にすると、ちょうど映画の入場が始まって。


 劇場内に入ると、まだ映画が始まる前だからか、そこかしらから話し声が聞こえる。

 そんな喧騒を掻き分けるようにして、席へと向かい、腰を落ち着けた。


「——ねえねえ、優陽くん優陽くん」


 すると、同じく隣に腰掛けた芹沢さんに袖をくいくいと引かれる。

 顔だけそっちに向けると、そわそわしながら目を輝かせた芹沢さんと目が合った。


「楽しみだねっ」


 至近距離で向けられた、まるで子供のような無邪気で可愛らしい笑み。


「……そうだね」


 そんな芹沢さんに、頬を緩めて返すと、劇場内が徐々に暗くなっていく。

 そうして、自然と意識はスクリーンに映し出される予告に吸い込まれていった。

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