第12話 陰キャ、貞操の危機を感じる

「……まさかここまでになるとは」

「……ええ。素材がいいものだから、ちょっと本気を出し過ぎたわね」


 芹沢さんと店長に着せ替え人形にされること、およそ1時間。

 2人がこっちを見ながらなにか恐ろしいものを見ているようなリアクションを取っている中、俺の方はというと、


「……つ、疲れた」


 とても服を着替えていただけとは思えないくらい疲弊していた。

 だって、1時間も色んな服を着せられ、マネキンと化していたのだ。

 そりゃ疲れるに決まっているだろう。


 しかもこの2人、いつの間にか俺を使ってコーディネート対決とかし始めるし。

 指定した服を着る度に、2人からジロジロ眺められるものだから、見られるのに慣れていない俺は精神的にも疲れてしまった。


 想像してみてほしい。

 学校でも指折りに可愛い女の子から眺められてドキドキしている最中にゴリゴリマッチョのオネエにも眺められる俺の心境を。

 それを1時間に渡って繰り返し続けたんだよ? 頭おかしくなるかと思ったよね。


「それで、どう? 生まれ変わった気分は」

「どうって言われても……誰これ? 俺じゃないよね」


 髪を整えられ、着せ替え人形にされた甲斐(?)もあり、鏡に映っているのは今までの野暮ったい男ではない。

 少なくともこの姿を見て、容姿に対してマイナスの印象を抱く人間はいないだろう。


 上はやや大きめなサイズの白の無地のTシャツに、袖の長さが肘のあたりまである落ち着いた緑色のなんか羽織るやつ。

 下は裾の部分が細くならずにそのまま真っ直ぐになっているタイプの黒色の生地がさらりとしたズボン。

 靴は本当は革靴にしたかったらしいけど、痛くなるかもしれないということで黒色のスニーカーで代用している、ということらしい。


 正直服を選ばれる時に服の種類とか名前とか色々言われたけど、ほとんど意味が分からなかった。

 ただ、俺好みの落ち着いた色味ばかり使われているし、着せ替え人形にして自分が楽しんでただけじゃなくて、なんだかんだ俺のことを気遣ってくれていたというのは分かる。


「つまりは変身成功ってことだね! 私も本気出した甲斐があるってもんだよ」

「……本人が何者かとの入れ替わりを疑問に思ってるのに成功って言えるのかな」

「それは君がちょっとアレ過ぎるだけだから」

「いや、そんなことなくない? この変わりようだし、普通はそう思うって」

「少なくとも普通の人は外見を整えた結果の感想が他人との入れ替わりを疑うものになったりしないんだよ」


 ……なるほど、そういう意見もあるか。

 これは1本取られたね。


「ま、と言ってもまだ完成じゃないんだけどね」

「え!? まだなにかあるの!?」

「大丈夫だよ。そんなに心配するほどのことじゃないから。——はいこれかけて」

「……メガネ?」


 芹沢さんから細いフレームのメガネが手渡される。


「そ。変装と言ったらこれでしょ?」

「現時点でもう誰か分からないくらいなのにまだ加えるの……?」

「いいから、それで完成だから。早く」

「う、うん」


 戸惑いつつ、ひとまず言われた通りにメガネをかける。

 視界が慣れないフレームとレンズ越しのものになって、思わず少し眉を顰めていると、


「きゃぁぁぁぁぁぁああああっ!?」


 悲鳴染みた大きな声が上がった。

 自分では似合っているかはよく分かっていないけど、どうやら無事に性癖に刺さったらしい。

 ……店長の。


「いい! いいわァッ! なによこの知的系かつ訳あり好青年はァッ! 顔に滲み出る自信のなさが逆に味になってどこか影を感じさせるのが最高じゃないのォ! んー、完全にあたし好みッ!」


 ヤバい。犯される。

 店長が興奮で息を荒げ、血走った目でこっちを見てくる姿は控えめに言って恐怖でしかない。

 一刻も早くこの場を抜け出さなければ。


「と、とりあえずこれで終わりなんだよね? なら早く会計しない? そろそろ映画の時間も近いし」

「あー、だね。店長、お会計お願い」

「……はっ! え、ええお会計ね。あたしとしたことが取り乱しちゃったわ」

「いや店長割といつもそんな感じだよ。気を付けないと優陽くんが怖がってお店に来なくなっちゃうよ?」

「それは困るわね。ここまでの逸材は滅多にいないもの」


 よほど買ってくれてるみたいだけど、やっぱり俺は俺自身にそこまでの価値があるとは思えない。

 確かに見た目こそ入れ替わりを疑うレベルで変わったけれど、結局中身は今までの俺なのだから、当たり前だろうけど。


「……ってあれ? 安くないですか?」


 レジに表記された値段を見て、思わず首を傾げてしまう。

 靴も含めて全身のアイテムを購入するにしては、少々安過ぎる気がする。


「うふふ、サービスよ。その代わり、今後もうちのお店を贔屓にしてくれるかしら」


 店長が微笑み、ウィンクを飛ばしてきた。

 どうしよう……身の危険って意味で迷うところだけど……。


「……分かりました。またなにかあったらよろしくお願いします」


 迷った末に、値引きが魅力的だったこともあり、俺は頷いた。

 まあ、見た目はともかく、悪い人ではないみたいだし。

 それに、俺は容姿の関連のことに疎いので、なにか困ったら話を聞いたり出来る人がいるというのは心強い。


 そんなことを考えながら、店を出た俺は手を振る店長に会釈をして、今日の本来の目的である映画館に向かうのだった。

 ……まさか、俺の人生でこんな濃過ぎる知り合いが出来るなんて思いもしなかったなぁ。

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