第10話 ゴールデンウィーク2日目

 ゴールデンウィーク2日目。

 今日は芹沢さんと一緒に映画を観に行く日だ。

 さすがに俺の部屋に集まってから映画館に向かうのは少々距離があるので、待ち合わせ場所映画館の最寄りの駅という話しになっている。


 俺は芹沢さんを待たせないように、指定された時刻より早く駅に着いて芹沢さんを待っていた。


「……でも、なんでこんなに早い時間なんだろう」


 場所は2人で話し合って決めたので、特に疑問はない。

 だけど、時間は芹沢さんからの要望だ。

 映画の始まる時刻から3時間は早く、現在の時刻は8時前。いくらなんでも早すぎるだろう。


 長期休暇ということもあり、この時間帯でもそこそこ人通りがある駅前で、人の流れをぼんやりと眺めていると、


「――わっ!」

「うわぁ!?」


 背後からかけられた声に、飛び上がった。

 ドッドッと音を立てる胸に手を当てながら、慌てて振り返る。

 そこには、輝かんばかりの眩しい笑顔。


「おっはよー、優陽くん! 期待通りのいいリアクションありがと!」

「も、もっと普通に声かけてきてよ……陰キャぼっちは誰かに真正面から声をかけられただけでも驚いて変な声出ちゃうんだからさ」


 それでいて裏返った声は出るし、口が上手く回らなくなって最初の一言噛みまくってスクラッチみたくなるし、それで相手からキモがられたり引かれたりして普通に死にたくなる。

 

 今でこそ多少は慣れてどうにか対応出来るようにはなったけど、俺にもそんな時代がありました。

 でもこんな風に驚かされようものなら普通に心臓が止まって死ぬ。


 陰キャぼっちとは社会的にも物理的にも弱い生き物なわけだ。


「けど優陽くんだっていつも驚かせてるよね。クラスメイトに用事とかで話しかけた時気配なさ過ぎて毎回ビックリされてるし」

「それは俺が望んでやってるわけじゃないから」


 癖になってるんだ、気配殺すの。

 なんて、そんな大層なものではなく、普通に陰キャ特有の影の薄さ故の悲しき副産物だ。

 芹沢さんがイタズラっぽく笑う。


「優陽くん、忍者とか向いてるんじゃない?」

「……忍者というか、隠キャの者で隠者だよ、俺は……」


 間違いなく、忍者なんてカッコいいものではないだろう。


「それはそれとして、なんでこんなに早い時間なの? なにかやりたいことでもあるとか?」

「ふっふっふ……! それはねー? お楽しみってことで! とりあえず移動しよっか!」


 意気揚々と歩き出す芹沢さん。


「ちょっ、ちょっと待って!」


 そんな芹沢さんに俺は待ったをかける。


「なぁに?」

「着いていくのはいいんだけどさ。……芹沢さん、変装は……?」


 芹沢さんの今日の服装は白いシャツを緑のズボンの中にインしているという格好で、顔を隠すようなものはなにも付けていない。

 てっきり歩き出す直前にマスクでもするのかと思っていたけど、そもそもそれなら最初から付けておけばいい話だろう。

 

 尋ねると、芹沢さんは「あーそれねー」とうんうんと頷く。


「やー家出る直前までは帽子とか伊達メガネとかマスクとか用意してたんだけどねー」

「……それならどうして完全無防備に?」


 まさかピンポイントで顔の装備だけ追い剥ぎに遭ったわけでもあるまいし。


「まず、帽子とメガネは気分じゃなかった」

「……ならマスクは?」


 俺がなんとなく嫌な予感を覚えていると、芹沢さんは大真面目な顔をして、


「——この超絶可愛い顔を隠すって、世界にとって大きな損失になるよねって思って置いてきた」

「ごめん。本気でなにを言ってるのか分からない」


 これほどまでに彼女と意思の疎通が難しいと思ったことはない。

 やはり陰キャと陽キャはどこまで行っても相容れぬ存在なのだろうか。

 

「じゃあ変装はどうするのさ!?」

「変装はするよ? たーだーし、私じゃなくて」


 芹沢さんはにやりと笑い、とん、と俺の胸に人差し指突きつけてきた。


「君がね」

「……俺!?」


 言われた言葉を理解するのに一拍ほど間を置き、目を剥く。


「そう。要するに私と一緒にいるのが君だってバレなきゃいいんだから」

「い、いやいやいや! 俺なんかのことをわざわざ認知して覚えてる物好きなんていないって! だったら芹沢さんが変装した方が——」

「優陽くん」


 芹沢さんが俺の名前を呼ぶことで、話を遮ってきた。


「な、なに?」

「私は常々思っていたのですよ。優陽くんはもう少し自分に自信を持つべきだと」

「そ、それが俺が変装するのとどう繋がるのさ」

「だから、今日は映画観る前に優陽くんに自信をつけさせるべく、イメチェンの時間を取ったというわけです。おーけー?」

「お、おーけー……ってよくないよ! 流されそうになったけど、俺なんかがイメチェンしたところで——」


 無駄だと言おうとして、芹沢さんが「はいストップ」とまたも俺の声を遮った。


「なんかなんて言っちゃダメ。優陽くんは私が見込んだんだから。言ったでしょ、君は意外とハイスペックなんだよ?」

「だから、それは……芹沢さんの買い被りで……」

「じゃあ買い被りかどうか、それを確かめるって意味も含めてなにも言わずに着いてきてよ。絶対悪いようにはしないって約束するからさ」

「……とりあえずどうしてそこまでするのか聞いてもいい?」


 芹沢さんが俺の為にそこまでやる理由がよく分からない。

 着いていくにしても、理由を聞いて自分が納得してからにしたい。


「1つは今日のお詫び。映画だって無理矢理一緒に行く流れにしたものだしね」


 芹沢さんが指を1本立てる。

 1つはってことは他にもあるってことだ。

 俺は黙って頷き、続きの言葉を待つ。


「そしてもう1つ。友達として単純に君が自信を付ける手助けになればいいと思ったから」


 立てられた2本の指をジッと見つめ、俺はそっと息をついた。


「……俺の為にやってくれてることでこれ以上文句なんて言えないじゃんか。分かったよ」

「ん、よし! ま、騙されたと思って任せなときなさいって!」


 今度こそ意気揚々と歩き出す芹沢さん。

 その後ろ姿を見て、俺は、


「……騙されたと思ってもなにも、もう騙されたようなもんだよね?」


 じとりとした視線と恨み言を投げかけた。

 芹沢さんは聞こえないふりをして、へったくそな口笛を吹き始めた。

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