第7話 回想は終わり、陰キャは服を捲られる
——フライパンの上で油が跳ねる。
その音で、俺の意識は回想の世界から戻ってきた。
焦がさないように、慌てて焼いている最中の生姜焼きを皿に移す。
芹沢さんが初めて部屋を訪れてから、時間は流れて約1ヶ月。
あれから、あの時の言葉通り、芹沢さんは週に2、3回のペースで金曜日は必ず部屋に遊び来るようになった。
最初は緊張していたものの、今ではさすがにこの状況にも慣れてしまった。
なんなら、クッションやマグカップ、箸など、芹沢さんが買ってきた私物が置かれているくらいだ。
「ご飯は?」
「もち、大盛り!」
ソファで寛ぎながら、最近発売されたばかりのオープンワールドゲームをプレイしている芹沢さんの声に、俺は苦笑を漏らす。
「本当、意外なほどよく食べるよね。そんなに細いのに」
「私、食べても太らない体質だから。……はっ!? よく考えれば、これってつまり、私に可愛いままでい続けてほしいという神様からのお願いなのでは!?」
「ごめん。ちょっとなに言ってるか分からない」
とりあえず神にすら愛されている可愛さであると言いたいのは伝わってきた。
「まあ、たくさん食べてるなーっていう自覚はあるよ。だって優陽くんのご飯美味しいし」
「そう言ってもらえると作ったかいがあるよ」
「だから私が太ったら君のせいだから。その時は責任取ってね?」
「俺、毎回量どうするか聞いてるよね? 理不尽過ぎない?」
聞く度に大盛りと答えているのは芹沢さんであって、決して俺の意思で大盛りにし続けているわけではない。
げんなりしつつ答えると、芹沢さんが楽しそうに声を上げて笑う。
「冗談だよ。ちゃんと見ていないところでしっかりと努力しているのですよ、これでも」
「そうなんだ。なら、心配の必要はなかったね」
「うん。だから優陽くんが心配してるみたいに私が太って可愛くなくなるなんてことはないから、安心していいよ」
「可愛くなくなることを心配してるのは俺じゃなくて芹沢さんだよね?」
俺が心配したのは精々太るのでは、という部分だけである。
「むしろこれからもっともっと可愛くなる確定だから期待してて? 今でも最強に可愛いんだけどね」
「俺はたまに芹沢さんとちゃんと意思の疎通が出来てるのか不安になるよ」
予定じゃなくて確定と言うところは芹沢さんらしいけれども。
「あ、体型の話と言えばさ。前々から薄々気になってたことがあるんだけど……優陽くん、ちょっとこっちに来てくれない?」
なんだろう?
どのみちもう料理も出来ているので、持っていくついでに手招きに応じて近づくと、
「ていっ」
なんかいきなり服の裾を捲られた。
「な、なに? どうしたの?」
「……なんでそんなに身体が仕上がってるの?」
芹沢さんが服の裾を捲ったまま、俺の腹部をまじまじと眺めてくる。
「あー……それねー……」
「どう見てもインドア陰キャの身体付きじゃないよ、これ。うわ、めっちゃ硬い」
「あの、さすがに触られるのは恥ずかしいんだけど……」
「あ、ごめん。つい」
腹部に触れていた手の感触とこそばゆさが遠のく。
……でも裾は離してくれないんだ。
「で、このバキバキの身体付きの答えは?」
「えっと、俺の趣味って親の影響なんだけどさ」
「うん」
「こういうインドア系の趣味って外に出なくなるし、割と健康に悪いところ結構あるじゃん」
「そうだね」
「で、更に1人暮らしになって親元から離れるから、親としては子供の健康状態が心配らしくてさ」
「それはそうだろうね」
「それで、1人暮らしを始める時の条件っていうか……まあ、これは一緒に住んでた頃からなんだけど……」
「うん」
「不摂生には特に気を付けるように言われてて」
「なるほど、だから筋トレ?」
「そういうことです」
へー、と納得してくれたのに、まだ裾を離してくれない。
「けど、いくらなんでもこれはやり過ぎじゃない?」
「……それには理由があるんだよ」
「ほう」
「不摂生をしたりして身体が弛んだり、成績が下がったりしたら……」
「したら?」
「仕送り減らされるどころか、ゲームのセーブデータを消されて、最悪ネット回線を切られちゃうんだよ……ッ!」
「……っ!?」
現代っ子のオタクにこれほど効く脅しが他にあるだろうか。
その破壊力を証明するようにひゅっと浅く息を吸い込んだ芹沢さんの呼吸が止まる。
「……はっ!? ヤバい、想像しただけで心臓が止まったかと思った」
「俺はそれを実際に言われてるんだよ」
冗談で流せたらよかったんだけど、うちの親はやると言ったらやる。絶対に。
だから逆らえない。逆らったら最後、待っているのは破滅なのだから。
つまりはやり過ぎている分にはお叱りを受けないのでやり過ぎているというわけだ。
「けど、なるほどね。これで色々と謎が解けたよ」
「謎?」
「優陽くんが色々とハイスペックな理由」
「ハイスペック? 誰が?」
「今優陽くんって言ったじゃん」
……俺がハイスペック?
「いやいやいや、ないないない」
「そう言うと思ったよ」
「そりゃ言うでしょ。俺なんかのどこがハイスペックだって言うのさ」
「言ったでしょ。色々だよ」
なぜかまだ裾を捲ったまま、芹沢さんが続けて声を発する。
「まず、家事万能でしょ」
「散らかしたり食事もコンビニ弁当とかばかりだと親からの制裁が怖過ぎるからね」
「で、身体もバキバキに仕上がってるし、実は運動も地味に得意だよね」
「親から定期的な運動を義務付けられてるからね」
「成績も1年の頃はずっと20位以内に入ってたし」
「成績が下がったらその分仕送り減るし、趣味に使うお金が減るのは嫌だからね」
「見た目野暮ったいだけで実は顔立ちはそこそこいいし」
「や、それはマジで気のせいでしょ」
「ほら、ハイスペック」
「……どこが?」
聞いた上でもさっぱり分からなかった。
最後の容姿云々は普通に芹沢さんの勘違いにしても、他の要素も別に特別優れているわけでもなかったし。
「……まさか賛辞の言葉を全部受け流されるとは思わなかったよ」
「ごめん。正直褒められて嬉しいじゃなくて、急になに言ってるんだろうこの人って困惑が勝った」
「そんなことハッキリ言うんじゃないよ」
べしんと腹部を叩かれる。
それから、仕方ないなーみたいな顔で芹沢さんが笑う。
「まあ、その方が優陽くんらしいね。急に自信満々になっちゃうのは解釈違いだし」
「でしょ?」
「いや、自信がない方がらしいって言ってるのにそこで誇るような顔をされても……」
今度は呆れたような顔をされた。
自信がないことは俺が唯一自信を持てる部分だからね。
「とりあえずご飯冷めちゃうし、食べようよ。話なら食べながらでも出来るし」
「うん、そうだね」
そう言って、俺は自分の分の料理が置かれた方に行こうとしたけど、
「……あの。そろそろ離してもらっても……?」
なぜかまだ、芹沢さんは裾を解放してくれなかった。
それどころか、なんだかうずうずしているように見える。
「あの……? 芹沢さん?」
「ごめん、優陽くん。もう少しだけ見せて。というか触ってもいい?」
そんなに興味あったんだね……。
その後、芹沢さんが満足するまで腹筋や胸筋などをぺたぺたと触られ、ようやく解放された頃には、料理はすっかり冷めてしまっていた。
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