ある読書感想画

斑猫

昔日の片鱗

 特定の才能の持ち主とは、若く幼い頃からその片鱗を何処かに見せているのかもしれない。

 かつて自分が通っていた高校では、度々生徒らが読書感想画のコンクールに参加する事があった。僕自身は読書感想画に手を出す余裕なんて無かったんだけど、美術部に所属する男子生徒の一人が手掛けた、一枚の読書感想画が今でもひどく印象的だった。

 絵そのものは単なる綺麗な絵に過ぎなかった。しかし――題材になった本の内容や、描き手である島崎庄三郎の事とが絡み合い、僕の中では忘れられない絵画の一つとなってしまったのだ。


 美術部員と一口に言っても様々なタイプが存在する。僕のように運動部などの活動を頓挫して逃げ込んだ者、サブカルチャーやオタク談議に花を咲かせ、漫研と同じような部活だと思い込んでいる者などだ。

 そんな中で、島崎君は異彩を放っていた。語弊はあるけれど美術部員らしい美術部員だったのだ。どうやらサブカル趣味も多少は嗜んでいたのだけれど、大抵は男子であれ女子であれ他者とつるむ事は少なく、ただただ黙々とおのれの制作に打ち込む。手慰みや別の趣味の代替えとして生徒らが集まっていた中で、彼こそが真の芸術家だったのだ。あの頃はそんな事なんて知らなかったけれど。

 実を言えば、僕は島崎君の頃を小学校の頃から知っていた。幼馴染と言う程ではないのだけれど、気が付けば中学も高校も同じだったという塩梅である。島崎君自身も色々と魅力的というか……話題に事欠かぬ人物なのだけれど、それは長くなるのでここでは割愛させていただく。

 彼の事は、若い頃から芸術に傾倒し、それと同じくらい他者を遠ざけようとしていた変わり者であると認識していただければそれで十分だ。それと……性別を問わずに見惚れる様な並外れた美貌と、そこはかとなく匂い立つような妖しい色香を具えていたがために、陰で荒唐無稽な噂が立ち上っていたくらいであろうか。思春期を迎えた子供なんてものは妄想力が豊かであるから、島崎君の事を傾国の美青年だとか魔界からやってきた悪魔の王子様などと噂しあって興奮していたのである。そう言えば狐の子だとか妖狐の化身などと言う噂もあったっけ。その辺はまぁ、単なる子供らの戯言だから気にしなくて良いんだろうけれど。


 さて絵の話に移ろうか。島崎君が手掛ける絵を初めてみたのは、八月の中ごろの事だったんだ。美術部も夏休みは解放されていて、製作に耽ったりサブカル談議に励んだりする部員たちがいたからね。僕は確か、補習終わりにフラっと立ち寄っただけだったんだけど。


「綺麗な絵だね」


 アクリルガッシュでその絵を仕上げていく島崎君に向けた言葉は、何とも陳腐な物だったんだよ。ああ、今でももっと別の言い方が無かったかなって思う程にね。

 読書感想画をやっているんだ。僕の言葉に反応した島崎君は、吐き出すようにそう言ったんだ。真夏だというのに汗一つかかず、それどころか滑らかな頬はいっそ蒼白かった。田んぼにうっそりと佇む青鷺みたいにね。

 上半分と下半分では大分色遣いが違っていたことが、まず印象的だったんだ。何せ青黒い空の上に、影のように濃緑色の針葉樹が伸びあがっているような背景だったんだ。夜空を描いていたはずなんだけれど、浮かぶ星の明かりも敢えて控えめにしていて……ともかく上半分は暗色の強い、重たげな色調で描かれていたんだ。

 それに対して、下半分は明るくきらびやかだった。いや、下草や地面の辺りはやはり明るさを抑えた絵具で書き込んでいたんだけど、中央付近が幾分華やかに描いていたからね。後になって知ったんだけど、ラメ入りのアクリルガッシュという物まで、あの時島崎君は使っていたらしいね。

 そうしてまで強調して島崎君が描いていたのは、一組の男女だったんだ。力なく横たわる少女を、抱きすくめるように屈みこむ青年の姿は、何処となく白雪姫のワンシーンに似ていた気がした。その周囲――特に横たわる少女の周りには、念入りにきらめくものを描きこんであった。それは星の反射や花々の幻想ではなく、あからさまに宝石として描いていたんだ。


「読書感想画か……何ていう本の感想画なの?」


 何の本をモチーフにして読書感想画を描いているのか。そんな質問をしたのは、本当に純粋な好奇心からだった。これまで読んだ本の物語とは違う物を絵に落とし込んでいる。さかしくも僕はその事に気付いてしまったからね。

 だけど、島崎君は僕の質問にオーバーに反応してしまったんだ。まず驚いたように目を見開いて、それから何か申し訳なさそうな表情を見せたんだ。まるで自分が罰を受けたかのような様子でね。

 それでも島崎君は観念したように僕の問いに答えてくれた。と言っても、その時は本の題名は教えてはくれなかった。作者の名と、物語のあらましを伝えただけでね。


「……貴族と宝石と悲恋の物語なんだよ、垣内君」


 ある時、兵隊となった主人公は彼を兄弟分のように慕う少年から宝石を見せられた。彼は革命での粛清を逃れた亡国の生き残りであるらしいのだが、主人公は何故彼が宝石を見せてくれたのか解らなかった。そして何よりも、宝石の輝きに魅了されてしまったのだ。

 ある時主人公の属する軍隊は敵兵に襲撃されたのだが……その時になって件の少年が実は少女で亡国の王女だった事、宝石を見せたのは恋心故の事だと悟ったのだ。その時に彼は宝石を手に入れたものの、二人の恋が成就する事はついぞ無かったのである――島崎君はそんな風に感想画の物語を教えてくれたのだった。


「成程ね。確かにそれは悲恋だね」


 そうだとも。島崎君は絵の具の乾かぬ指先で頬をかいていた。


「……もしかしたら、先生方はお気に召さないかもしれないけれどね。僕だって、兄さんたちや母さんの目を盗んでこれを書いているんだから」


 まるで未来を見てきたかのように島崎君はそう言って笑っていた。島崎君に多くの兄弟がいる事、庄三郎の名の通り三男坊である事はもちろん僕も知っている。変わり者として振舞っている彼も、一回り近く年長の長兄に対しては、多少なりとも遠慮しているという事も。


 島崎君から教えられた物語を実際に読んでみたのは、件の絵を見てからおよそ一か月後の事だった。事態は島崎君の予想通りに進んでしまったのだ。絵そのものは申し分のない出来栄えだったのだが、元にした本が本だけに、大々的にコンクールに出すべきか否かと、大人たちが協議してしまったのである。

 そのような噂を聞いていたからこそ、僕はその本の内容が気になってしまったのだ。

 本の題名は知らなかったけれど、作者の名前と大まかなあらすじが解っていたから探すのは苦ではなかった。今でもそうだけれど、当時もインターネットは発達していたからね。

 だけど、僕は作者の名前を聞いた時点で察しておくべきだったのかもしれない。

 貴族と宝石と悲恋の物語。島崎君の説明は決して間違いではなかった。だけど彼の言葉は、何も知らない僕を慮り、オブラートにオブラートを包み上げたものだと、読み進めるうちに思い知ったのだ。原作の方も、陰惨なシーンを直截的に描写していた訳ではない。けれどまさか、主人公と宝石がああいう形で繋がってしまうとは。

 島崎君はやはり芸術家としての素養を持ち合わせていたのだ。読書による悪夢を抜け出した僕は、彼が描いた読書感想画を思い浮かべながらそう考えるのがやっとだった。陰惨で残酷でグロテスクな部分をどうにか自分で咀嚼して、ああも美しく切なげな感想画に仕立て上げたのだから。島崎君の、世俗や慾に濁らぬ心の在り方を思い知った気もした。


 それからいくばくかの歳月が経った。島崎庄三郎は美大を卒業したのだと風の噂で聞いていたが、細々ながらも芸術家として活動しているとの事だった。やはり島崎君は芸術家として生きているのだ。あの絵を知っている僕は静かにそう思っている。

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