夜の掌底

そうざ

Shoutei of the Night

 上着の上から逞しい三角筋や上腕二頭筋を愛おしく撫でてやると、彼女は呆れながら微笑んだ。

「そんなに筋肉が好きなの?」

「君の筋肉だから好きなんだよ」

 薄暗い街路灯の下でも、彼女の頬が上気するのが判る。

 真夏の夜の公園、ベンチに並んだ僕達の他に人の影はない。いちゃ付き放題である。

「今度の大会は勝てそう?」

「貴方の為に勝ってみせるわ」

 ランニング中の彼女を半ば強引に誘った。女子空手道県大会への初出場を控え、猛練習の真っ只中だが、僕に誘われたら嫌と言えないどころか尻尾を高速回転させてまっしぐらの雌犬である。

 体格から言えば、彼女は大型犬、僕は小型犬だ。世間は僕達みたいな組み合わせをどう見るのだろう。僕の事をドMと呼ぶ奴も居る。が、まるで逆だ。僕は、彼女を恥じらいの彼方へ追い込む事にこの上ない愉悦を覚えるような男である。

「えっ……こんな所で」

「誰も居ないから平気だよ」

 僕は彼女の上着のファスナーを下ろし、Tシャツの胸元に指を這わせた。張り詰めて盛り上がった大胸筋だいきょうきんが汗と体温とでしっとりとしている。ゆっくりと撫で下ろすと、更なる隆起が早鐘の鼓動を包んで僕の掌に溢れた。

 敢えて胸の突端を避けて進み、外腹斜筋がいふくしゃきんの凹凸に五指を馴染ませる。女体が擽ったそうに身を捩る。そこから腹直筋ふくちょくきんへと指を這わせ、びくんとする横顔を確認しながら撫で回す。

「掌が……熱い……」

 吐息混じりの笑みで応える彼女に、僕の興奮は高まるばかりだ。

「君の体温の方が熱いよ」

 腿の短内転筋たんないてんきん長内転筋ちょうないてんきんまさぐると、彼女は股関節のしなやかさを見せ付けるかのように自ら両足を広げた。

にも筋肉はあるんだっけ?」

 恥骨筋ちこつきん回りで手を止めると、彼女は顔を背けた。表情を見られまいとする素振り自体が悦楽の程を雄弁に物語る事に気付いていないようだ。その無防備さが僕を激しく挑発する。

 僕は堪らずTシャツの裾を捲った。

「あぁ……人が来たら大変」

「大丈夫だって」

 ゴムの跡が付いた下腹部に沿って掌を差し込むと、生ける筋肉と化した彼女がしな垂れ掛かった。僕の指が汗かどうかも判らない潤いを捉える。途端にか細い声が夜陰に溶け出した。

「あっ…………待ってっ」

「もう止められないよっ」

 息絶え絶えの彼女と眼が合った。何故か、その眼の奥に一点集中、一撃必殺の気迫が立ち昇っていた。


 夜空に星が散った。僕の眼前から散った。


「ほら、こんなに吸われてたよっ」

 彼女の分厚い掌底しょうていに、夜目にも鮮やかな血糊と、見事にぺしゃんこになった一匹の蚊がこびり付いていた。

 僕は、鼻の穴から錆臭い液体を垂らしながら、彼女の県大会優勝は間違いないと確信した。

 念の為にもう一度だけ言う。僕はドMではない。

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