伯爵令嬢は婚約者である第三王子に異世界転生を隠したい?

猫月九日

第1話

 ある時代のとある王国に一人の第三王子がいました。

 王子の名前は、アカシア。

 15歳になる彼は非常に優秀で、彼を次期王子にと推す声も少なくありません。

 しかし、本人は、


「いや、僕は裏から支えるほうが得意だから」


 と言って、継承権を放棄することを明言しています。

 そのおかげもあって、上の兄弟二人との仲も良好、次世代も安泰だと囁かれていました。

 今日も、裏方の業務として、書類作業に励んでいます。


 さて、そんなアカシア王子には、一人の婚約者がおりました。

 彼女の名前は、


「アカシア様!!」


 書類作業をしている、王子の元に、ばたんと扉を開けて、一人の女の子が入ってきました。

 ピンク色の髪に、はつらつとした瞳は見るものに活力を与えます。


「アカシア様!アカシア様!」


 彼女はまるで主人に近寄る子犬のように、アカシアの元に寄っていきます。

 その姿、淑女とはとても言えません。

 しかし、彼女こそが、アカシアの婚約者、伯爵令嬢のアイビーなのでした。


「やあ、アイビー、今日はどうしたんだい?」


 突然入ってきたアイビーに対して、アカシアは柔らかな微笑みを返します。

 こんな風に、アイビーが入ってくることも、アカシアにとって日常茶飯事。

 取り立てて、騒ぐことではありません。


「アカシア様!凄い事を思いついたのです……きゃっ!」


 勢い余って、転びそうになったところをアカシアが抱きとめます。


「おっと、大丈夫かい?」


「あ、ありがとうございます」


 無事に転ぶ前に抱きとめられたお陰で、アイビーには怪我ひとつありません。


「よかったよ、愛する婚約者に傷がなくて」


「あ、愛する!?」


 突然の愛の言葉に、顔を赤くするアイビー。

 対して王子はそれを微笑ましそうに見つめます。


「初々しいのは可愛いけれど、来年には結婚だからね、もう少し慣れてほしいな」


「うっ、ど、努力します……」


 二人の関係は、来年には婚約者から夫婦に変わります。

 きっと、二人の恋愛における力関係はそのままでしょう。


「それはそうと、どうしたんだい?」


 王子が空気を変えるように返します。


「そうでした!」


 アイビーはその言葉を聞いて、思い出したようにパッと離れます。


「アカシア様!私、また凄い事を思いついたんです!」


「うん?先週の温かい風を出す魔道具もまだ実験中だよ?」


「はい!あ、ドライヤーはどうなりましたか?」


「あれはドライヤーというのかい?今は宮廷魔道具師にアイビーの試作を渡して、量産できるか試してもらってるよ」


「そうですか、あれができればお風呂の後に楽になりますからね!ぜひお願いします!」


 先週アイビーが持ってきたのは温かい風を出す魔道具。

 ドライヤーという名前らしいそれは、単に温かい風を出すだけの魔道具ではありますが、手軽に長い髪が乾かせるということで、お城のメイドが絶賛していました。

 その話は、アカシアの母、すなわち王妃の元まで届き、即座に量産できないか検討することになっています。

 そんなふうに、アイビーが持ってくる魔道具は、非常に便利ということで、とても期待されているのです。


「まぁ、いいか。それで、今日のはどんなものだい?」


「はい、今日のものは、前と逆で物を吸い込む魔道具です!」


「物を吸い込む?」


 アカシアはどういったものかわからない、という表情を浮かべます。


「はい、これがその掃除機です!」


 アイビーは自分の魔法袋からなにやら取り出します。


「これは……四角い箱にホース?」


「はい、このホースの先から物を吸い込んで、四角い箱の中に貯めるのです」


 こんなふうに、とアイビーが実践します。

 持ってきたハンカチを床に落とし、それをホースに近づけると、ハンカチがホースの中に吸い込まれました。


「おおっ!あれ?でもハンカチは?」


「ハンカチはこの通り、取り出すことができます」


 アイビーはパカッと、四角い箱を開けると、その中からハンカチを取り出しました。


「ふむ、なるほど。物を吸い込むか……先週のドライヤーとは逆の方向だね」


「はい、思いついたのはすぐだったんですが、ちょっと難しくて時間がかかりました」


「難しいと言いつつ、一週間で作っちゃうのはさすがアイビーだね」


 アカシアが褒めると、少し恥ずかしそうにします。


「うん、機能はわかった、でも、これって何に使うの?」


 ハンカチを吸い込むだけではないと思うけど、とアカシアは続けます。


「これの主な用途はゴミを集めたりすることです、埃や枯れ葉なんかも集めることができますよ」


「あ、なるほど。つまり箒の代わりってことだね?」


「はい、その通りです!」


 アイビーの意図を理解して、アカシアは納得する表情です。


「メイドが重宝しそうだね」


「はい!とっても便利なんですよ!」


 二人は笑い合います。


「それにしても、アイビーは凄いね。こんな便利そうな道具を思いつくなんて」


「それは、前世で……あ、いえ、うちのメイドが掃除を大変そうにしていたので」


「?そっか、アイビーは優しいね」


 王子の言葉に、アイビーは何故かしどろもどろになります。

 アカシアは、不思議に思ったものの気にしないことにしました。


「そ、それで、アカシア様」


「うん、わかってる。これも、預かって大丈夫かい?また皆に見せてみるよ」


「はい!お願いします!」


 いつも通りに、アイビーの試作品を預かります。


「さ、魔道具の話はこれで終わりかな?それじゃあ、お茶にでもしようか」


「はい!」


 メイドを呼んで、二人はお茶にすることにしました。



 アイビーが去った後のアカシアの部屋には、

 アイビーの作った魔道具を眺めるアカシアの姿がありました。


「うーん、掃除機か。思ってたよりは普通かな?」


 慣れた様子で掃除機のスイッチを入れて起動します。


「力は結構ありそうだけど、流石に変な応用の余地はないか」


 自分の手に掃除機の先を当てて、力を確認しています。


「これはセーフかな」


 言いつつ、スイッチを切って、掃除機を止めてそれを自分の魔法袋に入れます。


「それにしても、ドライヤーに引き続いて掃除機とはね」


 アカシアは思い返して思わず笑ってしまいます。


「名前も地球のやつそのままだし、アイビーは本当に転生者であることを隠す気があるのかな?」


 転生者。

 アイビーが持ってきた、ドライヤーと掃除機は地球にあったものそのままです。

 つまり、アイビーは地球からの転生者だとアカシアは確信していました。

 それがわかるということはつまり……


「全く、僕が同じ転生者じゃなかったら大変なことになってたよ」


 アカシアも同じように地球からの転生者だということでした。


 アカシアが自分が転生者ということに気がついたのは、もう10年も前のことでした。

 実は、この国では転生者というのが過去にもいました。

 しかし、その全てが横柄に振る舞い、結果、この国では転生者というのが悪い意味となっています。

 ずるとでも思われるほどの強い力を持ち、自分勝手に振る舞っていたからです。

 ことわざとして、「転生者のように振る舞う」が「横柄に振る舞う」となっているくらいには悪い意味があります。

 そんな転生者として、しかもこの国の王子として自覚したアカシアがそれを隠すようになったのは当然でしょう。


 そして、それから数年。

 アカシアはアイビーと出会います。

 高値の花に憧れ続けた前世での好みとは全く違う彼女に、何故かアカシアは一目惚れをしてしまいました。

 アイビーも自分を好きになってくれたらしく、二人が婚約者になるまでさほど時間はかかりませんでした。


 そしてここ数年、アイビーはいろんな発明に手を出し始めました。

 国立学校で魔道具の授業を受け始めたのがきっかけでしたが、彼女が色々な物を作るのは昔からのことらしいと聞きました。

 幼い時に作ったという、小麦粉から作る麺料理は今は国民の主食の一つに数えられます。


 そして今は、魔道具です。

 前回持ってきたのはドライヤー、今回は掃除機。

 彼女も転生者なのだということには、もうとっくの昔に気がついていました。

 しかし、アイビーに聞いたところで、


「ててて、転生者?アカシア様は何をおっしゃるのです!?」


 みたいな反応をされるだけに違いありません。

 そもそも、転生者というのは悪い意味で使われる、


「キミ、転生者じゃない?」


 というのは、


「キミ、わがままだね?」


 と同じ意味になってしまうのです。

 そういうわけで、深く追求することはできません。

 しかし、アカシアは確信しています。

 アイビーは自分と同じく、間違いなく地球の日本からの転生者だろうと。

 彼女が隠したがっている以上、自分もそれに付き合おうと決意をしました。


「だけど、あんまりあからさまにこんな前世からの道具作ってこられると隠すのも大変だよ」


 アカシアは苦笑します。

 しかし、それもこれも愛する婚約者を守るためです。

 そうして、今日もアカシアは隠蔽工作に勤しむのでした…

 アカシアの花言葉は、


『秘密の恋』


 そうやって彼は彼女の秘密を守るのでした。



 場所は変わってそこは、アイビーの部屋。

 アイビーは自分のベッドで横になり、枕にうつ伏せになっていました。


「あー、今日もアカシア様はかっこよかったわ」


 思い出すのは、今日の昼間のこと。

 アカシアに会って帰ってきた日は、こうやって自分のベッドで悶えるのがアイビーの日課です。


「ドライヤーに掃除機。アカシア様はきっとまた私のことを守ってくれるでしょう」


 考えると笑みが止まりません。

 アイビーはアカシアが考えている通り地球の日本からの転生者です。

 もちろん、彼女も転生者というのが悪い意味で使われることを知っています。

 しかし、それでもアイビーは地球の魔道具を作ることをやめません。

 何故ならば、アカシアが自分のことを守ってくれるからです。


「ふふっ、アカシア様は困っていらっしゃるでしょうか」


 そうやって困らせている間だけは、間違いなくアイビーのことを考えてくれる……

 これが彼女なりの愛なのでした。


 アカシアが考えている通り、アイビーには秘密があります。

 しかし、それは彼女が転生者という些末な事情ではありません。

 彼女が秘密にしていること、それは…


「~~~~くんは転生しても変わらないわ」


 この世界では発音できない名前。

 それは、アカシアの前世の名前でした。

 そう、アイビーはアカシアの前世を知っています。

 アイビーはアカシアを一目見た時に、彼が彼であることに気がつきました。


 前世において、アイビーは完璧な生徒会長という立場で、そんな彼女を支える副会長がアカシアでした。

 その頃から、ずっと彼女は彼に恋をしていました。

 しかし、前世ではそれが実ることはありませんでした。その理由を彼女はこう考えたのです。


『完璧すぎる自分は可愛げがない』


 だから、今生こそは結ばれるために彼女は、彼が好む自分を全力で演じ続けているのです。

 そう、ちょっと『隙がある愛嬌の女の子』という自分を。

 ただ、彼に愛されたいがため、そこに苦痛は全くありませんでした。


 アイビーの花言葉は、


『死んでも離れない』


 そうして彼女は彼の隣に居続けるのです。

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