第16話 暗唱される物語

「ワタモノに金物と炭を扱わせるんじゃねえよ、まったく!」

「僕がやろう」

 

 文句を言い言い火箸で炭をつまみ上げようと苦戦するギイから、サジーが火箸を取り上げる。

 その間も、やけどでヒリヒリと痛む指を握りしめながら、ヨモは考え続ける。


「マニシャ、答えてよ。とくべつ、コトバにとらわれやすい状態だったんじゃない? それは今も、これを吸い続けているかぎり続いている」


 マニシャは答えず、変わりにギイが声をあげた。

 

「つまり、どういうことだヨモ?」


 ヨモの手は、ギイの、濡れて冷えた綿のお腹に押し付けられている。

 

「正気の状態ではないかもしれないってこと。そんな頭で、ショウセツの修繕なんて無理だよ。コトバはそんないい加減に取り扱えるものじゃない。失踪した日、マニシャがコトバに飲まれたのは、水タバコで吸引した植物の幻覚成分のせい。コトバが砕かれていたのも、なにか恐ろしいものを見たからじゃない?」

 

 ヨモの鋭い言葉に、マニシャは肩をすくめてから返答がわりの質問を投げる。


「ショウセツだけ、半月のぽえが使われるのはなんでか分かるかい? 他は藤の実なのに」


「……半月のぽえの種は……ええと、特別な太い幹の、毒のある植物の種だって習った。どうして藤の実を使わないのかは知らないけど」


「知らないでは済まないよ、考えてみたほうがいい。ショウセツのぽえにつかう種がとれる植物は、党首の管理する庭でしか育ててはいけない。毒性が強く、幻覚作用があるからだ。どんな見た目か知っているかい? 多肉植物というものは知っているかな?」


 そう言ったマニシャが目線を、先程のむくむくして、棘だらけの、腫れた手のような植物にやる。


「まさか、マニシャ……」


「そのまさかだよ。石の生え始める前から、密かに入手して育てていたんだ。党首にロンブンを献じる機会も、それなりにあるからね。……僕は現世界で扱われているショウセツについて『全て』を知りたいと思っていた。石が生えたことによる不安を和らげたいのもあったけど、それだけじゃない。党首の秘密の庭でしか育てられない植物がどんなものか、体験して知るべきだと思ったんだ。結果はご覧の通り、『目覚め』だ。つまり、うんざりするくらい正気だよ。キミの知らないこの世界の秘密を知ってるんだから」


「秘密?」


「つまりね、ヨモ、党首は民衆が手にすることのない特別な種を使うことで、ショウセツとそれを修繕する修繕士に対する警戒感けいかいかんを煽っている。なぜか? それだけショウセツは魅力的だから。そしてショウセツを修繕されて藤の実ごと広められると、ショウセツに隠された世界の秘密を民に知られてしまう。党首はそれを恐れているから、恐ろしい、特別な種をショウセツを閉じ込めるぽえに定めた」


 そう語り終えると、マニシャは水パイプの吸い口を唇に挟んだ。

 ヨモは何も答えられない。目の前のマニシャが不気味で仕方がない。

 背後から、サジーがそっと近寄ってくる。

 ヨモの耳元に口を寄せると、密かに告げた。

 

「逃げて欲しい。……キミを見た時、こんな普通の女の子を巻き込んだらいけないと思ったんだ。だからわざと転覆させるなんてことをした。キミをマニシャに会わせるべきじゃなかった。党首を疑うマニシャの言葉は、聞かなかったことにして欲しい」


「そんなこと言うなら最初っから手紙なんか届けるんじゃねえよ」


 ひそひそとした声のまま、ギイがマニシャに言い返す。


「どうにかしてた。言いくるめられたんだ。それに手紙も、ショウセツから離れるようにっていう忠告だけなんだろ。それで古い付き合いのコトバ修繕士に、連絡をとりたいだけだっていうから……会いに来るかもしれないとは聞いていたけど」

 

 気まずげに言い訳を並べ立てるサジーの言葉を断ち切るように、ヨモが腕で制した。

 

「私、マニシャの手紙の本当の意味が分かったの。『助けて欲しい』でしょ。ねえ、『混沌』が喋りだしてから、マニシャの手に負えなくなってきたんじゃない? 私にはマニシャがずっと、困っているように見える。一人で背負い込んで、怯えているように見える」


 凛とした声で、ヨモが言い放った。真っ直ぐ向けられた視線の先には、マニシャが居る。

 マニシャは余裕の顔で笑いながら、水パイプの吸い口を離して、煙を吐いた。

 甘い香りが部屋に満ちて、ヨモは軽いめまいをおぼえる。

 

「うーん、惜しいな。困ってはいるけど、正しくは『手助けして欲しい』だよ。僕の知っているヨモのままなら、『コトバの修繕をやめろ。ショウセツから離れろ。』なんて言われたらきっと僕が気になって仕方なくなるだろうから。会いに来てくれると思った」


 マニシャの言葉に、ヨモの胸が小さく痛んだ。

 『元気だよ』の一言、いや、たとえ白紙の手紙でも、ヨモはマニシャに会うためにやって来た。マニシャに会いたいとずっと思っていたし、マニシャはヨモのその気持を知ってくれていると、思い込んでいた。


「……手助けって、何?」


 震える声で、ヨモがたずねる。きっと嬉しい答えは返ってこないだろうと思いながら。


「喋り始めた子どもと、これから生まれる子どもの世話を、一緒にしたいんだよ」


 あっさりとマニシャが言う。外から、子供たちの別れの声が聞こえてくる。続けて、軽い足音が土間を通って入ってくる。

 ひぃっ、とサジーが小さな悲鳴をあげる。


「おとーさん、はやくぼくも妹か弟がほしいよ」


「うん、また作るからね」


「はやく反響しあいたいよ。Nyarlathotepナイアーラトテップのはなし。ともだちはみんなきいてくれないし」


 マニシャの両腕にもぐり込んで、混沌が甘えた声で言う。

 二人の姿が、近づいたり、遠ざかったりとヨモの視界が歪んでいく。マニシャの吐く煙で、ヨモの頭がくらりと揺れる。

 重力がおかしくなって、体が斜めにかたむく。


「子どもを増やすなんて絶対に嫌だ、絶対に嫌だ。混沌が生まれてどんどんマニシャがおかしくなったんだ……助けてほしいのはこっちだよ……」


 サジーが後ずさり、自分が床に置いた火箸に躓いて後ろ向きに転んだ。

 床の振動が愉快だったのか、混沌はきゃっきゃと笑ってマニシャの顎に口づける。

 マニシャが混沌の耳元でなにごとかを囁くと、混沌は目を細めてうなずいた。

 それから、朗々とした声で混沌は暗唱をはじめた。


「ナイアーラトテップ……這い寄る混沌……残ったのはもうわたしだけ……この何もない空を聞き手にして、お話ししようと思います*」

 

 ヨモの耳には、その声ははるか遠くから響いてくるように聞こえる。

  

「先に行った方々から招かれるかのように、わたしは、大きな雪だまりのあいだを、なかば流れるように、ふるえながら、おびえながら、想像もできない、何も見えない、その穴のなかへ吸い込まれていって――*」


 続けて暗唱するマニシャの言葉は、今度は体のすぐ下から這い登ってくるように感じる。


「やがて呪わしい太鼓と笛のに合わせ、そこでゆるやかに、無様に、そして愚かしく踊るのは、つつやみの、巨大な究極の神々――目もなく声もなく、心もない怪物の塊、そいつが化けて現れたものこそ、ナイアーラトテップなのです*」


 二人の声が合わさって、ヨモの周りを取り囲む。吐き気を覚えて目をつぶると、瞼の裏に文字が踊りはじめた。

 急いで目を開けるが、視界には文字が残る。依然、踊り続けている。

 マニシャと混沌の間でコトバは、力を強めていく。


 ――ショウセツであるが、予言であり、神話であり、現世界の創出の物語でもあると、僕は思っているよ。


 マニシャの言葉がヨモの上から降り注いできて、その重みにヨモは膝をつく。

 ギイの声が聞こえる気がするが、何を言っているのか分からない。


「旧世界と現世界のヒトは違う生き物だ。生殖が違うんだから当たり前だ。どうやって現世界が成立した? 旧世界が滅ぼされたからだ。党首はどうも、僕たちを旧世界とひと続きの存在にしたいみたいだけれど、果たしてそうかな? 石から生まれる僕たちは旧世界の外からきた、敵だったんじゃないかな。だって党首は、誰も覚えていないほど昔から、ずっと党首じゃないか。おかしいと思わないか? 僕に気付かせてくれたのが、力のあるコトバ、特別なコトバ、そう、Nyarlathotepナイアーラトテップだ」


 マニシャの言葉に、混沌が笑い声を上げる。

 気づくとヨモはマニシャの方へと、足を踏み出していた。


「そう、僕のところにおいで。一緒に子どもを育てよう。僕は呪われた血なんかじゃない、最初の現世界人はきっと婚姻とか男女とかそんなこと関係なく、僕みたいにして増えたはずだ」


 拾いそこねた薄い石の欠片を踏んだが、痛みはずっと後からやってきた。

 ヨモの覚悟は決まっていた。マニシャを助ける。コトバにとらわれる前のマニシャに戻す。

 そのために、出来ることをしたいと思った。


 ――怖くない。マニシャはもともと優しいヒトだから。優しいから、コトバに飲まれることもある。優しいから、子ども石セキエイが生えたら砕けない。じょうのヒトであるマニシャは、きっとずっと、苦しんできた。

 

*引用:H・P・ラヴクラフト.『ニャルラトホテプ』.大久保ゆう訳,青空文庫,筆者によりニャルラトホテプをナイアーラトテップに変更

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