第16話 暗唱される物語
「ワタモノに金物と炭を扱わせるんじゃねえよ、まったく!」
「僕がやろう」
文句を言い言い火箸で炭をつまみ上げようと苦戦するギイから、サジーが火箸を取り上げる。
その間も、やけどでヒリヒリと痛む指を握りしめながら、ヨモは考え続ける。
「マニシャ、答えてよ。とくべつ、コトバにとらわれやすい状態だったんじゃない? それは今も、これを吸い続けているかぎり続いている」
マニシャは答えず、変わりにギイが声をあげた。
「つまり、どういうことだヨモ?」
ヨモの手は、ギイの、濡れて冷えた綿のお腹に押し付けられている。
「正気の状態ではないかもしれないってこと。そんな頭で、ショウセツの修繕なんて無理だよ。コトバはそんないい加減に取り扱えるものじゃない。失踪した日、マニシャがコトバに飲まれたのは、水タバコで吸引した植物の幻覚成分のせい。コトバが砕かれていたのも、なにか恐ろしいものを見たからじゃない?」
ヨモの鋭い言葉に、マニシャは肩をすくめてから返答がわりの質問を投げる。
「ショウセツだけ、半月の
「……半月の
「知らないでは済まないよ、考えてみたほうがいい。ショウセツの
そう言ったマニシャが目線を、先程のむくむくして、棘だらけの、腫れた手のような植物にやる。
「まさか、マニシャ……」
「そのまさかだよ。石の生え始める前から、密かに入手して育てていたんだ。党首にロンブンを献じる機会も、それなりにあるからね。……僕は現世界で扱われているショウセツについて『全て』を知りたいと思っていた。石が生えたことによる不安を和らげたいのもあったけど、それだけじゃない。党首の秘密の庭でしか育てられない植物がどんなものか、体験して知るべきだと思ったんだ。結果はご覧の通り、『目覚め』だ。つまり、うんざりするくらい正気だよ。キミの知らないこの世界の秘密を知ってるんだから」
「秘密?」
「つまりね、ヨモ、党首は民衆が手にすることのない特別な種を使うことで、ショウセツとそれを修繕する修繕士に対する
そう語り終えると、マニシャは水パイプの吸い口を唇に挟んだ。
ヨモは何も答えられない。目の前のマニシャが不気味で仕方がない。
背後から、サジーがそっと近寄ってくる。
ヨモの耳元に口を寄せると、密かに告げた。
「逃げて欲しい。……キミを見た時、こんな普通の女の子を巻き込んだらいけないと思ったんだ。だからわざと転覆させるなんてことをした。キミをマニシャに会わせるべきじゃなかった。党首を疑うマニシャの言葉は、聞かなかったことにして欲しい」
「そんなこと言うなら最初っから手紙なんか届けるんじゃねえよ」
ひそひそとした声のまま、ギイがマニシャに言い返す。
「どうにかしてた。言いくるめられたんだ。それに手紙も、ショウセツから離れるようにっていう忠告だけなんだろ。それで古い付き合いのコトバ修繕士に、連絡をとりたいだけだっていうから……会いに来るかもしれないとは聞いていたけど」
気まずげに言い訳を並べ立てるサジーの言葉を断ち切るように、ヨモが腕で制した。
「私、マニシャの手紙の本当の意味が分かったの。『助けて欲しい』でしょ。ねえ、『混沌』が喋りだしてから、マニシャの手に負えなくなってきたんじゃない? 私にはマニシャがずっと、困っているように見える。一人で背負い込んで、怯えているように見える」
凛とした声で、ヨモが言い放った。真っ直ぐ向けられた視線の先には、マニシャが居る。
マニシャは余裕の顔で笑いながら、水パイプの吸い口を離して、煙を吐いた。
甘い香りが部屋に満ちて、ヨモは軽いめまいをおぼえる。
「うーん、惜しいな。困ってはいるけど、正しくは『手助けして欲しい』だよ。僕の知っているヨモのままなら、『コトバの修繕をやめろ。ショウセツから離れろ。』なんて言われたらきっと僕が気になって仕方なくなるだろうから。会いに来てくれると思った」
マニシャの言葉に、ヨモの胸が小さく痛んだ。
『元気だよ』の一言、いや、たとえ白紙の手紙でも、ヨモはマニシャに会うためにやって来た。マニシャに会いたいとずっと思っていたし、マニシャはヨモのその気持を知ってくれていると、思い込んでいた。
「……手助けって、何?」
震える声で、ヨモがたずねる。きっと嬉しい答えは返ってこないだろうと思いながら。
「喋り始めた子どもと、これから生まれる子どもの世話を、一緒にしたいんだよ」
あっさりとマニシャが言う。外から、子供たちの別れの声が聞こえてくる。続けて、軽い足音が土間を通って入ってくる。
ひぃっ、とサジーが小さな悲鳴をあげる。
「おとーさん、はやくぼくも妹か弟がほしいよ」
「うん、また作るからね」
「はやく反響しあいたいよ。
マニシャの両腕にもぐり込んで、混沌が甘えた声で言う。
二人の姿が、近づいたり、遠ざかったりとヨモの視界が歪んでいく。マニシャの吐く煙で、ヨモの頭がくらりと揺れる。
重力がおかしくなって、体が斜めにかたむく。
「子どもを増やすなんて絶対に嫌だ、絶対に嫌だ。混沌が生まれてどんどんマニシャがおかしくなったんだ……助けてほしいのはこっちだよ……」
サジーが後ずさり、自分が床に置いた火箸に躓いて後ろ向きに転んだ。
床の振動が愉快だったのか、混沌はきゃっきゃと笑ってマニシャの顎に口づける。
マニシャが混沌の耳元でなにごとかを囁くと、混沌は目を細めてうなずいた。
それから、朗々とした声で混沌は暗唱をはじめた。
「ナイアーラトテップ……這い寄る混沌……残ったのはもうわたしだけ……この何もない空を聞き手にして、お話ししようと思います*」
ヨモの耳には、その声ははるか遠くから響いてくるように聞こえる。
「先に行った方々から招かれるかのように、わたしは、大きな雪だまりのあいだを、なかば流れるように、ふるえながら、おびえながら、想像もできない、何も見えない、その穴のなかへ吸い込まれていって――*」
続けて暗唱するマニシャの言葉は、今度は体のすぐ下から這い登ってくるように感じる。
「やがて呪わしい太鼓と笛の
二人の声が合わさって、ヨモの周りを取り囲む。吐き気を覚えて目をつぶると、瞼の裏に文字が踊りはじめた。
急いで目を開けるが、視界には文字が残る。依然、踊り続けている。
マニシャと混沌の間で響きを交換したコトバは、力を強めていく。
――ショウセツであるが、予言であり、神話であり、現世界の創出の物語でもあると、僕は思っているよ。
マニシャの言葉がヨモの上から降り注いできて、その重みにヨモは膝をつく。
ギイの声が聞こえる気がするが、何を言っているのか分からない。
「旧世界と現世界のヒトは違う生き物だ。生殖が違うんだから当たり前だ。どうやって現世界が成立した? 旧世界が滅ぼされたからだ。党首はどうも、僕たちを旧世界とひと続きの存在にしたいみたいだけれど、果たしてそうかな? 石から生まれる僕たちは旧世界の外からきた、敵だったんじゃないかな。だって党首は、誰も覚えていないほど昔から、ずっと党首じゃないか。おかしいと思わないか? 僕に気付かせてくれたのが、力のあるコトバ、特別なコトバ、そう、
マニシャの言葉に、混沌が笑い声を上げる。
気づくとヨモはマニシャの方へと、足を踏み出していた。
「そう、僕のところにおいで。一緒に子どもを育てよう。僕は呪われた血なんかじゃない、最初の現世界人はきっと婚姻とか男女とかそんなこと関係なく、僕みたいにして増えたはずだ」
拾いそこねた薄い石の欠片を踏んだが、痛みはずっと後からやってきた。
ヨモの覚悟は決まっていた。マニシャを助ける。コトバに
そのために、出来ることをしたいと思った。
――怖くない。マニシャはもともと優しいヒトだから。優しいから、コトバに飲まれることもある。優しいから、
*引用:H・P・ラヴクラフト.『ニャルラトホテプ』.大久保ゆう訳,青空文庫,筆者によりニャルラトホテプをナイアーラトテップに変更
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