第15話 マニシャとサジーと彼女

 サジーが十一歳、マニシャが十二歳の秋のことだった。


 ――ぽちゃん。


 運河に投げ入れられた石が、水面に波紋を描く。

 

「いやな夢を見たよ」


 石を投げ込んだサジーが、膝を抱えるように座り直して、言った。


「聞かなくても分かるから、言わなくていいよ」


 買った飴湯あめゆをすすりながら、隣に座るマニシャがこたえた。

 

「聞いてくれてもいいだろ」


「どうせいつもの、石が生えたってやつだろ」


「……タミュンとキスしようとしたんだよ。そうしたら僕の顔に石が生えて、タミュンは叫んで逃げ出したんだ」


「じゃあいい夢じゃないか。タミュンとキスする寸前までいくなんて」


 そう言って、ハハッ、と笑ったあと、マニシャはふいに真顔になった。

 わざと音をたてて飴湯をすすってから、マニシャは黙りこくってしまう。

 それを横目で見ながら、サジーが言った。


「僕は配達人になるよ。配達人のこうには入れないから、どうやって営業しようかな。それはこれから考えるけどさ、とりあえず、私塾を出て、タミュンのことを忘れて生きるんだ」


「……それで、適当な親戚の娘と婚姻するわけだ。可哀想なタミュン。ずっとサジーを好きなのに」


 甲高い音を立てて、飴湯を入れた器が落ちて割れる。

 サジーがマニシャを殴りつけていた。

 通行人の視線が集まりかけるが、喧嘩をしているのがサジーとマニシャだと分かると、視線はさっさと離れていく。

 殴られたマニシャの頬に、サジーの涙が落ちる。


「そんなの分かってるんだよ、……分かってるけど、仕方ないだろ! そんなこと言ってもどうにもならないだろ!」


 そう叫ぶサジーにえりを掴まれて首の締まったマニシャは、ぜえぜえと口で呼吸をしながらも笑っていた。

 男でも未婚でも子ども石セキエイが生える一族だなどと世間に露見するくらいなら、近親婚を繰り返す不気味な一族だと思われた方がマシだ、というのがサジーの考えであり、一族の考えでもある。


 タミュンとは私塾で一緒になった娘で、実家は甘味屋をしている。マニシャの飴湯も、そこで買ってきたものだ。

 マニシャとサジーの一族は、街では忌避きひされていた。私塾の生徒にも避けられていたが、タミュンだけは別けへだてなく接してくれていた。そしていつしか、タミュンとサジーは、誰が見ても想い合っているのが分かるほど、近づいていった。

 それでもサジーは、タミュンとの将来に希望を見出すことは出来なかった。

 自分を諦めさせるため、サジーは私塾を途中で退塾することにしたのだった。

 

 


「悪かったよ、マニシャ。殴るほどじゃなかった」


 運河に沿った道を歩きながら、サジーが隣を歩くマニシャに声をかける。

 暮れはじめた景色の色調に、運河の濁りがとけこんでいる。河を眺めながら歩いていたマニシャは、サジーの言葉に首を振ってからこたえた。


「いや、僕が悪いよ。今だから言うけどさ、僕もタミュンが好きだった。でもサジーと両想いなら応援しようと思って諦められたんだ。それなのに、キミは自分からタミュンと離れようとしている。悔しかったんだよ」


 軽く笑って言ったマニシャの顔を見ようと、サジーはマニシャを追い越そうとした。

 しかしマニシャは足を早める。

 サジーも早める。

 お互い駆け足のようになったところで、ふと、マニシャが足を止めた。


子ども石セキエイが生える理由も、いつそうなるのかも分からないのに、それでもキミはタミュンから離れるの?」


「しつこいな。いつかは必ず起こるんだよ。タミュンに知られるくらいなら、別れた方がいい」


 二人の進む方向の先、遠くから子ども達のはしゃいだ声が近づいてきていた。

 タミュンはもう一度、路端ろばたの石を拾って運河に向けて投げた。

 

「なんで僕はこんな呪われた血に生まれてきちゃったんだよ」


「ねえサジー、僕は、呪いとも病気とも思ってない。僕たちが生まれた理由がきっとあるし、理由をつきとめるのが僕たちと、現世界のためになると思ってる」


 頭を抱えてしゃがみ込むサジーに向き合うようにして膝をつき、マニシャが言った。

 二人の元に、子どもたちの声がだんだんと大きさを増して近づいてくる。

 少し耳をすませるようにしてから、マニシャが言う。

 

「僕はね、自分の体に子ども石セキエイが生えるようになったとして、それを自分で砕ける気がしないんだ」


 マニシャの言葉に、サジーは無言で顔を上げた。

 その目を覗き込みながら、マニシャは言葉を続ける。


「僕たちがこう生まれてしまった理由を探るのが、僕とサジーとタミュンと、それから、砕かれてきた石たちを救うことになると思う」


「探るってどうやって」


「コトバ修繕士になるんだ。大きな街に言って、修繕士に弟子入りする。一番最初に、旧世界の情報を知るのは、コトバ修繕士だからな」


「……無理だ、めとけよ。僕ら、どうしようもないんだ。面倒なことになるだけだ」


 サジーの言葉にマニシャはこたえない。

 二人のすぐそばを、子どもたちが通って行った。子どもたちの高い声が、今度は少しずつ遠くなっていく。

 子どもたちを追いかけるように、彼らの行く方角へ太陽が沈んでいく。

 空はだいだい色から紫色へとグラデーションを描いていた。


 *


 思い出を語りながら、マニシャは倒れた水パイプの器具を起こして、床を手巾ハンカチで拭いていた。

 語り終えるころには、器具と床は元通りになっている。満足したように、ふっ、と息を吐いてマニシャは円坐に座った。

 

「失踪した日の少し前から、僕の腕に石が生え始めていた。腕の表面に一枚目の透明のうろこを見つけたとき、僕はいよいよ来たかと思った」


 水パイプの器具に水を入れ、火皿に煙草の葉を置きながらマニシャは呟く。

 火皿に炭火が置かれ、水を通る管の外側にちいさな泡が生まれていく。


「石が育ってきたら、腕を動かすわけにはいかない。石が砕けてしまうからだ。僕はどちらにせよ、故郷に帰る頃合いだと思っていた。最後に修繕していたショウセツが、『NYARLATHOTEPナイアーラトテップ』だ。沢山のヒトを魅了してきたショウセツは、そのコトバ自体が力を持つ。ナイアーラトテップは、謎めいていて、ずっと頭に残る、強いコトバだね。石が生えて、不安に揺れる僕には強すぎるくらい強いコトバ……って聞こえてないかな」


 マニシャの言う通り、ヨモは中空を見つめながら独り言をつぶやき続けている。

 

「なるほどお、ナイアーラトテップという名前がタイトルになってるのかあ。なるほどなるほど。Nの次に来る子はyだったんだ。あの時yは、いったん弾かれていたけど、どうしてだろう。……私の力が未熟だったから、元の形になる手助けをしてあげられなくて、コトバが怒った? うーん、そうかも」


「おいヨモ! なあに自分の世界に入ってんだよ! マニシャの話わかったか? 俺っちはよく分からなかったけどよ! このサジーの奴、やっぱり俺っちたちのことを面倒だって思ってんだぜ! それだけは分かった!」


 重いほうに痺れをきらしてとうとう抜け出したギイが、サジーの耳を引っ張って言った。

 サジーは「いたたたた!」と悲鳴を上げているが、ギイは手を緩めるそぶりがない。


「ヨモ! ヨモったら! コイツら、ひでえいとこ同士だよ。マニシャにも俺っちは愛想が尽きたね。考えなしに、子どもまで育ててんだ。かわいそうだ」


「……じゃあ、わざと石が砕けるようにしたら良かったかい?」


 憤慨するギイに、マニシャが静かにたずねた。水パイプの管を扱う腕には、石が生えていた名残だけがあり、軽々と取り扱える。

 返事をせかすように、ふうっ、と煙が吐き出されて、甘い匂いが部屋に充満した。

 ギイは、縫い合わされた口の中でもごもごと何事かを弁明したけれど、浪倣ろうほうの音として発せられることはなかった。


 気まずい空気の部屋のなかで、煙がヨモの鼻先に届く。その香りが、コトバについて考えを巡らせていたヨモの、記憶のふたをうすく持ち上げた。

 マニシャの失踪した日の部屋には、なにか違和感が無かったか……?

 部屋に残っていた香りについて、ヨモは思い出した。

 

「……マニシャ、いつも吸っていた葉と違うね。ずっと草っぽい匂いの煙草を吸ってたのに」


「いつから変わったと思う?」


 マニシャは否定も肯定もしないで答える。


「失踪した日は、今と同じ甘い匂いがしていた。小さい頃よく遊びに行っていたときは草っぽい匂いで……うんうん、そうか。煙草を変えたのは、マニシャに石が生えてからじゃない? 初めて石が生えたときに、マニシャは怖かった。だから、心を癒やしたかった、甘い匂いで……違うな、癒やしじゃなくて、麻痺させたかったんだ。植物のなかには、そういった作用があるものもあるって読んだもの、そうすると、強いコトバにさらに囚われやすくなるのは分かる。……どう、マニシャ?」


 ぶつぶつと独り言をいいながらずっと中空をさまよわせていた目を、すいっとマニシャに向けたヨモが、そう言った。

 マニシャはこたえず、ふいと目をそらした。

 ギイは、綿のつまった長い首をふにゃりと曲げて首をかしげている。ワタモノのギイには、匂いは分からないのだ。


 ヨモはマニシャの近くに歩み寄ると、水パイプの火皿を覗き込む。

 葉をよく見ようと、上に乗せられている炭に手を伸ばした。


「あっつい!」


「当たり前だバカ娘!」

 

 熾火おきびがじりじりと赤く光りながら床に落ちる。

 火箸をもったギイが飛んできて、炭を拾おうと不器用に火箸をカチカチと鳴らしながらヨモを叱った。

 ワタモノであるギイは、金物である火箸も、火のついた炭も、うまく扱えない。

 それでも、飛んでいかずにはいられなかったのだ。


 火傷した指を冷やそうと、とっさにヨモは水盆を探す。

 太い茎にこぶがみっつ突き出して、全体は棘におおわれているような奇妙な植物が目に入る。

 まるでやまいでむくんだ手のようなその植物は、水盆に土をつめた状態で植えられていた。

 

 ――そうか、もうマニシャは水を張ってコトバを修繕することは、していないんだ。


 土に生えた棘だらけの植物を見た時に、ヨモはあらためて寂しく思った。

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