第13話 マニシャとの再会

 配達人男は、サジーと名乗った。サジーの家は、運河から少し離れた細い路地の途中にある。

 木の塀が並ぶ路地は、サジーの案内がなければすぐに迷ってしまいそうだ。

 

 サジーの家の土間で、二人と一体は服や体を絞ることにした。

 特に水浸しになったギイの綿から水を追い出すのは大変で、二人がかりの大仕事だ。仰向けに寝かせたギイの腹にサジーが両手で体重をかけ、その背中にヨモが体重をかけている。

 家の外からは、小さな子どもたちの遊ぶ声が響いてきている。どこの街でも、道は子どものものなんだろう、とヨモはなんとなく思いながら体重をかけ続ける。

 ギイの体から水をじゅわじゅわと染み出させる作業をしながらも、ヨモは、部屋の奥から漂う匂いが気になっていた。

 どこかで嗅いだ甘い香りが、この部屋にも香っている。

 

「こんなもんか。あとはキミ達……と僕もだけど、上からほうでも羽織っていたらいいよ。水を吸ってくれるだろうから」


 そう言ったサジーがよこしてくる真綿の入った袍を、冷え切った体に羽織る。ヨモはようやっと生き返った心地がした。


「俺っち別に寒くないけど」

「水が垂れてくるから、巻き付けておいてよ。うちの床が腐る」


 サジーが言って、ひょいひょいとした足取りで奥の間へと行こうとするのを、ヨモとギイは長い袍を引きずりながら急いで追った。

 追った先には、マニシャが居た。

 円坐に座り、失踪後に買い直したらしい水パイプをくゆらせながら、脇息きょうそく(肘置き)に体をもたれさせている。


「いらっしゃい、会いたかったよ」


 座ったままそう迎えてくれたマニシャに、どうして出迎えてくれないの、という言葉が喉にまでせりあがってきた。しかし、マニシャの両腕を見たヨモは、その言葉を飲み込むしかなかった、

 袖から覗くマニシャの両腕にびっしりと透明の石――子ども石セキエイ――が生えているのだ。サジーの顔にあった鱗状のものではなく、もうじき子どもになるだろうという大きさにまで、石は育っている。

 マニシャは、動こうにも動けないのだ。

 いや、石を育てようと思わなければ動いても構わない。サジーのように。しかしマニシャは、体を横にして眠ることもできずに、ここで座り込んでいるようだ。それは、腕に生えた石の大きさから分かる。


「マニシャ、それは、子ども石セキエイなの? なんでマニシャに生えるの? サジーもそうだよ、サジーの顔のも、そうでしょ? サジーは全然教えてくれなかった。そもそも、マニシャとサジーの関係はなに?」


「相変わらず、ヨモは好奇心が旺盛だね。そうだな、どこから話そうか。とりあえずは、座ったらどうだい?」


 水パイプの吸い口を持ちながら、マニシャは顎だけでヨモ達に座を勧めた。

 やはり腕は極力きょくりょく動かさないようにしているようだ。

 ヨモとギイが隣同士にくっついて座り、そこから少し離れて後方にサジーが座る。

 ヨモとギイの様子を見て、マニシャはたまらないといった様子で噴き出した。


「ぷっ、あはは! 饅頭まんとうがふたつ並んでいるみたいだ。袍が大きすぎるね。そこから生真面目な顔が突き出てるんだから、面白い」


「マニシャ、なんだか雰囲気が変わっちまったな」


 ギイがぶるりと身を震わせて言う。

 ヨモはそれにこたえず、心の中でうなずくのみに留めた。


「色々心配させて悪かったとは思っているよ。でも僕はこうするしかなかった。僕とサジーはいとこ同士で、僕らの一族にはある特徴がある。分かるかい?」


「……男のヒトでも子ども石セキエイが生える? それも、背中じゃないところに」


「まあ、正解だね。あれ? サジー、この家の主なのに、どうしてそんな後ろで縮こまっているんだい? それに、このコトバ修繕士のお嬢さんに、教えてあげたらよかったのに。僕らの一族は男女問わず、場所も問わず、生殖行為の如何いかんも問わず、石を生やす奇病を持っているってね」


 ふう、とマニシャが、甘い香りの煙を細く吐いた。細い煙は意思を持つように、サジーの元へと流れていく。


「……奇病は、一族の男が隠しておけば済む話なんだ……。お前がこの街を出てコトバ修繕士になるって聞いた時、僕は止めたはずだ。この子への手紙だって、届けたくないって言った。面倒ごとはもう、お前の子どもだけで十分なのに」

 

 サジーは座った場所から動かないまま、顎のあたりをき掻き答える。

 はりはりと、ガラス片の鱗が落ちた。

 

「近親婚の一族だって、ずっと陰口を叩かれていてもかい? 言ったじゃないか、僕がコトバ修繕士になったのは、現世界が現世界である理由、つまり――」


「旧世界とは違う理由が見つかると思っている、その奇病と、ショウセツの修繕が、旧世界と現世界の間の断絶をつなぐ鍵になると考えている。そうでしょ、マニシャ」


 ヨモが割って入った。

 マニシャは一瞬目を見開くと、嬉しそうに細めてヨモを見つめた。


「どうしてそう思う?」


「現世界の生殖が旧世界の生殖と違うことは、ちょっとコトバ読んでみるだけでも明白だもの。どれだけ、旧世界の情報を集めて、それらしい制度と文化を作ってみても、現世界の成り立ちの謎は私たちに残り続けている。私だって、それを解くのもコトバ修繕士の仕事だと思ってはいたけど……」


 一息に言いながら、ヨモは立ち上がった。

 長い袍の隙間から伸びた裸足の足が、震える。冷えて色を失ったヨモの唇が、続けて動く。


「けど、党首の集めている情報は偏っていて、旧世界のロンブンで科学、生物学、歴史……たとえばそういう分野を調べていても、分かりようがない。ってマニシャは思っているし、私に伝えようとしている」


「そうなのか?」


「マジかよマニシャ!?」


 サジーとギイが同時に声をあげた。


「そのとおりだよ、ヨモ。この短時間でよく分かった。さすが、立派なお師匠さまがついているだけある」


 マニシャの言葉に潜む小さな棘に、気づかないヨモではなかった。


「マニシャは、お父様には読めない文字で手紙を寄越してきた。お父様の助けは借りない、ってことでしょ。それで立派なお師匠さまだなんて、嫌味っぽい。そんなことを言う人じゃなかった……なかったのに……」


「ああ、悪かったよヨモ。泣くなら僕の懐から手巾ハンカチを出してそれで拭うといい。どうせ持ち歩いていないだろう。ついでに、僕の額も拭いてくれないかな。石の成長中は、なんだか体温が上がってしまってね、暑いんだよ」


 大儀そうに脇息きょうそくにもたれさせた体をよじりながら、マニシャが言う。

 ヨモは、棒立ちのまま動けなかった。今のマニシャに近づくのが怖い、というのが素直な気持ちだった。


「よく分っかんねえけど、マニシャ! ヨモを泣かせんな! ヨモはお前を心配して来たんだぞ! お前を探して、この街までずっと歩いて来たんだぞ! そうだよな、ヨモ! 何か言い返してやれ! っととと」


 飛び上がったギイがヨモのところに近寄ろうとしたときだった。

 飛んでもなお裾を引きずっていた長い袍を、火の消えている灯台あかしだいに引っかけてしまったギイが、ヨモの背を押した。

 勢いで、ヨモも長い袍の裾を踏んで、マニシャの前に転がり出る。


 水タバコの器具が、音をたてて倒れた。

 ヨモの体の下にマニシャの腕があった。

 ヨモを支えるためにマニシャの両腕が動き、育っていた石は、ヨモの目の前で砕けて散ってしまった。


「ああ、石、が……」


 マニシャの着物の裾に落ちた欠片かけらたちが、ヨモを責めるようにきらきらと光る。


「おや、残念。混沌! 混沌は居るかい? ひつを持ってきてくれるかい?」


 両手を叩くマニシャの周りに、透明の石の欠片かけらが落ちて行く。

 

「おとーさん、どうぞ」

 

 まだ四つか五つくらいの男の子が、部屋にあがりこんできていた。土間の外の路地で遊んでいた子どものうちの一人らしい。

 手には、育たなかった石の欠片を集めているであろう、ひつを携えている。

 混沌と呼ばれた子どもが入室してきたのを見て、サジーは顔を歪めて部屋から出ていってしまっていた。

 

「マニシャ……、子どもを、育てたの?」

 

「そうだよ。でももっと沢山、子どもが必要だよ」

 

 拾い集めた欠片の一つをヨモの目の前に差し出しながら、マニシャが言った。

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