第11話 運河の街

 マニシャを探す旅の日々から遡った、十五年前のある寒い日のこと。


 ササラは父親に言われて、寝所にいる母親の背中を見に行った。背中に生える透ける石――子ども石セキエイ――を潰さないように、母親はうつ伏せになって寝転んでいた。


「おかーさま、おかげんはいかがですか」


 ササラは、几帳きちょう越しに怖々こわごわと声をかける。

 

「あらササラ、いらっしゃい。どうかしら、形になってきている? お父様は、もう少しだって言ってたけれど」


 母親がササラに顔を向けて言う。絹糸のような美しい黒髪の艶は失われ、乾いて、縮れた髪が額にはりついている。

 母親は、水を入れたわんあしの茎を刺して、うつ伏せの姿勢のまま水を飲んでいるところだった。

 

「そうですね、きれいにすきとおってます。これがきれいに剥がれたら、クーハンにうつしてお世話できます、きっと可愛い妹か弟になります」


「ああ、そうなら良かった。ねえこの子に声をかけてあげて。かけてあげたら、きっと喜ぶわ」


 そう母親が言って、ササラが石に顔を近づけたときだった。


「あ」


 という声が二人同時に漏れる。

 

 透明の石はもろく砕け、ハリハリ、という音をたてて小さな小さなカケラになった。母親の背中は、石が生え始めのころに出来たうろこのようなものが、名残として残るだけになってしまう。

 乾いて縮れた黒髪の垂れる白い裸の背中に、薄いガラス片のようになった石が散る光景を、ササラは忘れられない。

 

「あら、残念だなあ」


 言葉を失ったササラに、母親はあっさりとそう言って返した。

 体を起こした母親の周りに、薄子どもになるはずだった欠片たちが落ちる。

 

「危ないから、触らないようにね」


 拾おうとササラが伸ばした手を、そっと、しかしきっぱりと払うと、母親は欠片かけらたちを拾い集めた。


ひつを、取ってくれる?」


 手持ち無沙汰のササラを見上げて、母親が言う。

 ササラはハッとして几帳の向こうに行って、黒漆塗りのひつをささげ持つと、座る母親の膝元に差し出す。

 そうっとふたを持ち上げられたひつの中には、今しがた母親の体から散ったのと同じような透明の石の欠片が積み重なっている。


「これは、先の子たち?」


「そうね、あなたから見ても、先の子が多いわ。でもあなたとヨモの間の子も居る。まだあなたが、今のヨモくらいだった頃のこと」


 母親がそう言って、拾い集めた欠片たちをひつに収める。

 と、閉めた蓋の上に、大粒の涙が一つ落ちた。

 ササラのものだ。


「ササラ、悲しまなくてもいいの。背中の石が無事に剥がれて子どもになるか、砕けて欠片になるか、その仕組みが分かっていない。だから悲しんでも仕方ない。お父様が旧世界のロンブンをがんばって修繕しているでしょう? それを党首様にけんじているでしょう? 私達の成り立ちのことが、やがて分かるようになるわ。そうしたら、砕けてしまうことだって、きっともっと少なくなる」


 母親がササラの肩を抱いて慰めるけれど、その慰めはササラにとって的外れだった。もちろん、欠片となって砕けたきょうだいの事は悲しい。しかしササラが最も悲しく思うのは、ひつを渡す瞬間に間近に見た母親の目が、潤んでいたことだった。


「おかーさま、わたし……」


 ササラが言いかけたとき、遠くから当時一歳のヨモの声が聞こえてきた。

 その後ろを、ヨモの子守りを任されてしまったらしいギイの声が追いかける。

 

「ねー! ねーた!」

「おいコラ! 走るなって! お前アタマっから転ぶから怖えんだよ!」

「ねーたあー! まあまー!」

「あんまり端っこ走るなって! ああ言ったこっちゃねえよ!」


 御簾みすにつっこんで転んだらしい音と、泣き声、それにあからさまに狼狽うろたえるギイの声が響いてくる。

 思わず、ササラは母親と目を見合わせて笑った。


「ほら、可愛い妹が呼んでるわ。遊んであげてちょうだいな。お母様はもう大丈夫だから」


 軽く肩を押されて、ササラは寝所を出る。

 父親をはじめとするコトバ修繕士たちが、いつか現世界の自分たちが何者なのかを教えてくれる日が来ることを、ほんのり期待しながら。




 十五年後のササラは、姉妹の寝所で目を覚ます。隣に眠るはずの妹が、失踪したコトバ修繕士を探して家を出てから四日目の朝だった。

 

「懐かしい夢を見たわ、ヨモ。気をつけてね……本当に」


 *


 街に着いたのは予定通り昼前のこと。左右を木の塀に囲まれた曲がりくねった路地に、鋭角に陽光が差し込んでいる。広く真っ直ぐな路に慣れたヨモには、どこに向かっているやら分からない路だ。

 路を抜けた先には、運河があった。

 たどり着いた街は広い河に近い水郷すいごうの街で、ヨモの住む内陸の街とはずいぶんとおもむきが違う。運河沿いに木造の家屋が立ち並ぶ前の、屋根付きの街路を歩く。左には家屋、右には運河。澄んでいるとは言いがたい運河は、生活排水も流れる河となっている。

 家屋も、日差しをさえぎる屋根も、そこら中が木で出来ている。

 流れる水と、水気を吸う木に囲まれた空間には、なんとも言えない生活のにおいが充満している。内陸の乾いた空気に慣れたヨモは、歩いているだけで体のどこかを病みそうな心地がした。

 

「こんなところに、居るのかなあ」

 

「さっき飯屋で聞いたろ。そんな目立つ男は一人しか居ないって」


「でもさあ、配達人っていったら、普通は店を構えるものじゃない?」


「そうでもないんだなあ」


 急に割り込んできた声の出どころをさがして、ヨモとギイは路に立ち尽くして周りを見渡した。


「ここだよ。下、下」


 確かに声は右手側の下の方から聞こえていた。とはいえ右手側は運河。どういうことだろうと後ろや前に目を向けていると、もう一度声がした。


「下だよ、河の方だ。分からない?」


 声は、明らかに運河から聞こえてきている。

 まさかと思って運河を覗いたヨモは、驚きの声をかろうじて抑えた。

 路を歩いているときには気付いていなかった、運河に降りていく階段がある。

 その階段に、目的の配達人は座っていた。服のすそが濁った水に触れるか触れないかというところに座っている彼が手招きをするが、とても降りていく気にはなれない。

 ヨモとギイが迷っていると、彼は肩をすくめてから立ち上がり、階段を登ってきた。

 ヨモの目の前に立った彼はギイの証言通りの長身で、ヨモの目からすっかり陽光を隠してしまった。


「俺を探してたんだろ」


「よく分かりましたね」


「早耳じゃないと、店をもたない配達人はやっていけないよ」


 男はそう言うと、口元をおおっている布を引き上げて、周囲に視線をやる。

 それから体をかがめて、声を潜めた。

 

「あんた達は目立つんだ、あんまり聞いて回られても厄介だから、さっさと会ってしまったほうがいいと思ってね。何を聞きたいのかも分かってるよ、だからさ、舟で話をしよう」


 男は目の覚めるような青い服をひるがえして、登ってきた石段を再び降りていく。

 石段を降りきった先には、小さな手漕ぎ舟があった。

 泳げないヨモと綿で出来たギイは、互いに一瞬、顔を見合わせる。


「おいヨモ、お前ビビってんだろ。どうしてもっていうなら俺っちが交渉してやってもいいぜ」


「まさか! それより濁った水が染み込んだら困るんじゃない?」


「別に全然困らないね、だって俺っち飛べるし。どっかの誰かが俺っちを引っ張って道連れにさえしなけりゃあな」


「私だって、こんな狭い運河で溺れようがないし、なーんにも怖くない」

 

 おかしな間の後、ヨモとギイは競うように階段を降りて舟に乗り込んだ。

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