第10話 Narthypaloteのナゾ
こっそり家を抜け出したヨモは、ギイを連れて月の下を歩き出す。
「俺っち、ご主人に黙って来ちゃった。クビになったらお前が責任もって使えよな」
文句を言いながらも、ギイはすすんで着いてきているように見えた。マニシャが心配なのは、ギイも同じなのだ。
「まあ私が一人前になれたら私が所有者になる予定だってお父様も言ってたし、いいんじゃない」
「なれるのかね、一人前になんて」
「へらず口〜」
歩いて歩いて歩き通して、寂しい
宿では眠るまでの間に、マニシャの残したショウセツの
旅に出て三日目の夜、宿で寝転がりながら空腹を抱えて、一人と一体は
朝に
ギイも同様のようだった。
「変な話だなあ、
短い手足をいっぱいに伸ばして、ギイが言う。
「ニホンゴのショウセツだからね、私たちの文化とはちょっと違う。ゾウニっていうのが何かは分からないけど、
「美味そうじゃねえなあ」
「美味しいでしょ、きっと。旧世界には沢山のコトバと文化があった。それを一つにしたのは党首の考えだし、ロンブンでは色々な文化の違いに触れているものもあるけど、私たちはただそれを
ギイの手が顔にあたるのを、無言で押しやって反論する。
「でもよう、」
と今度は体を起こして立ち上がったギイが、ヨモのお腹の上に座って言った。
「ショウセツは嘘ばっかりなんだから、この食べ物だって嘘なんじゃないのか? なにしろ猫が喋るんだからよう」
「それもそうかもしれないね」
「ほらみろ。だからこんなものばっかり修繕してたから、マニシャは何が本当か分からなくなっちまったんじゃねえのか? 変な奴だよホント、困った奴だ」
ギイの言葉に、ヨモは何も返せなかった。
ただ、お腹の上に乗ったギイを抱き寄せて、ぎゅうっと強く抱きしめた。
昼間に歩き通したときの、砂と、太陽の香りが鼻を通して胸に抜ける。
『面白くっても、ショウセツって嘘だもん』
このおかしなショウセツを修繕していたマニシャに、確かそんなことを言った。とヨモは思い出す。
ヨモの考えは今も変わってはいないけれど、マニシャによって修繕されたコトバで、確かに今、ヨモの気持ちは上向きになった。
――あのときマニシャは、ただ静かに笑っていただけだけど、本当は何か言いたかったことがあるのかもしれない。それこそ、言葉を尽くして言いたいことが……。
届きそうで届かない、マニシャの気持ち。
それは分かりそうで分からない、シの謎のコトバに近いと思った。
遠い昔、父親に習ったエイゴのシが、気付いたら口をついて出ていた。
「ヘイ、ディドルディドル ねことバイオリン――」
「なあ、わけわっかんねえなそれ。シか?」
「シだよ」
「ディドルディドルっていうのは何なんだ」
「わかんない。多分、なんだか楽しい音なんじゃない? 口に出してみたら、感じるよ。ディドルディドルはきっと
「そんなもんに夢中になって、マニシャみたいになっても知らねえぞ。……俺っちここに来るまでに考えていたんだ。マニシャはもう手遅れだけど、ヨモだけは助けたかった。だからマニシャは手紙を送ってきた。違うかな? 俺っち、マニシャの居るかもしれない街に近づくごとに、こう、角がピーンとなって、それからしおしおになるんだよ。尻尾もビリビリするんだよ。引き返すなら今だって、ずっと思ってるんだよ」
ギイが珍しく、鼻先をヨモの鼻にくっつけるようにして甘えながら言った。
左右の色の違う黒と白のボタンの目が、ヨモの目の下に冷たくあたる。そのかたい感触から、ギイの不安が伝わってくるような気がした。
「大丈夫、私はコトバと適切に付き合う。無駄に恐れもしないし、飲み込まれもしない。コトバのことを知って、コトバと遊んで、一流のコトバ修繕士になるんだから。ただ怖がって避けるだけなら、マニシャが居なくなったときの自警団の人たちや、ただ怖がって遠巻きに見ていただけの人たちと一緒だもの。修繕士を理由なく避ける人たちと一緒になっちゃうもの。そんなの、イヤ」
安心させるようにギイの丸い後ろ頭を撫でてやると、ギイが、すん、と鼻を鳴らした。
「でも、お前、バカ娘じゃんかよう」
「バカじゃないってば!」
そう言ってギイの頭を軽くはたいたものの、ギイが、すんすん、とますます悲しげに鼻を鳴らすので、ヨモはそのままギイを抱きしめた。
そうして三日目の夜は
「いよいよだね」
宿を出てから屋台で買った
真っ直ぐ歩いていけば、昼前には目指す街に着くはずだ。
「お前、緊張感ねえなあ」
ヨモの肩の上あたりを飛びながら、ギイが呆れたように言う。昨夜の甘えぶりはすっかりと
「最後に、ふむ、マニシャの、あむ、部屋で見た、むんん、バラバラの文字をね、あむ、思い出してみたの」
勢いをつけるように饅頭を大口で頬張って、ヨモが言う。
「おいおい、飲み込んでから話せよ」
「んっくん! ああ美味しかった! それで、文字なんだけど、あのチカチカがずっと頭から離れなくって、あの日からずっと覚えているの。N,a,r,t,h,y,p,a,l,o,t,e。それで、並べてみたの、それっぽく。
「なんだよそれ」
「わっかんない! でも多分ディドルディドルと一緒だよ、あっちは楽しくなる音だったけど、こっちはきっと……悲しい音? 怖い音? そういうものなのかなって」
「適当言ってらあ」
そう言ったギイが、ヨモの口の端についた饅頭のかすを取って道に投げる。
ギニー、と鳴きながら現れた四つ目の猫が、それを食べた。
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