第9話 旅立ち

 それから、フラーファは毎日ヨモの姉の部屋をたずねてくるようになった。父親代わりの配達人の男が、門の前まで送り迎えをする。愛玩用のワタモノを一体で歩かせるのは、非常識な所有者ととられるからである。

 とはいえ男としては、愛娘に危険がないかと心配する気持ちが強そうではあった。

 送迎のたびに、男はヨモに人探しの進捗を伝える。

 彼はどうやら真面目に人探しをしてくれているらしく、今日はどこそこの誰に聞いただとか、その誰かが知り合いのなにがしかに聞いてくれるらしいとか、細かく報告をしてくれる。

 外堀を埋める作戦はどうやら成功のようだ、とヨモは胸中ひそかに喜んだ。

 

 ところで、フラーファが針やはさみをさわれるようになるまで、四日かかった。

 指の仕組みとしては、ヒトよりも不器用であるものの問題はなさそうだったが、そもそも針や鋏などの金物かなものの裁縫道具に触れるのに言い知れぬ恐怖があるらしい。


「無理しなくても大丈夫。少しずつでいいの」


 金物を恐れるフラーファに、いまや霊裁士の見習いでもある姉のササラは、優しく声をかけ続けた。

 ワタモノの性質にも詳しい姉は、フラーファに裁縫を教えるとなったときに少し困った顔をしたものの、「出来るだけ手助けはするわ」と答えたものだ。

 もちろんヨモも、出来る限りフラーファを助けようとした。

 といっても、裁縫を避け続けてきたヨモである。

 四日目にして針と鋏への恐怖を克服したフラーファに、技術面ですぐに抜かれそうな予感はあった。それだけの熱意がフラーファにはあった。

 なにしろ、いちど焦れたヨモが代わりに鋏をとったときに、「絶対に始めから最後まで、私の手で完成させたいです」と言い切ったのだ。青いボタンの目が、強い意思を映しているように見えた。

 

「ねえ! これでやっと布がてる! 第一歩だよ、私、ワタモノからさらにヒトに近くなる」


 そう言ってうきうきと、今度は針に糸を通すことに挑戦するフラーファに、ワタモノと自分たちの違いとはなんだろうという気持ちになる。

 

「そう、だね。なんといっても婚礼するんだから、私なんていつ婚礼出来るか分からないし一生しないかもなんて思うよ」


「またヨモはそんなことを言って。いつかいい人が現れるって、お母様もお父様も言ってるわ。まあ、フラーファと一緒にお裁縫を習う気になってくれたから、私の衣装にとんでもない刺繍をほどこされる心配はなくなったね」


 婚礼衣装には家族や親しい女友だちが刺繍を寄せる慣例もあるので、ササラは冗談めかして、しかし半分以上は本気でそのようなことを言う。

 

「もう、ササラはすぐそんなことを言う! 私はコトバのことで頭がいっぱいで、結婚なんて考えられない。お父様……いまはお師匠だけど、お師匠みたいなヒトがいたら良いけれど」


「前は、居たと思うけど」


 ササラが言って、それから、ハッとしたように黙り込んでしまった。

 ヨモも、フラーファが裁つ布を抑えながらうつむいてしまう。二人の頭には、恐らく同じ人物の――マニシャの、名前が浮かんでいた。

 フラーファだけが、淡々と作業を続けている。布を裁つ音が、しいんとした部屋に響いていた。


 人探しを頼まれた男が例の配達人の情報を持ってくるまでに、三十七回、日が沈んで昇った。例の配達人は配達人のこうに入っていないために、なかなか、配達人同士の繋がりで見つからなかったようだ。

 姉とフラーファの婚礼衣装作りは順調にすすんでいる。ヨモはフラーファの手伝いとして苦手な針仕事を行い、さらにコトバ修繕士の修行も続けていた。

 

『コトバの修繕をやめろ。ショウセツから離れろ。』


 マニシャは手紙でそう警告してきた。

 そう言われて、はいそうですか、とやめるわけにはいかない。ヨモはコトバに触れていたかったし、はやく一人前の修繕士になりたかった。見習いの修繕士が練習用に修繕を任されるショウセツに、貪欲にあたっていく。

 とくに最近手伝っている、珪素けいそに関する研究ロンブンについては、随分と苦労させられている。

 それだから、三十七回、日が沈んで昇るころには寝不足と過労でヨモはやつれていた。それでも今日は体が軽い。

 

「おいおい、いよいよどっか壊れたかい。顔色は土みたいな色なのに、目だけギラギラしてやがるぜ。それに足がぴょんぴょん動いてるの、気持ち悪いぜ。お前、踊りも体術もからきし駄目なのによ」

 

「だって! やっと! マニシャの居場所につながる情報が見つかったんだよ! 毎日の針仕事と針仕事と針仕事……フラーファのためとはいっても辛かった……! 私にとっての一番の苦行と言ってもいいくらい。これはもう、マニシャに会って、何があったのか、なんであんな手紙を送ってきたのか、絶対突き止めてやるんだから! ……って、うぎゃあ!」


「おわあ!」


 拳を握って気合を入れたところで、足をもつれさせたヨモがギイの上に思い切り尻もちをついた。


「体ばっかり大きくなっても、相変わらず俺っちの上に落っこちてきやがる!」


「へへ、ごめ〜ん」


「早くどけ!」


 上に座ったまま頭をかくヨモに、ギイが抗議の声をあげた。


 *


 情報によると、ヨモ達の街から四日歩いた先の街に、ギイに手紙を届けた配達人とよく似た男が居るという。

 マニシャはきっとその街か、もしくは、その街に近い街に住んでいる。


「――行くの?」


 夜更けにそっと寝床を抜け出したとき、ササラが目をつぶったままたずねた。


トイレにね」


「嘘。ギイくんに聞いた。マニシャを探しに行くんでしょう」

 

 フラーファに婚礼衣装作りを教えてやってほしいと頼んだ際、ササラは何も聞かずに請け負ってくれた。それでも、フラーファを連れてくる街の配達人とヨモが、何やら門のところで話しこんでいるのは知っていたらしい。

 疑問に思ってギイに訊ねたということだった。


「……嘘ついちゃってごめんなさい。止められると思って」


 ヨモのコトバに、ササラは寝返りをうって背を向けた。


「危ないのはやめて」


「大丈夫。お姉ちゃんの衣装に刺繍しないといけないんだから!」


 ことさらに明るい声を作って答えると、短い沈黙があった。


「……一週間」


「え?」


「一週間もしたら、衣装が仕上げにかかるの。そのときに刺繍してもらわないといけないの。絶対に刺繍してもらわないといけないの。それだけは約束して。ヨモは言い出したら聞かないって知ってるから、もう、止めるのはあきらめてる」


 はあ、と小さなため息が聞こえた。

 

「大丈夫! 最近は裁縫も少し上達したのが分かるでしょ? 最高の刺繍をするよ!」


「目立たないところを開けとくわ。下手でも目立たないところをね」


 もう一度寝返りを打って体をヨモの方に向けたササラが、目を細めて笑った。

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