第6話 マニシャからの手紙

 これは十四年前の話。


 ――とぷん。

 

 ギイはつめたい流れのなかに身を沈める。

 ここは旧世界のインターネット。霊獣であるギイは次元を越えて、旧世界のインターネットにアクセス出来る。

 泳いでいるうちに、頭上に船の影が見える。

 船底から近づいて、スクリューに巻き込まれないように注意しながら船体にとりつく。よじ登り、広い甲板デッキに降りる。

 荷物カーゴをひとつひとつ確認して、丸い鼻先を近づけて匂いを嗅ぐ。

 

「これかな?」


 ギイの身長を同じくらいの箱を見つけて、耳をすませる。内側から、かさこそと音がするのを聞いて、ギイは満足げに鼻を鳴らした。

 箱をこじ開けて、飛び出したコトバ達を、裂けた口の中に吸い込む。


 と、その時、ビィー! ビィー! という警告音とともに緑色の細い光線が網のようにデッキに走る。盲目のねずみ達が、船橋ブリッジから甲板デッキへと解き放たれる。


「おっと、ガード付きの船だったか。退散、退散っと!」


 驚いたはずみに落っこちたコトバを拾って再度口に詰めたギイは、腹話術のように閉じた口のままそう呟くと、船を飛び降りた。


 ――ざぷん。


 これはギイが現世界に帰ってくるときの音。

 ヨモの父親の部屋にある、足つきの特別に大きな水鉢から這い出る。

 床が水に濡れないよう、下にはむしろが敷かれている。


 ぶるぶるっと体を震わせると、ギイは主人の前に進み出て、口を開いてコトバ達を解放する。父親はひとまずそれをぽえに収めた。


「ええ〜! 今すぐ見てくれないんすか! それ、ネズミに追われながら採ってきたんすよ!」


「すまんすまん、先ほど秘書監から遣いが来てな。別の修繕士の手に負えなかったロンブンの修繕を先にやってくれと言うんだ」


「そんなら仕方ないっすけどぉ」


 ギイが全身から水を滴らせて丸い鼻先をこころなしか尖らせる。

 そのとき、渡殿ろうかの向こうから「キャア! キャッ!」という甲高い声と、足裏全体を板に叩きつけるような大きな足音が響いてきた。


「ああ、うちのお姫様がやってきたかな。すまないが、今は仕事場にヨモを入れるわけにはいかない、仕事が立て込んでいるからな。体を乾かしがてら、外で子守りをしてくれないか?」


「俺っち子供は苦手ですよ」


「しかしあの子は、お前によく懐いているからな。その目だって、半分はあの子が選んだようなものだ。悪いが、頼むよ」


「でもお……」


 とギイが渋っているうちに、小さな怪獣の大きな影がすだれに映った。


「あったあ! ぎー! ぎー!」


 顔を覗かせたのは二歳のヨモだ。

 仕方なくギイは、ふわりとヨモに近づいていった。ギイは頭の角を引っ張られながら、二歳のヨモと一緒に庭へと降りていった。

 

 *


 さて、手紙を受け取って固まるヨモと、そんなヨモを見つめるギイである。


「紙の手紙、それと文字。配達人は爆弾でも運ぶみたいな顔して持ってきたぜ」


 ギイはそう言って、ヨモの背に回った。ヨモが手紙を開くのをいまかいまかと待っているのだ。

 ヨモは手紙を睨んだまま、開こうとしない。


「どうしたんだよ、まさかマニシャが書いてきたコトバが読めないとか?」


「読めるよ! でも、失踪したはずのマニシャが送ってきた手紙だよ? しかもぽえを使った音声じゃなくて、紙で。文字だって、エイゴじゃなくて、わざわざニホンゴを使ってる。お父様が見ても分からないようにだと思う。なんだか、穏やかじゃないなあって……」

 

「そう言われたら、そうだな」


 しん、と二人の間に一瞬の沈黙が訪れた。

 そうは言っても、手紙を読まないという選択肢はない。


 ――マニシャ、どうしたの、どこに居るの。どうして浪倣ろうほうを使わなかったの。


 疑問は尽きず、震える手でヨモは手紙を開いた。

 

 現世界住民は、自分達の話す言葉を旧世界の様々なコトバとは区別して浪倣ろうほうと呼んでいる。旧世界のインターネット世界の浪の揺れにならって発している音であるからだ。

 浪倣ろうほうは文字をもたない言語だ。そのため、通信の際には、音声のみをぽえに録音してやり取りする。この世界の配達人は、ぽえへの録音と、配達の両方をこなす。『秘密』というものを通信できない仕組みになっているのだ。


 例外がコトバ修繕士だ。コトバ修繕士同士であれば、紙に文字をつづってのコトバのやり取りが出来る。ただし、多くの修繕士は文字での通信を選択しない。

 なぜなら、修繕士の献上する知識と技術を一手に集めることにより、現世界を治めている現世界党首が、コトバ修繕士を密かに脅威きょういに思っていることを知っているからだ。

 旧世界のコトバを使って紙に綴られた手紙、それだけで現世界党首からは目をつけられる。

 それなのに、失踪したマニシャがわざわざ手紙を送ってきた。


 手紙にはこうあった。


『コトバの修繕をやめろ。ショウセツから離れろ。』


 たった二言の手紙だ。だが以前のマニシャであれば決して言わないだろう内容だ。

 マニシャは、コトバを愛し、またコトバからも好かれていた。

 党首から求められず、また他の修繕士たちからも半人前の修繕士の練習台としか見なされなかったシとショウセツをすすんで修繕していたマニシャだった。

 霊獣たちが連れてきたコトバがショウセツと分かると、網にかかった雑魚のように捨て置かれることも少なくない。マニシャはそんなコトバ達をあわれに思って、修繕しては、内容を近所の人たちに語って聞かせるという活動もしていた。

 

 憐れに――。


『情の深い人間は、逆にコトバに飲まれると言いますからね』


 母親のターリヤの口癖が、ずんと胸に重くのしかかる。


「ギイ! この手紙の配達人を探そう! マニシャに会いに行かなくちゃ!」


 霊獣の角を引っ張って、ヨモが叫んだ。


「だー! 角を引っ張る癖をやめろ! バカ娘!」


 手紙を持っていると街の人の目には異様に映るだろう、と胸元にしまったヨモは、逸る気持ちを抑えながらくつに足を押し込んだ。

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