第5話 威嚇するコトバ

「粉々のコトバ達がかわいそう……これ、マニシャがやったの? それともマニシャをさらった人がやったの?」


 禍々しく光るコトバ達は、砕かれまいと威嚇しているようにも見える。


「ねえ、キミ達になにがあったの? まさかマニシャはこんなことをしないでしょ?」

 

 パチパチと火花を発するコトバ達から距離をとって話しかける。じっと見つめていると、光が目の裏側まで入り込んでくる感覚があった。

 やがてコトバ達は紫色から赤、青、黄色と激しく点滅しはじめた。目が痛いが、文字から目が離せない。

 

 文字はただ跳ねているだけで、距離は変らないはずだ。それなのにヨモの視点は、つまりヨモの目から入って脳で処理された情報は、字に近づいたり、逆に離れたり、上から眺めてみたり、中に入り込んで一緒に跳ねてみたり、と見え方を変えていく。

 そう、ヨモの認知する世界ではヨモを囲んで文字が踊りはじめていた。足と手が動く。止まらない。Nの次は、どの文字が来るの。Nの隣に小文字達が群がって、Nの踊りの相手になりたがる。それらのひとつひとつが、すげなくフラれていく。


「えぬ、ん、なああ、る、ぬぃ、」


 ヨモの口から、意味をなさないNの音が漏れる。


「バカ娘! 目を閉じろ!」


 ギイが叫んで、ヨモに体当たりをする。

 床に転がされて、文句の一つも言いたくなったヨモは、自分の舌が自分の統御下にないことに気付いた。


「見るな! 追い出せ! あのコトバ達はなんだかヤバいぞ! 俺っちあんな変な光り方してるコトバ見たことがない!」


 ドッスン! とお腹をヨモの顔に押し付けるようにして抱きついたギイが叫ぶ。

 ヨモの腕と足はなお勝手に動こうとするけれど、ギイの丸いお腹で口を塞がれたことで、おかしなNを追い続ける声は押し止められた。

 目から入った情報を、音声に変換して声として発し、それを聴覚が認識し、またその情報を脳が処理し、まぶたの裏にコトバを映す。コトバの持つ原始的リズムが腕と足をあやつろうとする。

 ――そんな循環を、ギイのふわふわのお腹が断ち切った。


 その時だ。

 

「何をしている! ヨモ!」


 顔に張り付いたギイごと一緒にヨモを引きずって、部屋の入り口にまで一気に引きずる、大きな腕があった。

 声も、力強い腕も、衣服にきこまれたこうのかおりも、父親のそれだとすぐに分かった。

 入り口の土間に引き出されて、ギイを顔から剥がされたヨモは、引きずられた自分のつま先が辿たどったとおりについた水の跡を見た。奥でまだうごめいているであろうコトバ達は、土間からは見えない。

 

「お父様、あの、コトバが。変になってるの」


「分かっている、部屋の状況を見ればな。全く朝餉あさげの時間に居ないから、まさかと思ってきてみればだ。だから絶対に行くなと言ったんだ。わしの言いつけを守らないからこういうことになる」


 父親の声にいつものあたたかさは無かった。


「いいか、ここは特殊な現場だ。お前のように中途半端にコトバを知っている者が一番危ない。経験と知識がアンバランスなんだ。お前がコトバを刺激したから、後でゆっくり処理、というわけにはいかなくなってしまった」


 そう言って父親は、大きく息を吐くとヨモを置いて部屋の奥に歩を進めた。

 ギイは付きしたがってついて行くのを黙認されたが、ヨモは追い返されてしまった。

 

「お父様、マニシャはどうなったの?」


 震える声で父親の背中に問いかけるも、返事はなかった。

 ふよふよと父親の後ろをついて飛ぶギイが、物言いたげに振り向いた。

 

 *

 

 マニシャは帰ってこなかった。

 十六歳になって、父親の弟子としてコトバ修繕士見習いとして働くようになっても、その事件は心のしこりとして残り続けていた。

 ヨモは、毎日父親の手伝いをして、合間に練習としてショウセツやシの修繕をまかされていた。ショウセツの修繕をしていると、マニシャの陰がちらついてしまう。早く父親のように一人前になって、ロンブンを修繕出来るようになりたい。

 そんなことを思いながら、毎日ショウセツを修繕していても、これが一体なにになるんだろうという気持ちが消えない。なにしろ、ショウセツはマニシャを奪った恐ろしい存在なのだ。

 

『あれは情より理の仕事、男の仕事ですよ。情の深い人間は、逆にコトバに飲まれると言いますからね』


 ショウセツの修繕をするときに思い出すのは母親の口癖だ。

 幼いころからコトバが好きだったヨモではあるけれど、コトバが楽しいだけのものではないことは、実務にあたって理解してきた。


「あーもう、またよく分からないコトバが出てきた! クラムボンってなによ!」


 修繕の途中で行き詰まったヨモは、そう叫んで仰向けに転がった。

 

 ボムクラン、ランクムボ、ボクラムン……指で中空の文字をすいすい動かしてみても、コトバ達はクラムボンの並びに戻ろうとする。コトバ達が元通りの並びに戻ろうとする運動を、正しく導くのが修繕士の技術だ。しかし全くわけのわからないコトバが出てきてしまうと、自分がなにか間違えているような気もする。

 少しはコトバを知っている、と自負していたヨモの気持ちが砕かれる日々だった。

 

 西日のあたる床は暖かくて気持ちがいいが、冷えた空気が床の下に溜まり始めているのも同時に感じとれる。のどかな秋の夕方、遠くからは、つくろい物をする女性たちの笑い声が聞こえてくる。

 

「……なにしてんだろ、私」


 その時だ。ヤケクソになって大の字になっていたヨモの顔に、丸っこい陰がかかった。


「ようバカ娘、修繕士は諦めたか?」


「ギイ! どこうろついてたわけ? お父様、じゃないや、師匠の仕事が終わったら午後から私の手伝いをするって話になってたでしょ?」


「ああ、半人前以下の娘っ子のお世話係ね。今日はちっとばかり用事があったもんでね」


 悪びれない様子のギイが鼻を鳴らすので、ヨモは飛び起きて、頭に生えた角を掴んでやる。


「将来のご主人候補に随分な態度だこと!」


「痛え! 引っ張んな! えっち!」


「キリンのぬいぐるみの角のどこにセンシティブな要素があんのよ!」


「うるせえ! 俺っちはお前に譲渡されるなんてまだ認めてないからな!」


 一人と一体が騒いでいると、修繕中のコトバ達は、水鉢の陰に隠れてしまった。

 コトバというものは、基本的には、自分たちをさらう存在である霊獣が苦手なのだ。

 

「痛えってば! いいモン持ってきてやったのに、見せてやらねえぞ!」


「ふん! いいモンってなに? どうせ新しい仕事のぽえでしょ」


「それが違うんだなあ。ヨモが見たらそりゃびっくりするだろうし、俺っちに感謝もしたくなるだろうけど、そうかあ、見なくていいのかあ、じゃあは食っちまうかなあ」


 ギイが、縫い付けられた口のまま喋る。あるかなきかの肩をすくめて、長い首を左右に振ってみせる。

 ムカつく仕草だが、そこまで言われると見たくなるのが人情というものだ。ヨモがギイの角を離してやって、ボタンの目を覗き込んだ。


「これってなによ。見せて」


「んじゃあ、ほれ」


 ぱっくり、とギイの口が裂ける。例のごとく鮫の歯が並んでいるが、と呼ばれたものはうまく歯に触れないように収まっている。


 それは、一通の手紙だった。


 ヨモはギイの歯に注意しながら、長方形に折りたたまれた紙をつまんで取り出す。

 表に書かれた文字の手には、覚えがある。


「これは、マニシャの字だ! マニシャからの手紙ってこと!?」


「そう、開いてみな、ヨモ宛だ」


 元通りに愛らしく縫い合わされた口を動かさないまま、腹話術みたいにしてギイが言った。

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