第4話 マニシャの失踪

「ああ、マニシャがね、なったか」


 早朝から夫婦の寝所に突入された父親は、不機嫌そうに煙管をくゆらせながら言った。

 母親は顔を暗くして、そっと部屋から出ていってしまっている。その際に姉の肩を叩いて連れて行ったため、部屋にはヨモ、ギイ、父親の三人だけになっていた。


「ねえ、どうするの? マニシャを探さないといけないでしょ? 悪い人にさらわれたのかもしれない」

 

「どうかな、まあ午後にでも修繕士の仲間たちでマニシャ部屋を検分に行こう」


「そんな悠長なことでいいの? 一刻を争うでしょ、マニシャがどこかに行っちゃったかもしれないんだよ?!」


 ヨモが必死に訴えるのを、隣に座るギイも長い首をこくこくと縦に揺すって肯定する。

 ご主人の前とあって、いつもの毒舌はなりを潜めて、借りてきたキリンのようにおとなしい。


「いや、これは難しいところでな。とにかく現場には修繕士たちじゃないと近づけない。私の心配通りだとしたら、現場はコトバの耐性がある者しか近づけない」

 

 父親が憂鬱そうに煙を吐きながら言う。「現場」という言葉に、ヨモはさらに不安な気持ちを煽られた。


「検分のときに、私も連れて――」


「駄目だ」


 ヨモが言い終える前に、父親はそう切り捨てた。

 

「言ったはずだ、コトバの耐性がある者でないと近づけない。危険があるかもしれないんだ。いいな、絶対に行こうとなどするな」


 話は終わり、とばかりに煙管の灰を落として、父親が立ち上がった。



 

 ヨモがしおしおと寝所を出ていく後ろに、ギイが音もなくついてきた。

 

「なあ、どうなってんだ? なんだか俺っち怖いよ。マニシャに恐ろしい事が起こってるんじゃないかって」


 肩の後ろから話しかけられたヨモは、ひさしを歩きながらむっつりと考え込んでいる。


「なあなあなあ、聞けよ、ヨモ。ヨモ〜? ヨーモーちゃーん? バカ娘〜?」


「うるっさい! 今考え中なの!」


 振り向いて、ギイの鼻先をぎゅうっと掴んでヨモが言った。

 

 マニシャの部屋に行くのを禁止されたけれど、それは受け入れられないとヨモは考えていた。物心つく前から父親の仕事場に入り浸っているヨモだ、コトバ耐性というものについては初めて聞いたけれど、全く耐性が無いとは思えない。

 父親の様子からして、これ以上訴えても聞き入れられないだろうことは分かっている。だとすれば、こっそりと行くしかないだろう。


「ギイ、私、マニシャの部屋を見に行く」


 鼻先を掴まれたまま短い手足を振り回していたギイの動きが、止まった。

 

「……お前ご主人の話を聞いてなかったのか、行くなって言われてんだぞ」


 ギイの声がふごふごと籠もっているのを聞いて、やっとヨモはギイの鼻先を掴んでいた手を緩めてやる。

 脱力していたギイは、そのまま床に落ちて尻もちをついた。

 

「でも、自分の目で見ないと納得できない。それに、私はちゃんとコトバ耐性あると思う」


「……その自信の根拠は?」


「ない!」


 力強く宣言すると、ヨモは簡素な麻のひとえ姿のまま、くつを履いて飛び出した。


「あ、おい! 俺っちも連れてけ!」


 ギイは叫んで、潰されてひしゃげた鼻先を手で直しながら、ヨモの後を追った。

 



 長屋にあるマニシャの部屋は、ギイの証言通り格子が上がったままになっていた。

 遠巻きに街の人々がそれを眺めながら、何事かをささやきあっている。

 そこに登場したヨモとギイを見て、男が一人、話しかけてきた。男は朝から酒の臭いをさせて、煙草の葉を噛みながらくちゃくちゃと嫌な音を絶えず発していた。


「霊獣連れのお嬢ちゃん! あんたぁ、この男のところに良く来てたろ。危なくて仕方ないから、ホラ、格子を下げてくれねえか」

 

「はい? ここの部屋の住人は、シッソウしたかもしれないんですよ? なんでそんなイヤ〜な態度なの?」


「だからだよ。コトバ修繕士の、しかも失踪した後の部屋なんか危なくて近寄れねえの。……ったく、だから嫌なんだよ、ショウセツなんか修繕する男が近所に住んでるなんてよ。迷惑なんだよ」


「ちょっとそんな言い方、ふごっ!」

 

 しっしっと払うように手をやってヨモとギイをマニシャの部屋へとやろうとする男に、ヨモが反論しようとしたときだ。

 ギイがヨモの口もとを、ぬいぐるみの前脚で抑えた。


「へっへ、すいやせんね。俺っちたちでやりますんで、皆さんもうちょっと下がった方が良いですぜ。どんなバケモンが飛び出すか分からないっすからね。でっかい女の生首が、あんたを頭から食っちまうかもしれないよ」


 そう言うとギイが、縫い合わされたはずの口を裂けるように開く。口の端はボタンの目のすぐ下にまで及んでいる。

 口の中には、尖った刃が二列に並んでいて、鮫のようになっている。


「ひえ! わ、分かったよ、さっさとしてくんな! 俺らに迷惑をかけないでくれよな」


 男は自分があげた悲鳴に気まずくなったのか、背を向けてから道端に煙草の葉を吐き捨てて大股に去っていった。他の男たちが建物の陰から出てきて、その男の後に続いた。彼らは「散れ、散れ」と人だかりをかき分けて、ヨモたちから見えなくなった。


「ぷはあ! 何すんのよ! あいつに文句言ってやりたかったのに!」

「見ただろうが、アホ娘。ありゃあタチの悪い自警団だ。しかもマニシャに――いや、コトバ修繕士にいい印象がないと見える。気が立った自警団とやり合うなんて俺っちはごめんだね。ほら、さっさと行くぞ」


 そう言ってヨモの腕を取って長屋へと向かうギイの口は、元通り愛らしく縫い合わされた形に戻っている。

 一人と一体は、部屋に入る。格子を下ろすと部屋が暗くなってしまうので、ひとまずは開けたままだ。

 部屋全体が、湿った、憂鬱な空気におおわれている。

 すんすんと鼻を動かしたヨモが、首をひねった。


「マニシャの煙草ってこんな香りだったっけ?」

「さあ? 俺っちは匂い分からないし」

「最近来てなかったからかなあ」

「そんな事よりもはやく、奥に進もうぜ」


 ギイにうながされるまま、すり足で進むと、つま先が水に触れた。


「水がこぼれてる」

「そりゃ全部ひっくり返されているからな」


 ギイから聞いた通り、部屋は無惨むざんな有様だった。

 倒された水盆や水鉢からこぼれた水が、床に水たまりをつくっている。

 

物盗ものとりではなさそうだね」

 

 部屋を眺め回したヨモが言った。

 

「……なんでそう思う?」

「水パイプが盗まれてない。この部屋で一番珍しくて高価なのは、マニシャ愛用の水パイプだもの。それから絨毯も、水浸みずびたしにしちゃってるけど、高価なはず。金目かねめの物には興味がないんだよ。そうでしょ?」

「なるほど、言われてみたらそうだよな。それにしても、コトバがこんなに粉々にされちまって、俺っちの仕事が台無しだ」


 そう言ってギイが、ふんふんと丸い鼻先を動かすと、部屋の奥に飛んでいった。


「ヨモ! まだ砕かれていないコトバがあったぞ、隠れていたみたいだ」

「手がかりになるかも、逃げないように見張ってて!」

 

 呼ばれたヨモが、水に足が濡れるのも構わず部屋の奥に向かう。

 コトバが砕かれているということに、ヨモの心はじくじくと崩れそうになる。


 部屋の奥は日の光が届かず、真っ暗だった。その暗闇のなかに、ぼんやりと浮かぶ紫色の文字がある。

 弱い光ではあるが、見ているものを不安にさせるような禍禍しい光だ。


「これ、並びを変えたら読めるかな、エイゴの形に似ているけれど」


 そう指を伸ばしたときだ。

 バチッ! という音をたてて、コトバが火花を発した。


「痛ッ!」


 とっさに手をひっこめたヨモの頭に、嫌な予感がよぎる。

 母親が言っていた、『情の深い人間は、逆にコトバに飲まれる』。

 父親の言った、『なったか』。


 ――現場にはコトバの耐性がある者しか近づけない。


「マニシャ、本当に、何があったの?」


 大文字のN、小文字のr、p、l、t……ほかにもいくつかの文字が、パチパチとぜる音がヨモのつぶやきに重なっった。

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