第3話 霊獣ギイ

「あーあ! 部屋がションベンくせえと思ったら、またガキがマニシャの仕事場に入り浸ってやがんのか」


 突然、甲高い声が外から響いた。

 ヨモが即座に部屋の外に目を向けると、霊獣・ギイが入室してくるところだった。ふわふわとただよいながら移動してくるギイは、見た目にはぬいぐるみのように可愛い。というより、綿で出来ているので本当にぬいぐるみなのだ。動いて喋るぬいぐるみ、それがこの世界の霊獣だ。綿で出来ている彼らは、『ワタモノ』と呼ばれている。

 ちなみにギイは、旧世界でいうところのキリンに近い見た目をしており、胴体にして長い首はうごくたびにゆらゆらとゆれる。目はボタンで出来ていて、右目が白で左目が黒。

 これはヨモの父親がギイを作成する際に、当時さらに幼かったギイが「黒と白のボタンどっちも使って!」と駄々だだをこねた結果らしい。


 霊獣の能力はというと――


「私はお父様のおつかいで来てるんですぅ! ギイこそ、なんでこんなところフラフラしてるの! ていうかワタモノは匂いなんか分からないでしょうが!」


「俺っちの仕事はもう終わったもの。ほら、今日ご主人が持ち帰ったエイゴのぽえと、マニシャに渡したショウセツのロンブンのぽえ。俺っち作だよ」


 綿のつまった鼻を鳴らして自慢げにギイが言う。


 霊獣は、特別な綿の花から集められた綿を使って、霊裁士れいさいしによって作られる。


 さらに、魂を持った綿であるだけでは、霊獣が霊獣と呼ばれる理由にはなりえない。霊裁士は普通の綿花から、愛玩用の動いて喋るワタモノを作ることもある。

 特別な綿の花によって作られた霊獣は、崩壊した旧世界のウェブ空間に時を越えて触れて、コトバの残滓ざんしを集める術を持っているのである。


 ギイもそんな霊獣の一匹であり、一級コトバ修繕士である父親の所有物だ。

 最後の『目』を縫い付ける作業をしたものに、綿で出来た生き物は隷属れいぞくする性質がある。


「それで、仕事が終わったからってふらふらと遊び歩いていていいわけ?」


「いいだろ別に。俺っちはマニシャの部屋が好きなんだ。マニシャも好き。ご主人の次にね。だからここは昼寝にぴったりってわけ。ほら、遣いが終わったんならおこちゃまはサッサと家に帰んな」


 ヨモの目の前に首をにゅんと伸ばしたギイは、短い前脚を前後に振って「しっし!」とヨモを追い払おうとする。

 霊獣はどこもかしこも柔らかくて温かいとはいえ、頬をかすめるように前脚を動かされるのは面白くない。

 ヨモはムッときて言った。


「なぁによ! ギイ、あなたの目は私が選んだんだから、私だって半分飼い主みたいなものよ!」


「あーあーあー! お陰様で、こぉんな格好悪い、左右で色が違う目になっちまったよ!」


「可愛いしトクベツな感じがするでしょ! 感謝しなさいよ!」


「まったく大したセンスだな! コトバ修繕士も似合わないが、霊裁士にだけはなってほしくないね! どんな化け物が生まれるか分からねえや!


「はい、そこまで」


 にらみ合うヨモとギイの間に、竜騰虎闘りゅうとうことうの文字たちが投げ入れられる。

 修繕中のコトバの列から、マニシャが選んで放ったもののようだ。

 こういう時、マニシャが問いかけることは決まっている。


「そのコトバの意味を知っているかな?」


「知らない、こんなの」

「俺っちはコトバを集めて来るのが仕事だから、知る必要ないね」


 ヨモとギイが同時に答えるのを、マニシャは微笑ましげに見つめた。


「教えてあげよう、今の君たちにぴったりだから。ほら、こっちにおいで」


 マニシャにそう手招きされて、ヨモとギイは顔を見合わせる。

 無言で床にしゃがんだ一人と一体は、「竜」「騰」と「虎」「闘」をそれぞれに持って、マニシャの膝の上に移動する。

 あぐらをかいて作業を行うマニシャの、右の膝にはヨモが、左の膝にはギイが、頭をもたれさせて寝転がる。

 そうしているとまるで兄妹のような一人と一体は、やがて寝息を立てはじめた。


 *


「マニシャが居なくなった!」と最初に騒いだのはギイだった。


 ヨモが十一歳になったばかりの、涼しい風の吹きはじめたある早朝のことだ。


「おい起きろバカ娘! 大変だ! 大変だ!」


 格子を上げて、ヨモと姉のターリヤが眠る部屋に飛び込んできたギイは、丸いお尻でぼふんとヨモの顔の上に着地した。


「ふんむ!」


「なに寝ぼけてやがるんだ! さっさと起きろ!」


 ギイがヨモの顔の上で綿のお尻をぽいんぽいんと跳ねさせて叫ぶ。


「ふんむむむ! ぷはあ! ……なにすんのよ! 顔にお尻乗せられて喋れるわけないでしょうが!!」


 姉がギイを持ち上げて抱っこしてくれたおかげで、やっとお尻攻撃から逃れたヨモが不満を訴える。

 一方ギイはというと、美人の姉の胸に抱かれて嬉しそうに鼻の下を伸ばしている。ぬいぐるみの顔のくせに、器用なやつだと呆れながら、ギイの言葉を寝ぼけた頭で思い出す。

 確か、マニシャが――


「マニシャが居なくなった?!」


「そうだよ、そう言ってんだよさっきから!」


 姉のササラの膝の上に座り直したギイが語ったことによると、父親の仕事場の隅のクーハンで眠っていた彼は、まだ明けきらない時間に目覚めて寝付けなくなったという。仕方がないので、アイシャの元で寝直そう――彼はマニシャの側にいると自然な眠りが得られるのだ――と、薄暗い街を浮遊してマニシャの住む長屋に行った。

 格子が全て上がっていることに不審を覚えながら中に入ると、部屋がすさまじく荒れていたという。

 

「で、マニシャは部屋から消えていたと。部屋で争った形跡は?」


「どうだろう、人が暴れた感じじゃないんだよ。ただ水盆や水鉢が全部ひっくり返されてるし、タモは折れてるし、あと、バラバラに砕かれたコトバがあったな」


「コトバ……マニシャに何があったんだろう」


 コトバの修繕を愛していたはずのアイシャの、大切な道具や修繕中のコトバ達が破壊されている。さらにアイシャが居なくなっている。

 なにやら不穏な予感をおぼえて、ヨモは小さく体を震わせた。


 ギイも喋りながら不安になってきたらしく、長い首をくったりと曲げて落ち込んでいる。頭の上の角もしおれている。


「まずは、お父様にご報告した方が良さそうよ」


 そう言って姉のササラが、ギイの頭を優しくでた。

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