第1話 ヨモという少女

「お父様の馬の足音がした! お父様がお帰りになった!」


 そう叫んで渡殿ろうかに飛び出した少女は、赤みかかった茶色の瞳をきらきらに輝かせている。シルク製の黄色い曲裾深衣ワンピースのすそが、少女が走るのに合わせてひるがえる。

 高い位置で二つに結んだ明るい茶色の髪が、子馬の尻尾のように跳ねる。

 母屋の奥で他の婦人と一緒に刺繍をしている母親が、足音を聞きとがめた。母親は刺繍の手をとめて、少女に負けない大声で叫ぶ。

 

「ヨモ! またそんな男のような格好をして、お父様に怒られますよ!」

 

 ヨモ、と呼ばれた少女は曲裾深衣ワンピースの下に裳裾スカートを合わせるべきところ、股のあるズボンを合わせている。

 やわらかなズボンすそのすねのあたりまで、細い帯でめ上げて足さばきを良くしている。

 少年のような服装は、しかし、少女の闊達かったつな雰囲気によく似合っていた。


「だってお母様! 早くお仕事の話を聞きたいんですもの!」


 と顔だけ向けて叫んだかと思うと、少女は外へ向かって走り去ってしまう。

 

「まったく落ち着きのない子だこと。もうすぐとおになると言うのに、刺繍の一つも仕上げられないで、毎日毎日、コトバのことばかり」


「でもお母様、ヨモはきっとお父様のあとを継ぐくらいの立派なコトバ修繕士になれますわ」


 愚痴をこぼす母親の向かい、よわい十四になるヨモの姉・ササラが母の刺繍を手伝いながら言った。二人は、互いの膝の間に父の帯を渡して両端から刺繍をしているところだった。ササラの刺繍の腕は、早くも母親に迫ろうとしている。たいした才と言ってよかった。

 

「しかしコトバ修繕士は女の仕事ではないでしょう。あれは情より理の仕事、男の仕事ですよ。情の深い人間は、逆にコトバに飲まれると言いますからね」

 

「それは恐ろしいことだと思いますわ。でも、やっぱりヨモの才能はたしかですわ。もうエイゴを覚えて、簡単なシをわたしに修繕してみせましたもの。お父様もきっと、ヨモに期待をしておいでよ、それだからあんなに甘いんだわ」


 ササラが刺繍を膝に置いて、背中を伸ばしがてら後ろを振り向いて言う。

 母親もつられて首を巡らせる。帰宅した父親がヨモを肩に担いで大股に渡殿ろうかを歩いてやって来るのが、ササラの肩越しに見えた。


「今日もヨモは凛々しいことだ。ズボン姿が、まるでどこぞのオトギバナシのなかの皇太子のようではないか」


「イヤだお父様、これは勇敢で強く賢い武侠の格好なのです」


「ハハ、それは失礼した。まさしく勇敢で強く賢い武侠に違いない。しかしヨモ、武の者は我らのには必要がないぞ」


「あなた、そんなに甘やかしてはヨモのためになりませんわ。それにそんな、荷物でも担ぐような持ち方をして! 女の子ですよ、ヨモは」


 立ち上がって夫を迎えた母親が、腰に手をあてて怒った顔を作る。


「ああ、悪かったよターリヤ。ほらヨモ、降りなさい。うん、ズボンも悪くないが、裳裾スカートも履くといい」


「でもお父様、あれは走りにくいの。それより、今日は何を献上なさったの」


 肩から降ろされたヨモが、跳ねるように父親の腰にまとわりついて、土産話をねだる。


「今日か? 自発放射とレーザーのなんとか、だな。どれだけ使えるものかは知らんが、修繕はそう大変ではなかったな」


「ふうん、相変わらず難しそう。あ! これあたらしいぽえだ! 今度の修繕はどんなもの?」


 父親の袖を勝手にあさったヨモは、硬い皮につつまれた豆のようなものをつまみだした。小さな両手を水をすくうときの形にして、その中央に豆を置いたヨモは、宝石でも見るかのようにうっとりと目を細めた。

 ぽえと呼ばれたのは藤の実を使った記録用媒体ばいたいで、そこには父親がこれから修繕するべきコトバが記録されている。

 

「なんだったか、『酸化』というコトバは見えたが、どうなるかな」


「エイゴ?」


「そうだ、エイゴだ。わしはエイゴの修繕しか受けられないのでな」


「その代わり、エイゴだったらどんな複雑な修繕だって出来る! でしょ?」


「当たりだ。さあ、貴重なものだ、返してもらうぞ」


 口ひげを自慢げにでつけてみせると、父親はヨモの手のひらからぽえをつまみ上げた。

 少女はその場でぴょんと跳ねると、母屋の奥にある仕事のための場所に向かおうとする父親の袖をひいて走り出した。


「ねえ、見ていていいでしょ! いいよね!」


「飽きないな、うちのお姫様は。いや、武侠様だったか。……ああそうだ、忘れていた。つかいを頼まれて欲しかったのだ」


「きゃあ!」

 

 父親が急に立ち止まったため、ヨモはつかんでいた袖に引っ張られてバランスを崩した。

 後ろにひっくり返りそうになったヨモを腹で受け止めた父親は、袖の奥をさぐって、さぐって、ひっくり返す勢いでさぐって、やっと半月型の小さな種を使ったぽえを取り出した。


「これを、マニシャのところへ持っていって欲しいんだ。ヨモ、そのくらいのお手伝いはしなさい。そうでなければお母様の刺繍の手伝いを……」


「行きます行きます!」


 父親の手からぽえを奪い取るようにすると、ヨモは走って街に出る。マニシャの元へと向かうのだ。


「危ない危ない。刺繍をしたって、指に針を刺すだけだし! マニシャにお仕事見せてもらおーっと」


 ぱたぱたぱた、と軽やかに走る少女の足音が街路に明るく響いた。

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