そんなに軟じゃない

CHOPI

そんなに軟じゃない

 目が覚める。布団の中でもぞもぞと寝返りを打ち、少しずつ覚醒してくる意識の中、『今日はやけに静かだな』と思った。やがて『二度寝は無理そうだ』と諦めて、しっかり目をあけると天井の木目が見えた。身体を起こして伸びをし、布団からはいずり出る。壁際に寄せるようにして敷いている布団の反対側、カーテンにさえぎられて所々漏れている光を見て、やけに白いような気がした。


 窓に近づいて、カーテンを開ける。光を受けている曇り空が明るくて、そういえば昨日見た天気予報では、今日以降は少しの間天気が崩れるのを目にしていた。カラカラと引き戸の窓を開ければ、流れ込んできた空気が湿っている。まだちょうど降り始めの、小雨のようだった。


 あ、やばい。昨日のうちに取り込むのを忘れてた


 視界に入った洗濯物を見て、慌てて取り込んでおく。ほんの少しだけ湿気を吸ってしまったそれらは、だけど家の中で少しの間乾かせば問題は無さそうだった。洗い直しにならなくて良かった、とホッとする。


 取り込んだばかりの洗濯物からは、お気に入りの柔軟剤の香りがする。花の香りのそれを嗅いで、そういえば、とふと思い出した。


 近所の公園の桜、つい先日咲き始めたばかりだよな……


 桜の咲く時期に降る雨は、咲いたばかりの桜の花をたくさん連れて行ってしまうのであまり好きになれない。ただでさえ短く儚いそれらなのに、そんな強制的に連れていかないで欲しい、そう思ってしまう。


 今日は特段、予定らしい予定は入っていなかった。雨だし、どうしようかな……なんて思って、どうせ散ってしまうなら、少し早いけど桜の花でも見に行こうかと思い立つ。雨だから他人ひとはほとんど来ないだろうし、雨の中散歩するのは嫌いじゃなかった。そうと決まれば、と簡単に身支度を済ませて、小さな部屋をあとにする。


 ゆっくりと歩きながら近所の公園を散歩する。思惑通り、他人ひとはほとんどいなくて歩きやすい。とはいえ、桜の花もまだ咲き始めが多く、木の枝が目立つものが多いけど。


「珍しいね、雨なのにお花見かい?」


 後ろに傾けていた傘越しに声をかけられた。誰だろう、と思って振り返ると、そこにいたのは知らないおじいさん。だけど雰囲気がのどかな感じがして、その人柄の印象が悪くなかったので、そのまま自分も会話を続けた。


「はい。雨の中の桜もたまには良いかな、って思って」


 そう言えば、そのおじいさんは少し笑って言った。


「若いのに、風流なことするなぁ」


 ******


 ――雨が、桜を連れて行ってしまうのが嫌で、見られるうちにお花見しておこうかと


 そう本来の目的を伝えると、目元を少し緩ませて、おじいさんが教えてくれた。


「桜の花はな。最初に咲いた花は、最後に咲く蕾が開くまで散らずに待っている。そう言われるくらいには、簡単には散らないって知ってるか?」


「え、知らなかったです。そうなんですか?」


「いや、実際はもちろん、そんなことは無いがな。それでも中らずと雖も遠からずあたらずといえどもとおからずな話しだよ。桜の花は、各々が満開になるまでは、なかなかしぶとく枝に咲き続けるんだ」


 ごらん、と言っておじいさんは目の前の桜を見ながら説明してくれる。


「中心が緑から赤く染まっていくと、そろそろ散る合図なんだ」


 なるほど、今咲いている花のほとんどはまだ、中心は緑色だった。


「大丈夫。桜も儚いイメージがあるとはいえ、意外としぶといんだ。もう少ししたら晴れた日に、満開の桜をゆっくり見られるさ」


 ******


 その数日後。ようやく崩れた天気が回復した日。近所の公園に再び足を運んでみた。するとそこには。


「わぁ……!!」


 本当に、満開の桜の木がそこかしこに立っていた。


 春の柔らかな青空を背に、堂々と咲き誇る白に近い薄ピンク色の花が風に吹かれてハラハラと散っていく。もちろん他人ひとは多いけれど、そのたくさんの人たちが嬉しそうに各々の花見を楽しんでいる。


 指をさしながら笑っている小さい子。それに目線を合わせてしゃがみ込みながら、我が子を笑顔で見つめるお母さん。その様子をこれまた嬉しそうに写真に納めるお父さん。屋台で買ったであろう、唐揚げを頬張っている学生たち。近所の喫茶店で買ったドリンクを手に、ゆっくり歩きながら会話をしているカップル。


『桜も儚いイメージがあるとはいえ、意外としぶといんだ。』


 おじいさんのその言葉を思い出す。……なるほど。桜もきっと、こういう風景を見ないまま、雨風に負けて散るわけにはいかないんだろうな。


 儚くて、どことなくもろい。そんな自分の中の桜の像。だけどそれは虚像でしかなくて、実際はもっと強かった。そんな思いで桜を見ていたからか、今年の桜はいつもより、ずっと強くきれいに咲き誇っているように思えた。

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