第六話 セクハラお姉様

 帳台の脇に黒いローブを着た女従者が二人、どこからともなく歩み出てきて、籠目編みの衝立を除けた。帳台の両翼に鎮座する白装束の男たちが平伏し、鎧の音が幾重にも重なって謁見の間に響いた。二列に並んでいたあの兵士たちも皆、片膝を突いて首を垂れたのだろう。ドンゲもまた同様にしていたので、私たちも慌てて頭を下げた。

 ほどなくして——


「面を上げよ」


 先ほどと同じ力強い女性の声が頭上から聞こえてきた。視線を上げると、階段の上に見目麗しき長身の女が立っていた。彼女が〝クイジ様〟だろう。でも私は思わず目を逸らしてしまった。彼女があまりにも露出度の高い格好をしていたからだ。

 脚部は腿から足先に至るまで光沢のある浅黒い肌が完全に見えているし、ヘソ丸出しの腰回りには金の腰飾り、その下は大切な部分を覆うには頼りない小ささの三角形の布だけ……胸に至っては、首から下がったフカヒレのような形をした金の装飾具がかろうじて見えてはいけない部分を隠しているだけだ。現代なら間違いなく逮捕案件だろう。


「いまそちらに降りる」


 肩口で切りそろえた黒髪とアクセサリーを揺らしながらクイジが階段を降りてくる。目鼻立ちのくっきりした顔は元の世界のアジア系にも北アフリカ系にも似ているけど、そのどちらでもないようにも思える。AIが描写した人物画のような、ある意味不自然な完璧さを備えているのだ。近づくにつれ、彼女のまとう人を心服させる類の強烈なオーラを感じた。

 クイジはエメラルド色の瞳で私を見据えると、金の腕輪のついた手をわずかに掲げ、「立て」と促した。艶やかに光る肌が眼前に迫る。身長は百六十五センチの私よりも十センチ以上高い。ちょうど視線の高さで金のフカヒレが煌めいている。目のやり場に困っていると、クイジは私の頬や髪を撫でまわし始めた。首筋にゾクゾクと鳥肌が立つ。


「お主、面白い小娘だな。余は予言などあまり信じておらぬが、今回はそなたの度胸に免じて賓客ひんかくとして迎えてやろう。名は……?」

「キイロと申します! あっ、ありがたきっ……お言葉っ!」


 思わず声が裏返った。耳と頬が死ぬほど熱い。多分、トマトみたいに赤くなっていると思う。


「こっちの方は緊張しておるようだな。名は何と申す?」


 クイジは両手でメルの頬を包んで、そこから首筋やら髪の毛やらを撫でまわした。


「ひょわぁあ! んメメメ、メルです!」


 メルがくねくね動きながら小刻みに震えている。お触りは単純にコミュニケーションのつもりなのかそれとも別の意図があるのか、俄かには測りかねた。でも結果としてメルも茹でタコになっている。私はどういうわけかイラついてしまった。


「〝ンメメメメル〟と申すか……。ずいぶん変わった名だな……」

「あわわわ! そうじゃなくて〜」

「……?」


 クイジが怪訝そうに眉根を寄せた。ついでに手が止まったので、すかさず二人の間に入る。


「この子はメルです。あははは……」


 うちのメルを好き放題触らせるわけにはいかない。


「キイロとメルか。まこと不思議な者たちよ。後で色々と話を聞かせておくれ」


 微笑みながら、また私の耳元に手を差し込んでくる。


「は、はい……よろこんで」

「ザヒム! この者たちに部屋と食事を用意せよ!」


 クイジが振り返りながら声を上げると、階段の上で宰相が不満げに返事をした。


 メルと私は謁見の間の前でドンゲと別れた。彼には色々と助けて貰ったので感謝を伝えると、照れくさそうに髭を掻きながら「まあ務めを果たしただけだ」と言い、ドスドス大股で歩き去っていった。その後、黒装束の女従者に連れられてエレベーターを上がり、私たちは居館上層部にある来賓用の部屋へ通された。

 部屋は諸外国のお偉方も泊まるのであろう、五人くらい川の字で横になれそうなベッドや、金の刺繍が施されたソファ、黄金の燭台など、ドバイの高級ホテルもかくやといった豪華さだ。まあでもそれだけではない。大きすぎて用途がわからない壺や、馬のような生き物を模した謎の置き物など、数々の調度品が部屋のあちらこちらで異彩を放っている。なかなかバブリーな雰囲気である。

 部屋に入るなり、メルは巨大ベッドにぽふんと腰掛けた。


「さっきのキイロちゃんすごかった! 偉い人たちの前で堂々としてめちゃくちゃかっこよかったよ! 〝レーセーチンチョク〟だね!」

「冷静沈着かな……? ありがとう。でもあんなのはもう二度とごめんだわ……」


 私もベッドに倒れ込んで枕に顔を埋めた。この世界に来てから数時間の内に色々ありすぎた。命に関わるような判断の連続でどっと疲れてしまった。

 そのまま突っ伏していると、コンコンと部屋の入り口の扉をノックする音が。


「え、もしかしてご飯かなぁ!? どうぞー!」


 メルがベッドから弾むように立ち上がる。入ってきたのは黒装束の女の子だった。低身長の可愛らしい女の子だ。メルとほぼ同じくらいなので百四十五センチ前後だろう。ふわふわのカーリーヘアとぱっちりした目が印象的だ。コップと水差しの乗ったトレイを抱えている。


「お、お二人のお世話を担当いだしますー、ファロと申します」


 もの凄く訛っている。この世界の自動翻訳の性能が怪しくなってきた。


「さっそぐですがお飲み物をお持ち致しましたのでこぢらに……」


 ファロは動き出すも、すぐに「ひょひっ!?」っとファルセットで奇声を上げ、派手に転倒した。勢いで宙を舞っていた水差しが綺麗にひっくり返って彼女の頭に着地し、床に落ちたコップが破裂音を立てると同時に濡れ鼠が誕生した。一連がシームレスで見事な転けっぷりだった。


「大丈夫!?」


 メルと二人、駆け寄る。ファロは今にも泣きそうな顔で割れたコップの破片を拾い集めている。


「も、もうしわげね……! すぐにお片付け致しますんで!」

「気にしないで。そんなことより怪我はない?」


 尋ねると、ファロは激しく首を横に振った。


「へ、平気です。このぐらい……」

「てことは、怪我してるってことだね。どこ?」

「え……? あ、あの……」


 彼女は絨毯のない入り口付近で転けてしまっていた。膝を擦りむいているだろうと思ったら案の定だった。怪我をした膝をついてコップの破片を拾っていたので、作業はメルに代わってもらった。室内を軽く物色して包帯を見つけ、ファロにベッドに腰掛けてもらい、応急処置を施す。


「よし、これで大丈夫。でもしばらく膝はつかないほうがいいかもね」

「あ、ありがとうございます……」

「メルもお片付け完了いたしましたー!」

「も、もうしわげね……!」


 ファロが深々と頭を下げる。そしてそのまま沈黙——しばらく微動だにしないので不思議に思っていると、やがて肩を揺らしながらすすり泣き始めた。


「うっ…ううっ……ずびっ……ずびび……こんだび……ひっく、こんだびやさしくされたどは……うえっ! ずずずっ……はじめてで」

「うううっ……ヨシヨシ」


 いつのまにかファロの隣に座っていたメルが、もらい泣きしつつ背中をさすってあげている。五分ほどそうしていると、ファロはようやく落ち着いてきた。


「もうしわげね……あだす、いっづもこういう粗相ばっかりで……」

「気にしないで。ほら、〝喜んで尻餅をつく〟っていうでしょ。メルもよく尻餅つくから大丈夫」


 メルが真剣な顔で指を立てる。いや、珍しくフレーズは合ってるけど使い方が違うような……。そもそもこの世界の人たちにことわざは通じないと思うよ。


「ううっ……ありがとうございます……」


 それでも励まそうとしている意図は伝わったのだろう。礼を言いながら、しかしファロは再び肩を落とした。よほど失敗が悔しかったのだろうか。いまだに表情は浮かない。


「多分、しばらくは私たちここにいることになるだろうし、何かあったらいつでも相談しにおいで。力になれるかはわからないけど、話くらいは聞いてあげられるから」


 ファロの肩に手を置くと、彼女はポタポタと涙をこぼした。しかしすぐにそれを袖で拭い去ると、深刻な面持ちで私の方に身を乗り出した。


「あ、あの……」


 言いかけて、ファロは胸に手を置き一度深く息をついた。


「おっがなくて、誰にも言えねーでおったんです。お二人になら話して良いがもしんね……あだす、実は見ちまったんです……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る