魔女たちの千年と一刻

連星悠音

魔女たちの千年と一刻

 およそ千年の昔。魔力を操る魔女の力によって繁栄した魔導国家「ヘルゼ」が存在していた。

 ヘルゼの領土は魔力濃度が非常に高い、特質的な土地であった。

 かつて、その力故に迫害を受け、隠れ忍んで生きていた魔女達は、いつしかヘルゼの地に集い定着していった。

 隆盛期には国民女性の半数以上が魔女として適正を持ち、魔女が政治・軍事の中枢を担う特異な国家となっていた。

 剣や槍など金属製の武器による近接戦力が主流であった世界において、ヘルゼの魔導戦力は周辺諸国にとって脅威となり得た。

 対外的には不干渉を貫いていたヘルゼだが、ある事件をきっかけに、周辺で支配を強めていたヴァルム帝国との戦争が勃発。

 互いに壊滅的な打撃を受ける中、戦争は誰も予期せぬ形で終結する。ヘルゼの中枢領域に突如、何者も触れられぬ不可侵の結界が形成されたのだ。

 そうしてヘルゼは世界と隔絶された。国家としてのヘルゼの名は歴史の上から消え、ヴァルム帝国には戦争の爪痕だけが残った。


 そのとき何が起きたのか。本当のことを知るものは、どこにもいない。




 ――――




 嫌いだった。何もかも。

 うわべだけの優しい声をかけてくる使用人たち。

 私の能力にしか興味がない先導たち。

 そして……私を後継者候補に選んだ魔女の王。


 私がものごころつく前まで、この国は他国との接触を避け、国民は皆慎ましく穏やかに過ごしていたそうだ。

 でも、今はいろんなところが帝国との争いに傾きはじめている。


 私がまだ幼い内に、両親はこの世を去った。

 二人共、帝国との戦で亡くなったと、姉は泣きながら私に伝えてきた。

 それ以来、私は姉と二人、王都の片隅で静かに暮らしていた。


 ところがある日、魔導の素質を見出だされた私は、ひとり王宮に幽閉された。

 この国では魔導の力の強い者が王位を継承する。戦のない時代にもその伝統は変わらなかったそうだ。

 後継者選出のため、他にも何人か王宮に連れて来られていたけど、お互いが接触することはなかった。


 姉とは手紙のやり取りだけが許された。十日に一回ほど手紙が届く。

 他愛のない出来事、私を励ます言葉。

 それらを読むのが王宮の中で唯一、私の心がほぐれる時間だった。



 冷たく分厚い壁の中で暮らすうちに、王宮の内情が少しづつ見えてきた。

 

 現在の王、ディエルメの即位は十年前。その時、まだこの国は平穏だった。

 だが数年前、国境付近で魔女の一団が帝国兵に虐殺される事件が起きた。それまで隣国とも不干渉であったヘルゼは、事件をきっかけにヴァルム帝国を敵として掲げ、周辺各地で小競り合いを繰り返すようになった。


 ――――


 ――パタン、姉からの手紙をまた一通、古びた表紙の本に挟んで息をついた。


 ――コン、と木の扉をノックする音が鈍く響く。

「鍛練のお時間です」

「……はい。今行きます」

 事務的な呼びかけに対し、同じ調子で返事をする。


 物音のしない王宮の中、細く冷たい廊下を歩いて地下室へ向かう。

 この部屋では魔力を操る力、魔導の訓練が行われる。

 訓練と言っても激しいものではない。傍から見れば私はただ静かに祈るか瞑想しているだけのように見えるだろう。


 目に見えない魔力と自らの精神を繋ぐ。流れる魔力を束ね操る様を想像し、練り上げる。

 王宮での暮らしの中でもこの時間は好きだった。悲しみも、不安も、寂しさも、このときだけは忘れられるから。


 この力で国を守る。それは他の国の誰かを殺すこと。その実感のないまま、日々が過ぎていた。


 ――――


 ある日、私はディエルメに呼び出され玉座の間にいた。王自ら後継者の品定めといったところだろうか。


「このところ、我らが国土を侵す輩の多いこと。今朝もまた、賊が入ったとの報せがあった」

「ウィゼラミア、お主にはその愚か者どもの排除を命ずる。今のお主の力ならば容易いはず」

「魔女の王には強さが不可欠故、実戦経験も積まねばな。なに、己の身を案じずとも兵をつける。お主は敵を倒す事に集中すればよい」

「倒す?……殺す、の間違いでは?」

 自分の置かれた境遇にまだ納得しきれていない私は、つい捻くれた言動をとった。

「あっはっはっはっ。我としたことが要らぬ気を遣ったようだ。どちらでもよい。不遜な賊共を排除できればな」

 ディエルメは笑って応えた。彼女が声を出して笑うところを見たのは、これが最初で最後だった。

「わかりました……あの、他の娘たちも出ているんですか?」

「機会は平等に与えている。皆大事な候補者であるからな」

 ディエルメは目を細めて私を見つめ返していた。


 ――――

 

 翌日、ディエルメから命じられた任務の中で、私は初めて人を殺める事を経験した。腕力で剣を振るったりはしない。鍛練の時と同じ様に魔力を練り上げ、遠くから少しだけ相手に意識を向ける。それだけで魔力は炎へ変じ、隠れ潜んでいた数名の賊を燃やし尽くした。

 殺した、というより、消した、という感覚の方が近かったかもしれない。実感のないまま任務は順調に遂行され、私の隊は王宮への帰路についた。


 この力があったら私達姉妹の両親は死なずに済んだかもしれない。

 でもそれは、代わりに誰かの親であるかもしれない人間を消すという事。

 道中そんなことを考えながら結局、王宮へ着いても霧は晴れないままだった。


 ――――

 

 それからしばらく経ったある日、王宮の中はいつもよりざわついていた。要衝となる拠点のひとつを落とされたらしい。

 精鋭の魔女達が帝国の新たな兵器により次々と斃され、戦線が崩壊したという。


 ヘルゼの兵力の大半は魔女が担っている。もし魔女たちが無力化されるような事態に陥ればヘルゼは絶望的に不利な状況に陥る。そうなったら王宮まで攻め入られるのも時間の問題だろう。

 それからというもの、ディエルメは日々悪化する戦況に苛立ち、憔悴していった。


 けれども、私は内心期待していた。

 ――いっそのこと降伏してくれればこの争いは終わる。今まで多くの犠牲を払ったのだとしても、これから先も殺し合いを続けるより、長い目で見ればずっといい。

 でも、それはただ都合のいい想像でしかなかった。

 私達魔女は存在そのものが恐れられている。それをディエルメはよくわかっていた。

 一度恐怖を植え付けられれば、その根源を排除するまで人の心は休まらない。私達が降伏したとて、皆殺しにされない保証などどこにもなかった。


 ――――


 薄暗い玉座の間でディエルメと側近達が議論を巡らせている。

 

「彼奴らは我らを根絶やしにする気だ」

「ディエルメ王、この形勢を覆すには我らが始祖を蘇らせ、その御力を借りるしかありませぬ」

「既に幾千の魔女達が散り、大地には怨嗟の念が満ちておる。今こそ、回臨の儀により始祖の御力を……」

「今、戦いは新たな時代に移ろうとしている。奴らの放つ礫によって何人の魔女が貫かれた?……そのような古い術、何の役に立とうか」

「現王が始祖ヘルゼラルダ様を愚弄するか!」

「そのようなつもりはない。だが……未だかつてその術が行われたことは無いのであろう」

「ヘルゼラルダ様は肉体を捨て、この地の魔力と同化された……そして今、これまでにない数の魔女達の魂がこの場所に還っておる」

「始祖の御魂を王の肉体に宿す……回臨の儀は必ずや成就するはず。さすれば膨大な魔力は全て意のまま。帝国を滅することも容易いだろう」

「大きすぎる力は我らの身をも滅ぼしかねん。見極めねばならぬ……その力が真に我等を導くに至るのか」


 

 かつてその力を恐れられ迫害された魔女たちは、この地に集い自分達だけの社会を築いた。そのうち魔女への理解を示す人々も交わりながら、次第に発展していった。

 そしてある時、初代王ヘルゼラルダが玉座につき、国家としての礎が成立した。


 ヘルゼラルダは魔女の中でも圧倒的な魔導力を持ち、国家に降り注ぐ数々の苦難を打ち払ったという。その強さは民の間で生きながらにして神格化されるほどであった。


 だが、やがてヘルゼラルダにも肉体の限界が訪れる。民にとって既に神同様の存在となっていた初代王。その魂を遺すため、老院と呼ばれる王の側近達により肉体と魂を分離する秘術が生み出された。

 魂が肉体とともに滅びる前にその魂を取り出し、大地を流れる魔力へ溶け込ませる。そうすることでヘルゼラルダの加護を永久に受けようとしたのだ。

 かくしてその術は成功し、ヘルゼラルダの魂は大地へと還り、肉体は神体として祀られた。


 王位が次代に引き継がれた後、老院はヘルゼラルダの再臨に向けて動き出し、彷徨う魂を新たな王の肉体へ戻す術の研究に明け暮れた。その術の完成には気の遠くなるほど永い年月が必要だった。

 代替わりによる信仰心の風化や研究の途絶を危惧した老院は、次第に自分達自身を延命させることに執心していった。

 天寿を超えて生き永らえてきた老人達は、今も始祖復活の好機をうかがっている。


 

 ――――


 

 ある日の早朝、私は廊下に響く緊迫した声で目を覚ました。嫌な予感がする。

 胸のざわつきをすこし落ち着けようと、姉からの手紙を確かめる。

 私は自ら部屋を出て王宮内の声に耳を傾ける。


 どうやら、防衛拠点を突破した帝国軍が、さらに侵攻をはじめたらしい。

 王都にいる姉の事が気がかりだ。気が付くと私は玉座の間に向かって歩きだしていた。



 玉座の間の重厚な扉の前で深刻な面持ちの参謀たちとすれ違う。私は近衛兵に止められたが、奥からディエルメの声がして、そこを通された。


「お主が自らここへ足を運ぶとは、珍しいな」

「王都は……無事なの?」

「……そうか、お主には姉がいたな。まだ王都まで及んでおらぬが、すぐ手前まで迫っておる」

「そんな!」

「案ずるな。戦えぬ者は安寧の森へ避難をさせている。彼処ならば侵略者共にはまず見つからぬ。奴らにとっては非戦闘員であっても抹殺の対象であろうことは、わかっていたからな」

「そう……」

「我等がここで散ることになっても、残った者達が魔女の血を継いでくれよう。だが、もしこの地を失えば我等は再び世から隠れ忍び生きることになる……例え残り僅かであっても、ここだけは守らなければならぬ……」

「姉さんを守るためなら……私も戦う」

「ふ……そうか」

 ディエルメは目を閉じて深く息をつく。

「ウィゼラミア、お主に伝える」

「なんですか?」

「次なるヘルゼの王をお主に任せたい」

「え……どうして、私を?」

「気付いておらぬやも知れぬが、お主の魔導はここへ来て随分と高まった。素質としても申し分ない」

「政には不向きもあろうが、代々王のさだめを背負ってきたのは魔導に秀でた者達だ。困難が降り掛かるとき、我らは我らだけで国を護らねばならぬ。王の力が国を、民を導くのだ」

「あなたは、どうするの?」

「我も王として務めを果たす」

「……まさか」

「帝国は今や我らを根絶やしにするつもりのようだ。この危急に勝機を見出すには始祖の力を頼るほかない……。我は始祖ヘルゼラルダの力を得、侵略者達に報いを与えよう……この身を燃やしてでもな」

「……」

「無論、犬死になどするつもりもない。帝国は魔女の真の恐ろしさを知ることになるだろう。だが、始祖の力を身に宿した後、我は我に戻れるのか……それすらもわからぬ。故に、お主に託すことにした」

「本当に、私なんですか……?他の娘達は……」

「言ったであろう。魔導を素質を見極めたのだ。付け加えるなら、お主の意志も確かめられた。まだ早いと思うかもしれぬが、もはや猶予はない」

「明日、略式だが王位継承の儀を執り行う。その後、私は回臨の儀に臨もう」

「はい……」

「お主たちの未来のためにも守らねばならぬ。後を、頼むぞ」


 いままで嫌悪していたディエルメの口から「守る」という言葉を聞いたとき、胸につかえていた何かがとれた気がした。

 ディエルメも王であれば自らの力をもって国を窮地から救おうとするのは当然なのだ。これが、私達魔女の王たる資質。

 そんな役目を自分が継ぐ……。急に訪れたその事実に茫然とした。


 ――――


 その夜、破れそうな本の頁をひとつひとつめくりながら姉からの手紙を読み返す。


 始祖ヘルゼラルダの力は未知。本当に帝国との戦争を終わらせることができるのか。

 いずれにせよこのままではどちらかが滅びるまで決着はない。多くの血が流れることになる。

 失うものが大きすぎる。

 でも、反撃の手を止めればすべてを失う。

 今さら和解などないことは理解しながら、ありもしない解決策に思考を巡らせていた。


 姉からの最後の手紙は、最近覚えたという新しい料理について書かれたものだった。

 不安な夜を過ごしている姉を想いつつ、浅い眠りのまま夜明けを迎えた。


 ――――

 

 明朝、私は玉座の間へ赴く。儀式のためにいつもと違う服を着せられていた。

 玉座の前にはいつになく固い表情のディエルメと深い皺にまみれた老院の者達の姿があった。

 己を生き永らえさせるためだけに魔力を繰る老人達。

 過去に縛られ、今を生きられなかった人達。

 私にはとても哀れに見えた。

「……この娘か」

 生気のない、呻くような呟きが聞こえる。私は黙って玉座の前に就いた。


「これより王位継承の儀を執り行う」

「始祖ヘルゼラルダ、新たな王代ウィゼラミアに御身の質を与え給え。御力を継ぎし子らよ、始祖の御霊を受け入れ給え」

 老院の者の口上が終わると、ディエルメは自分の首飾りを外した。


「これがヘルゼの王たる証……お主に託すぞ」

「……はい」

 私の首にその証がかけられる。それは見た目以上の重みを伴って私の肩を押さえつけた。

 首飾りには大小様々な輝石が散りばめられ、中でもひときわ目立つ瞳のような模様の石と目が合う。その瞳は新たな主を見定めるかのように私の顔を凝視していた。

「面を上げてください。あなたはもう王なのです」

「ディエルメ……」

「どうなされた。いつもの気丈なお顔でいて下さい」

「憂いは無用……先王として、役目を果たして参ります」

 恭しく一礼するとディエルメは玉座の奥、仄暗い儀式の間へと入っていった。


 私はしばらくそのまま立ち尽くしていた。今や自分のものとなった玉座に腰を下ろす気も起きず、結局後を追うように儀式の間へ向かった。

「ウィゼラミア様、回臨の儀においては祈祷師と器以外の入室はできませぬ」

 老院の者は『器』と言った。その響きに一抹の不安を覚え、これは自分の目で確かめるべきだと確信した。

「先王が始祖の御力を得る……その顛末、現王として見届けることに何の誹議があろうか」

 説得するためにも精一杯王らしく振る舞った。

「……畏まりました」



 暗く長い通路の先、仄かに青白んだ光が漏れていた。近づくに連れディエルメの苦悶に満ちたうめき声が聞こえてくる。

「あぁ……これが……我ら始祖の念だというのか……黒い……何も見えぬ……」

 よどんだ光が炎のようにまとわりつき、もがき苦しむディエルメの姿に私は目を見開いた。

「これは……何が……」

「ウィゼラミア様、お静かに願います」

「うぁ……これは、死者の怨念……う……導きの言葉は……始祖よ……あぁ!」

「おかしい……こんなの……」

「永きに渡り始祖の魂が彷徨われた結果です。この地に散った魔女達の怨嗟と一体になり、当時を凌ぐ力で顕現なされようとしています。それ故、器への負荷が大きいようですが……」

「はぁ……はぁ……何故……呪うのです……これでは……くぁ……」

 ディエルメの身体をどす黒い血のような痣が這っていく。この世の、痛みという痛みをすべて注ぎ込まれたような、悲痛な声が小さな部屋に響き渡った。

「もうやめて!このままじゃディエルメが!」

「器は既に開かれています。魂は地脈の魔力とつながり、戻すことは叶いません。今のところ術そのものは成功しておりますのでご安心を」

「ディエルメはどうなるかわからないと言った……けど、まさかこんな……」

「もっと、私達を導く、光のような力だと……だがこれは……なんと禍々しい……」

「怨念の強きこと、魔女も、人も、変わらぬ業ですな」

「この回臨の儀に耐えるためにも、代々の王は秀でた魔導適正と強さを求められてきたのです」

 黒い痣がディエルメの全身を覆い尽くしていた。

「わああああ!」

 断末魔のような叫びと共に光は霧散し、部屋は暗闇へと沈んだ。闇に目が慣れるのを待たずとも、もがき苦しんでいたディエルメがついに動かなくなったのはわかる。

「ディエルメ!」

「終わったようです」

「おお……我らが始祖にして神、ヘルゼラルダ様」

 倒れ伏すディエルメの背中がひび割れ、その隙間から鈍い光が覗く。四肢はいびつに太く隆起し、手足は巨獣のような異形へ変貌していた。

 やがてディエルメはゆっくりと立ち上がって自分の身体を見回す。私は声を上げることもできず、震えていた。

「これが……始祖の力。なんと強い執念か。しかし……時間はないな」

「始祖よ、その御力、今一度我らの目に……」

 老院の者たちはみな平伏しながら各々がへルゼラルダに対する畏怖の言葉を並べ立てていた。


「王よ。へルゼの王よ。私はこれから国土を侵す者共を灼きます。おそらく幾人もの同胞を巻き込んでしまうでしょう」

 姿が変わり果てても、私に語りかけた声はディエルメだった。

「その後で、私の身体を八つ裂きにして、灰燼に帰すまで燃やし尽くなさい」

 なんとなく想像はついていた。

「何故です!」

「この力はすべてを滅ぼしかねない。我らの敵を消し去ってなお、へルゼの民にも仇なすでしょう」

「イヤです!何故あなたがそんな目に合わなければならないのですか!」

「そのために託したのです。この身ひとつで贖いが済むとも思いませぬが、へルゼにとっての最善はこれしかありません」

「あなたは何も悪くない!悪くないのに……」

 心では理解しながらも、私はただ子供のように泣いて否定と疑問をぶつけるしかできなかった。

「……私のことをそれほどまでに想うてくれたのは、貴方がはじめてです。ウィゼラミア、後を頼みました」

 最期に微笑みながらそう言って、ディエルメは発った。

 

 ――――

 

 低い遠雷のような轟音が響いてくる。王宮の窓から王都の方角を見ると、曇天の空に炎が上がっていた。ずいぶんと近い気がする。既に王都内部にまで入られていたのだろうか。

 私は居ても立っても居られなくなって王宮を出ようとしたが、参謀達に引き止められた。今の私にできることなどなく、残った者たちのためにも王宮に留まるしかなかった。

 そうこうしているうちに、何度も繰り返す地響きが段々遠ざかっていく。戦地がいかに凄惨な状況であるか、想像もできなかった。

 ディエルメはまだディエルメでいられているだろうか。

 彼女から託されたものと自分の望みを天秤にかけている。そのことに嫌気が差しながらも、私は選択しなければならない。

「老院はいいのですか?私がディエルメの言ったとおり、彼女を……」

「ヘルゼラルダ様が回臨なされた今、我々はその御心に従うのみです」

「あのおぞましい力に心がある……と?」

「神が滅びへ導かれるのであれば、それにも意味があるのです。すべてを滅した後、新たな時代が訪れましょう」

 彼らの始祖への妄執には恐怖すら覚える。一方、彼らが今まで陰ながらヘルゼを支えてきたのもまた事実。そう思って尋ねてみたものの、私には到底理解できるものではなかった。


 

 黄昏の終わりに、空が赤く燃えている。夕陽はもう地平に沈んだというのに。

 ディエルメ、いや、ヘルゼラルダは帝国の本拠地まで灼き尽くそうとしているのか。

 私達の罪を彼女ひとりが全て背負っている。そう考えると胸がひどく痛んだ。

 老院の者は、やがてヘルゼラルダの魂が彼女の意識を支配すると考えているようだった。

 でも、ディエルメは必ず帰ってくる。私に役目を果たさせるために。私はそう信じていた。


 ――――

 

 夜明け前、私は王宮の塔の上から、ディエルメがいるであろう焼けた空を見つめていた。

 ずっと遠くで、小さな光が瞬いたように見えた。何かが近づいてくるのを感じる。流星のように速い。

 空を見据えたまま魔力を練り上げる。どこまでも大きく、ずっと広く。

 だんだん影が大きくなってくる。風が巻き起こって身体が飛ばされそうになる。私は瞬きもせずに見つめ続ける。

 やがてそれは私の眼前の中空まで来て静止した。轟音が衝撃波のように過ぎ去っていった。

 呪いを吸って肥大した身体は、もはや原形をとどめていなかった。その異形は、見るものの心を恐怖の海に突き落としたことだろう。

「ウィゼラミア……さあ……早く……」

 こんな姿になってなお、ディエルメの声がかすかに届く。

「ディエルメ……」

 私がためらっているうちにそれは再び動き出す。私に構うことなく王宮の周りを飛び周りながら魔力を暴走させる。王宮のあちこちで炎が上がり、誰かの悲鳴と共に壁の一部が瓦礫と化した。

 もう迷っていられない。覚悟を決めて空中を暴れまわるそれに意識を向ける。経験したことないほど巨大な魔力を強く圧縮して、遠くから狙い撃つようにヘルゼラルダの元へ解き放った。その巨躯が衝撃を受けて揺れる。獣のような叫び声。だが、それは形を保ったまま、撃ち込まれた力を飲み込んだように見えた。

「……そんな!」

 跡形も残さぬつもりで私は魔力を放った。そして間違いなく当たったはず。なのにこれでは……。

 攻撃を受け敵意がこちらに向いた。黒い魔力が私の元に集まってくる。このまま何もしなければ呪いに身体を穿かれる。私は自分が掌握している魔力を手元に集めてそれを振り払った。

「なんていう憎悪……でも、防ぐのは難しくない」

 その後もそれは様々な形で乱暴に魔力をぶつけてきた。呪いの刃には光の大盾を、大地溶かす炎熱には大海の守護を。それが魔力を放つ度、不思議と私の元にも魔力が流れ込んでくる。でもこれでは自分の身を守るのが精一杯だ。破壊の力では及ばない。何かできることは……。


 身の毛もよだつような咆哮が響く。ついにそれは魔力での攻撃をやめ、こちらに向けて突進してきた。歪な爪を持つ巨大な掌で獲物を攫うように身体を掴まれる。強い衝撃に気を失いそうになる。空中で対峙したそれの顔はすでにディエルメの面影もなく、暗く落ち窪んだ眼窩が私を睨みつけていた。

「ヘルゼラルダ……もう……やめて……」

 力が更に強まる。魔力で耐えてはいるものの、直接触れられていてはさっきまでのような防御は難しい。少しでも気を緩めれば一気に押しつぶされそうだった。

「あぐ……あなたは……そこにいるべきじゃ……ない。ディエルメを……返して!」

 一瞬力が緩まると、視界がぐるりと廻る。それは巨腕を振りかぶり私の身体を中空から地上へ向かって投げつけた。

 少し反応が遅れた。魔力の展開は間に合わないかもしれない。落下の感覚に寒気を覚える。鋭い爪が呪いと共に追い打ちをかけるように迫ってくる。これで終わりかもしれない。


 ――――


 覚悟して目を閉じた瞬間、背中に暖かい光を感じた。これは私の遣う魔力じゃない。瓦礫の山に叩きつけられる直前、身体が碧い光に包まれて、衝撃は消えた。

「姉さん……?」

 魔力が巡ってくる。つながった先に祈る姉の想いが見えた。姉だけじゃない、ここを守りたい皆の意識が流れ込んでくるようだった。今なら、なんとかできる気がした。高速で落下してくる巨体を見据えて魔力を練る。一人でやるよりずっと強い。力を解放するのではない。すべてを受け止め、包み込むように……。

 ――そうだ。

 魔力の防壁の中にそれを閉じ込める。そしてそれを打ち破られる前に防壁を極限まで収縮させて、呪いごと押し潰す。そんなイメージが湧いた。でも、防壁は私自身を中心にしなければ展開できない。ならば……。


 滅びの魔女とも呼ぶべきそれが、目前に迫る。限界までひきつけて、自分ごと包み込むように防壁を展開する。この中は私の領域。高速で振り抜かれた爪牙も、月や太陽のようにゆっくりと見え、容易く避けることができた。堅牢な城壁を粉砕するほどの威力もここではかき消える。

 それが立ち上がって再び睨み合う。大きく息を吸い込んで、防壁を縮めていく。狭い空間に押し込められた巨躯は壁を破ろうともがくが、既に腕を振りかざす余地すら無くなっていた。

「さあ、一緒にいこう」

 至近から呪いを浴びながら、更に防壁を収縮させる。ミシミシと軋む音が聴こえる。これは、魔女の呪詛か、それとも私自身の限界だろうか。

「ディエルメ……ごめんなさい」

 眼前で魔女が咆哮を上げても、もう私には何も聴こえない。最期は一息に、ごく小さなひとつの点まで圧縮する。

 

 

 ――滅びの魔女も、私の身体も、すべて潰えて、終わる――はずだった。


 

 怖くなかったと言えば嘘になる。それを知ってか知らぬか、運命は私の答えを肯定しなかった。


 ――パリンと何かが割れる音がした。防壁の一部が破れて、凝集した魔力が一気に噴き出す。

 その瞬間、私は動けなくなった。感覚を遮断され、指の一本すら動かせない。

 何が起きたのかわからない。力及ばず防壁が破れたのか。だが、ヘルゼラルダも動いていない。何かがおかしい。

 澄み渡った湖面のようにすべてが静止していた。

 

 今起きているのは私の意識だけ。気がつくと私は色を喪って凍りついた自分自身の背中を見つめていた。

 ――これは……どうして……。

 

 世界は止まっても魔力は流れている。落ち着いてその声に耳を澄ます。ヘルゼラルダと私の遣った魔力の残滓が周囲に充満していた。

 私は意識だけで音のない王都の上空を巡りながら様子をうかがう。驚くことに、ヘルゼの王宮と王都全体を包み込むように、巨大な結界が完成していた。魔力を凝縮しすぎた反動だろうか。それにしてもできすぎている。


 結界の向こう側はよく見えないが、時折映る空の様子から、外では正常に時が流れているらしいことはわかった。結界内の領域だけが時の流れから取り残されている。

 姉のことが気になって結界の中を探し回ったが、見つからない。おそらく巻き込まれてはいないはず。このまま逃げて、生きていてほしい。


 ――――

 

 滅びの魔女の存在を消すことはできなかった。でも、この結界で守られている限り、その災いを封じ込めたと言える。外の世界がひとときでも安寧を迎えられるのであれば、今はそれでよかったのかもしれない。

 未来に禍根を残してしまったことは悔やまれるけど。今私にできるのは、この時が解けないよう見守ること。ディエルメとヘルゼラルダ、その魂と向き合うこと。

 

 ――時間はたっぷりある。思う存分語らおう。

 

 それから、私たちの永い永い一刻が始まった。

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