思慕の気持ち

 マックスが一刻も早く新しい土地へ着けるようにボクはひたすらマックスの船を押しながら泳いだ。

 月明かりに照らされた波飛沫なみしぶきが、まるで星屑のように輝いている。

 海と大地が出会う水平線のように、運命は思いもよらない形で交差することがある。


 遥か昔から、人魚族は人間との接触を固く禁じられていた。古い掟。厳しい掟。それは私たちの種族の生存を守るためだった。でも、その瞬間、すべてが変わった。


 マックスとの出会いもまた、そんな奇跡のような瞬間だった。

 あの日、歌を歌うボクに声を掛けてきた少年は、ボクとは全く違う種族だった。

 なのに、ボクの心は大きく揺れ動いた。

 波間に浮かぶ一つの命。それは、ボクの世界を永遠に変えてしまう出会いの始まりだった。


――たった一度の奇跡的な出会いが、ボクの人生をこんなにも変えてしまうなんて!


 尾鰭を精一杯動かしてボクは進み続ける。

 まるでイルカのドリーと競走しているみたいに全力で泳ぎ、マックスを新しい土地で安心させてあげたかった。


 舳先が波を切るたびに、これまでの思い出が走馬灯のように蘇る。

 初めて出会った日の彼の戸惑いがちな笑顔。

 人魚族マーメイドを目の前にして驚きながらも、優しく微笑んでくれた瞬間。その笑顔に、ボクの心は静かに揺れ始めた。


 あの時、交わした約束。

 互いの世界を理解し合おうと、夜な夜な島で語り合った日々。

 マックスは家族との思い出を、瞳を輝かせながら語ってくれた。妹のハンナと花畑を駆け回った思い出、父との釣りの日々、母の温かな笑顔。


 家業は刀鍛冶なのに、家族の為に……妹の為に初めて作ったアクセサリー。

 それは決して人を傷つけるのではなく、穏やかにするという物。

 それらの物語は、マックスの心の中で永遠に生き続ける宝物だった。


 その夜、星空の下で彼が語った家族の物語。幼い妹ハンナが笑う瞬間、父が優しく背中を押してくれた日々。それぞれの記憶が、まるで生きた絵のように蘇る。

 ボクは初めて、人間の家族の温かさというものを感じた。


 血で結ばれた絆。それは、私たち人魚族マーメイドとは全く異なる、深い繋がりだった。

 少しずつ心を開いていく彼の姿に、ボクも気付かないうちに心を奪われていた。


 誰にでも与えられる幸せじゃない。

 異なる世界に生きる二人が出会い、理解し合えたこと自体が、奇跡なのかもしれない。


 戸惑いながらも、ボクの心は彼を信じることを選んでいた。

 新しい土地での生活が、どんなものになるのか誰にも分からない。でも、マックスの強さを信じている。

 彼なら、きっと道を切り開いていけるはず。

 厳しい運命に立ち向かう彼の背中に、ボクは静かな祈りを捧げていた。


 この哀しい旅はもうすぐ終わる。

 でも、終わりは新しい始まりでもある。


 マックスはこれから先一人で待ち受ける運命に立ち向かっていかなければならない。

 家族への思いを胸に、新しい土地で自らの道を切り開いていく。


 そして人魚族マーメイドであるボクは、そんな彼の傍で寄り添って支えてあげることはできない。

 おかと海という異なる世界。

 それは越えられない壁なのかもしれない。

 でも、その距離があっても、心は繋がっている。


――遠く離れた場所からでも、彼の未来を祈ることはできる!


 そう自分に強く言い聞かせる。

 しかしそう思えば思うほど、言い聞かせれば言い聞かせるほど胸がきしんだ。


 この想いは、もはや友情では説明できないほど深いものになっていた。

 マックスの中で生き続ける家族への愛が、ボクの心も温かく包み込む。


「ねぇマックス!」

「何だい?」

「強くなってね!

 貴族とかの兵隊なんか追い返せるほど強く!

 きっと、家族のみんなも見守ってくれているよ」


 努めて明るく声をかけ笑顔をむける。

 この別れが辛くても、最後まで彼に希望を与えたい。

 すると彼は自分の右手を胸に当て目を瞑って何かを呟いていた。

 妹のハンナが付けていたブローチと、父親から受け継いだペンダントを握りしめる姿に、切なさと愛おしさが込み上げてくる。

 彼の力強い返事が届いたのはすぐだった。


「……そうする……だから、いつかきっとは……!!」


 その時、ひと際波が大きく押し寄せボクと船を大きく揺らす。その波音に彼の言葉は掻き消され、ボクの耳には届かなかった。


 もうすぐ旅は終わる。

 でも、これは終わりじゃない。


 明日を夢見る喜びをボクは彼から教わった。

 家族の想いを胸に、新しい可能性を信じること。簡単に諦めることはできない。今なら、彼との出会いが教えてくれた温もりが、ボクの心を溶かしていく。


 これからどれだけの時間が流れたとしても、マックスのことは決して忘れることはないだろう。


 それは単なる思い出以上のもの。

 失われた家族の記憶と、これから紡ぐ新しい物語。ボクの心の奥深くに刻まれた、永遠の印のような存在。

 歌を歌うたびにマックスのことを思い出して、それでいつかマックスを想い、彼の為に歌を歌えるようになるといい。

 愛する家族と一緒に過ごした日々の物語を聞かせてくれた、あの静かな夜のように。




――は、マックスが好き!




 その気づきは、穏やかな波のように心に押し寄せてきた。

 今までなんて呼べばいいのか判らなかった。

 この想いに、やっと名前をつけることができた。


 それは、彼の中で生き続ける家族への愛に、そっと寄り添うような気持ち。

 静かな時間の中で水音だけが響き続ける。


 月の光が海面を銀色に染め、まるで彼の新しい旅立ちを祝福するかのよう。

 とても寂しい空間の中で今、マックスはどんなことを考えているのだろう。

 これから始まる新しい人生、そして家族との思い出……その中にの姿があって欲しいと願う自分がいる。


――覚えていて……がキミを想っていたことを……

  キミのために歌ったことを……


 波のように寄せては返す想いは、確かな愛へと変わっていた。

 マックスの心の隅の中で生きていけるように……

 それは祈りであり、誓いでもあった。


 たとえ離れていても、二人の心は永遠に結ばれている。

 彼が新しい場所で、前を向いて歩んでいけますように。

 それを信じることで、は前を向いて泳ぎ続けることができる。

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