祈り
どれ位の時間が流れたのだろう……?
かなり無理して泳いだボクはとても疲れを感じていた。
知らず知らずのうちに船にもたれ掛かったまま、うつらうつらと居眠りをしていたら、誰かがやって来る音が聞こえた。
潮騒の音に混ざって、重い足音が近づいてくる。その足音だけで、ボクの心は締め付けられるような痛みを感じていた。
「マックス……?」
顔を上げるとマックスは一人で歩いている。
その足取りは重く、結果を如実に伝えてくるが、ボクは怖くて何も聞けなかった。声を掛ければ、現実を突きつけることになる。その勇気が出なかった。
「誰も……何処にも見当たらなかった……
父さんや母さんだけじゃない……
焼き物を作る工房も、パン屋も……
畑の人達も皆……消えてしまった」
マックスは無理に笑顔を作りながら言った。
その笑顔が、ボクの胸を更に痛くする。
「でもさ、家族を探している途中で、コレを拾ったよ……
僕が初めて作った作品で、妹が肌身離さず持っていた」
手にしていたのは、紫水晶と銀で作られたペンダントだ。
しかし、その鎖は千切れており、赤い血がベットリとこびりついてた。
ボクは思わず目を背けそうになった。でも、そんなことをしたら、マックスを一人にしてしまう気がした。
それをボクの前に翳す青い瞳には、光は宿っておらず、まるで虚ろな器のように沈み行く夕陽の中に溶け込もうとしている。その目を見ているのが辛かった。
旅の間、希望に満ちていたはずの瞳が、今は深い闇に沈んでいた。
「裏に刻印があるだろう?
僕の家は刀剣鍛冶で、こういう装飾品は作らないんだ。
でも、妹はね……ハンナは言ってくれたんだよ……
僕の作るアクセサリーが大好きだって……」
「マックス……」
「剣や刃物は人を傷つけてしまうけど、
アクセサリーは、同じ金属で作られていても
人を優しい気持ちにさせてくれるって……
だから、そんなお兄ちゃんの作るアクセサリーは、大好きだって……」
「……もういいよ……」
「でも、アクセサリーじゃ何も守れなかった……
攻め寄せた貴族の軍隊の前では、誰も守れなかった!
村は……父さんに母さん……それにハンナ……」
ボクは船に乗り上げて、マックスをそっと抱き締めた。
「もういいよ、何も言わないで!」
マックスもボクにしがみついてきた。
「どうしてなんだ?……
僕達が何をした?
どうしてこんな風に殺されなくちゃならないんだ!?」
悲しみがマックスの胸をいっぱいにしていく。
ボクはどうしてこんなに小さな命なんだろう。
もっと、もっと大きかったらこの戦争を止めてあげられたかもしれない。マックスの家族だって守ってあげられたかもしれない。
マックスの瞳から零れる涙が、ボクの身体を伝っていく。零れる一滴一滴がとても儚くて、脆くてとても切ない気持ちになる。その温かさが、人間の命の温もりを感じさせた。
「泣かないで、マックス……」
ボクはマックスを抱き締める手に力を込めた。人魚の腕では十分な慰めにならないかもしれない。でも、今はこれしかできない。
本当に世の中は不公平だ。
どうして、ボクの世界はあんなに平和なのにマックスの世界はこんなに戦争ばかりなの。海の底では想像もできなかった残酷さが、地上では当たり前のように存在している。
マックスだって同じ命なのに。みんなみんな同じなのに……?
数多の星が輝くこの空の下で、ボクはただマックスを抱き締めてあげる以外何も出来なかった。祈ること以外
この人の心がいつか喜びで満たされますように……
◆◆◆◆
いつもでもこの場にいるのは危険だと思ったボクは焦燥の余り茫然としているマックスを船に押し込み再び海を渡っていく。
波が穏やかに揺れる夕暮れの海面に、オレンジ色の光が揺らめいていた。
「マックス、これからどこへ向かうの?」
ボクの声は少し震えていた。
別れが近づいているという予感が胸を締め付ける。
「……さぁ……どうしようか?」
マックスの船を押しながらボクは無言で泳ぐ。
彼の問い掛けに応えることはボクにはできなかったから。
潮の香りが鼻をくすぐり、遠くでカモメが鳴いている。
「……僕が最初行く予定だった場所へでも行けばいいのかな?」
マックスはそう言いながら何やら紙を取り出した。どうやら地図みたいだ。
しわくちゃになった紙は、長い旅路を物語っているようだった。
「母さんのお姉さんがそこに住んでいるんだって。だからそこで暮らせって……」
差し出された地図を覗き込んだ。地図によるとマックスの目指す場所は思ったほど遠くはないみたい。海岸沿いの小さな町が、赤い丸で印がつけられている。
覗きながら少し寂しい気持ちになる。
このままマックスとお別れなんだ……そう思うと胸の奥に痛みを感じた。
一緒に過ごした時間が走馬灯のように駆け巡る。
「じゃあ、これからそこへ行くのね?」
ボクの声は、思わず上ずってしまった。
「だけど、もうどうでも良くなっちゃったな……」
「そんなこと言っちゃ駄目よ! マックスのお母さんがかわいそうよ!」
マックスは少し間を置いてから頷いた。
海面に映る彼の表情は、どこか遠い目をしていた。
「そうだね……もしかしたら母さんがナディアに出逢わせてくれたのかもしれないな」
「え?」
「だって、ナディアが居なかったら、僕は、きっと何も出来なかった。海の上でただ死んでいくだけだったと思うんだ」
「そんなこと……」
それ以上はボクは何も言えなかった。
声を掛けられなかったら、ボクはマックスのことなど気付く事などなっただろう。
声を掛けてきたのがマックスでなかったら、ボクは怯えてその場から逃げていただろう。
人間を恐れ、深い海の底に隠れて生きていたかもしれない。
――マックスでなかったら……!
そう思うと急激に二人きりでいるのが気恥ずかしくなり、ボクは水中に潜って船を推し続けた。
冷たい海水が頬を撫でる。波間に身を隠しながら、ボクは考えていた。これまでの旅で感じた温かさは、きっと偶然じゃない。
マックスとの出会いは、運命だったのかもしれない。海の精が二人を引き合わせたような気がする。
暗い水の中で、ボクは密かに誓った。
これからどんな道が待っていようと、マックスをずっと見守っていこう。たとえ姿は見えなくても、遠くからでも見守り続けよう。それが
波のさざめきが、その誓いを優しく包み込んでいった。
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