決意

 マックスの言葉が途切れた後も、沈黙は続いていた。

 彼は何度も言葉を飲み込むように唇を噛み、ボクの方をちらちらと見ては俯く。その仕草には、何か重大なことを決意したものの、それを口に出すことへの躊躇いが滲んでいた。


 波が岩を優しく叩く音だけが、この夜の静寂を彩っている。月の光は相変わらず二人を照らし、マックスの銀色の髪が風に揺れるたびに、かすかな光の粒が舞い散るように見えた。


 ボクは黙って待った。彼の心の中で、何かが激しく渦を巻いているのが分かる。それは、きっと大きな決意のようなものだ。でも、その決意を言葉にすることに、彼は怯えているようにも見えた。


 ふと、マックスは大きく息を吸い込んだ。まるで、全ての躊躇いを吹き飛ばすかのように。そして……


「あ、あのさ……迷惑ついでにお願いがあるんだっ!」


 突然の大きな声に、ボクは思わずビクッとしてしまう。


「えっ!?」


 驚きの声を上げるボクに、マックスは急いで続けた。その目には、さっきまでの迷いは消えていた。代わりに、強い決意の色が宿っている。


人魚族マーメイドって、泳ぐのがとても速いんだよね?」

「まぁね……イルカ位の速さは出せるかな?」


 以前にドリーと競走したことがある。その時はお互いにムキになって全力で泳いだから負けなかったな……勝ってもいないけど。イルカの群れと戯れるのは、ボクたち人魚族マーメイドの子供の頃からの楽しみだった。

 するとマックスはボクに向かって深々と頭を下げる。その仕草には、これまでの躊躇いが嘘のように、強い意志が込められていた。


「家族を助けに行きたいんだ! ナディアに手伝って欲しいっ!」


 ボクは目を見開いた。予感していた通りとはいえ、その言葉の重みに息を飲む。


「助けるって……正気なの? 此処に来るだけでも大変だったんでしょ?」


 この大海原で友達もいない『人間族ヒューム』が、三日も漂流していたのに、また戻ろうなんてどうかしている。ボクには到底理解できない決断だった。

 海の底で平和に暮らすボクには、そんな危険を冒してまで守りたいものの価値が、正直なところ分からない。

 なのに、マックスはこぶしを膝の上で握り締めている。その手に込められた力は、彼の決意の強さを物語っているようだった。


「本当は僕一人でも戻りたい……でも、僕には海を渡る術がない……だから……」

「気持ちは判るけど、ダメよ」


 ボクが首を左右に振ると、マックスは落胆したように肩を落とした。


「そうか……そう……だよね……ごめんね、変な事言って君まで巻き込もうとして……」

「そう言う意味じゃなくて!」


 三日も、何も食べていない状態で、何ができると言うの?

 そうでなくても何もできず、命からがら逃げだしてきたと言うのに?

 ボクがそれをありのままに伝えたら、マックスは俯いて黙り込んだ。波が、彼の二本の足にぶつかりチャプンと水音を立てる。

 寂しい水音。それは彼自身の心が奏でるように静かで、あまりにも小さい。


「それでも……」


 マックスは静かに呟いた。


「皆の所へ帰りたい……ひとりぼっちは……イヤなんだ……」


 月の光は、空を見上げる彼の頬を明るく照らす……そこに流れる清らかな涙も……


――人間族ヒュームもこうやって、涙を流すんだ……


 その時、ボクの中で何かが弾けた。


『だが人間族ヒュームの世界はろくでもないんだ……だから人間族ヒュームには、絶対関わってはいけないよ』


 頭の中でパパの戒める声が飛び込んでくる。


――判っている……判っている……


 自分にも言い聞かせてみる。

 でも、この子は、ボクと大して変わらないのに、親と引き離されて、この三日間ずっと漂流していたんだ。

 それはどんなに孤独でどんなに不安だったのだろう?

 誰も話し相手もいない海を、ただ宛もなく漂うだけ……ボクだったら耐えられない。


「……仕方ないな。ここで会っちゃったのも何かの縁だし、ボクで出来ることなら力になってあげる」


 どうしてそう応えてしまったのか、正直言って判らない。ただ、マックスは本気だ。ボクが行こうが行くまいが、マックスは一人でまた海を渡っていくのだろう。


――死んじゃうかもしれないのに……


 それでも、マックスは目に涙を浮かべながら喜んでいる。


「ありがとう! ナディア、君はなんて優しい人魚族マーメイドなんだっ!?」

「でも、条件があるわ。先ずは体力を回復させる事! 今の状態で海を渡ったら、キミ本当に死ぬわよ」


 多分誉め言葉のつもりで言ったのだろう。

 ボクは、マックスの暴走を抑え込みながら、その目に浮かんだ涙を拭ってあげた。

 とにかく今は休ませないと話にならない。


「ほらっ、これから皆を助けに行く強い男の子が泣いちゃってどうするのさ?」

「そうだね、強くならなくちゃ……」


 ボクが笑顔を浮かべると、マックスは顔を真っ赤にしながら笑った。

 こうしてボク達の旅が始まろうとしていた。でも、やっぱりかなりの負担があったんだろう……マックスは倒れてしまった。

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