第7話

 どれ位の時間が流れたのだろう……?

 船にもたれ掛かったまま、うつらうつらと居眠りをしていたら、誰かがやって来る音が聞こえた。


「マックス?」


 顔を上げるとマックスは一人で歩いている。その足取りは重く、結果を如実に伝えてくるが、ボクは怖くて何も聞けなかった。


「誰も……何処にも見当たらなかった……

 父さんや母さんだけじゃない……

 焼き物を作る工房も、パン屋も……

 畑の人達も皆……消えてしまった」


 マックスは無理に笑顔を作りながら言った。


「でもさ、家族を探している途中で、コレを拾ったよ……

 僕が初めて作った作品で、妹が肌身離さず持っていた」


 手にしてたのは、紫水晶と銀で作られたペンダントだ。しかし、その鎖は千切れており、赤い血がベットリとこびりついてた。

 それをボクの前に翳す青い瞳には、光は宿っておらず、まるで虚ろな器のように沈み行く夕陽の中に溶け込もうとしている。


「裏に刻印があるだろう?

 僕の家は刀剣鍛冶で、こういう装飾品は作らないんだ……

 でも、妹はね……言ってくれたんだよ……

 僕の作るアクセサリーが大好きだって……」

「マックス……」

「剣や刃物は人を傷つけてしまうけど、

 アクセサリーは、同じ金属で作られていても

 人を優しい気持ちにさせてくれるって……

 だから、そんなお兄ちゃんの作るアクセサリーは、大好きだって……」

「……もういいよ……」

「でも、アクセサリーじゃ何も守れなかった……

 攻め寄せた貴族の軍隊の前では、

 誰の命一つ守れなかった……

 村は……父さんに母さん……それにハンナ……」


 ボクは船に乗り上げて、マックスをそっと抱き締めた。


「もういいよ、何も言わないでよ」


 マックスもボクにしがみついてきた。


「どうしてなんだ?……

 僕達が何をした?

 どうしてこんな風に殺されなくちゃならないんだ!?」


 悲しみがマックスの胸をいっぱいにしていく。

 ボクはどうしてこんなに小さな命なんだろう。

 もっと、もっと大きかったらこの戦争を止めてあげられたかもしれない。マックスの家族だって守ってあげられたかもしれない。

 マックスの瞳から零れる涙が、ボクの体を濡らしていく。零れる一滴一滴がとても儚くて、脆くてとても切ない気持ちになる。


「泣かないで、マックス……」


 ボクはマックスを抱き締める手に力を込めた。

 本当に世の中は不公平だ。どうして、ボクの世界はあんなに平和なのにマックスの世界はこんなに戦争ばかりなの。

 マックスだって同じ命なのに。みんなみんな同じなのに……?


 数多の星が輝くこの空の下で、ボクはただマックスを抱き締めてあげる以外何も出来なかった。祈ること以外



 この人の心がいつか喜びで満たされますように……



 いつもでもこの場にいるのは危険だと思ったボクは焦燥の余り茫然としているマックを船に押し込み再び海を渡っていく。


「マックス、これからどこへ向かうの?」

「……さぁ……どうしようか?」


 マックスの船を押しながらボクは無言で泳ぐ。彼の問いかけに応えることはボクにはできなかったから。


「……僕が最初行く予定だった場所へでも行けばいいのかな?」


 マックスはそう言いながら何やら紙を取り出した。どうやら地図みたいだ。


「母さんのお姉さんがそこに住んでいるんだって。だからそこで暮らせって……」


 差し出された地図を覗き込んだ。地図によるとマックスの目指す場所は思ったほど遠くはないみたい。

 覗きながら少し寂しい気持ちになる。このままマックスとお別れなんだ……そう思うと胸の奥に痛みを感じた。


「じゃあ、これからそこへ行くのね?」

「だけど、もうどうでも良くなっちゃったな……」

「そんなこと言っちゃ駄目よ! マックスのお母さんがかわいそうよ!」


 マックスは少し間を置いてから頷いた。


「そうだね……もしかしたら母さんがナディヤに出逢わせてくれたのかもしれないな」

「え?」

「だって、ナディヤが居なかったら僕きっと何も出来なかった。海の上でただ死んでいくだけだったと思うんだ」

「そんなこと……」


 それ以上はボクは何も言えなかった。声を掛けられなかったら、ボクはマックスのことなど気付く事などなっただろう。声を掛けてきたのがマックスでなかったら、ボクは怯えてその場から逃げていただろう?


――マックスでなかったら……!


 そう思うと急激に二人きりでいるのが気恥ずかしくなり、ボクは水中に潜って船を推し続けた。



□■□■□■



 やがて、陽が海の彼方に沈み、月が夜空に輝きだす。海は凪ぎ、月が鏡のように映り込んでいる。


「ナディヤ……」

「なに?」


 返事をしたものの、どうしても彼の顔を見ることが出来なくなっている自分がいる。それでも彼はボクを見つめ続ける。


「このまま離れ離れになるなんて嫌だよ……ずっとずっとナディヤと一緒に居たいよ」


 涙が出そうだった。

 それはボクだって同じ気持ちだもの。

 でも、ボクとマックスが一緒に居られる方法なんてあるの?


「無理だよ……マックスはおか人間ヒュームで、ボクは『マーメイド』……水の中でしか生きられないもの」


 ボクはひらひらと尾鰭を動かしながら考える。

 そう、一緒に居られる方法なんてない。ボクは人間ヒュームになれないし、マックスは人魚になれない。


「そうだね……何言っているんだろ?」


 自嘲的に笑うマックスを見ると訳もなく、胸が締め付けられる感覚に囚われてしまう。ボクが『マーメイド』でなかったなら……きっと! 


「ナディヤ……何か歌ってくれないか?」


 ボクは驚いてマックスの顔を見た。でも彼はボクと目を合わせることなくこの広い空を見上げている。

 ただひたすら、星空を……


 ボクは黙って歌い始めた。小さい頃に、ママがよく歌ってくれた歌。


 歌声が広い海に広がる。しかし、その旋律はいつもよりも悲しくそして切なかった。

 こんな気持ちになったのは生まれて初めてだった。歌はいつだってボクの心を幸せな思いでいっぱいにしてくれた筈なのに。


「ありがとう。ナディヤの歌声……一生忘れない」

「マックス……」

「ねぇ、ナディヤ」


 再びマックスが口を開いた。


「なに?」

「君の住む世界に連れて行ってよ?」

「何を言ってるの? キミ……」


 できない相談だった。集落ムラは、他人種が生きていけるような場所ではないし、彼が人間ヒュームである以上決して生きていけない場所なのに。


「それでもいいよ……辿り着けなくて息絶えたとしても、それは僕が望んだ結果……」

「マックス!」

「何てね……冗談だよ」


 笑顔を浮かべるマックスがたまらなく寂しそうで、心が激しくかき乱される。ボクがいいよって言ったら、彼は船縁から身を乗り出して飛び込んでくるかもしれない。

 でも、マックスの家族が遺した命を、ここで簡単に終わらせるわけにはいかない。何故なら、継いだ者には継いだ者の義務がある筈だから。


 いつかマックスが生きることが素晴らしいと思えるまで、彼にはちゃんと生きていて欲しい!


 そしてマックスにも見せてあげたい。ボクが海で見た全ての美しい光景を。

 海はいつも無言でボク達をあるがままに受け止めてくれているって事を伝えたい。

 そうしたら、マックスは死の重みをもっと感じ取ることが出来るかもしれない。


 その時、彼の傍で寄り添ってあげたい……心からそう思った。


――でも、どうしてこんなにもマックスを想う気持ちになるのだろう?


 ボクはボク自身を持て余していた。


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