第6話

 ママやパパに言うと反対されてしまうのは目に見えていたので、机の上に置手紙を残しておいた。

 人魚族にも効果がある体力回復の海草や、貝や小魚を運んでは、マックスに食べさせている。


 出合った時から思っていたけど、マックスは端正な顔をしている。

 まるで銀の糸のような輝く髪と、この碧い海のよう澄んだ瞳に、ボクはつい魅入ってしまう。


「そんなに見ないでよ」と照れた表情を浮かべるマックスに言われ、ハッとなる自分がいる。何故か頬が赤くなっていく自分がいる。


<ちょっと西の海へ探検の旅に行ってきます。心配しないで下さい。七日後に戻ります。ナディヤ>


 貝殻に刻んだ自分の置手紙を読みながら、たどたどしい文章にボクは大きく溜め息を吐いた。

 ボクって、どうしてこう文才がないのかな。


 それからあの島に戻る。

 棚の中に閉まっておいた食料を丸ごと全部貰ってきた。これで食事は大丈夫だと思うから、それらを持ってボクはマックスのところに戻り、船に積み込んで、最後にマックスも船に乗る。


「何だかドキドキしてくるよ!」

「うん、初めてだわ。こういうのって……」


 ボクはマックスの船を押しながら泳ぎだした。


「こうやって船で海を渡っていて思ったんだけど、空って本当はこんなに青くて綺麗だったんだね」

「なぁに? こんなに綺麗なのに、何で今まで気づかなかったの?」


 ――空が青いのを知らないなんて、いったい何の寝言なのだろう?


 非常識にも程があるように思えた。


「うん、僕の家から見える空はいつも真っ赤と黒だったよ……飛行竜ワイバーンが飛んでいて、それが炎を噴き出して、地を焦がして……煙が上がって……」

「なっ……!?」


 思わず言葉を失ってしまう。

 バカなのはボクじゃない……何て酷いことを言っちゃったんだろう。


「ごめん、マックス……何も知らなくて……」

「良いんだよ、ナディヤ。この世界は、戦争なんかないんでしょう?」


 ボクは小さく頷く。


「羨ましいな。僕もそんな世界へ行きたいよ。みんな等しく『聖なるアニマ神』を信じているのに、どうして人間ヒュームは争わなくちゃいけないんだろう……」


 マックスがこぼした一言がボクの胸へと突き刺さる。

 ボクには『聖なるアニマ神』なる人間ヒュームの信じる神様の事は判らない。人間ヒューム同士が争う意味とか理由とかそう言ったことも全て……


 でも、今のマックスみたいに、きっとこうやって争うことに対して疑問を持っている人間ヒュームの方が多いのかもしれない


「そうね、きっとマックスの世界も、いつか争いのない平和な世界になるよ」


 ボクは慰めにもならない言葉をそっと返すしかなった。

 こんな小さな言葉では、マックスの世界は絶対に救われないって判っているけど、でも何も言えない自分でいたくなかった。


「ありがとう、ナディヤ。ナディヤは本当にいいヒトだね」


 マックスの弱々しい笑顔がとても哀しかった。


 旅の途中で見かけた島に立ち寄り、そこで休憩を取り、交代で眠った。

 島に漂着している流木を見つけ、マックスが持っていた道具で上手に木を削りオールを作った。


「へぇ! 上手じゃない」

「僕は鍛冶職人のせがれだから……」


 ボクが褒めたら、マックスは照れ臭そうに笑う。

 張り詰めた弓の弦のような姿勢を崩さないマックスも、この時だけは、本当の姿を見せてくれているような気がする。


――笑った顔は素敵だな……


 素直にそんな感想を持ち、慌てて取り繕う自分が何だか変な生き物に見えてくる。

 とは言え、何時までも島で小休止している訳にも行かず、途中途中で小島を見つけては交代を繰り返し、再び沖へと船を進めていく。


 ボクは水の中でないと眠れないので、水面に顔だけ出して眠り、マックスは船の中で小さくなって眠っていた。

 とは言え、自分の寝床でないと落ち着けないのも事実で、泳ぎながらぼんやりしたり、居眠りしたりする事も多くなってきた。

 それでも何度か朝陽を見、夕陽を見、進み続けていたある日の夕方、ボク達はやっとマックスの住む世界へと到着した。


「とうとう、着いたね」


 ボクが声を掛ける先には、硬い表情をしたマックスがいる。

 その場所は本当に凄惨なものだった。

 海辺には何人もの人が横たわっている。動く様子はまるでなく、命は失われているのだろう……光を失った眼差しは虚空を眺め、流れ出た血が碧い筈の海を赤く染め上げている。


――これが人間ヒュームの世界だというの?


 ボクは衝撃の余り口を抑えてしまう。

 マックスの言う通りだった。


 空もまた海の青さを忘れたかのように赤く染まり、その中を禍々しい殺気をはらんだ空飛ぶ龍が、我が物顔で飛び交っている。

 時折思い出したかのように、大地に向かって火炎を吐いて焼き払う。


――怖いっ!!


 その紅蓮の炎と湧き起こる黒煙の恐ろしさのあまり、涙が溢れてしまう。


「どうして……?」


 海辺に聳えていたと思われる石造りの家は、軒並み破壊されかつて建築材だったと思われる石や岩が、そこかしこに転がっている。その様子はもはや地獄絵図であり、ボクは思わずマックスの腕を握る。


「ナディヤ、大丈夫?」

「……平気よ」

「あの岬の裏手に、僕達の村があるんだ……」


 マックスの声に促され、彼方に浮かぶ入り江を指差す方向へ、ボク達は針路を変えた。一刻も早くここを離れてしまいたい。そう思いながら、遠くに霞む陸地へと進んでいく。

 やがて、血のような真っ赤な夕陽が、水平線にほとんど顔を隠して空に星が散り始めた頃だった。


「嘘だろ……」

「マックス?」


 マックスは陸を眺めながら呆然としている。ボクには話がよく判らなくて、マックスが発する次の言葉を待った。


「村が……村が無くなっている……」

「えっ?」


 マックスが見る方向に目をやると、そこは何もない荒れ果てた土地だった。建物があった形跡すらない。


「マックスの村は此処にあったの?」


 マックスはそっと頷く。


「場所とか間違えたんじゃないの?」

「……あそこに倒れている大きな木は、僕が妹とよく登った木なんだ」


 首を振るマックスの瞳は涙で溢れていた。

 そしてマックスは立ち上がって、陸へと伝った。


「えっ……何処へ行くの?」


 ボクは小声で叫んだ。


「探してくる。見つからないように隠れていて!」

「ちゃんと……無事で帰ってきてよっ!!」


 マックスはボクの願いにも似た思いに笑顔で答えると去っていった。


――マックス……


 ボクはマックスの家族が生きていることを願うしかなかった。


――ああ、神様!


 どうかマックスの家族が生きていますように。無事に再会出来ますように。

 ボクは見た事も無い『聖なるアニマ神』様とやらに祈っていた。

 人魚族が祈りを捧げるのは『ノイルフェール』の二柱だけれど、ここはマックスの村だ。マックスの信じる神に祈りを捧げないといけない気がした。

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