第3話

アパートで彼女と別れた後、数ヵ月して、私は彼女の小説が電子書籍として出版されたことを知った。


ルームシェアをしていたときに彼女が使っていたペンネームを、彼女は使い続けていた。その名前でインターネット検索をして、その本が出ていることを知った。


出版の日付を見ると、私が彼女とアパートで別れたときに書いていた小説のようだった。


一緒に暮らしているとき、私は彼女の書いた小説を読んだことがなかったし、彼女も私の曲を聴かなかった。それは一種のルールみたいなものだった。


でも、私はもう彼女のルームメイトではない。


私は彼女の小説を購入して、それを読んだ。値段は300円だった。


彼女の書く言葉をまともに読んだのはそれが初めてだった。もちろん全て電子書籍の素っ気ないフォントで書かれている。だけど、私にはそれが彼女の角ばっていて左に傾いた、あの文字で書かれているような気がした。


その小説は遺書のようにも、恋文のようにも読める。そんな作品だった。


それを読んでくれるかもしれない誰か一人のために書かれたような、そんな小説だった。もちろん彼女は私がそれを買って読むとは思ってもいなかったはずだけど。


一度読んで、それからもう一度最初から読み直した。


それから少し迷ったけど、電子書籍を購入したサイトでその作品のレビューを書いた。もちろん私の名前は出さなかったけど、その、誰かへの手紙のような小説に対して、返事を書くつもりで、かなり長いレビューを書いた。




***



その後も彼女とは特に連絡を取り合ったりはしなかった。私は自分のリアルをどうにかこうにか捌きながら、毎日暮らしていた。


半年くらいして、彼女が2作目を電子書籍で出版したことを知った。値段は前と同じ300円。私はそれも買って読んだ。そして、同じようにレビューを書いた。


それから数ヵ月に一度くらいのペースで、彼女は小説を出し続けた。


内容は様々だった。


私は小説のことはわからない。彼女の書く小説が優れているのかどうか私には判断できない。でも、彼女の書く言葉は誰かに向けて書かれた言葉だった。


その言葉の中には、あの雑司が谷のアパートで猫と一緒に暮らしていた彼女がいた。




***



3作目か4作目かを出す頃には、販売サイトのレビュー欄に私以外の人が書くレビューもちらほら目にするようになった。長いもの、短いもの。評価や内容も様々だった。


そして今年。彼女はあの1作目の遺書のような、ラブレターのような小説から数えて10作目の小説を出版した。


彼女の小説はどこの文学賞に選ばれることもないけれど、彼女の書く言葉が好きだという固定の読者がつくようになっていた。


私もその中の一人だ。彼女の小説は全て読んだ。そして、読んで感じたことを率直にレビューに書いた。


私はもう音楽はやっていない。普通に働いて、お金を稼いで、その日を精一杯生きている。


だけど、私はもうあの夏の日に彼女のアパートを出た後に感じたような胸の空洞を感じていない。


もう一人の自分が今もまだあの場所で小説を書いている。


私は時々そんなふうに思って、笑う。



END

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余生 高円寺猫(空色チューリップ) @koenjineko

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