第2話

私と彼女が東京に出てきたのは、そこが一番目標に近いと思える場所だったからだ。


私は音楽で、彼女は文章。私たちはそれを自分たちの職業にしたいと思っていた。


ルームシェアをして家賃を折半して、アルバイトをしながら、私は曲を、彼女は小説を書いた。


私は作った曲をCDに焼いて楽器店や個人経営のCDショップに置かせてもらったりした。


彼女は小説を、短いのや、長いのや、何本も書いて新人賞に応募したりしていた。


その生活は楽しかったけど、結果にはつながらなかった。


ある日、自分が睡眠時間を削ってまでやっていること、やってきたことがとても空しく思える瞬間が来た。


まるで空っぽの、誰もいない部屋に向かって一人で歌を歌い続けているような、そんな気がした。


私は音楽を辞めて、普通の仕事に就こうと思っていることを彼女に話した。


彼女は私をとめなかった。


私は千葉で就職先を見つけて、2年間ルームシェアをしていた雑司が谷のアパートを出た。彼女と、ストレンジさんを残して。




***



雑司が谷のアパートを出てから、彼女とはまともな連絡を一度もとらなかった。


彼女に対して後ろめたい気持ちがあったんだと思う。


ルームシェアをしていたところを出ていくことで彼女の家賃の負担が増えるという現実的な迷惑ももちろんあった。でも、それ以上に、創作を諦めるという選択をした自分が裏切り者のような気がした。


アパートを出るとき、彼女は「私は小説を続けるよ」と言った。


数年ぶりに会った今も彼女は小説を書き続けていた。時間が止まったようなあのお墓の見えるアパートの一室で、ずっと、一人で。




***



ペットボトルのお茶を飲みながら他愛のない話――お互いの近況なんかを少し話した後、私は帰ることにした。


「でも、私もそろそろどうしようかなって思ってる」


玄関口まで見送ってくれた彼女は足元に目を落としながらそう言った。


「とりあえず今書いているのをがんばってみて、それから考えるつもり」


彼女は自分に言い聞かせるみたいな調子で言った。


それから私たちは玄関先で「さよなら」を言い合って、別れた。



***



彼女と会った後、しばらくは何をしても上の空だった。


胸の中にぽっかりと穴が開いたような、そんな気分だった。


その穴は小さいけれど、心の一部が真空になってしまったような、そんな気がした。


理由はわかっていた。


彼女が小説を辞める。そのことが私の胸に穴を開けた。


自分が音楽を辞める決断をしたときでさえ、こんなうつろな気分にはならなかったのに。


帰り際の彼女の言葉を聞いて初めて、彼女が私にとってどれほど大きな存在だったかを知った。


私にとって、彼女が創作を続けているということがどれほどの意味を持っていたのかを、知った。


彼女は私自身だった。


私があの雑司が谷のアパートに猫と一緒に残してきたのは、私自身だった。

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