真剣勝負
雪待ハル
真剣勝負
『ダメ』
『なぜ?』
『ダメったらダメ』
『だから、なぜ』
左から、右から。
白い吹き出しと黄緑色の吹き出しがひっきりなしにポコポコ出現する。
真っ暗な部屋の中で一人、倉橋綾はこれ以上ないくらいの真剣な表情でスマートフォンの輝く画面を見つめている。
指は流れるように送るメッセージの文字を打つ。
『他の女と食事なんてしないで』
ポコ、と打った文字列がそのまま相手も見ている画面に共有される。
返事は迅速だった。
『俺の部下だ。悩んでいるようだから話を聞いてやらないと』
それを見た綾は「ああっもう!」と目をぎゅっとつむって勢いよく天を仰いだ。
自分の恋人はどうしてこうもクソ真面目なのか。
(そんなところに惚れたんだけど)
でも。
でも、これは絶対にダメだ。
『
そう打って送信したら、返信がしばらく途絶えた。
綾は黙って待つ。相手が自分のメッセージに対して考え込んでいるのが分かるからだ。
分かっている。この男は浮気をするタイプではない。その点は全く心配していない。
だが、しかし。その部下の女とやらの得体が知れないのである。
(仕事の悩みなら職場にいる時に相談すればいい。それならわたしは口出しできないし、する気もない。でも、二人で外食は論外)
絶対に阻止しなければ。
そんな決意も新たにスマホの画面をきっとにらみつける。
すると、ポコン、と返信が送られてきた。
「・・・!」
綾は目を見張った。
『じゃあ、綾も一緒に来てくれないか。女性同士、悩みも共感できるだろうし』
思わずスマホをベッドの上に放り出して両手で顔を覆ってしまった。
精神を落ち着かせるために深呼吸。吸ってー、吐いてー。
(ああ・・)
分かってる。ちゃんと分かっている。
これは彼が自分の言葉を受け止めて真剣に考えた結果だという事は。
綾はしばらくその姿勢のままピクリとも動かなかった。
数秒後、勢いよく顔を上げてスマホをぐわしっ!とわしづかみ、すさまじい素早さで指をスマホ画面の上で滑らせた。
『あのね、よく聞いて。わたし、治のそういう真っ直ぐなところ大好き』
『そうか?ありがとう』
『でもね、わたしが一緒に行ったらその部下の子、悩みを相談するどころの騒ぎじゃなくなると思う』
『そうか・・・?』
『そうなの』
だから、
『二人で行っていいよ。その子の相談に乗ってあげて』
『いいのか?』
『うん。わたしの負けだから』
『?』
――――女性同士、悩みも共感できるだろうし。
それは、心から部下を思う信頼できる先輩の言葉だった。
部下の前に自分の恋人を連れてこようとした、ちょっと人の心が分かってないところはご愛嬌。
だから、わたしの負け。完敗だ。
(これでその女の方へ行っちゃうようなら、始めからそういうご縁だったって事よね)
綾がそんな風に自分なりに納得していると、ポコン、とスマホが鳴った。
「ん?」
画面を見ると、
『俺の部下の事を考えてくれてありがとう。俺も綾のそういう優しいところが大好きだ』
と送信されていて。
綾は自分の顔が一気に熱を持ったのがはっきりと分かった。
――――見られてなくてよかった。
こんなに分かりやすくあなたの愛におぼれてますだなんて言っている顔をあなたに見られなくて、本当に。
『帰って来てね』
『誰に言ってる?当然だ』
三日月が見下ろす街中の一角で、とある恋人同士のひそやかなやり取りが、そんな風に穏やかに幕を閉じたのだった。
おわり
真剣勝負 雪待ハル @yukito_tatibana
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