第105話 交渉

『それが妾にこの男を諦めさせるための提案か?』


「そうだ。悪い話じゃない。土地神として力を手に入れれば、この程度の穢れに負けることなどない。こんなゲテモノを喰らうより、力を安定させた後で気長に新しい伴侶を探すことを勧める」


  蛇神が伴侶を求める一番の理由は取り込み過ぎた穢れを払うこと。

 そこを叶えれば鳳様を渡さなくてもいいはず。


「ふざけるな!」


 声を荒げて蒼子と蛇神の会話を邪魔したのは呂鄭だった。

 紅玉の意地悪により、全身ずぶ濡れの落ち武者のような風体で呂鄭は言う。



「さっきから聞いていれば、何を勝手なことを言っている‼ この町をこの化け物に差し出すだと⁉ 冗談じゃないぞ‼ この町の全ては私の物だ‼」


 何を言い出すかと思えば……。


蒼子は呆れて小さく息を吐く。


 この男の発言で交渉が不利になったらどうしてくれようか。



「おい、化け物! よく聞け! この町の支配者はこの私だ! 貴様、女達に頼まれてこの私を呪い殺そうとしたんだろう⁉ 本来なら決して許さないが、私の望みを聞けば貴様の罪は不問にしてやる!!」


 呂鄭の突拍子のない発言に全員が目を剥いた。

 そして呆れて言葉も出てこない。


 この期に及んでまだ自分が町の支配者だと思い込んでいるらしい。

加えて、自分の欲望のために蛇神に請い願うならまだしも、神に命令して操ろうという傲慢さに蒼子は呆れを通り越して感心した。


性根の腐った輩はどこまでも腐っているし、変わることはないのだな。


私が皆の前で述べた言葉も呂鄭には響いていないようだし、神を化け物扱いしておきながら自分の要求は通そうとする身勝手さは一種の才能かもしれない。

 

「そもそも、ここはどこだ⁉ 先ずは私を元の場所に戻せ!」


 呂鄭は口早に怒鳴るように言った。


 呂鄭の瞳から感じるのは恐怖の念だ。

 言伝えでしか聞いていなかった蛇神が目の前に現れ、恐怖している。


 怒鳴り散らしながらの傲慢な態度はその恐怖を悟られないための強がりなのだろう。


「貴様、自ら蛇神の元へ足を運んだのではないか?」


 蒼子は冷ややかな目で床にへたり込んでいる呂鄭を見下ろして言う。


「自ら対面を望んだ神が目の前にいるのだから、少しは喜んで神を崇め敬ったらどうだ?」


 さらっと黒く艶やかな髪が揺れ、黒曜石のような瞳がずぶ濡れになった男を映した。

 

「黙れ! このっ………………」


 怒鳴りかけた呂鄭だったが、今まで蛇神と向き合っていて見えていなかった蒼子の美貌が自身に向けられると、その美しさに言葉を失い、惚けた顔になる。


 それを見た紅玉はすかさず呂鄭の頭を床に叩きつけんばかりの勢いで押さえつけた。


「ぐあっ!」


「その汚らしい目で蒼子様を見つめるな」


 心底、嫌そうな声音で紅玉は告げる。


「呂鴈、そなたらはこの男を追って蛟滝まで来たのだな?」

「その通りでございます」


 蒼子の問い掛けに呂鴈は素直に答える。


「父の考えそうなことを予想すれば……きっと、父を呪ったように蛇神様のお力を借りて蒼子様や皇子様達を呪うつもりなのではないかと…………そうなると、向かうのはきっと蛟滝だと予想して、叔父と先回りしていたのですが……」


 白陽は呆れ顔で父親である呂鄭を見つめた。

 そしてその予想通りに、呂鄭は予め先回りしていた蛟滝に姿を現し、それを見計らって蒼子は空間を繋いで三人をこの神域に呼び込んだのである。


はぁ。実に愚かな男だ。

 女達の味方をして呪詛に加担した蛇神が、どうしてその対象である自分の言うことを聞くと思うのか不思議でしかたないのだが。


『小娘、妾は男が好かぬ』


 黙っていた蛇神が憎々しいと言わんばかりの目で呂鄭を睨みながら言う。


『この町の男達の手によってどれほどの娘、子供が苦しめられたと思う? 男の身勝手故に幾つもの命がこの地で散った。妾が唯一信じた男でさえも、妾を裏切り、妾を殺そうとした』


 そう言って横たわる鳳珠を赤い二つの目がギロリと睨む。

 その視線を蒼子は身体でさりげなく遮る。


『妾はこのような男達のために土地を守護し、恩恵を与えるなど御免だ』


 土地神となり、信仰を受け取るのであれば、土地神はその恩恵を土地に与えなければならない。

 

 蛇神の言葉に死んだ者達を悼み、傷付いた者の心に寄り添う優しさを感じる。

 最初に対峙した時の激しい憎悪ではなく、信じた者に裏切られて涙する繊細な心が見える。


 心根が優しく、人の心に寄り添える神だ。


 あぁ、やはりこの神こそ、この地に相応しい。


 蒼子は強く思った。 


『特に、この男は嫌いだ。この男は八つ裂きにしてもまだ気が収まらぬ』


 女達の気持ちを組み上げ、深く共感している蛇神は露骨に呂鄭に嫌悪する。


「何だとっ……⁉」


 蒼子は改めて蛇神に向き合う。


「これからこの町を率いるのはこの者ではない。呂一族は失脚し、この町の統治者は土地神である者に指名権がある」


「おいっ! それはどういうことだ⁉」


 蒼子の言葉に喰い付いたのはまたしても呂鄭だった。


 うるさい男だ。

 他の者達のように静かにしていて欲しい。


 もう既に自分は全ての権利を失っているというのに、その事実を受け入れず、かつて持っていたものに齧りつこうとしている姿は無様である。


「小神域地域は神が治める土地。そこに人が住まうならば人の統治者も必要になる。神と人が手を取り、協力してその地を治めなければならない。その際、神は人を統べる者を選ぶ権利が与えられる」


 説明を億劫に感じていた蒼子の代わりに、今まで成り行きを見守っていた莉玖が答えた。


「神よ、どうかこの地の神としてこの地を治めて欲しい」


『…………妾がこの地の神となることで、そなたらに何の利益がある?』


「一番はこの男を諦めてくれることだ。神との婚姻を反故するのだから町一つくらい交渉の材料とするのは当然のこと」


 蒼子はさらりと言う。


 一番の理由は鳳珠を救うための手段だ。

 神相手に出し惜しみをすれば自分達の命に関わる。


 蒼子はこの交渉を必ず成功させなければならない。


『生きていて欲しい』

 

 蒼子は鳳珠の言葉を思い出す。

 真摯な眼差しと優しくも力強い言葉が鮮烈に蘇る。


 蒼子の生を願ってくれた優しい鳳珠のためにも、必ず成功させなければならない。



「しかし、その他にも理由はある。この土地は長いこと統治者に恵まれず、多くの者達が無念にも命を散らしてきた。この町は膿を出し切り、新しく生まれ変わらなければならない。強力な監視者のいる側なら安心だ」


 犯罪に関わった者達を一掃し、新たな統治者によって、二度とこのようなことが起きないようにして欲しい。


 これ以上、無意味に傷付く者が生まれないように、大きくて強い変化が必要なのだ。


「それに、この町は地形上、水害が起こりやすく、地盤も脆弱だと聞く。水の災いからこの町を守ってもらいたい」


『意図は理解した……だが、了承しかねる』


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