第104話 土地神
蒼子はやぐらの床に横たわる鳳珠を見やる。
外傷はなく、顔色も良くなっていることに安堵した。
そして蒼子の正面にいる禍々しい気を纏う蛇神に視線を戻し、白い巨体に起こっている異変をまじまじと見つめた。
白い身体が所々黒っぽく変色し、侵されているのが見て取れる。
間に合って良かった。
「随分と性急なことだ。格式高き神々は決まって伴侶とする者には敬意を払い、丁重に扱う。伴侶として選んだ者を喰らわなくてはならないほど、余裕がないとは…………負の気を取り込み過ぎたな」
蒼子の言葉が的を射ていたのか、蛇神は沈黙する。
「負の気を取り込んだ……とは?」
柊は不思議そうな顔で首を傾げる。
「この町では沢山の女や子供が命を絶っている。彼らの悲しみや憎しみ、無念の情をこの蛇神が取り込んで、呪いという形に変わった。長い年月の中で大勢の負の感情を取り込み、自身に穢れが生じたのでしょう」
柊の疑問には蒼子の代わりに紅玉が答えた。
鳳珠は蛇神の纏う穢れに当てられたのだ。
鳳珠の身体には禍々しい邪気が纏わり付き、身体を侵していた。
その穢れを額から蒼子の気を流し込むことで雪いだのである。
「一度穢れが生じると、穢れは全身に広がります。穢れを取り除くには穢れよりも強い神気での浄化が必要になります。それか、穢れている部位を切り落とすか……」
紅玉の説明を聞き、柊はまじまじと白い身体にある黒く変色した部分を数えた。
見た所で十カ所以上あり、まだら模様のようになっている。
部分的な切除は難しいように思える。
「または穢れを払えるだけの神力、もしくは特別な力を取り込み、自身の神力を上げるか」
それが鳳珠が狙われた理由ではないかと紅玉は付け加える。
この国の覇者だけが持つことを許される証、王印の所有者。
強力な力を持つ宮廷三神を従えることができる唯一の存在で、全ての神力を無効化し、宮廷三神すらも無力化することができる。
王印をその身に宿す鳳珠の気は確かに特別だ。
蛇神は鳳珠を取り込み、自身の神力を上げようとしていたのだろう。
憎い男であるようだし、喰らって自身の血肉となるのであれば、喰らってせいせいするはずだったのかもしれない。
「格式高き神たる者がこのようなゲテモノを喰らうなど、よほど切羽詰まっているようだ。確かに……この者は普通の人間とは違うが、喰らったところで、その身の穢れは浄化しきれないだろう」
王印を持つ鳳珠を『ゲテモノ』扱いだ。
蒼子を朦朧とする意識の中で『死神女』扱いした主も主だが、王印を持つ至高の存在に対して『ゲテモノ』扱いする蒼子も相当であると柊は思った。
『なら、どうしろというのだ。このままでは妾はこの穢れに飲み込まれ、邪神へと落ちる。それこそ、物語の荒神のように知性も理性もなく人間を襲うようになるだろう』
蛇神は意外にも理性的だった。
それだけ、自身の状況が深刻でそれを理解しているからだろう。
「そこで提案がある」
蒼子は不敵な笑みを浮かべて蛇神を見据える。
「神よ、この町を差し出そう」
大胆不敵な物言いで蒼子は告げた。
「…………!」
形の良い唇から紡がれた言葉に皆が言葉を失う。
そして誰よりも蛇神自身がこの提案に驚いていた。
赤い目が大きく見開かれ、呆然としている。
「この町を……蛇神様に差し出す……?」
理解が追い付かず、最初に疑問を口に出したのは白燕だった。
「まさか……我々町人を生贄にする……ということですか?」
恐ろしいものを見る目付きで蒼子を見つめるのは白陽だ。
「違いますよ」
白陽の言葉を紅玉が否定する。
「蒼子様がそのようなことをさせるはずありません」
「も、申し訳ありません……少々、混乱しておりまして……理解が追い付かず……」
紅玉の言葉に白陽は胸を撫で下ろしながらも、自分が口走った言葉が恥ずかしくて顔を赤らめる。
「それは……この町に神を据えるということ……でしょうか?」
目を丸くしながら発言した呂鴈に蒼子は頷く。
この国には神と土地が深く結びつき、土地が神を信仰することで神からの恩恵を受けている土地がある。
その土地を小神域地域と呼ぶ。
土地と深く結びつくということは、その土地の土地神となることを指す。
土地神はその土地の者達からの信仰によって存在を保つことができる。
強い信仰があれば、その土地神は強くなる。信仰が弱まり、忘れ去られ、廃れれば、その存在を保てない。
一度土地神となり、信仰を失えば消滅するという欠点もあるが、信仰さえ維持できれば上位の神として存在し続けることが可能になる。
「さすれば、この町の信仰がそのまま土地神となるそなたの力になる。神力を持つ者が多いこの地の神として信仰を受ければその穢れた皮を脱ぎ捨てることが可能になり、神格も上がり、神としての力も強くなるだろう」
蒼子は蛇神の身体を改めて観察する。
身体の一部が崩れるように剥がれ落ちそうになっていた。
穢れは恐らく、身体を覆う鱗のみだ。
脱皮すれば穢れを切り離すことができるはずだが、脱皮をするだけの力がもう残っていないのだろう。
蛇の神達は定期的に脱皮をして古い皮を脱ぎ捨て、自分を清めると聞く。
しかし、脱皮にはとてつもない神力と体力を消耗する。
こんなになるまで……よく耐えたものだ。
蒼子の目には蛇神の身体のあちこちに染みついた穢れが、蛇神の優しさに映る。
この滝に身を投げた沢山の女や子供達の負の感情を掬い上げ、自身が取り込むことで、女や子供達の心を悲しみや憎しみから解き放った。
自身の身を蝕む穢れになると知っていたはずだ。
にも拘わらず、この神は滝に身を投げた者達の苦しみを引き受け、彼らを解放し続けた。
それはこの神が心優しく、決して見捨てず、そしてこの地の者達を慈しんでいるから以外にない。
「蛇の姫よ、この地の正式な神となられよ」
蒼子の凛とした声が空間を支配する。
広々とした空間に蒼子の声だけが静かにはっきりと響いて聞こえた。
「そなたほど、この土地の神として相応しい者はいない」
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