第102話 成仙

『成仙は言った。妾を殺し、妾の側にいる娘達を助け出して村の平穏を取り戻すのだと』


 滑稽だと思った。

 貴様ら男共のせいで、娘達は泣いているというのに。

 

 天災を妾のせいにし、勝手に『荒神』などと祀り、要らぬ娘を妾に押し付ける人の男共の身勝手に腹を立てるのは当然のこと。


『妾は娘達の憤りを成仙にぶつけた。娘達は望んでここにいる。全ては貴様ら男達の身勝手故だとな。すると、成仙はしばらくここに留まると言った』


 見極めるためだと成仙は言った。

 

 それから色々な話をした。

 天災のこと、娘達のこと、娘達がどのように過ごしているのか、妾が何を考えているか、この村はどうすればよいのか、様々なことを話した。話のほとんどは村に関することだった。


 成仙は本気で村人のことを想い、深く考え込んでいた。


 留まってしばらく、成仙はここを出ると言った。


『自分達が間違えていた。本当にすまない』


 成仙は妾に向かって深く陳謝し、村人に妾のことを話すと言った。

 

 天災は妾のせいではないこと、娘達を傷付け、妾の元へ送るのは止めること。

 そして、必ずまた戻って来ることを約束した。


 その時は既に、妾は成仙を愛していた。


 偏見を持たず、妾の話に耳を傾けてくれた初めての男だった。

 誰かのために懸命になる成仙は凛々しく、朗らかに笑った時の声が愛おしいと思えた。


 そして成仙もまた、妾を好いていると言った。


 誰かに愛し愛されることの喜びを知り、舞い上がった。


 必ず村の者達を説得し、ここへ戻って来る。


 妾は成仙の言葉を信じ、帰って来るのを心待ちにしていた。

 それは娘達も同じだった。


 成仙の説得が上手くいけば、村に帰っても理不尽な扱いを受けることもなく、穏やかに暮らせる。

 

 村人を憎んでも、心のどこかで故郷を捨てきれない娘達は希望を膨らませた。

 そうなれば少し寂しさはある。

 しかし、それが本来この娘達が持っているはずの生活なのだ。


『そう思えば、寂しくもあるまい。だが、妾達の元にやって来たのは成仙ではなかった』



 蛇神の声が急に低くなる。

 穏やかな語り口から一転して、地の底を這うような冷たく憎しみの籠った声に代わった。


『やって来たのは大勢の村人だ。村人達は真っ先に娘達を殺した。妾に操られ、正気を失った者は人間ではないと言ってな』


 衝撃的な言葉に鳳珠は絶句する。


「なっ…………」


 元はと言えば生贄にされたい気の毒な娘達だ。

 村に帰っても居場所がないからと蛇神の元へ身を寄せていた娘達にそれはあまりにも惨い仕打ちではないか。


 娘達は村人によって生贄にされ、殺されたも同然の扱いを受けながら、生きていれば人ではないと非難され、殺されたのだ。


『運の悪いことに、村人が襲ってきたのは妾の力が弱まり、身動きの出来ぬ日だった。妾の力が弱まっていることを知っていたのは娘達の他は成仙だけだ』 

 


 蛇神の身体に力が籠り、鳳珠の身体をギチギチと締め上げる。


「ぐぅっ……」


 身体を締め付ける力が強くなり、鳳珠は呻き声を零す。


『娘達は何も悪くない。何の罪もない娘達を捕まえ、身動きの出来ぬ妾の前で首を跳ねる男共の残忍さは鬼のようだった。そして娘達の遺体と共に妾の身体に火を付けたのだ』


 蛇神の赤い瞳は憎しみを燃やしている。


『全ては偽りだったのだな! 許せぬ! 妾を裏切り、娘達を殺し、妾を絶望させた貴様を妾は決して許さぬ!」』


「ぐあっ……!」


 蛇神の拘束は更に強まった。

 肺が押しつぶされるような圧迫感と、息苦しさに意識が遠のく。

 それに加えて何かに侵されているかのように力が抜け、すぐにでも意識を手放したいと思うのを必死に堪えた。


『苦しいか、成仙よ。だが、あの日、娘達はもっと苦しんだ。娘達が苦しんで殺される様を見せつけられ、焼かれた妾もだ!』


 蛇神の白い頭が黒い靄のようなもの纏い、黒っぽく変化した。

 顔だけでなく巨大な体躯の所々が黒く変色している。


 黒い靄は嫌な感じがした。

 

 鳳珠はこの黒い靄に掴まれば、自分も正気ではいられなくなるような危機感を遠のき始めた意識の片隅で感じていたが、今の自分では何もできない。


 息が……できない……くそっ……。


 口の中に残っていた唾液を飲み込むことも叶わず、口の端から流れ出る。

 肋骨が締め上げられ、内臓が押し潰されるほどの苦しさなのに、声の一つも上げられない。


「くっ…………そうっ……し……」


 蒼子の名すらもまともに呼べない。


 しかし、一体どういうことだ。

 蒼子の話しでは神の伴侶はそう簡単に殺されないのではなかったのか。

 

 簡単に殺されそうになっているんだが。 


 聞いていた話と違うではないかと、あの生意気な娘に文句を言いたくて仕方がない衝動に駆られる。


 けれども、私が文句を言ったところで蒼子に嫌味で返されてしまうのだろうな。

 

 あの小さくて可憐で愛らしい生意気な娘に鳳珠は敵う気がしないのだ。


 あの小さな娘がこんな目に遭わずに良かった。

 そう思えば、なんてことはない。


 蒼子が苦しむことの方が何倍も堪える。


 鳳珠の脳裏に蒼子と出会ってから今までの出来事が波のように思い出され、蒼子の存在が自分の思っているよりもはるかに大きいものだと知らされる。


 こんな状況で思い浮かぶのが小言を言う蒼子の顔とは……。


 浮かんできたのは涼しい顔をして辛辣な言葉を吐く蒼子の姿だ。


 もっと別にあるだろうと記憶を呼び起こす。


 とびっきりの笑顔……はないな……泣き顔……はもっとないな。


 記憶にないものを呼び起こそうとしてもないものはないのだから無理である。

 

 そもそも死が迫ったこの状況で浮かんでくるのが蒼子なんだ?

 もっと色気があって可愛げのある女はたくさんいたはずなんだが。


 ぼんやりとした意識の中で鳳珠は出会った女の記憶を辿るが、見事に顔が思い出せない。


『この日を待っていた。愛しいそなたと一緒になれる日を。妾の一部となって共に生きようぞ』


 狂気に満ちた言葉が耳元で響いた。

 吹きかけられる吐息が鳳珠の長い髪を揺らす。


「……先ほども言ったが……私は成仙ではないっ…………」


 息も絶え絶えになりながら鳳珠は最後の力を振り絞って言葉を紡ぐ。

 これだけは絶対に言っておきたかった。


「私の中に……そなたはいない」


 鳳珠は無意識に口の端を吊り上げる。


 おかしなことに、鳳珠の脳内を占めるのは蒼子だけなのだ。

 いい女にはたくさん出会って関係を持ったはずなのに、誰の顔も思い出させないほど蒼子の存在が強烈で大きなものなのだ。


 人外だろうが、神だろうが蒼子には敵わない。


『まだ口が利けるか』


 氷のような冷たい声が降ってくると同時、身体が強く締め上げられた。


『はあっ……あっ……』


 肺の中の空気を完全に失い、視界が歪んだ。


『安心するがよい。すぐに楽にしてくれよう』


 蛇神の口が大きく開かれ、並んだ鋭い歯が歪に光る。

 歪んだ視界の中で鳳珠が死を覚悟した時だ。



 バリバリバリっと薄い氷が割れるような音が空間に響いた。

 

『何だ⁉』


 驚き、弾かれたように蛇神が声を上げる。 


 バリバリと亀裂の入るかのような音は次第に大きくなり、鳳珠達の元へ近づいて来る。


 そしてふわっと身体に浮遊感を覚える。

 蛇神の拘束が緩み、鳳珠の身体はずるりと重力に従って落ちていく。


 このままでは身体を強打してしまうと頭では分かっていてもどうしようもできない。


 マズイ、このままでは……!


 身を守る手段のないまま今度こそ死を覚悟した。


「っ…………!」


 きつく目を閉じ、せめて舌だけは噛み切らないようにと奥歯を食いしばる。

 

「…………?」


 しかし、いつまで経っても想像した衝撃がやって来ない。

 それどことか、風を切る感覚や重力に任せて落下する感覚が消失した。


 そして衝撃の代わりにふわりと落ち着く、嗅ぎ慣れた香の匂いが鼻を掠めた。

 常に側にあったその香の匂いは鳳珠にこの上ない安心感と幸福、癒しをもたらす。


 何故、ここに?


 鳳珠は重たい瞼を薄っすらと持ち上げて、香りの主を確認した。


「生きているか?」


 少しだけ、大人びた女性のような声が降ってくる。

 そして少しだけ不安の混じったような表情で鳳珠を見下ろしていた人物を前に、鳳珠は目を見開く。


 黒い艶やかな長い髪、色白の肌と小さな顔に涼し気な目元、形の良く艶のある唇、額に飾られている濃紺の水晶がキラリと光っている。


 その女性には見覚えがあった。


「お……お前はっ……」


 鳳珠は息も絶え絶えになりながら何とか腹から声を絞り出す。

 女は無言で様子を窺うように鳳珠を見下ろしていた。


そうだ、この女はあの時の夢に出てきた…………。


「し……死神…………女」


鳳珠は何とか言葉を口にする。


この私を死の淵へと追いやろうというのか。


「私は……まだ、死……ぬ訳には……行かぬ……余所へ行け」


鳳珠は死神女に向かって言った。

すると死神女は怖いほどの美貌で鳳珠を冷ややかに見下ろす。


その仕草に鳳珠は何故か激しい既視感を覚えた。


そして死神女は鼻しらんでこう言った。


「死神様のお通りだ。死にたくなくばくたばっていろ」


次の瞬間、額に鈍い衝撃が走しり、鳳珠は完全に意識を失った。




 


 

 





 

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