第101話 蛇神の過去

『待ちわびていたぞ、今日という日を……!!』


 憎悪と歓喜の入り混じった声音で大蛇は言う。

 肌を刺すのは恐怖と相手から放たれる深い憎しみ。


 ギョロリとした赤い目がまるで正気を失い血走った人間の目のようだと思った。

 

「大蛇よ、私はそなたとは初対面のはずだが?」


 鳳珠は恐怖に顔を引き攣らせながら気力を振り絞って蛇神に話しかける。

 すると、スッと周りの空気が冷えた気がした。


 マズイ気がする。


 長年の女性遍歴が今、自分は言ってはならない余計な一言を口走ってたぞと、警告を出している。


 本能的に危機感を覚えた。


『人間の娘と結ばれただけでなく、この私を忘れたと言うのか⁉』


 怒号のような声で蛇神は鳳珠を睨みつけ、その巨大な体躯で鳳珠の周りを取り囲む。


「なっ……!」


 そしてそのまま鳳珠の身体に巻き付いて拘束した。

 逃げることができず、鳳珠は身体を締め上げられながら、徐々に蛇神の目線の高さまで引き上げられた。


「くそっ! おいっ、離せ!」


 蛇神の拘束から逃れようともがくが、ビクともしない。


 凄まじい力だ……逃げるのは無理だ。


 手足だけでなく身体が蛇に巻き付かれたことで圧迫され、息苦しい。

 息苦しさだけでなく、骨が軋むほどの強さだ。


 蛇神がその気になれば自分など赤子の首を絞めるが如く、殺されてしまう。

 

 くそ……どうすれば……。


 逃げるためにはこの拘束を解かなくてはならない。

 

 どうにかして蛇神の気を逸らさなければ。


「すまないが、私には身に覚えがない。人違いではないか?」


 肺が圧迫され、息苦しさを感じながらも鳳珠は平生を装って蛇神に語り掛けるように言った。


 酸欠になりかけているのか、頭がぼんやりする。


『間違えるものか! この匂い、この感触、この声、間違いなくそなたは成仙』


「成仙……?」


 聞いたことのない名だ。


 聞いたことのない名前に鳳珠は首を傾げる。

 

『あぁ、何とも薄情な男よ。妾との約束を違え、裏切っただけでなく、妾の存在すらも忘れたなどと……どこまで貴様を憎めば良いのか』


 そう言って蛇神は赤い舌を出し、鳳珠の顎を撫でる。

 まるで慈しむような仕草だが、鳳珠の肌は勝手に泡立つ。


『まぁ、良い。こうして妾の元に返って来たのだから、今までのことは水に流すとしよう』


 蛇神は先ほどとは打って変わり、優しい声音で言った。

 そうして過去の出来事を語り始める。


『今から二百年前、この地は激しい豪雨続き、作物が育たず、飢饉に見舞われた。それを解決するため、この地の者達は妾に生贄と称して幼い娘を差し出した』


 蛇神は懐かしむように静かに語る。


『幼いが神力のある娘だった。娘は妾に、どうか雨を止ませて欲しい、怒りを鎮めて欲しいと訴えた。妾は何もしていないし、する気もない。だが、あまりにもしつこい故に、神力の扱いを教えて雨を凌ぐ方法を教えた』


「雨を凌ぐ方法を……?」


 鳳珠は意外にも蛇神が生贄となった少女に親切であったことに驚く。


『娘は火の神力を持っていた。妾の嫌う性質だが、扱いは同じ。娘はこの地のために三日三晩神力を使い、雨を退け……死んだ』


「死んだ?」


『幼い身体には負担だったのであろうな。人とは分からぬな。自分の命よりも他人の命が大事だという。その娘は母のため……と言っていたか』


 その口調から、蛇神が力を使い続ける少女を止めたのだと察する。

 

『それからか。何かが起こる度に娘が供物にされるようになったのは』


 おそらく、少女が神力により雨を退けたことで村人達は娘を生贄にすれば村に平穏が訪れると勘違いしたのだろう。


『何かが起これば妾のせい、生娘を渡せば妾の怒りが収まる……この地の者達は事あるごとに生娘を妾に捧げ続けた』


「捧げられた娘達はどうなったのだ?」


『帰れと言っても帰れないというのでな。よその神の元へとやったこともあれば、妾に仕えた者もいた。帰りたい者は帰したが、泣きながら戻って来た者もおった』


 一度、贄として捧げられた娘達が村に戻った場合、その多くは歓迎されることなく、理不尽な責め苦を受けると蛇神は言う。


『中には自分を生贄にした村人を恨む者もいた。あの娘は男達から虐待され、不要になり捨てられて妾の元へやってきた』

 

 その言葉に鳳珠は嫌悪感を抱く。


 今と同じようなことが当時からあったことが窺える。

 

 深く根強いこの村の悪習だ。


『美しく、妾の目を引くほどの器量良しの娘だった。娘は村人を呪って欲しいと童に懇願した。皆殺しにして地獄に落として欲しい、自分の命を差し出すからとな』


 赤い目が愉快だと言わんばかりに細められた。

 含み笑いながら蛇神は言う。


『その後も次々と村を恨む娘達がやってきた。口を揃えて呪って欲しいだの、地獄に落とせだの、自分は死んでもいいだのと……馬鹿げている。妾はそのようなことはせぬ。娘達はしばらくは悔しくて泣いたが、ここにいるうちに少しずつ心穏やかに過ごせるようになっていった。そんな時、雨季が長引き、作物の不作が起こった』


 蛇神の声音が変わった。

 冷たく憤りの混ざる声で続ける。


『不作は作物だけに限らず、森でも起こった。木の実が全く取れない年となり、獣達は食料を求めて田畑を荒らした。それを妾の怒りとし、妾を殺すためにやってきたのが成仙だった』

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