第98話 それぞれの役目

「蒼子様!!」


 蒼子はいつの間にか鳳珠の腕を離れ、宙を舞っていた。

 ポーンと空宙に投げ出された蒼子の身体を紅玉がしっかりと受け止めてくれる。

 

「大丈夫ですか」


 タンっと軽やかに着地した紅玉が蒼子の顔を覗き込んで訊ねる。


「問題ない。だが……」


 蒼子は自分が出てきた穴を覗き込む。

 みんなが不思議そうにのぞき込む穴は蒼子が鳳珠と共に落下したはずの穴だった。


 しかし、その穴は直径が大人の肩幅くらいの円状の窪みになっていた。

 深さも大人のくるぶし程度の深さでしかなく、大人の男の姿が見えなくなるほどの深さはない。


「塞がれてしまいましたね」


「あぁ。私だけ上手いこと外に弾かれたようだ」


 紅玉に抱えられ、穴を覗き込んだ蒼子は唸る。


「なるほど……あの蛇神、思ったよりも力の強い神のようだ」


 鳳珠の夢に現れたり、空間を捻じ曲げて鳳珠を連れ去ったりと、芸達者だ。


思ったよりも手強いな……。


「蒼子様! 鳳珠様はどうなったのですか⁉」

「このままでは鳳様が……一体どうすれば良いのですか⁉」


 鳳珠の従者である椋と柊は二人揃って取り乱す。

 特に柊が声を荒げるのは珍しい。

 

「狼狽えるな」


 取り乱す双子を一喝したのは莉玖だ。


「蛇神の目的は皇子を殺すことではない」


「それは……そうかもしれませんが…………」


 柊は少し落ち着きを取り戻しながらも、不安が拭えないようだ。


「しかし、このままでは…………」


 椋は青白い顔をして呟く。

 

「確かに、蛇神が迎えに来た以上、婚姻が成立するのも時間の問題だ。蒼子」


 莉玖は冷静な面持ちで蒼子に視線を向ける。

 当然、対策はしているな? と言葉なく訊ねる。


「あぁ。皇子には私の守印がある」


 鳳珠の頬に接吻した際、蒼子は目印として守印を刻んだ。

 そこで蕗紀がはっと何かを思い出した表情をする。


「その通り、蕗紀に刻んだものと同じだ」


 蕗紀と出会ったあの時、蒼子は蕗紀の額に蒼子の気を込めた守印を刻んだ。

 その守印は物理的にも神力的にも害になるものから守ってくれる。

 故に、滝に飛び込んだ蕗紀は怪我もなく、溺れることもなく、おまけに蒼子の気配を辿りながらここまでやって来た紅玉に助けられた。


 要領はそれと同じだ。

紅玉は索敵能力に優れており、特に蒼子の気配を追うことに関しては蒼子が驚くほど。


紅玉であれば間違いなく蒼子の気配を纏った鳳珠を見つけられるはずだ。


「蒼子様、気配は一瞬で遠くに離れました。力の受け渡し前後に気配を追うには自分の体力と神力の消耗が激し過ぎます」


 紅玉の言葉に椋と柊は更に青白い顔になる。


「確かに。相手は私を空間の外に弾き出し、空間を捻じ曲げて逃亡した。逃亡先も自身が作り出した空間かもしれない。それを見つけ出すとなると相当な神力が必要になる」


「それでは一体どうすれば…………」


 双子は一縷の望みが潰えた時のような悲壮感が漂っている。

 そんな椋と柊を見やり、大きな溜息をついたのは莉玖だ。


「皇子を支える側近二人がそんな有様でどうする」


 莉玖は言う。


 大声を出しているわけではないのに、莉玖の声にはその場の悲壮な空気を打ち消す力があった。


「どのような時でも主人と周囲を見る冷静さを欠いてはならない。主の姿が見えぬからと取り乱し、思考を放棄するなど言語道断」


 莉玖の言葉に椋と柊の背筋が伸びた。

 顔を上げた二人は少しだけ落ち着きを取り戻したように見える。


「良いか、二人共。従者であるならば、常に周りを警戒し、冷静でなければならないことを忘れるな。冷静さと思考を欠けば、あっと言う間に身動きが取れず、主の首を絞めることになる。特にあのふわふわとした皇子の従者であるのならばくれぐれも注意しろ。あのような奔放な皇族、目を離した瞬間にいなくなり、見つけた頃にはもれなく厄介ごとを持ち込んで来る。忘れるな、自分達の身を守るためには冷静な心と思考力、迅速な行動、そして何より大切なのは主の見失わないための手綱の持ち方だ」


 凛々しい顔で双子に従者としての在り方を説く。

 しかし、後半はほとんど悪口のようなものである。


 過去に何かあったのだろうか……皇族から迷惑被るような何かが。


 双子は力説する莉玖をまじまじと見つめながらそんなことを考えていた。

 もちろん、莉玖のありがたい教えは椋と柊の心の中に深く深く刻んでおくことにする。


大切なのは『主の手綱の持ち方』。

双子は心の中でこの詞を復唱した。


「私が蒼子の守印を追う。椋、主を助けたいなら力を貸せ」

「もちろんです!」


 莉玖の言葉に椋は前のめりになって答えた。


「工部尚書様! 私にもお手伝いさせて下さい!」

 

 全員の視線が白燕に向けられる。

 微力ながら力になりたいと白燕が名乗りを上げる。


「年長者が傍観って訳にはいかないね」


白燕に続き、朱里も立ち上がる。


「では、頼むとしよう」


 柊は悔しさと自分の無力さが情けなくなる。

 ないものねだりとは幼稚だと思うが、自分に少しでも神力があれば良かったのにと思わずにはいられない。


 柊は頭を振り、嫉妬の心を払い除けた。

 

 ないものねだりなどしたところで意味はない。

 自分にできることをしなくては。


「あなたは私と来てもらう」


 柊の背中に蒼子の声が掛かる。

 それに少しだけ戸惑う。


「しかし、蒼子様。私は神力を持ちません」

「その方が都合の良いこともある」


 都合が良いこととは……?


 蒼子の考えは分からないが、主を助けるために自分にできることがあるのならば喜んでついていく。


 神力を持たない自分が何の役に立つかは疑問だが、自分のすべきことは決まっている。


「私で良ければお連れ下さい」


 主を救うために自分にもできることがあるならば、これ以上嬉しいことはない。


 柊は真っすぐに蒼子の目を見て答えた。

 蒼子は柊の答えに満足そうに頷く。


「我々にも何かできることはありませんか?」


 呂鴈と共に白陽と百合、蕗紀がやる気に満ちた表情で蒼子の前に出る。

 鳳珠のために皆が力を貸してくれるようだ。


「大変です!」


 蒼子達の元へ緊迫した声と共に莉玖の部下が一人、飛び込んできた。


「何事だ?」

 


 莉玖が問えば、捕まえて馬車に押し込めていた呂鄭が逃走したとのこと。

 先ほどの蛇神が起こした激しい地震による被害状況の確認や、邸の外にいる者達の避難誘導を優先し、目を離した隙に忽然と姿を消したという。


 気絶していたこともあり、少し目を離しても問題ないだろうと思い、避難を優先させたらしい。

 邸の外には地震による地盤沈下や地割れが起こり、大騒ぎになっているが、死傷者は出ていないとのこと。

 

 呂家の男達はそのほとんどが拘束されており、町の男達のほとんどは何らかの罪状があると予測しているので自由にはできない。そのため、身の軽い女性達の手を借りて、詳しい被害状況を調査する必要がありそうだ。


「申し訳ありません!」

「邸の外には女性や小さい子供も多くいる。あんな蛆虫以下の下種よりも彼らの安全が重要だ」


 深く頭を下げる部下に対して、莉玖は言う。

 莉玖の中での呂鄭の評価は地の底を這っていることがよく分かる。


「かと言って、野放しにはできない。あの男は必ず裁かねばならぬ」


「では、私達はそちらを担当しましょう」


 呂鴈と白陽は顔を見合わせて言った。


「この辺りの地理を理解している我々と、工部尚書の部下の皆で捜索に当たりましょう。愚弟の向かいそうな場所はある程度見当がつきます」


「叔父様、あの人は自尊心が高いです。自分の自尊心を傷つけた我々をこのまま放置するとは思えません。きっと、何か仕掛けようとするはずです」


 呂鄭と同じく、呂家の処分に反発している男は少なくない。

 恐らく、その者達と共に何かを企むかもしれないと白陽は言う。


「彼らが束になる前に捕らえなければならぬな」


 呂鴈は険しい表情で言うと白陽も大きく頷いた。


「では、呂鄭のことはそなた達に任せよう」


 莉玖に呂鄭のことを任された呂鴈は白陽と百合、蕗紀を連れて場を離れた。

 呂鴈は莉玖の部下に指示を出している呂鴈の背中はとても頼もしい。


 伊達に短期間で尚書位についた男ではない。

 人を率いて、まとめ上げる人望と力量がある。


 莉玖は人に親切で裏表のない呂鴈を好ましく思っているし、ひたむきに努力をして短期間で高官の地位に上った呂鴈を尊敬している。


 優秀であるが故に嫉妬され、奇形の一族、美男美女の一族の中での不作などと陰口を叩かれていたのも莉玖は知っている。


 そんな逆風の吹く中で、目の前の仕事に真摯に向き合う呂鴈の姿はとても印象的だった。

 

 それらが全て姪と甥のためだったとはな。


 呂鴈の味方がこの町にいれば、犠牲者は今よりも少なかったはずだ。

 どんなに正しいと主張しても、味方がいなければ悪になる。

 味方がいなかったというだけで、町の問題はここまで拗れてしまったのだ。


 そこだけは気の毒に思う。


 今後、呂家が処分を受ける際には呂鴈も何かしらの処罰が下されるだろう。

 それを考えると胸が痛むが、彼の側には守り抜いた姪と甥がいる。


 どんなことがあっても、あの仲睦まじい三人であれば、きっと大丈夫だ。


 莉玖は同僚の背中から視線を外し、蒼子に告げる。


「始めよう」


 今は自分の仕事に集中するとしよう。




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